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6話 難癖

 由花の前に現れたのは四十代前半から後半の男だった。だらしない体型で無精ヒゲを生やしており、小汚い印象を受けた。

 男は怒気を漲らせて、つま先を床にトントンと叩いている。めちゃくちゃ機嫌が悪いみたいだ。僕は物陰から二人の様子を見守ることにした。

 

「ーーおい、このタバコ売ってないのか?」


 初対面にもかかわらず、高圧的な態度をとる男。側から見ていてもいい気はしない。


「こちらは現在、売り切れておりまして」

 

「は? 売ってねーのかよ。つっかえねーなぁ。在庫の確認くらいしとけよな」


「申し訳ございません」


 由花は深々と頭を下げた。変に言い訳するよりも謝罪の意を伝えることで、面倒なトラブルを回避しようという狙いだろう。

 だが、この男には逆効果だったみたいだ。男の怒りは収まることなく、レジカウンターを両手で叩いて、唾を飛ばしながら暴言を吐いた。


「なめてんのか? お前の薄っぺらい謝罪なんかいらねーんだよ。ボケ!」


「すみません」


 こうなると男の怒りが鎮まるまで謝り続けるしかない。謝罪してもなお、鬱陶しい迷惑客に絡まれている彼女には同情する。

 できれば代わって説き伏せてやりたい。だけど、今僕が出て行っても事態がややこしくなるだけだ。ひとまず静観するしかない。暴力沙汰になったらすぐに止めに入ろう。


「おい、店長出せよ! 文句言ってやる」


「今店長は店にいなくて……」


「はぁ? いつ戻ってくんだよ!」


「本日はもう戻られないです」


「んだよ、チッ! もういいわ」


 男は追撃を諦めたのかレジを離れて、そのまま店をあとにした。邪魔者が消えたことで張り詰めた空気が和らいでいく。由花は瞳に安堵の色を滲ませた。

 僕は物陰から見守っていただけなのに、すこぶる疲れた。当事者の由花は尚更疲労が溜まっていることだろう。


 彼女は大きなため息をついた後、裏手にある休憩室の方へ歩き出した。おそらく休憩のタイミングだろう。別の人が出てきたらすぐに会計してもらおう。


『ウィーン』


 店内入口の自動扉が開いた。外の涼しい風がブワッと流れ込んでくる。それと同時に悍ましい何かを察知した。入口に目を移すと、そこに居たのは先程の面倒な迷惑客だった。


「言い忘れたことがあったから戻ってきた」


 一難去ってまた一難とはまさにこの事だ。由花は一瞬苦虫を噛み潰したような顔を見せたが、負の感情を押し殺して笑顔を取り繕ってみせた。

 男はドスドスと音を出しながらレジに向かって前進する。そして、由花の目の前で立ち止まり、指を差してこう言った。


「そもそもお前みてーなブスが店員なんかしてんじゃねーよ。不快なんだよ!」


 あまりに酷い言いように耳を疑った。女性に対してなんて失礼な男だろうか。これ以上コイツの無礼傲慢な振る舞いを見過ごすわけにはいかない。

 さらに、この男の暴言はこれだけでは終わらなかった。


「なんで生まれてきたんだよ。親の顔が見てみたいわ。どうせ同じカスだろ」


 ついに超えてはいけない一線を超えてしまった。僕は拳を握り締め意を決して男に歩み寄ろうとするが、ある言葉により遮られることになる。


「うぜ」


 低く太い声だった。たった二文字なのに、強烈なインパクトを残した。男は目をパチクリさせて言葉を失う。それもそのはず、今の声は由花が発したものだ。

 物陰から彼女の顔をひそかに覗き見る。先ほどまでの腰が低い店員としての姿はなく、殺気に満ちた鬼の形相で男を睨んでいた。


「い、今なんつった? 客に向かってうざいだと? き、客は神様やぞ!」


 男の声は震えていた。明らかに動揺しているのが見て取れる。


「はぁ? お前は神様やないわ。ほんまムカつく。誰がブスやねん。お前なんてデブでジジイで臭いクソ野郎やん」


 感情のダムが決壊した由花は男に対して激昂した。理性を失い、怒りに任せて暴言を吐いている姿は制御の効かない暴走列車を彷彿とさせる。

 彼女の怒りを止める術はない。もう誰に止められない。あんなに怒っている姿を見るのは初めてだった。男は絶対に許されないことをしてしまったのだ。


「マジでイライラする。ええ歳して女相手に恥ずかしないん? お前絶対童貞やん」


 切れ味抜群の言葉のナイフが容赦なく男を切り刻む。同情の余地はない。言葉の暴力に屈して報いを受ければいいのだ。

 

「そのきったない顔見たないねんボケ。はよどっか行ってや。クソ馬鹿、デブ!」


「だ、だまれ」


「なんて? ちゃんと目見て話してや」


「ダマレ、黙れ。黙れぇ! 散々この俺をバカにしやがって! ガキのくせに!」


 男は年甲斐もなく叫んだ後、目に涙を浮かべながら拳を振り上げた。口論では敵わないと判断したのか暴力行為に出るつもりだ。さすがに看過することはできない。

 僕は物陰から二人の前に姿を現して、背後から男の腕を掴んだ。男は愕然とした表情で僕を見つめる。もちろん、由花も同様にだ。


「お客さん、やりすぎですよ。これ以上やるなら警察呼びますけど?」


 ポケットからスマホを取り出して警察を呼ぶ素振りを見せた。これには常識が通用しない迷惑客も堪らず、「覚えてろよ」と悪役のような捨て台詞を吐いて、そそくさと逃げるように店を出ていった。

 脅威が去って、店内に残されたのは僕と由花の二人だけだ。害悪クレーマーを排除できたはいいものの、気まずい空気が漂う。


「カズキ、いつからおったん?」


 先ほどのやり取りを僕に見られたので、ばつが悪そうにしている。一部始終を目撃していたので、誤魔化すより正直に言うほうがいいと思い、「最初から」と答えた。


「そっか。見苦しいもん見せてもうたな。失望……したやんな?」


「しゃーないんじゃないか。あれは僕だってキレるよ」


 店員と客の関係とはいえ、店員も人間だ。度が過ぎた暴言はクレームの域を超えて「カスハラ」と呼ばれるものになる。絶対に行ってはいけない。

 とはいえ、由花も感情的になりすぎだ。もう少し冷静に対応するべきではあったかもしれない。だからといって、今回の対応が間違っているとは思わないけれど。


「そんなことより、明日は紅葉見に行くんだったよな。集合時間だけど十時でいいか?」


「うん。ええよ。」


「じゃあ、その時間に由花の家までレンタカーで迎えにいくよ」


「ありがとう。楽しみ!」


 取り繕った表情ではなく本物の笑顔だ。今日は長い間物陰から様子を見ていたけれど、笑った顔を見るのは初めてだ。よし、今ならいけるかもしれない。

 僕は手に持っているカップ麺とグラビア雑誌を由花に手渡した。特に彼女から商品について言及してくることはなく淡々とバーコードで商品を読み取っていく。


「千五百円です」


「はい」


「ちょうどお預かりいたします。ありがとうございました!」


 由花から商品を受け取った。グラビア雑誌について触れられるかもとヒヤヒヤしたが、杞憂に終わってよかった。さて、早く帰って読まないと。

 

「……ところで、そのグラビア雑誌ってなんで買ったん?」


 予期せぬ言葉にゾッと背筋が凍った。恐る恐る後ろを振り向くと、先ほどまでの笑顔はどこへやら般若のような形相になっていた。結局、その場から逃げることもできず、地獄のような尋問を受けることになるのであった。

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