片桐優香2 過去
元々私の両親は冷めていた。勢いだけで結婚した夫婦。勢いだけで産んだ私。時間が経てば冷めてしまい同じ家にいても家族らしいことなんて殆ど無かった。
中学生の時に離婚して私は母に着いて行くことになった。
けれど、金銭的な余裕はなく、困窮していった。父が入れてくれるはずの養育費は数か月で振り込まれなくなった。母は怒っていたけれど、私はやっぱりと思っていた。
結局あれだけ嫌っていた実家に頼りながら生活する事になった。母の実家に行った訳ではなく、お金だけの援助。生活はすごく楽になった。おばあちゃんはとても優しい人で私の事も母の事も気にかけてくれた。必要以上に干渉せずけれど、大変な時には手を差し伸べてくれた。
私は祖母を慕うようになっていたけれど、母は祖母の優しさ全てがコンプレックスを刺激したようで少しずつすさんでいった。
母はストレスが原因か分からないけれど、身体を壊して私が二十歳になる前に死んでしまった。こんな家庭は嫌だ、私は仲良く暮らしたいそう思っていた。24歳の時から付き合い始めた夫は優しい人だった。この人となら幸せな家庭を築けると信じていた。
事実、結婚して麗華が保育園に入るあたりまでは幸せだった。でも、夫は変わってしまった。きっかけはリストラ。すさんで娘に手をあげるようになった。止めると私にも。でも、いつか元に戻ってくれると思っていた。思い込んでいた。自分を騙していた。偽っていた。
結果麗華を苦しめる事になった。
麗華が私を嫌うのは当然だ。私は夫の様子ばかり窺っていた。夫は麗華に接しようとすると明らかに機嫌が悪くなった。自分の方を大切にしろと詰めてきた。
当時は外での人間関係を上手く形成出来ていなかった。家庭内でしか話し相手が居らず依存しかけていた。ストレスで煙草を吸うようになっていた。
麗華の事をちゃんと見ていなかった。それでも、夫の再就職が進まず家計が圧迫されると、家か ら出したがらなかった夫もそんな事を言っていられなくなり私もパートをするようになった。
働きに出ると少しずつ環境の異常性に気が付く。結婚前であればおかしいと気が付けたはずなのにいつの間にか麻痺していた。
気が付いた時には既に遅かった。麗華の心は私から完全に離れていた。
麗華は学校で孤立していた。その事にも気が付いていなかった。麗華は私を拒絶していた。私はどうすればいいのかわからず、距離感を図ろうとして結局失敗ばかりしていた。
少し経つと麗華は心を許せる相手と出会った。それが詩織さんだった。少しずつ目に生気が戻っていき明るくなった。ごくたまに話をするときや課題の日記に名前が出るようになり私はその存在を知った。
日記で放課後に会っていることを知り一度こっそりと身に行った事がある。
麗華は遠目でもはっきりとわかるほど笑っていた。数年ぶりにみた笑顔だった。私はその顔を見た時、麗華にとって私は家族ではないという現実を突きつけられた。
それからはせめて麗華のしたいようにさせようと思った。今思うとそこでも判断を間違えていたのだろう。当時は麗華を見守る事が今の関係では一番いい事だと考えた。
どんなに拒絶されても寄り添い続けるべきだった。きっと、そこでもう一度寄り添う道を選べば親子として生きていく事も出来たのだろう。結局私は何もしなかった。
麗華は一人で強く育っていった。それは間違いなく詩織さんのおかげだった。私はその様子を眺めていた。私に対しては殆ど心を開いていなかった。一人で生きようとしている事は見ていてわかった。
それでも、麗華の成長は数少ない喜びだった。恐らく、高校卒業と共に家を出て行くであろうことも。その後は戻ってこない事もわかっていた。
麗華が中学生に上がった頃、祖母が死んで遺産が入って来た。お金持ちだとは思っていたけれど想像の数倍の遺産が入って来た。それで何となく家庭内で私の力が強くなった。というよりも夫が勝手に引いただけだけれど。そのお金で引っ越しもした。少しは生活が良くなるかと期待したけれど、結局何も変わらなかった。
夫とは完全に冷え切っていたけれど、私たちに暴力を振るうことは無くなっていた。私はこれも家族の一つの形だと思いこみこのままでもいいと考えていた。同じ家に居ればいつかは普通の家族のように仲良くなれるかもしれないと、ありもしない夢を抱いていた。
調味料の場所すらわからない、炊飯器が新しくなっている事も気がつかない程家庭に興味ない人とわかっていたのに。
そう現実逃避し続けていたせいで麗華の様子を見逃していた。自分では麗華の様子をしっかりと見ていると思っていた。普通の会話はなくても親として様子はしっかり把握できていると勘違いしていた。過信していた。
好きな漫画や好きな人、最近好きなテレビを知ってそんな事ばかり知っていてそれだけで全てを分かった気になっていた。
麗華の学校生活は上手く行っていると思っていた。思い詰めている事に気が付いていなかった。結局私は最初から最後まで親でいる事は出来なかった。
お母さんと呼んでもらえはしたけれど結局私はただの同居人かそれ以下だった。




