10話 誰が好き
実は密かに、先月から始めたことがある。スポーツジムでのダイエットだ。週に二回ほど夜にジムに通っている。
大学生になってからというもの運動をする機会がめっきり減ってしまった。そのせいでお腹に贅肉がつきまくっており、体重も少しずつ増えてしまっていた。
このままではマズイと危機感を抱き一念発起して、スポーツジムに入会した。ジムでは主にランニングマシンを使用している。自分に甘えることなくクタクタになるまで走り続けることを目標にしている。
そして、今日もジムでいつものトレーニングをしていた。全てはカズキを振り向かせるために、そのための努力は惜しまないつもりである。
「ふぅ……きっつー。結構走ったなぁ」
タオルで汗を拭いクールダウンをする。一時間三十分走り続けた。いつもは一時間で一回休憩を挟むのに、今日は無我夢中で走り続けてしまった。
持参したバッグから水筒を取り出し水分を補給する。汗を流した後に飲む水は最高だ。『生きてる』って感じがして気持ちいい。
カラカラだった喉が瞬く間に潤っていく。
「よっしゃ、続きやろか」
休憩を終えベンチから立ち上がり、もう一度ランニングマシンを使用とした時だった。ジムの入口が開いた。入口に目を遣ると、そこに居たのは女性スポーツトレーナーと、
「事前に説明したとおり、こちらでトレーニングができますよ。伏見さん」
「へぇ、すごい。聞いてた以上ですよ。めっちゃ整備されてますね。種類も豊富だ」
「ありがとうございます。それでは、ご自由にご使用ください。わからない事があればまた質問してくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
空いた口が塞がらない。これは現実なのだろうか。まさかこんな場所にカズキがやってくるなんて。
私は大慌てでベンチに座り直して、タオルで顔を隠した。今日は何があっても彼と顔を合わせるわけにはいかない。
なぜなら、スッピンだからだ。化粧なしの顔を見せる勇気はない。おまけに頭からシャワーを浴びたように汗をかいている。はっきり言って、とんでもなく臭い。
加えて、今日の格好は半袖短パンだ。以前バレーボールをしていたこともあって下半身はどっしりしており、足は結構太めである。
他の女子より太い足にコンプレックスを感じており、いつもは太ももや脹脛を隠したファッションを愛用している。カズキとのデートの時も常に長ズボンだった。
だから、何があっても正体がバレるわけにはいかないのだ。顔バレ=死と同義だ。
幸いにもジムの中はそれなりに広く、他に利用者が二十人近くいる。このままタオルを被ってベンチに座り続けていれば、やり過ごすことができるだろう。
それにしても、なぜカズキがジムにやってきたのだろうか。別に太っているわけではなく、むしろ痩せているのに。
「お兄ちゃん。このジム初めてやろ?」
五十代くらいの男性が親しげにカズキに話しかけた。スポーツジムでは古参が新参者に絡みにいく光景を目にすることがままある。
カズキは男性の問いかけに嫌な顔せず首を縦に振った。男性はニコリと笑みを浮かべ、「なんでここ選んだんや?」と質問を投げかけた。
これに対してカズキは、爽やかな笑顔でこう言った。
「身体を鍛えたくて。筋肉つけたいんです」
「ほぉ、なんで鍛えたいんや?」
「えっと……好きな人がいるんです。いずれ告白するために自信をつけたくて」
「青春ってヤツやなぁ。お兄ちゃん、頑張りぃや。応援してるで」
「はい!」
カズキは大きな声で返事をした後、ベンチプレスのほうへと歩いていった。筋肉をつけたいという発言どおり、ウエイトトレーニングに比重を置いているようだ。
「好きな人がいる……か」
さっきの言葉が頭から離れない。カズキとは脈アリだと思っていた。遊園地の時も紅葉狩りの時も私を意識している場面はいくつもあった。それなのに、他に好きな人がいる?
いやいや、落ち着け私。その好きな人が私の可能性も十分ありえる。すぐにネガティブな思考になるのはよくない。もしもの話だ。彼が私のことを好きだったらどうする。
そんなの想像しただけで、幸せすぎて死ぬんですけど。まずい、都合のいい未来を妄想してしまいニヤついて涎が出てしまった。こういう時こそポーカーフェイスを大切にだ。
「お嬢ちゃん。トレーニングせんのか?」
先ほどカズキに絡んでいた男性が今度は私に話しかけてきた。最悪のタイミングだ。このおじさんは暇なのだろうか。こういう時は無視を決め込むのが一番だ。
下手に目立つとカズキに見つかる恐れがある。それに、この手のおじさんは女の子に近づきたいという疾しい下心があって、話しかけてきている可能性が結構高い。
「……無視は悲しいのぉ。まぁええか」
おじさんはため息をついてどこかに行ってしまった。どうやら下心はなく純粋に話をしたかっただけらしい。その証拠にすぐさま他の男の人に声をかけている。
さすがに無視は良くなかったと後悔した。こんなに性格の悪い女をカズキが好きになるなどあるのだろうか。可愛くないし胸も小さいし惚れられる要素が微塵もない。
ーーでは、やはり他に好きな人がいる?
想像しただけで耐えられない。吐き気を催しそうだ。他に好きな人がいるならば、そいつはきっと自分よりも綺麗で優しい女性だろう。私なんかじゃ逆立ちしても勝てない。
だけど、例えとんでもない美人が相手だとしても諦めたくない。誰よりも長くカズキを近くで見てきたのは私なのだから。
今だってそうだ。彼を自然と目で追ってしまっている。歯を食いしばりながらベンチプレスを上げている姿はとても不恰好なのに、なぜか目が離せない。
最近はカズキのことを思うだけで胸が苦しい。他の人に奪われたらどうしよう、と不安や焦りが日々募っている。
今すぐにでも心に秘めた想いを本人に伝えたい。全てを打ち明けて楽になりたい。しかし、残念ながら私には告白する度胸がない。
だからこそ、遊園地デートで攻めた格好をしたり、紅葉狩りデートで手作り弁当を作ったりして必死にアプローチしてきた。あわよくば私の気持ちに気づいてほしかった。
自分がどれだけ傲慢なのかはわかっているつもりだ。本来私から気持ちを伝えないといけないところを、受け身になって向こうから告白させようとしているのだから。
それでも、こんなにも積極的にアプローチしているわけで、少しくらい気づく素振りを見せてくれたっていいのに。分かってはいたけど鈍感な男だ。
「ふぅ、疲れたぁ」
トレーニングを終えたカズキが他に空いている場所があるにもかかわらず、よりによって同じベンチに座った。
至近距離なので顔を隠していても気づかれるリスクがある。細心の注意を払わなければならない。
「あのっ。今お時間いいですか?」
カズキの声だった。一体誰に話しかけているのだろうか。この場には誰もいないはずだ。ただ一人、私を除いて。ということは、つまり、
「……えっ? わ、私?」
このままやり過ごす気でいたのに、カズキから声をかけられてしまった。さすがに想定外の出来事だ。
彼からすれば私は初対面の女性のはずだ。それなのに話しかけてくるなんて、どういう了見だろうか。まさか私の正体に気づいて?
「相談に乗ってほしい事があるんですけど、お願いしてもいいですか?」
真剣な眼差しだった。ならば、こちらも誠意を見せるしかあるまい。逃げも隠れもしない。私は顔にタオルを巻いたまま、彼の相談とやらに乗ってあげることにした。