5話 落ちてしまったらしい
風の強い夜のこと。僕、伏見一樹は徒歩でコンビニに向かっていた。普段コンビニに行くことはほとんどない。
それなのにコンビニに向かう理由は今日、期間限定のカップ麺が発売されたからだ。僕の好きな動画クリエイターが手がけた珠玉の一杯で、発売前からこの日を心待ちにしていた。楽しみすぎて昨日は眠れなかったくらいだ。
楽しみといえば、昨日の遊園地は楽しかった。行く前はあまり乗り気ではなかったが、行ってみると色んなことがあり、密度の高い時間を過ごせた。
まず、由花の破廉恥な格好に驚いた。大胆に胸元を露出するなんて以前の彼女からは考えられない。思いがけない光景に不覚にもドキドキさせられた。
また、なぜか普段よりも胸が大きく見えた。いつもはお世辞にも大きいとは言えないサイズなのに。僕は小さい方が好きだけど、自然と視線が胸に行ってしまった。
断っておくが、決してエロい目的があって胸をガン見していたわけではない。疾しい気持ちが一つもなかったと言えば嘘になるが、胸の起伏がかなり怪しいと感じていた。
そして、疑念は『激流下り事件』によって確信に至ることになる。
アトラクション乗車中、ボートが大きく揺れ、僕の身体が横に傾いた。そのまま不可抗力で横に座っていた由花の胸に頭部が当たってしまった事件だ。
普通であれば美味しいイベントのはずだ。しかしながら、僕が触れたのは柔らかいソレではなく、硬いナニカだった。鈍感な自分でもすぐに気づいた。パットだと。
それからというもの頭からパットが離れなかった。だいたい、なぜ僕相手にそのような事をしてきたのだろうか。
彼女にとって自分はただの幼馴染に過ぎないはずだ。意中の相手じゃあるまいし、意味のない行為だ。それとも由花は僕に気があったり?
一度雑念が入ると思考が止まらなくなる。そのせいでアトラクション乗車中は心ここに在らずといった状態だった。
もはやアトラクションどころではなかった。
そんな折、さらに追い討ちをかけるように『観覧車事件』が訪れる。
先の事件の影響で上の空だった僕は観覧車でふらついてしまい、由花に壁ドンをしてしまった。不慮の出来事により、彼女の吐息が顔にかかるくらいの超至近距離で顔を合わせることになった。
あんなに間近で顔をまじまじ見つめたのはおそらく初めてのことだ。幼い頃から見慣れている顔なのに自然と目が吸い寄せられてしまった。
再会してからこれまで何度かドキッとする場面はあった。けれども、それらはあくまで不意打ちだったり、外的要因によるものだ。
これまでとは大きく異なり、心を掴まれたような感覚に陥っていた。彼女を幼馴染としてではなく、一人の女性として確実に意識していた。生まれて初めての感覚だった。
由花はどんな時も常に一緒にいる兄妹のような存在である。僕たちの間に固い絆こそあれ特別な感情は芽生えるはずがなかった。
そのはずなのに、僕はどうやら恋に落ちてしまったらしい。いいや、気づいていないふりをしていただけで、本当はもっと前から落ちていたのかもしれない。
いずれにせよ、僕が彼女を好きだと自覚してしまった以上、今のままではいられない。遊園地での出来事は図らずも二人の関係に大きな変化を与えた。
「おっ、着いた」
目的地である家から一番近いコンビニに到達した。滅多に来ることがないので、どこに何が置いてあるかはわからない。お目当てのカップ麺の在庫があることを祈るばかりだ。
「いらっしゃいませー」
入店すると聞き覚えのある女性の声が僕を歓迎した。まさかと思い、目を凝らしてみると声の主は僕のよく知る人物だった。そう、由花である。
コンビニでアルバイトをしているなんて初耳だ。しかも家から近いコンビニで働いているなんて。どういった経緯でコンビニで働くことになったのか気になるところだ。
どうやら向こうはこちらに気づいていないようだ。けれども、レジに商品を持ち込めば自ずと顔がバレる。カップ麺とついでにグラビア雑誌を購入するつもりだったのにタイミングが悪い。
いや、諦めるのは尚早だ。由花以外にも店員はいるはずだ。休憩のタイミングになれば他の店員と入れ替わることになるだろう。そのタイミングが来るのを待つしかない。
ひとまずお目当てのカップ麺を探すことにした。本日発売なので、さすがに在庫はあってほしい。でなければ、ここに来た意味がない。
新商品は大抵の場合、目立つ場所に置かれていることが多い。僕は胸を躍らせてインスタント食品が陳列している棚に近づいた。
「おっ、あった。これだな!」
僕が手にしたのは『塩メンマ』という塩ラーメンだ。超人気動画クリエイターが数年に渡り試行錯誤を繰り返して生み出した究極のカップ麺と紹介されている。
見た目はただのカップ麺でしかない。本当にこれが美味しいのかは甚だ疑問だが、好きな動画クリエイターが編み出した商品なので味は二の次だ。食べることに意味がある。
よし、これで目当ての物は確保できた。次はグラビア雑誌を見に行こう。と、その前に由花の様子を確認しておいたほうがいい。
ひょっこり物陰から顔をのぞかせる。僕以外お客さんが全然いないこともあって暇なようだ。その証拠に大きな欠伸をしている。僕に見られているとも知らずに。
この調子だと、僕に気づくことはなさそうだ。安心してグラビア雑誌の立ち読みができるだろう。
立ち読みして、ある程度時間を潰せたタイミングで、もう一度様子を伺うとしよう。
僕はグラビア雑誌を手に取り、ページを捲っていく。立ち読みだから読み耽ることなどないと思っていたが、一度読み始めると手が止まらなくなった。
結局、僕は一時間もグラビア雑誌を立ち読みしてしまった。慌てて由花のほうを確認すると、変わらぬ様子でレジに立っていた。まだ交代しないようだ。
これ以上どうやって時間を潰せばいいのだろうか。あれこれ悩んでいる時にそれは起こった。
由花の元にモンスターおじさんが襲来したのだ。ちなみにモンスターおじさんとは迷惑客の事を指している。
この迷惑客が後にとんでもない騒動を引き起こすことになるのだが、この時の僕たちにはまだ知る由もなかった。
今回は2話更新です。
18時10分に次のお話を投稿します。