婚約者(予定)
姉様がカップル祭に参加する旨を宣言してからというもの、学園内では姉様のことを知っている二年と三年を中心にカップル祭に向けた熱が高まりペアとなる異性を探す動きが活発化している。
リーズもその例に漏れずペアを探すため奔走しており、あれから三日が経ち授業のない休日を迎えた今日も手あたり次第に声をかけて回っているようだ。
まあ、結果の程は推して知るべしといったところだが。
何はともあれ、俺も学園の一員である以上そんなカップル祭に向けた動きと無関係ではなく、少々面倒な場に顔を出すハメになっている。
「エレーヌ様、よろしければこの後、共に食事でもいかがですか?」
「お誘いありがとうございます。ですが、申し訳ありません。わたくし、今は人を待っておりますの」
俺が億劫な気持ちになりながら学園の談話室に顔を出すと、ちょうど一人の男子生徒が少しくすんだ金髪と緑色の瞳を持つ女子生徒を食事に誘っている場面に出くわした。
「おや、噂をすればですわね。ユーグ様、お待ちしておりましたわ」
女子生徒の方がぱっと顔を輝かせて俺を見やれば、先程まで優雅な所作で彼女を食事に誘っていた男子生徒は気まずそうな表情を浮かべ静かに俺の方へ会釈を寄こしてくる。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
女子生徒は男子生徒に反論する隙を与えることなく歩き出し、そのまま俺に目配せしてから談話室を後にした。
仕方ないので、俺も彼女に続いて入ってきたばかりの談話室を出る。
「エレーヌ、面倒くせえからもう帰っていいか?」
「そんなことを聞いて、わたくしが頷くとお思いですか? お気持ちは察するにあまりありますが、今しばらくお待ちください」
エレーヌという名の女子生徒と周囲に聞こえないよう小声でやり取りしてから、そのまま二人寄り添って学園の廊下を進んでいく。
やがて、歩いているうちに人けのない校舎の隅までたどり着くと、エレーヌは俺から距離を取り疲れ切った表情を浮かべた。
「去年もそうでしたが、カップル祭が近づくと殿方に声をかけられて面倒ですわね。この調子では一体何度お断りの言葉を口にすればいいのかわかりませんし、ユーグ様が殿方を遠ざける役を買って出てくださって助かりましたわ」
エレーヌはまるで俺が自発的に彼女へ協力しているかのように語っているが、そもそも俺がここにいるのは彼女に半ば無理やり呼び出されたからだ。
別にエレーヌが何人の男に言い寄られようと俺には全く関係ないし、もし彼女に協力せざるを得ないとある事情がなければ俺は今すぐ帰っている。
「そんなに面倒なら、さっさと相手の男を決めればいいだろ。去年だって、ペアを作れてないやつを集めてクジ引きで相手を決めるまで粘ったから散々言い寄られたんだろうが」
「あら、それをユーグ様に言われるのは心外ですわね。元はと言えば、今年も去年もユーグ様がわたくしに何の相談もなくオレリア様と組むことを決めてしまわれたから、こうして苦労しておりますのよ」
エレーヌの言うことはともすれば責任転嫁のようにも聞こえるが、実際のところ間違ってはいない。
彼女、エレーヌ・アルカンは貴族の中でも強い権勢を誇るアルカン公爵家の娘で、俺とは学園に入学する前から互いの誕生パーティーや新年を祝う式典なんかで顔を合わせていた。
そして、非常に面倒なことに俺より一つ年が上なだけで家格も十分に備えているエレーヌは俺の結婚相手として相応しいのではないか。
そんな風に考える連中が、俺たちの周囲には少なからず存在している。
特にエレーヌの父親であるアルカン公爵は俺を婿養子に取り家を継がせることで王位に就くであろう姉様の信頼を得ることを目論んでおり、何かにつけて俺とエレーヌの婚約を結びたがっている。
正直、あの姉様相手にそう上手くいくのかと疑問に思わないでもないが、姉様が俺を特別扱いしているという話は昔から社交界で確信を持って語られている事柄だ。
そのため、アルカン公爵は自身の策について何ら疑ってはいないらしい。
今はまだ俺とエレーヌで協力して婚約についての具体的な話が出てくるのを防いでいるが、権勢を誇るアルカン公爵家との婚姻は王家にとっても得のある話だ。
このままでは遠からず俺とエレーヌの婚姻を望む周囲の声を抑えれきなくなり、俺たちは結婚するハメになるだろう。
全くもって不愉快な話だ。
政略結婚なんて王侯貴族にとっては珍しいことでもないが、いざそれが自分の身に適応されるとなるとムカついてしょうがない。
なぜ、この俺が自分の懐を潤すことしか考えていないクソみたいな連中のために好きでもない相手と結婚しなければならないんだ。
百歩譲って姉様ならまだしも、俺の力には遠く及ばない有象無象が口にする上から目線の指図に従ってエレーヌと結婚するなんて冗談じゃない。
俺は何としてでもエレーヌとの結婚を阻止する。
そして、そのためには当事者であるエレーヌの協力が必要不可欠だ。
こうして男除けに使われるのは少々面倒だが、後々のことを考えればここで彼女との関係を終わらせるわけにはいかない。
「本当に、お父様にも困ったものですわ。ユーグ様以外の殿方と噂されるようなことは絶対にあってはならない。カップル祭のような内向けの行事でさえ、ユーグ様と組むことが叶わないなら下手に他の殿方の誘いを受けることはするな、ですものね。全く、自分の娘の学園生活を何だと思っておられるのやら」
父について語るエレーヌは冗談めかした調子ではあるものの、言っている内容自体はあながち冗談ではないだろう。
そして、俺も彼女もアルカン公爵が何を考えているのか本当はよく知っている。
「そりゃ、政略結婚に使うための道具が姉様の信頼を得るための道具と関係を深めるための準備期間だろ。今さら、疑問を抱く余地もねえ」
俺の返答にエレーヌが顔しかめ、嫌そうに口を開く。
「相変わらず、品のない物言いですわね。……まあ、否定はいたしませんが」
小声で本音らしきものを付け足してから、淀み始めた空気を変えるためかエレーヌが殊更に明るい顔を作る。
「どうせなら、ユーグ様が童顔で背の低い可愛らしい男の子であれば何も問題はありませんでしたのに。どうして、人は成長してしまうのでしょう。無駄に凛々しくなってしまわれた今のユーグ様ではなく、瑞々しい輝きを放っていたかつてのユーグ様が恋しいですわ」
楽しそうな表情を作ったエレーヌが、これまでの少しだけ真面目な雰囲気を粉砕するかのようにふざけているとしか思えない欲望を漏らし始める。
傍か見ると気でも違ったようだが、長い付き合いの俺にはわかる。
どちらかというと、エレーヌはこっちが素だ。
幼いころからアルカン公爵を筆頭にしたあまり尊敬できない大人に囲まれていた反動か、エレーヌは純粋無垢な子供を好ましく思う傾向にある。
それを俺以外の前で表に出すようなことはしないが、逆に言うと俺の前では憚ることなく口にするので些か辟易してしまう。
「……ハァ。エレーヌ、もういい。お前の趣味はよくわかったから、とりあえず黙れ」
「お待ちください。実は先日、ユーグ様にもお伝えしたことのない新たな発見をいたしましたの。今までのわたくしは負けん気が強く少し生意気な子が最も可愛らしいと思っておりましたが、よくよく考えてみれば気弱でおどおどした雰囲気の子も同様に――」
「シルフ」
妙なことを口走り続ける馬鹿の口を塞ぐため、拳程度の大きさに圧縮された空気の塊がエレーヌへ向かって叩きつけられる。
生憎とエレーヌは素早い身のこなしでその場から飛びのき空気の塊をかわしてしまったが、下らない戯言を止めることができて少しだけスッキリしたのでまあいいだろう。
「全く、危ないではありませんか。いくらご自分が幼い頃の輝きを失って久しいとはいえ、このような暴挙に出るのは感心いたしませんわ」
「何で俺がお前の趣味から外れたせいでキレたみたいになってんだ。つーか、お前ならあの程度の攻撃はまともに食らったって大したダメージにならないだろ」
エレーヌはアルカン公爵家の令嬢でありながら小さい男の子に頼られるためという謎の理由で己を鍛えぬき武芸百般に通じている変態だ。
おまけに、初代アルカン卿が王家を離れアルカン公爵家を成立させて久しいとはいえ、エレーヌもセリア様の血を引いているだけあって魔力量は多いし、彼女を傷つけるのは並大抵のことではない。
口では危ないなんて言っているが、実際のところエレーヌ自身も俺の攻撃を脅威とは思っていなかっただろう。
「あら、心外ですわ。わたくしだって、か弱いレディですのよ」
「ほざけ」
俺とエレーヌが軽口を叩き合っていると、ちょうど死角になっていた校舎の外から不意に枯れ木を踏んだような乾いた音が聞こえてきた。
もしかすると、先程の会話を誰かに聞かれたかもしれない。
そのことに思い至った瞬間、俺は反射的にシルフの風で辺りを覆い人の出入りを封じ込める。
そして、窓から身を乗り出し音のした方を確認しているエレーヌへ歩み寄ると、彼女の背中越しに童顔の男子生徒がこちらへ怯え切った目を向けているのが見えた。
万が一にもさっきの会話が公爵の耳に入ると面倒くさいし、とりあえず話を聞いた可能性のある人間を閉じ込めてみたけど。
さて、この見ているだけで可哀そうになってくる男子生徒は一体どうしたものだろうか。
彼を見るエレーヌの目は危ない輝きを放っているし、いろんな意味で対処は難しそうだ。