第一話「わんぱく小僧と新英雄(ニューヒーロー)!」2
*
「こ……これは、いかん……いかんことになるぞ……!!」
薄暗い部屋の中……昼だというのに窓をほとんど閉めている上に、明かりもろくに点けていないからだが……皺のある額にぼさぼさの髪、大きな鷲鼻の老人が慄いていた。
ちょうどそんな時、ガチャリとドアを開け、二人の少年少女が家に入ってきた。
「おいっすー。モルダンじいさん居るー?いるよな。おっすっすー。」
「こんにちは、モルダンじいちゃん」
「ん、おお、こりゃあトマック坊にジンナ嬢。よく来たな。待ってな、茶と菓子を出すでな。」
さっきの慄きぶりはどこへやら、お子ちゃま二人を愛想良くもてなす好々爺。このモルダンこそは街の奥まった所に住む、ヘンテコじいさんである。ひっそりと暮らしているので特に町中に顔の知れ渡る有名人とかではない。が、決して狭くはないこの開拓街においてほぼ全ての道と住人を知り尽くしたわんぱく小僧のトマックが、「居心地良し」と定めたスポットの一つがこのモルダン宅である。
トマックが領主の子ということはもちろんモルダンも知っている。ジンナの家などは領主邸にもほど近く、領主本人の覚えも良いので気安い態度も許容されているわけだが、モルダンは領主とは面識も無い筈である。その上で礼を尽くしつつ気安くもてなしてくれるこのじいさんが、トマックは好きであった。
「どうしたの?いつも散らかってるけど、今日は一段と散らかってるじゃん。」
「机の上に紙がごっちゃごちゃ……あ、これ、地図!?おっきぃ~!」
お子ちゃま二人は遠慮なしに席に着いた。
「おお~~そうなんだわい。ま、子供に聞かせる話でもないが、トマック坊ちゃんにならええだろ。」
そう言うと、ごちゃごちゃした机とは別の机に、菓子と茶を置いた。机というか、詰み上がった本の上だが。二人は椅子から降りて机(仮)の隣に立ち、くつろぎながらモルダン爺の話を聞く。
「あー、俺ぁはな、いつも色々調べ物してウンウン唸っとるのは知っとるだろうが、俺ぁの本業は歴史学者なんだわな。」
「れきし?」
「がくしゃ?」
お子ちゃま達が初めてその単語を聞いたような反応を見せる。
「ああ~、先々代の領主様のころにな、俺ぁはここに招かれて、それからずっと帝国の事や、この土地の色々なことを調べてたんだわな。」
「え!?」
「領主様におまねき!?」
「エエ反応をありがとう。」
打てば響くようなリアクションに、モルダン爺はほくほくだ。一方、てっきり領主とモルダン翁には関りが無いと思っていたトマックだったが、意外過ぎる接点があったものである。なんだか不思議な驚きを感じていた。
「でだ、帝国には……というより、帝国のあるこの大陸には、帝国成立よりもずうっと昔に、大規模な災いと、それに立ち向かう国があった……と、言われている。」
「え?災いって……もしかして『悪魔』の事?」
「そうじゃ、ジンナ嬢。」
「それって、『光の神』の悪魔退治の伝説?そんなのおとぎ話だろ?」
「そう。だが実際は”神ではなく国だった”というのが、学者達の通説なんだな。その『悪魔』に……実際の出来事はなんであれ、大きな災いに立ち向かえる程の国……『超文明』と呼ぶ、これを調べるのが俺ぁの与えられた使命だった。」
「ちょうぶんめい……なんだ、面白くなってきたぞ!」
男児心をくすぐって止まないワードだ。古来より『伝説』だとかそういうワードは男児をときめかせてきた。
「いかにも。俺ぁも超面白いと思った。その文明が本当にあるのか。あったとしてどんな文明だったのか。おとぎ話とするには、その痕跡が多いということだ。この大陸で帝国が比類無き一強国となった後も、この街のように開拓をし続けているのは、この謎を追いかけるのも大きな理由の一つだと俺ぁは思ってるんだな。先代も、先々代もな。」
「……で、モルダン爺さん、この散らかりようは結局、何が分かったのさ?超文明の手がかり、見つかったの?」
「……超文明というより、悪魔のほうだな。各地の噂や、遺跡と言える場所、そしてこの開拓村で得た情報……それらを見るに……悪魔は倒されておらず、封印されとるだけらしい。長い年月経っている。封印が綻んでいてもおかしくない。」
「たいへんそう。」
ジンナはバリバリとお菓子を摘んでいる。ぜんぜん大変そうな反応ではないが、女の子にこの話題ならこんなものだろう。
「でもさ、悪魔が出てきたって、この国でなんとかできるんじゃない?帝国には今だって『近衛銃士』がいるし、強い戦士や騎士がいっぱいいるんだぜ!」
「……たとえば、この開拓街でならどうだ?強い戦士、おるか?少なくとも、アンザイや守備隊程度じゃ、悪魔一匹にも勝てるか怪しいぞ?」
「え……そ、そんなに?まっさかぁ……アンザイ師範だって、でかい魔獣倒したりできるんだぜ?」
「魔獣程度と同じなら悪魔とはいえん。それに……悪魔の封印のひとつは、この開拓村近郊にあるようなのが、一番悪い発見じゃな。」
「!!!」
「探そうにも、あの大森林の中じゃ。発見されとる範囲にはもちろん無いが……領主様に調査団を組んでもらい、大規模な捜索をしても、見つかるかどうか。」
「「…………」」
思わぬ発言に、二人は絶句だ。
「まぁ、今すぐどうということは無いはずだぁな。とにかく明日には、俺ぁはこれを領主様に報告するつもりだ。その後領主様がどうするか、そこはお任せする。」
「明日?今日じゃだめなの?」
「資料を整えにゃならん。これからその作業に入ることにするかな。」
「ありゃ、それじゃオレ達タイミング悪かったかな。」
「ああ、ええんだぁよぉ俺ぁ自身、さっきまで興奮しきりで、誰かに聞いて欲しかったからなぁ~~カッカッカ!」
ほどほどにお菓子をいただいたら、お子ちゃま二人はそそくさと退散した。まさかあのお爺ちゃんに仕事があっただなんて思いもしなかったが、逆に今までどうやって生活してたんだという疑問が解けた一件であった。忙しい大人の邪魔はしないのがいい子の秘訣。トマックは真面目に訓練した方がいいが。
「まだご飯まで時間あるね、どうする?」
「……行くか……悪魔探し!」
*
「大丈夫なのぉ?トマック。」
「平気平気、奥の方までは行かないよ。」
二人は馬に乗って森の中を進んでいた。開拓村付近の大森林は、未だに『向こう側』が確認できない広大な森だ。山の頂上に登っても見えない、地平線の先まで続く広さを持つ。
とはいえ、開拓街ができて80年以上。近隣の森は整備され、住人もいれば家畜もいて、人々の生活に利用されている。近場なら子供の散歩程度どうということはない。
「今日も頼むぞ、ベルカナード。」
トマックがそう言って馬の首を撫でる。現領主の馬の一頭で、トマックのお気に入りだ。もう老馬にさしかかる年齢で体力は落ちているが、聡明でトマックに良くしてくれる。トマックはこの馬がいたおかげで、馬術にだけは真摯に取り組んでいる。といっても年齢と体格の都合上、腕前も相応に未熟ではあるが。その未熟さも受け入れてなお意欲的でいるくらいには好きであった。
二人は、愛馬ベルカナードに乗って森を進む。トマックが前で手綱を握り、ジンナはしっかりトマックにくっついている。
この大森林は全貌こそ見えていないものの、開拓範囲も広い。人が気兼ねなく歩ける場所は全体的に柵で仕切られ、ここを越えるのは許可を貰った猟師や木こり、冒険者、兵士などである。一応柵の外もある程度の範囲は開拓が済んでおり、里山のようになっている。稀にだが王族もここを訪ね、狩りを楽しめる位には驚異度は低いと言っていいだろう。腕の立つ護衛がいればの話だが。
「よっと。よしよしいいぞ~良くやった!」
「いいのかなぁ勝手に柵越えちゃって。」
そんな事情を知っているトマックには、柵などあって無いようなものだった。もちろんダメである。
「バレなきゃいいんだよバレなきゃ!」
ちなみに庶民の子がこういう事をしてもしバレたら、柵周りの管理員や親からブン殴られて怒られる。
トマックの場合も領主やアンザイ師範からブン殴られるかもしれない。あるいはそれに加えて外出制限の上、勉強や鍛錬を強制されるだろう。トマックは何も分かっていなかった。この森の厳しさが。守備隊の強さが。
ふと、後ろで葉のこすれる音がした。それに気づいたのはトマックの後ろに乗っていたジンナだった。ジンナが振り向くとそこには何も無かったが、その瞬間、ベルカナードが突然駆けだした。
「う、おわ!?どうした、ベルカナード!」
一瞬慌てたトマックだったが、咄嗟にジンナの手を握り、愛馬の動きに体を合わせた。トマックは愛馬を全面的に信頼している。馬上ではベルカナードの判断を全てにおいて優先させる。未熟な己より余程正確だと理解している故の判断だった。
「ジンナ、しっかり掴まれ!」
「うん!」
ジンナは見ていた。自分達の後方に、何かいる。道を外れた茂みはそこまで高くないが、大人の腰辺りかそれ以上はあるだろう。時折、揺れている。追ってきている。見間違いではない。しかもベルカナードの走りについてきている。
「トマック、魔獣だよ!?」
「ああ、そうかも!」
ベルカナードは賢い馬だが、体力は続かない。しかも道は一本で後ろから追いかけられるとあっては、どんどん森の奥に行ってしまう。
───やがて道が獣道になった頃、姿無き追跡者の牙が剥かれる時がきた。
ベルカナードは口から泡を吹き、限界以上に走っている。トマックは背中や額からぞっとする汗が噴き出ているのを感じた。
ベルカナードの速度が少しずつ下がっていくと、背後から今までと明確に違う音がした。
「!!」
茂みから黒い尖ったものが、ベルカナードめがけて飛びかかってくる。その一瞬先にベルカナードは速度を上げ、これをかわした。しかし───
「あっ───!?」
そんな声と共に、トマックは背後の重さが消えたのを感じた。
「ッッ!?」
ジンナが投げ出されていた。
「ジンナ!!!」
トマックが振り返りながら叫ぶ。ベルカナードも急停止し、振り返った。
そこにいたのは、蛇ともカマキリとも人とも見えるものだった。
「さ、サイズコルポス……うあっっ!?」
その姿を認めると同時に、トマックも投げ出された。ベルカナードが倒れ込んでいた。とっくに限界だったのだ。
サイズコルポスは、大森林でも指折りの捕食者だ。蛇のように長い体で、その尾の長さは馬5頭分、太さは馬の首ほど。それだけならまだ大蛇で済むが、こいつには『人のような上半身と腕』がある。その腕の肘から先が、まるごと鋭い爪───鎌のようになっている。頭は甲虫と蛇の間のような禍々しい外見。さらに背中側は堅い甲殻で覆われ、地を這う間は剣や槍での対処がしづらい。そして上半身を起こし……今のように『立った』状態が、狩りの姿である。
『蛇部分』の腹側は柔らかい蛇腹だが、『人部分』は甲殻が覆っている。背中ほどではないのは唯一の攻め処と言える。
しかし、未熟な子供であるトマックには、どちらにせよ絶望的な状況でしかなかった。
どうしようかと戸惑い、どうしようもないと頭のどこかで結論が出ていた。だが、トマックはこの状況で尚立ち上がり、投げ出されたジンナに慎重に駆け寄った。
「…と、トマック……」
ジンナは無事だった。サイズコルポスの爪はジンナの服を引っかけただけで、投げ出された後は茂みの木や草がクッションとなって、運良く怪我も無かったようだ。
トマックはサイズコルポスと相対し、両手の拳を握り、胸の前で構えている。どうにもできないだろうが、もしどうにかなるなら……懐に潜り込んで目を攻撃すれば、多少なり活路が開けるのではないだろうか───
それが生態もよく知らない魔獣への対処として良好なのか、それすら分からないが、分からないなりに回した頭で出した結論だ。
サイズコルポスは移動するトマックを慎重に見ていた。そしてジンナの手前で止まったのを見て腕を振りかぶった。トマックの決断も、魔獣の前では気にとめる事もない、警戒にも値しないと判断されたのだ。
その時!!
「待てぇぇー!!!!」
森の中に、若く雄々しい声が響く!トマックとサイズコルポスは同時に声の方を向いた。
「坊ちゃん、大丈夫か!」
「リボリアム!?」
駆けつけたのは白髪の青年、リボリーことリボリアムだった。
「坊ちゃん、ジンナを連れて、馬の向こうまで行け、すぐにだ!」
言うが早いか、リボリアムはサイズコルポスに向かって駆けだした。
白髪の青年と魔獣、両者の目線が確かに合った。
「サイズコルポスか……なんでこんな浅いところに。」
立ち上がっている魔獣に対し、青年は姿勢を低く。
魔獣も判断は速い。地を這うトロい二足歩行の獲物など、驚異に値しないとでも言う風に、爪を素早く振る……が、一瞬フェイントを入れた青年の動きにつられ、空振った。その空振った腕に青年は乗り上げ、一気に頭まで飛びかかる!
「キキギィィィィィ!!」
青年に張り付かれ、魔獣は金切り声を上げた!
サイズコルポスは、敵が己の前面に張り付いた場合、顎で噛みつきにかかるか、倒れ込んで叩きつける習性がある。だが青年は足で魔獣の胴に絡みつき、真っ先に顎を掴んで上にひねり上げた!動物は無意識に視線の方向に向かう。これは魔獣も同じで、頭を上に引き上げ……さらに後ろに向けられ、つい仰け反り、倒れ込まされんとしていた。そうはさせじと踏ん張り、爪を青年に突き立てようと振り上げる。これは一歩間違えば己の胴も貫きかねない危険な行動だが、魔獣は躊躇しなかった。
青年は、身をかわした。
ドッ……と鈍い音がし、魔獣は自分の胴を傷つけてしまう。黄色い体液が滴り、青年は離れた。
魔獣はそれを気にもとめない。仕切り直しさえすれば、さっきよりはマシと判断していた。だが───
魔獣はその眼で見ていた。身を翻して爪を避けた青年は、己の後方、蛇部分へ駆け寄り、むんずとしがみついていた。理解できない行動だった。
「でぇやあぁぁぁぁぁぁああああああーーーーッッ!!」
青年は魔獣の『尾』を抱え込むと、なんと持ち上げ、回転するように振り回しだした!
これには魔獣も焦ったのか、青年をどうにかしようとするが、巨体にかかる遠心力になす術なく振り回された。
「ちぃえアアッッ!!」
そして青年は魔獣を、思い切りブン投げた!
フワッ……という音がしそうな静寂の中、魔獣は宙を舞い……思い切り木に激突した!
「ンギィィ……!キギ……!」
無論、巨体と甲殻相応の頑丈さを持つ危険な魔獣だ。その程度で死にはしなかったが……
「……!」
己をブン投げ、なおもざかざかと草をかき分け向かってくる青年を見て……恐ろしき魔獣、サイズコルポスは森の中へ姿を消した。
「…………ふぅ……。」
───戦いは、終わった。