第8話【攻略した初仕事】
文字通り世界が変わった。ヘリオスの命日以前では半仮想世界が実現されていなかった。今まで体験したことない興奮が隠せないヘリオスは、スノウと共に周辺を歩き回った。
階段を用いて地上から地下へと移動する人。壁にもたれ空間を指でなぞる人。犬に似た何かを散歩させている人。
様々な人々を観察するにつれて分かってきたことがあった。
「あまり変わんないね」
「そういうものですよ。収斂進化ってやつです。意味はよく理解してませんけど」
服装や装飾が若干異なっているだけで、行動自体はまるっきり地球の人と同じであったのだ。だが、目につくのは華やかな都市の看板や装飾と人のみ。どこか寂しい感情も覚えていた。
「にしてもなんか、こう郵便局とかデパートとかそういう施設は無いんだなぁ。どの建物を見ても階段関数みたいなカクカクだし」
広告で商品は推せど、それを出している建物がそれを売っている店舗かと言われればそうではない。寧ろ何の建物なのか見ただけでは分からないのだ。
ヘリオスは試しにそこはかとなく興味の惹かれる商品が掲載されていたビルへと入った。しかし内装は売店とは程遠く、どちらかと言えば会社の正面玄関に近い。
受付の従業員と目が合ったヘリオスは気まずくなり、か細い謝罪の言葉を残してそそくさと立ち去った。
「みんなどこで生活してんの?」
繁華街やオフィス街に近い街並みをしているが、それにしてはやけに人口密度が小さい。勿論人はいるが、よそ見をしていても道で衝突しないほどである。
「そりゃ赤色巨星ですからね。遠いとは言え恒星風が度々来るんですよ。だから僕たちの活動圏は地下にあるんです」
キラキラと結晶を輝かせた地下に続く黒い階段の壁や天井には色彩の乏しい地層が現れた。
「上から順にコンクリート層、チタン層、プラスチック層チタン層、あとは普通の玄武岩とかと一緒です。合計長さは大体10m――あのコンクリートちょっと劣化してるな。直しとかなきゃ」
スノウは立ち止まり、まだひび割れすら確認できない壁面を眺めている。下降するように彼女から響き渡るシャッター音に続いて、二人は階段を下っていった。
階段には複数の踊り場が設けられており、それぞれ別の階層へと続いているようだ。
「一層目はお店とかオフィスとか銀行とか学校とかですね。二層目が住宅です。三層目は結構深くなりますが地下鉄になります。一層目から見てみましょうか」
案内されるままにヘリオスは一層目へと繋がる自動扉をくぐった。そこには、地上の状況とは程遠い賑やかさが待っていたのだ。それも負の方向に。
「近づくんじゃねぇ! お、俺は本気だ! その証拠に、や、やってやるからな!」
円状に群がる野次馬の中心には刃物を持ち仮面をつけた男性が喚いている。その人物の脇には、目や鼻などからあらゆる体液を垂れ流す男児が抱えられていた。刃物は男児の耳から血を流させており、もう少し進めば切り落とされるという状態だ。
今こそ活躍の見せ所。助けに行くべく、ヘリオスはスノウに呼びかけ、そして走り出した。しかしスノウは共に行くどころか、ヘリオスの腕を強く握り引止めたのだ。
「要項①の助力の理念に抵触します」
ヘリオスには何のことか分からなかった。勿論要項の内容を完全に把握していないこともある。だが、命の危機に晒されている人物を助けに行かずに佇んでいるのが、最も釈然としなかったのだ。
「どうして! 殺されてもいいの!?」
雑踏のざわめきにかき消されそうな声で必死に抗議するもスノウは首を動かさない。ヘリオスの背後に黒い歯車が少し顕現した拍子に手を弛めた程度で、腕を振りほどこうとするもビクともしなかった。彼女はただ、ゆっくりと口を動かすのみ。
「助力の理念は政府から救難申請されたらそれに応えなければならないというものですが、現場でなら"当事者"がもっともらしい理由を言えば民間人でも使えます」
暴れるヘリオスの腕が止まった。漠然とではあるが、彼女の言っていることを理解したのだ。
「独断で行くことも可能です。それを裁く規則はありません。ですが、犯人があの男の子のことを、国から重要な情報を盗んだスパイだと主張したらどうですか? 僕たちにはそれを調べる時間はありません。それが本当ならどうしますか? 最悪の場合、一国の終わりです。だからあの男の子がそれを覆す理由を言わない限り、それを受諾しなければならない僕たちはあそこで立ち往生してる警察の方々を押し退けてあの子を捕らえるしかないんです。あなたの気持ちは分かります。生前の僕ならすぐに駆けつけたでしょう。しかし恒護であるならば、見ているか通り過ぎるかしかできないんです。皆に協力する味方ではありますが、正義の味方ではありません。支部を通して状況の確認と報告はしますが」
銃を構え、群衆に退避するよう促す警察官と、 否が応でも退かない人々。時間は刻一刻と過ぎてゆく。時計が秒針を刻むように、男児から血が一滴一滴と落下する。
天の川支部との通信を終えたスノウは、徐にヘリオスの腕を引っ張り移動を始める。俯いているヘリオスもとぼとぼと彼女に続いた。こんな中途半端な仕事をしたい訳ではなかったと、彼は不信感と無気力感が蓄積されていく。
刃物を持った男の様子がよく見える開けた場所へと到着したスノウはぼそっとヘリオスに耳打ちする。
「ヘリオスさんの能力って引力操作でしたよね」
苛立ちを抑え、ヘリオスは冷静に返事をした。
「犯人を捕らえる申請が警察署から来ました。勿論僕がすぐ終わらせてもいいですが、これはあなたの初仕事でもあります。能力の使い方を教えるので協力してくれますか?」
ヘリオスは無線機を手に持った警察官の一人と目が合った。その警察官は軽く会釈をし、再び群衆に立ち退くよう呼びかけ始める。
大人ながらも子供のように希望が戻ったヘリオスは、勇ましい声で返事をした。
「そう来なくちゃですね。危険はありますが、まずはあの刃物を引き寄せましょう。男の子を引き寄せれば、攻撃の対象が無くなった犯人が暴れ出すかもしれません。ではあのナイフの内側を見るような感じでそれに意識を向けてください。最初は手をかざすとやりやすいかもです」
ヘリオスは言われた通り、ナイフを凝視し手を伸ばした。するとナイフに関する様々な情報が頭の中に溢れ出したのだ。
ナイフの重力はどのように働いているか、ナイフにかかる男の握力はどのくらいか。ナイフは男児にどの程度の圧力をかけているか。それらが矢印のように表わされていた。
「何か見える……」
「もう少し感覚を鋭く。そしてあのナイフがあなたに向かってくるように」
スノウはそう助言した。それに従うやいなや、ナイフの背後に黒く小さな歯車が現れたのだ。その瞬間、ナイフから飛び出す矢印が一本、ヘリオスに向かうように追加された。
「やっぱり…… その歯車が現れたならもう少しです! それを大きく右に回してください!」
スノウは興奮気味に言う。
歯車が勢いよく回転した瞬間、犯人の手からナイフが外れヘリオスの手に飛び込んできたのだ。ヘリオスは、若干地に濡れたナイフを呆然と眺めていた。
「すごい……」
恒護の力を初めて味わったヘリオスはただ感嘆の言葉を漏らすしか無かった。
威嚇と攻撃の手段を失った犯人は、二人を一瞥しこの部屋一帯を揺らす程の声量で叫ぶ。何をされたか理解した犯人は、怒りのままに男児を力いっぱい捻り潰そうと試みた。
だが、突如として紫色の歯車が電灯の近くに現れ、光の進路が変化し犯人の目を照射した。怯んだ犯人はそのまま警察官に取り押さえられたのだった。
「僕の想定ミスはありましたが成功です。お疲れ様でした。それと強い言葉で避難してしまい申し訳ないです」
「大丈夫だよ、俺の考えが甘かったんだから。色々教えてくれてありがとう」
男児も犯人の刃物に付けられた傷以外は何事もなく保護された。こうしてヘリオスの恒護としての自覚は堅固なものとなったのだ。
「次は理操機か」
「それは恒護たちと手合わせをした方が身につきやすいですね。普通の武器とは違って扱いが特殊ですので」
「じゃあまたお願いしちゃおうかな」
「じゃあ一片も残さずボコボコにしちゃおうかな」
「えっ、そこまでやんの?」
「僕を指名してくれたのならとことんやりますよ。でも技術とかは身につきやすいと思いますよ? なんせ僕は誰にも負けませんので」
警察官からの感謝を受け取り、子と再会した親を見送った二人は、そんな会話をしながら立ち並ぶ店の間を歩いていた。