【番外編】私のおかしな妹について【サラドール】
番外編です。完結済みではございますが、番外編を追加させてもらいました。
私の一番古い記憶にある妹は、それはもう随分と奇怪な姿形をしていた。
奇怪という表現は過激だろうが、幼い頃の私にはそれほど衝撃だったのだ。
真っ黒な髪の毛に真っ黒な瞳。
よく覚えているのは、私が7歳になった年、あっという間に母上を奪われたあの日のこと。
母の部屋にはバタバタと使用人たちが行き来して忙しなくしているのを、ただぼんやりと部屋の入り口で眺めていた。
その時は全ての時間が随分と緩やかに動いていた。
いや、今思えば、ただ単に私の頭が処理できずにいただけなのだろうと思う。随分と混乱していた。下の弟に至っては、私の隣で微動だにせずただただじっと母上が居るであろうベッドを見つめている。そこにいる母上は動かない。
疲れ切った使用人は、自らの髪が乱れることも気にも留めず、母の寝床から赤子を連れてきた。
こんなにも子供が生まれる日は暗く落ち込んだ空気に包まれるモノであっただろうか。
使用人たちに連れてこられたのは、タオルに包まれた黒く小さな赤子。
悪魔の子。
この子は不幸の象徴だと。
奥様のお命を奪った悪魔の子だと。
いつの間にか背後に立っていた父上は、今にもこぼれ落ちてしまうのではないかというほど、瞳を大きく開き、息を詰まらせていた。
長い沈黙があったと思う。
父上は使用人から妹を受け取ると、優しくぎゅうっと抱きしめた。
それは私が見てきた中で一番優しい抱擁だったように思う。
父上の顔を、覗いてはいけないような、そんな気になってじっと足元を眺めていた。そこに映り込む父上の影は小さく震え、床には小さな水の粒がぽちゃりぽちゃりとシミを作っていく。
「……っ、サラドール、ジャンドール。見てごらん。お前たちの妹だ」
掠れ、震えた声で名前が呼ばれて初めて父上を見上げた。
そこには涙に濡れた父上の顔。
ほんの少し嬉しそうに、しかし悲しそうな不思議な顔をしていた。
「はい、父上」
そう返事するのがやっとなほど、私の顔もまた涙で濡れていた。床を汚していたのが自分なのか父上なのか。そんなことは問題にはならなかった。
そっと私に赤子を抱かせた父上は、動かなくなった母上に近寄り、同じように優しく、潰れないように、そっとぎゅうと母上を抱きしめた。
そっと、腕に抱き締めた妹を覗き込む。
母上を奪っただろう悪魔の子は、黒く美しく、そしてどうしようも無いくらい、愛すべき可愛らしい生き物だった。
髪の色も瞳の色もどうにもおかしな色をしていたが、もっとおかしなことに気がついたのは、妹が3歳になった頃だ。
彼女は全く言葉を理解していない様子なのだ。
簡単な食べ物の名前は反復して言えるようになるが、それだけ。
3歳児とはこんなものだっただろうか。自分は?弟はそうだっただろうか。
今は聞ける人が居ない。
母上は、居ないのだ。
「ティナ、それは林檎だ。言えるか?林檎」
「り?い、んご」
「り・ん・ご」
「りんご!」
「言えたじゃないか!えらいぞティナー!」と満足げにティナの頭を撫で付け、喜ぶジャンドールに、何故だか小首を傾げるティナ。その姿は特に奇妙で、まるでティナの方が大人なようだ。
しかし、言葉が通じていないのでは、どうにもならなかった。
いつだって困った顔で見上げてくるティナに、こちらまで困惑してしまうのだ。
そっとその小さな体を抱き上げ、きゅっと抱き締める。
そうすれば、少し困惑したように恐る恐る私の首に手を回して同じように抱き締め返してくれる。子供の体温は大人が思うよりもずっと温かい。シャツ越しに温かさが、じんわりと体に伝わる。
この哀れで、どうしようもなく可愛い小さな妹は、確かに生きている。
きっと私たちが手を離してしまったらあっという間に死にゆくだけだろう。
ただの子供だというのに。
なんて可哀想なティナ。
哀れで、可哀想なティナ。
◆◆
やはり、妹はおかしかった。
ティナが10歳になった頃、突如として現れた流暢な言葉。あれほどおぼつかなかった発音も完璧だった。
何を考え、何を想い、何をしたいのか。
常識や非常識、宗教観や倫理観、家の中以外は何も知らない、まっさらなティナがそこに居た。
とても喜ばしかった。
ジャンドールも、もう15歳にもなったというのに、妹をぎゅうぎゅうと抱き締め、あれもこれもと矢継ぎ早に質問を繰り返しては幸福そうにはしゃいでいた。
父上も同様に、大層喜ばれていた。
あまり顔に出さないので、判別は難しいが、その顔はとても穏やかだった。
どうにもティナは妄想癖でもあるのか、女性の10歳というのは随分と夢見がちなところでもあるのか、「森に行った」「言葉をもらった」と随分と変な話を持ち出してきた。
「それはどういう事だい?ティナ」
「森で神様にもらったの」
「神様?」
「そう。緑とピンクの神様」
「ピンクか!それは私と似ているな」
「お兄ちゃんよりももっとピンクだよ」
「そうか!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんか、いい響きだな!」そう喜ぶジャンドールを横目に「あれ、違ったかな……」と大人の目をするティナに、やはりこの妹はどうも様子がおかしいなと思うほかなかった。
◆◆
私が、大人になった彼女に対して願うのは、どうか健やかに、悲しまず、私たちが作り上げたこのベルモンドという家に囚われてくれていれば良い。そればかりだった。
哀れで可哀想だと思っていた。
ティナが言葉が話せるようになってからも、ずっとそうだと思ってきた。
よく噂で耳にする「冷徹の貴公子」またの名を変人のファルマン・ルフトクスト。
妹に近づく不誠実な男
しかし妹を助けた男
王の招待で招かれたパーティーは盛大なもので、美しい建造物に服、人、王族貴族。
褒美と呼ぶにふさわしい舞台。
それなのにどうも腹の虫がおさまらない。
あれほど哀れだと、可哀想だと思っていた妹がこんなに美しく着飾っているというのに。
イライラとする。
そんな私をジャンドールはくすくすと可笑しそうに笑っている。
「何を笑っているんだい?ジャンドール」
「兄上は本当にティナが好きだなと思っただけだ」
「私が...」
ティナを好き。そんなのは当たり前で、家族ならば当然なはずだ。
「兄上はなんだかんだと理由をつけていつだってティナを手放さない。随分と可哀想だ哀れだと言うが、それは愛ではなく、独占的な好きだと、私は思う。どうだ兄上、当たりか?」
突如拍手と、歓声が湧き上がった。
ハッとして前方を見ると、そこには美しいティナと、ファルマン・ルフトクスト。
誰もが目の前の美しい2人を祝福している。
そっと寄り添うように、嬉しそうに笑う美しいティナ。
そうしていたのは私だったのかもしれない。ティナは悪魔の子だと、可哀想だと。そう思い込んで憐れんで、自分の手でないと幸せになれないしてあげられないと。
そんなことはない。
私が間違っていた。
外の世界など知らない方が幸せだと。
その道を閉ざし、自分に頼るように仕向けていたのは私だったか。
「そうだね。好きだった。きっと」
「大丈夫だよ兄上。私もティナが好きだ。大好きだ。寂しいけれど、ティナが幸せなのが1番嬉しい」
「ああ。その通りだ」
幼かった頃、よくティナを抱き上げぎゅうと抱きしめていた。安心させるためだと言いながらも、結局は自分のためだった。
あの小さな温もりに、不安や悲しみが溶かされていたのだ。
手を離さなかったのはティナではない。
臆病だったのはティナの方ではなかった。それは間違いなく私で。
さようなら。
私だけの哀れなレディ。私が守ってやらないといけなかった小さなティナ。
私の心を守ってくれていた、小さな妖精。
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