第1章 第7話 優越
「これ全部暗記しろ」
美容院「BOOST」から歩いて10分ほどのファミレスへと向かう最中、俺は廣瀬に開いた手帳を差し出した。
「なんですかこれ。人の……設定?」
「今の俺のな。細かい経歴やらを事前に決めておかないと咄嗟に言葉に出てこないだろ? だからいくつか設定を作ってるんだ。で、それが今の俺。二科真蔵だ」
「へぇー……。にしたって盛りすぎでしょこれ。24歳外資系企業課長。年収1000万でマンション持ち? うわ東大卒とかどうなってんですかこれ……」
「権威性って言ってな。人は肩書きに騙されやすい。こんなエリートが言ってるんだから正しいのだろうってな。ほら名刺もある。一枚やるよ」
「いりませんよゴミじゃないですか」
「このゴミで軽く3000万は稼いでるけどな」
この二科真蔵というキャラ、かなり扱いやすい。多くの人が想像する若手エースサラリーマンというイメージに引っかかるようになっているからだ。
「それで、私は何をしてればいいんですか?」
「普通にしてればいいよ。変に演技されるよりフォローしやすい」
そんな話をしているとファミレスに到着した。まず俺だけ入り、廣瀬のグループ。浅矢を中心とした女子の群れが奥にいることを確認。テーブルの上にドリンクやデザートがあることまで確認し終えると一度戻り、廣瀬を連れて店内に戻る。
「ここでいいです」
そして案内しようとする店員を拒み、出入り口近くの席を指定して廣瀬を奥に押し込んで廊下側に座る。浅矢たちを背中にする形だ。
「どうしてこの席なんですか?」
「あいつらはドリンクバーを頼んである。まだデザートが残っているところを見るとあと一往復はする可能性が高い。この位置ならドリンクバーから戻る時にちょうど顔が見える。でも飲み物を持ってたら長話はできないだろ? お前のボロが出ないって寸法だ」
意図を伝え、メニューも見ずに店員を呼ぶ。そしてブラックコーヒーを二つ頼んだ。
「……わたし、お腹すいたんですけど……。それにコーヒー飲めないし……」
「馬鹿か? 金持ちの大人がデートに安いファミレスなんて使うかよ。食後のコーヒーを飲むためだけに来た、って見せるんだよ。コーヒー飲めないなら口だけ付けてろ。後で俺が飲む」
「か、間接キス……!」
「はいはいあざといあざとい」
無駄に照れている廣瀬を適当に流し、その時が来るのを待つ。そしてたいして美味くもないコーヒーを飲むこと5分。グループ内でカーストの低そうな2人が空いたコップを両手に抱え動き出した。
「……え? こころ?」
メロンソーダを入れたコップを運ぶ2人が廣瀬を発見した。その表情を見てみると、とても驚いていることがわかった。最後に会ってから数時間。これだけの変化が起きていたら当然だろう。それなら当然俺のことなんて覚えていないようだ。
「隣の人は……お兄さん?」
「え、えーと……」
「こころのお友だち? はじめまして、こころの彼氏の二科真蔵です。いつもこころと仲良くしてくれてありがとう」
余計なことを言いかけた廣瀬を制し、笑顔で挨拶する。ただ笑みを見せるだけで相手から警戒心を奪えるんだから安いもんだ。普段は絶対に笑顔なんか見せないけどな。
「こ、こころに彼氏なんかいたんだ……。しかも……社会人……」
同じ低カースト同士で仲間だと思っていたのだろう。表情にショックを隠せないようだ。これで第一段階完了かな。
「ごめん、僕たちこれからデートの続きなんだ。失礼するね」
残っていたコーヒーを飲み、次に廣瀬のコーヒーにも口をつける。必要かどうかは微妙なところだが間接キスをアピールして。そして廣瀬の手を引いてエスコートし、2人の元から去る。手汗が滲んでいるところを見ると廣瀬には効果があったようだ。
「奥の女子高生の席の分の会計もお願いします」
そして浅矢たちの分の会計も済ませ、店を出る。本当ならカードで支払いを済ませた方がいいのだろうが、生憎現金派なのだ。未成年だし、何より電子は足がつく。結局はアナログが一番だ。
「あの……なんで塗絵たちの分まで……?」
「かっこつけが半分。もう半分は明日のお前のためだ」
「明日の……わたし……?」
「『昨日はありがとう』。そこから会話が生まれるだろ。数千円の出費で優越感を手に入れられる。安い買い物だ。明日は早く学校行けよ」
今日できることはこれで終わり。さぁ帰ろうと思っていると、廣瀬が足を止めた。
「あの……お金……払います。こんな……色々してもらって……申し訳ないです……」
「……はぁ」
本当に、向いてないな。今さっき言っただろうに。
「数千円の出費で優越感を手に入れられる。今も一緒だ。申し訳ないと思うな。他人にしてもらうのが当たり前だと考えろ。良い人なのは結構だが、悪人はそこを突いてくる」
「そう……かもしれませんけど……」
「それにこれは初期投資だ。これ以上の金が回収できると踏んでるから金を払ってる。少しでも俺に感謝してると思うなら、俺の期待に応えろ。それ以上は必要ないよ。あくまで俺たちはビジネスライクなカップルだからな」
「……はい」
少し悲しそうな顔をして廣瀬がついてくる。今の言葉だってこいつの罪悪感を深めるためのものだってのにどうにも気づいていない様子。ほんと……先が思いやられるな……。