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未来屋 環恋愛作品集

Please call my name

作者: 未来屋 環

 もう一度、その声で

 私の名前を呼んでほしかった。



 『Please call my name』/未来屋(みくりや) (たまき)



『おはよう、明日香。今日も元気?』


 聴き慣れた君の声が携帯から流れてくる。


「おはよう、徹。元気だよ。そっちは?」

『元気元気。そういえばこの前さ、隣の部屋の奴がさ――』


 楽しそうに話し始める君は、あいかわらず人の話を聞かない。

 でも、その明るい声が好きだから、私はただ君の話を頷きながら聞く。

 付き合い始めた時から、いつだって君の口数の方が多かった。ましてや、初めての海外駐在が始まって二週間。目に留まるもの全てが珍しくて仕方ないのだろう。色々なことを報告してくる君は、まるで少年のようだ。


『――あ、そういえば、明日香は仕事どう? 変わらず忙しい?」


 不意にこちらの様子を訊かれて、頬が思わず緩む。少しは日本に置いてきた私のことが心配になったのだろうか。もしかしたら、慣れない海外生活で不安になっているのかも知れない。

 まぁ、どっちだっていいか。

 私にとって大切なのは、君が私に語りかけてくれていることなのだから。


「まぁね、今は立て込んでる。色々準備も必要だから。私ももうす」

『そっか。とにかく体調には気を付けろよな』


 途中で君の言葉に塗り潰され、私は苦笑いした。


『明日香、頑張り屋だからさ』


 明日香、明日香と、事ある毎に私の名を呼ぶ。

 何百回――もしかしたら何千回と呼ばれたかも知れない。

 それくらい、君の口からは『明日香』が自然と(こぼ)れ出てくる。


 ――それは、本当に幸せなことだったんだなと、今にして思う。




『おはよう、明日香。元気だった?』


 君の声は、変わらず明るい。少し落ち着きが出てきたのは、あちらの生活に慣れてきたからだろう。海外駐在が始まって一ヶ月半が過ぎていた。


「おはよう、徹。元気だったよ」

『良かった良かった。こっちの国にも慣れてきたけどさ、やっぱり日本食が恋しいわ』

「そう? あんなに『どこそこのランチはうまい!』ってこの前言ってたじゃない」

『…………いや、あれさー。うまいって思ったんだけど、やっぱり同じのばっかだと飽きるんだよ。もうちょっとフリーズドライの味噌汁とか、持ってくれば良かった』


 その後、隣の部屋に住んでいる現地スタッフの話になる。時間を守らないとか、定時になったら仕事が終わってなくても帰るとか。いつもは能天気な君の声に、少しだけ(もや)が混じった。


「まぁ、世界から見たら日本人の方が異常って言うし」

『…………そうかなー……まぁ、いい奴だから、いっか』


 雑なまとめ方だなぁと、思わず吹き出す。

 でも、それも君のいいところだ。

 いつも明るくて、コミュニケーション力の塊で、大雑把(おおざっぱ)だけれど、優しくて。

 ――そう、私にないものを、沢山持っている。


『…………明日香にも、落ち着いたら遊びに来てほしいな』


 何気ない君の言葉に、私はぐっと口唇を噛む。

 携帯からは、変わらず君の声が流れ出していた。




『おはよう、明日香。元気にしてる?』


 声色は明るいけれど、ボリュームが抑えられている。

 君が旅立ってから、半年後のことだった。


「おはよう、徹。元気にしてるよ。そっちは大丈夫?』

『…………』


 あぁ、そうだった。


『元気なら、良かった。最近通信状態が異常に悪くてさ。何か、妨害されてるのかも――』






『――明日香』


 翌日、一言だけ入っていた言葉。

 そのまま、音は途切れた。

 私はもう一度、聴き直そうとして、そして――




「――明日香!!」


 背後から響いた声に驚いて振り返る。

 そこには、同僚の里美が立っていた。


「……びっくりした。何いきなり」

 問い返すと、里美は顔を顰める。

「いきなりじゃないよ。さっきからずーっと話しかけてたけど、あんたが気付かなかっただけ」

「……電話してたんだよ」

 私はイヤホンを外しながら答えた。

「ふーん」

 そう言って、里美は会議室の中にあるテレビの電源を入れる。

 映されたニュース番組では、再発した世界的な通信障害について、アナウンサーが神妙な顔付きで報じていた。

「こんな状況下でも繋がるなんて、随分良い電話使ってんだね」

 ばつが悪くなった私が黙っていると、里美は私の前に置かれた携帯に視線を向け――そして、小さく溜め息を吐いた。


「……ボイスメモで会話ごっこなんて、らしくないじゃん」


 ***


 あれはもう一ヶ月前のことだ。

 徹の派遣された国で、大規模な爆破テロが起こった。軍事政権を擁立しようとする反政府組織によるものだ。

 そのニュースまでは報じられたものの、翌日には当該国の通信手段が封鎖されてしまった。鎖国状態となった()の国には、多くの在留外国人が取り残されている。

 ――勿論、徹もその内の一人だ。


 各国はこぞって反政府組織と交渉しようとしたが、何にせよ通信手段がないので、どうにもならない。その内、しばしば彼の国以外の地域でも通信障害が起こるようになった。それを彼の国の反政府組織が引き起こしているのか、その裏に別の組織がいるのか――真相は今になってもわからない。明らかなのは、一般人の生活にも支障が出るようになり、世界経済にも確実に悪影響を及ぼしているということだ。

 反政府組織に対する各国の対応方針は割れた。実力行使に出ようとする国、現地に行って交渉を行おうとする国、動きを静観しようとする国――世界は混乱の一途を辿った。


 ――そんな中、遂に世界は決断した。


 ***


 三日後、私はホテルの一室で、連絡を待っていた。

 隣には、厳しい表情をした局長が座っている。交渉時間は既に二時間遅れだ。前の国の交渉が難航しているのだろう。今日交渉のテーブルに着くことができるのかも怪しい。

 まぁそれでも良い。最低限一ヶ月は詰められるよう、準備はしてきたつもりだ。


 結果的に各国は交渉の道を選んだ。国際的連合の努力により通信障害は緩和され、度重なる調整の結果、彼の国に在留外国人を持つ各国がそれぞれ交渉の場を持つことが許された。各国は交渉の会場となる彼の国に()つ準備を進めた。

 日本からも当然大臣クラスがその場に赴くこととなった。交渉時の通訳者には語学能力に加え、高い専門性が要求される。第一に主通訳として局長が選ばれ、そして――局長は補佐役として、彼の国の大使館勤務経験がある私を指名した。

 彼もまさか、在留外国人の中に、私の恋人が含まれているなど思いもしなかっただろう。もしそれを知っていれば、私的な理由を抱える私を選ばなかった可能性も否定できない。しかし、彼の国の大使館経験者は非常に限られており、その場合は最悪局長一人で対応をすることとなる。

 考えを巡らせた結果、私は徹の存在を局長に伝えずに――今、ここにいる。


「長くなりそうだな」

 局長がそう言って、部屋を出て行った。煙草でも吸いに行ったのだろう。私達はこのフロアーに限り、自由行動を認められている。

 私はポケットから携帯を取り出し、イヤホンを着けた。

 ボイスメモの再生ボタンを押すと、聴き慣れた声が流れ出す。



『おはよう、明日香。今日も元気?』


 そこで止めて、次のトラックを再生した。


『おはよう、明日香。元気だった?』


 次のトラック。


『おはよう、明日香。元気にしてる?』


 次の。


『――明日香』


 私はそこまで聴いて、イヤホンを外す。

 何百回、何千回と、私の名前を呼ぶ君の声を聴いてきた。

 それでも、一度だって、同じ『明日香』はなかった。

 それはきっと、これからだってそうだ。



 お願いだから

 ――もう一度、その声で

 私の名前を呼んでほしい。


 どうか。

 どうか。



 ――君のことを、絶対に取り戻してみせるから。



 部屋に備え付けられた電話が鳴り響く。

 私は決意し、受話器を取った。



(了)

最後までお読み頂きありがとうございました。

元々の構想として、タイトル&ボイスメモと会話する主人公のイメージがあり、書き上げてみたら当初の想定とはちょっと違ったお話に。

当初はもっと近未来的な世界観で、地上は荒れ果てていて離れたシェルターで暮らしていたりとか、連絡が取れなくなった彼の所に単身で彼女が向かうとかいうのも考えたんですが、彼女が彼を無事助ける未来に繋げたいなぁ……と考えた結果、こうなりました。

ちなみに外務省のHP見てたらなんだかイラストがコ○ンくんみたいで可愛かったです笑。今は色々な情報がインターネットで公開されているので便利!

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[良い点] どこぞの国が戦争だの内乱だの、戦争を経験しない国と世代からすると、ほんとバカなことしてるなーと、完全に外野気分になっているのですが、国外に簡単に渡れる状況だと、いつ巻き込まれるかわかりませ…
[良い点] 現代の我々が最先端テクノロジーにいかに頼っているかという事と、それらの最先端テクノロジーの有り難みが改めて実感させられますね。 ネットを始めとする通信技術が発達した現代では、遠く離れている…
[一言] うきゅー( ̄^ ̄) 泣いた。泣かされた。胸がキューッと苦しくなったです。 最初は大人の恋愛だぁ〜。ビタースイートだぁ〜とニマニマしてた自分にスパコーンとツッコミを入れたい。 初めと最後で…
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