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金のため

 自分で淹れたばかりの紅茶を飲み込み軽く息を吐き出してから、長机を挟んだ向かい側のソファに腰掛けているリーズを見やる。


 初めて訪れる生徒会室が物珍しいのか、彼女は五人の役員それぞれに与えられた執務用の机や戸棚に収納されたティーセットを興味深そうに眺めている。


 生徒会室なら無関係の人間が入って来る心配もないし密談にちょうどいいと思いやってきたのだけど、何だか気の抜ける反応だ。

 一応、俺はそこそこの緊張感を持ってこの場に臨んでいるというのに、肝心のリーズはお茶会での世間話くらいにしか思っていないらしい。


「そんなもの見てて面白いか?」

「別に面白くはないわよ。ただ、この部屋の調度品はどれも上等なもののようだし売れば金になりそうじゃない」

「いや、売るなよ」


 俺は当たり前のことを言ったはずなのに、リーズはきょとんとした顔でこちらを見つめ返してきた。

 こいつ、やたら熱心に室内を見てると思ったら思いの外下らないこと考えてやがったな。


「なぜ? 私は生徒会長なのだし、この部屋にある物は好きにしていいのでしょう?」

「いいわけねえだろ。生徒会室に置いてある物は基本的に学園の備品だし、お前個人の裁量で売りに出していいもんじゃねーよ」

「そう。残念だわ」


 本気で残念そうにしているリーズを見ていると、こんなの相手にあれこれ思いを巡らしている自分が何だか馬鹿らしくなってくる。


 もちろん、リーズの異常なまでの強さを知っている身としては彼女をただの馬鹿として軽んじるわけにはいかないんだが、それでも話しているうちに気が抜けてくるのは確かだ。

 

 もしこれが俺を油断させるための演技なら役者顔負けの熱演だが……たぶん、素で俺とは物の見方が違うだけなんだろうな。


「さてと、腹芸は趣味じゃねえし単刀直入に聞くが、お前の目的は何だ? ちょくちょく名前が出てくる辺り、姉様も何かしら噛んではいるんだろうが。お前自身は、なぜ学園に通ってる」


 俺が本題を切り出すと、リーズは迷う素振りもなくあっさりと口を開いた。


「金のためよ」


 濁すことなく端的に答えてくれたのはありがたいが、思っていたよりありきたりな答えが返ってきたな。


 正直、そんなことかと思う気持ちもないではないが、ありふれた動機ということはその分多くの人間に生じうる願望ということでもある。

 一応、これがリーズの本音であったとしてもおかしくはない。


 まあ、おかしくはないというだけで俺としてはいまいち納得のいかない答えではあるが。


「より正確に言うなら、オレリアさんから金貨千五百枚を報酬として、学園に通いあなたと接触するよう依頼されているの」


 金貨千五百枚というと、王都の一等地に屋敷が建つ額だ。

 もちろん、姉様なら払えはするだろうが、それでも人一人を雇うために支払う額としては決して安くない。


 そこまでしてリーズを俺にけしかけてくるってことは、何かしら俺とリーズが接触することに意味があるんだろうけど。


「やっぱ、よくわからねえな。お前の力を評価してるなら、学園に通わせるより従者にでも任命して手元に置いといた方が何かと都合がいいはずだろ。なのに、どうして姉様はそんな依頼をする? 何か、俺とお前が同じ場所にいなければならない理由でもあるのか?」


 俺としては結構本気で疑問なのだが、リーズは至極どうでもよさそうに軽く首を傾げてみせた。


「さあ? 私は人気のない路地を一人で歩いているオレリアさんを見かけて金目の物を盗もうとしたら、なぜだか先程の依頼を持ちかけられただけだもの。金さえ貰えるのなら後はどうでもいいし、理由までは知らないわ」


 リーズが姉様相手に盗みを働こうとしていた事実を当然のように口にしてから、話は終わりだと言わんばかりに俺から視線を外し紅茶の注がれたティーカップに口をつける。


「……これ、思っていたよりも苦いのね」

「そうか? 別に変な淹れ方はしてないし、特別苦いってことはないと思うんだが……まあ、口に合わないなら砂糖でも入れてみたらどうだ」


 俺が砂糖の入った容器を差し出すと、リーズはそれを引ったくるようにして手に取り、止める間もなくティーカップの上で豪快に傾けた。

 当然、砂糖は勢いよく紅茶の中へと注がれていき瞬く間に赤茶色だった液体を白く染めていく。


「お前、砂糖を入れるときはスプーンくらい使えよ。入れ過ぎたもんはしょうがないが、また用意しなおすのも手間なんだぞ」


 俺が見ているだけで胸焼けしそうな砂糖まみれの紅茶を捨てるため手を伸ばすと、リーズはそれをかわすかのようにティーカップを持ち上げそのまま中身を口に含んだ。


「うわ……マジか」


 リーズはもはや紅茶と呼ぶのも躊躇われる液体を飲み込むために白い喉を動かし続け、やがて中身が三分の一まで減ったティーカップをゆっくりと机の上に置いた。


「あなたの言う通り、砂糖を入れた方が先程よりも美味しいわね」


 にこりと邪気のない笑みを浮かべてから、リーズは再びティーカップに口をつけ中に残っていた液体を飲み干した。


 心なしかリーズの声は先程までより弾んでいるし、どうやら彼女は本気であの紅茶の残骸とでも言うべき液体を美味しいと思っているらしい。

 正直、理解しかねる。


 普通、あんなものを飲まされるのは拷問に等しいだろうに。

 リーズのやつ、相当な馬鹿舌だな。


「いや、俺はあんな飲むだけで寿命が縮みそうな紅茶の皮を被った毒物を作れとは言ってねえよ」

「な、毒物というのはどういう意味かしら?」

「そのまんまの意味に決まってんだろ。あれ、もはや甘いのが好きとかそういう言いわけが通用しないレベルの代物だろ」

「そこまで言うなら、あなたも試してみなさい。すぐに己の短慮を後悔することになるわよ」


 砂糖の入った容器を手に、リーズが自信満々な表情を浮かべる。

 

 まさか、こいつ俺の紅茶まで砂糖まみれにする気か。


 リーズの意図に気づいた俺が間一髪のところでティーカップを手に持ち立ち上がると、それを見たリーズは不服そうに顔をしかめた。


「ユーグ、いいから一度試してみなさい。一度も体験したことがないものをどうせロクなものじゃないと言って切り捨てるのは愚かな考えよ」

「ときにはそういうチャレンジ精神も必要だって意見には同意だが、それを活かすべきなのは明らかに今じゃねえだろ。最初から沈むとわかってて泥船に乗り込むのなんて、それこそ馬鹿だけだっつーの」


 砂糖を持ち迫ってくるリーズから後ずさりながら距離を取っていると、俺の背が固い物に触れそれ以上後ろに下がれなくなってしまった。

 まさか、魔法を使って戦ってるわけでもないのにこの俺が壁際に追い詰められるなんてな。


「さあ、いい加減に観念しなさい」

「ふざけんな。お前の方こそ、いい加減に自分が馬鹿舌だって事実を認めろよ」


 いっそ、サラマンダーの炎で砂糖を消し炭にしてしまおうか。

 迫りくるリーズを前にそんなことを考えていると、俺の背後から扉を叩く音が聞こえてきた。


「ユーグ様。こちらにおいででしたか。新生徒会の役員候補をリストアップしてまいりましたので、一度お目通しを……。あの、リーズ・エルフェと一緒になって何をされているのですか?」


 俺が扉の鍵を開けてやると、頼んでいた役員候補の選出に一区切りついた様子のシルヴァンが資料片手に生徒会室の中へ入ってきた。


 ティーカップと砂糖の容器を持って向かい合っている俺たちに気づいてからはわけが分からず困惑しているようだが、これは好都合だ。


「いや、何でもねえよ。それよりシルヴァン、お前喉乾いてないか?」

「ええ、まあ、先程までは図書室におりましたので水を飲むわけにもいきませんし、喉は乾いておりますが」

「そうか。いや、よかった。ちょうど今、俺とリーズで紅茶の飲み方について意見がわかれてたところでな。せっかくだし、お前であいつの馬鹿舌ぶりを証明してやってくれ」


 未だ状況が把握できていない様子のシルヴァンを強引に席に着かせ、彼のために紅茶を淹れてやる。

 普段なら給仕役は逆なのだが、まあ今回ばかりはいいだろう。

 これから先シルヴァンが口にすることになる代物を思えば、いっそ肩でも揉んでやりたいくらいだ。


「リーズ、俺がシルヴァンを抑えとくから試しにお前の勧める紅茶を飲ませてみろ」

「へえ? 私とあなた、どちらの味覚が優れているか彼に判断してもらおうというわけ?」

「ああ。本当なら俺も親友にこんなことはしたくないんだが、お前は誰かが犠牲にならないと間違いを認めそうにないからな」

「ふ、そんなことを言っていられるのも今のうちよ」


 俺とリーズがシルヴァンを審判役にすることで話をまとめている間に、肝心のシルヴァンが気配を消しながらそっと席を立とうとしているのが目に入った。


「どうしたシルヴァン。役員候補の選出で疲れてるだろうし、ゆっくりしていけよ」


 俺がシルヴァンの肩を掴み無理やり席に押し込めると、彼は苦々しい表情で口を開いた。


「いえ、どうか私のことはお気になさらず。先程からリーズ・エルフェが砂糖の入った容器を手に紅茶を見つめているのが不穏で仕方ありませんし、これ以上はお気持ちだけでも迷惑です」

「そうつれないことを言うなよ。俺とお前の仲だ。もう、抵抗しても無駄なことはわかってんだろ」


 シルヴァンが抵抗する力をより一層強めるが、時すでに遅くリーズは紅茶へ砂糖を大量にぶち込みできあがった紅茶というよりは砂糖の塊と言いたくなる液体をシルヴァンの口へと流し込んだ。


「ほら見ろ。シルヴァンのやつ、青い顔で口元抑えてるだろ。お前のアレは常人にとっちゃ吐き出すのを我慢するのさえ一苦労な毒物なんだよ」

「……そうね。どうやら、あの繊細な味を理解できるのは私だけのようだわ」

「繊細さの対極にあるアレに対してそこまで堂々と開き直られると、いっそ清々しいな」


 口では強がっているが流石にあの毒物を他人へ押し付けるのは諦めたらしく、リーズは砂糖の入った容器を元あった場所へしまってから静かにシルヴァンへ視線を向けた。


「……ところで、彼は保健室へ連れて行ってあげるべきかしら」

「……その前に、水を持ってきて口をゆすがせてやった方がいいんじゃないか」




 ちなみに、俺とリーズは程なくして回復したシルヴァンから食べ物を粗末にしないようにとキレ気味に説教されたのだが、リーズは最後までアレは紅茶を粗末にしているのではなく最も美味しく飲めるように工夫しているだけだと言って譲らなかった。


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