第6話【闇】
何が起きた、ここはどこだ、なぜ暗い。今まで大部屋にいたはずだ。歪むような音がしたかと思えば、音も光も臭いも味も圧力も温度も平衡覚も、何も感じなくなった。今はどこを向いている、何に立っている。
情報が全てシャットアウトされた。助けを求める声を上げた。もちろん誰も来ない気がする。そもそも音が出ていたのかすら怪しい。
「あ、通信機を使えば――」
使い方が分からない。先延ばしにしなければよかった。ちなみに今は歩きながら考えているのだが、おそらくその場から進んでいないだろう。
いや、光が見える。少しづつ広がっている。遂に出口を見つけた。
「よし出れたか。あ?」
さっきまでいた大部屋だ。だけど少し違う。元から乏しい色彩が、更にみすぼらしくなっている。おまけに椅子や扉も動きそうにない。
「ゼセルー。アフィンさん。ローゼンさん。いますかー?」
さっきのように音が吸収された感覚は無い。どちらかと言えばこの部屋に留まっているような感覚。つまりどっちにしろ助けを呼ぶ声は届かないということだ。どうしたものか、もう打つ手が無くなってしまった。
「ア――との情――は――んして――」
一度座って考え――声がする。声のする方を向くと、周囲の空間を歪める黒い影が浮いていた。死に際に見た死神に近い見た目だ。
「誰ですか?」
思わず声が震えてしまった。反響したそれのせいで、身体が共振してしまっている。
「私は君の入隊を望んでいない。詳細な話は後だ。早くこの扉から出るといい」
黒い影は拡大し、どこかの風景のようなものを映している。出ろと急に言われても困るんだけど。ここ気に入りつつあるんだけどな。
「早く通るのだ。君のより良い未来のために」
「そう言われてもどこに通じてるのかすらわからないですし」
「時間が無いな。手段を変えて君のもとに――」
後ろの扉が開いた音がしたな。機能してたのか?
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突如、爆発音が響き渡った。言葉にならない怒号、そして甲高い振動音と共に、何者かがヘリオスの眼前を過ぎ去った。驚きによる反射なのか、はたまた知っていて回避したのか、影は後方へと形を歪める。
仮面をつけたその者は、身を翻し着地するやいなや、慣性を打ち消し影に向かって短剣を構えた。二股に分かれた刃が、それぞれ内に向かって湾曲している。その形状は正しく猛禽類の嘴であろう。
仮面の者は、刃が黄色に発光し始める短剣を影に向かって走らせた。刹那、その短剣は手を離れた瞬間消失し、室内を赤色の閃光で満たされたのだ。
ヘリオスには何が起こっているのか分からない。だが考える暇もなく、再びあの振動音が響く。
一秒にも満たない冷たい殻のような静寂。それを突き破るように数多の音が轟いた。揺らすように低い音、跳ね回るように軽い音、飛び出るように鋭い音。実に汚い管弦楽だ。
光に怯み、音に気圧され、頭を手で覆い目を閉じていたヘリオスが見た光景は、先程とは全くもって異なっていた。
椅子は粉砕、机は両断、壁に至っては登れるほどの裂傷が加えられている。だが、不思議なことにヘリオスは無傷であった。
へたり込むヘリオスに背を向け力強く立っている仮面の者は、赤い髪を煌々と光らせ影を鋭く睨みつけている。その勇猛さに反して、短剣ん持った腕はわなわなと震えていた。
全て躱した、もしくは実態を持たない故当たらなかったことによる余裕からか、はたまたどう出ようとも八つ裂きにされることを恐れているのか、影はその場から一切動いていない。
一文字も発さない仮面の者と影。彼らが対峙する中、動きを見せたのは影であった。一瞬の隙を着いたか、影はたちまち縮小していく。その様は空間の隙間へと潜り込むに近しい。仮面の者はその縮小に引っ張られるかの如く、一瞬にしてその穴に近づいた。
影に刃を食わせる直前にして、部屋全体は水槽の水が抜かれたように晴れ渡る。短剣は一切音を立てることなく空を切り、持ち主の手を離れた。
喉の奥で溶岩が沸き立っている仮面の者にヘリオスは近づく気には到底ならない。腰を抜かした彼は、音を立てぬよう這ってその場を去ろうとした。その時、仮面の者の唸りに混ざって凍てつくような声が彼の耳に入った。
「逃したか」
アズマだ。彼女は寸秒のみ仮面の者の頭に手を置き姿を消した。消失する直前、這い蹲るヘリオスに目線を向けて。
それにゾッと身を震わせたヘリオスはすぐさま立ち上がって走り出した。そう立ち上がって。彼の腰が戻ってきているのだ。
再会できた腰を愛でているヘリオスに仮面の者が接近する。身の危険を感じたヘリオスは、何時でも倉庫に逃げ込めるように身構えた。
対面した二人。何も言葉を発さず腕が動いたことにより、ヘリオスは反射的に脚を後方へ震わせながら動かす。
「危害を加える気はありません」
どうやら握手をしようとしていたらしい。大部屋を切り刻んだ災害のような人物だ。恐怖を覚えるのも致し方あるまい。
仮面の者はヘリオスの握った手を眉間の位置へと近づけて挨拶をした。赤く光り輝いていた髪は、ゼセル程ではないにしろ暗く鎮まっている。
「僕は護衛部門に所属するスノウです。あなたのお名前は?」
「ヘリオスと言います。先程調査部門に任命?されまして」
「そうですか、ならば共に活動することが多――」
どこかの扉が開く音がした。その方向を一瞥したスノウの髪が瞬間的に輝き、身体が戦慄いた。先程の闇がまた訪れるかとヘリオスもその方向を警戒したが、誰もいない。利用者が居なかったことを残念がるようにゆっくりと閉じる扉のみ。
だが、スノウは仮面越しでも分かるほど扉に睨みを利かせている。その警戒によって強く力んだためか、握られたヘリオスの手はみるみる圧縮されていく。手から絞り出されるように流れ出た透明な液体は、床に水溜まりを形成していた。
痛覚はないにせよ、自身の一部が破壊されていくのは見るに堪えない。ヘリオスはスノウに手を離すよう呼びかけた。
「あ、すいません。出会って早々ですが、部屋で休まさせてもらいます」
スノウは顔に手を当てながら、徐に大部屋を出ていった。通過した扉はヘリオスの部屋がある方向。スノウは扉の音に反応を示していたため、自分が部屋に入ることは刺激となってしまうだろうと考えたヘリオスは大部屋で過ごそうと考えた。
「一人はやめよう」
ヘリオスは惨めなまでに散らかった床を見て呟いた。先程はスノウが乱入して来たためどうにかなったが、次はそうもいかない可能性がある。
「ゼセルなら倉庫にいるだろ」
安全の確保と状況報告、それと暇つぶしのため、ヘリオスは倉庫へ向かおうと立ち上がった。その時、彼を呼ぶ声が大部屋に響いた。
「ヘリオスさ〜ん…… あ、やっと気づいてくれた」
カロリックだ。初対面時にあれほど元気があった彼女は、今やそれとはかけ離れた姿になっていた。少し開いた扉の隙間に腕を挟み、そこから顔を覗かせている。顔の位置から考えるにうつ伏せなのだろう。
何事かと思ったヘリオスは話を聞きに、彼女の元へと近づいた。
「エネルギーを使いすぎちゃってさ〜。私の加工場まで引っ張っていってくれないかな。君の理操機が置いてあるんだよね。今の私じゃ扉をこじ開けるのがやっとでね〜」
ヘリオスが扉を開けたことを察知するやいなや、カロリックはヘリオスの手の位置に合わせたような角度で腕を上げてきた。
ヘリオスはその手を掴み、土砂を大量に載せた猫車を押すようにして加工場へと入った。
部屋の中はまるで峡谷だ。自身が這って進む場所だけを拓き、あとは壁際に追いやっている。依頼した時に顔を見せていた機械群は、今や瓦礫で成された地層の下。
ヘリオスはその光景から、生前の荒れに荒れた自室を想起させてしまった。絶句し立ち止まりカロリックの腕を離してしまったヘリオスに、彼女は下から声をかけた。
「ごめんね、部屋汚いよね〜。そのまま進んでいいからね。後で片付けるからさ〜」
「いえ、大丈夫です……」
溢れていたヘリオスの活気は、今や消えつつある。どうにかしなければならない。
一先ず、ヘリオスはカロリックを部屋に格納した。カロリックは小火から立ち昇る煙のような声で感謝をした。
「そこに立てかけてる剣が君の理操機だからね〜。能力は気体液体固体に自由に変えられるっていうので、使い方は恒護の能力と同じ感じだね〜。じゃあまたね〜」
言い終わると、カロリックは一切動くことはなくなった。形状はゼセルに渡された物と同じであったが、刃の付け根に赤い球体がはめ込まれている。だが、ヘリオスは特に剣を観察することなく部屋を出た。
今後の彼の自室となる環境調査室でゆっくり休もうと剣先を引きずりながら大部屋に経由と、その大部屋にいたアフィンが彼を引き止めた。
「ヘリオス、早速だけどしご――観光してみないか?」