新生徒会、始動
目を覚ましたとき、最初に目に入ったのはいつになく沈痛な表情を浮かべたシルヴァンの顔だった。
「ユーグ様、お目覚めですか」
「ああ」
それまで身を横たえていたベッドから体を起こし、辺りを見回す。
どうやらここは学園の保健室のようだ。
そして、そんな場所で寝かされていたということはあの忌々しい女に関する記憶は夢などではないのだろう。
「シルヴァン、正直に答えろ。俺は、あの女に負けたんだな」
「……はい」
予想通りの答えではある。
だが、改めて他人の口から知らされると、少々応えるものがあるな。
「あー、クソ、ムカつくな。この俺が姉様以外の人間に何もできずに負けた? そんなの、まったくもって笑えねえぞ」
「そうね。あれだけ偉そうなことを言っておいて、一瞬で気絶してしまうんだもの。私としても、笑いどころすらないつまらない戦いだったわ」
突如として聞こえてきた声に驚き、反射的に体の向きを変える。
すると、視線の先には予想に違わぬ人物の姿があった。
「……リーズ・エルフェ」
「あら、驚きね。王子様ともあろう方が、私の如き下賤の名前を覚えているだなんて」
「ふざけるな。お前の身分なんぞ知らねえし、この際どうでもいい。俺にとって重要なのは、お前が俺に勝ったという事実だけだ」
「そう」
自虐にかこつけて俺を煽ってきたリーズに対し苛立ち紛れに心情を吐露すると、なぜか彼女は心なしか表情を和らげ右手を差し出してきた。
「何の真似だ?」
「私は、生徒会長になるわ」
「だからどうした。嫌味が言いたいだけか?」
「違うわよ。ただ、聞くところによれば生徒会というのは会長だけでは成立しないそうじゃない」
リーズの言う通り、生徒会は会長、副会長、書記、広報、会計の計五人の役員によって成る組織だ。
会長に選ばれた人間は残る四人の役員を選出する権利と義務を負うことになる。
「確かに、それはその通りだが。何か問題でもあるのか?」
「ええ。だって私、この学園に通ってるような良家の人間って嫌いだもの。生徒会として共に活動するなんて気が進まないわ」
言動の端々から貴族や王族に対する恨みのようなものは感じていたので、特に驚きはないけれど。
ジジイの執務室と違って一般の生徒がいつ入ってきてもおかしくない保健室でこんな発言をするというのは何とも怖いもの知らずなことだ。
まあ、リーズの圧倒的な力を考慮すればそこらの生徒では仮に実家の力を借りたところで返り討ちにあうのが関の山だろうから、彼女が言動に気を配る必要なんてないのだろうけど。
「だから、一人で生徒会活動をしたいってことか? 言っとくが、それはやめた方がいいぞ。規則がどうとかじゃなくて、単純に一人でこなせる仕事量じゃない」
ジジイに生徒会で散々扱き使われたことを思い出し苦言を呈すると、予想外にもリーズは素直に頷きを返してきた。
「それも、学園長から聞いて理解しているわ。だからこそ、私はこうしてあなたに会いにきたの」
意図が読めず、困惑してしまう。
確かに俺は生徒会長だったから多少は活動のノウハウを知っているし、勝者としてリーズがそれを教えるよう命令するのであれば従うに吝かではないけれど。
ジジイから話を聞いたというなら、それでどうにかなる問題じゃないことは理解しているだろうに。
「ユーグ・パラディール、あなたは副会長として私を手伝いなさい」
ああ、本当に、わけがわからないな、こいつ。
支配階級によくない感情を抱いているであろうリーズにとって、王家の人間である俺は嫌いな人間の筆頭のはずだろ。
なのにどうして、俺を副会長に据えようなんて発想に至るんだ。
「意味がわからん。お前、王族は嫌いじゃなかったのか」
「嫌いよ。ただ、私は能無しの貴族共と違って、血だけで人を判断しないの」
貴族を能無し扱いしている時点でだいぶ無理のある論調な気はしたが、言われてみればリーズは姉様のことをオレリアさんと呼んでいた。
あの規格外な姉にはきちんと敬意を払っていると考えると、あながちリーズの言っていることも嘘ではないのかもしれない。
「ユーグ、あなたは私の血ではなく力を見ている。自分の部下にするなら、生まれで全てが決まると思っている連中よりはまだしもあなたのような実力主義者の方が好ましいということよ」
別に、俺だって自分の中に流れる高貴な血を尊ばないわけじゃない。
だから、自分のことをリーズが評したような実力主義者だとは思わないけれど。
リーズが生まれの貴賎など超越した天才であることは認めよう。
その圧倒的な力に敬意を表して、求めに応じてやっても構わない。
ただし、俺は負け犬のまま終わるつもりはない。
いつか必ず、俺はリーズに勝つ。
俺が副会長としてリーズに従うのは、あくまで今だけだ。
勝利の栄光を掴み会長へ返り咲いた暁には、逆に彼女を副会長に据えて扱き使ってやる。
「いいだろう。副会長の任、この俺が引き受けてやる」
俺が了承の返事を口にすると、黙って成り行きを見守っていたシルヴァンが流石に見過ごせないとばかりに口を開いた。
「本気ですか! ユーグ様は偉大なるパラディール王家の人間なのですよ。それが、このような輩の言いなりになるなど……」
「シルヴァン、これはそういう問題じゃねえんだよ」
「私が話してるのはあなたじゃないわ。余計な口を挟まないで」
俺とリーズの二人から咎められて、シルヴァンが肩を落とし口を噤む。
体裁を重んじるシルヴァンが明らかにまともな出自ではなさそうなリーズの下に俺がつくという構図を嫌うのは無理もないけれど。
王族としての威厳を重視するのであればなおのこと、リーズの提案は受けるべきだ。
一度負けたくらいで尻尾を巻いて逃げ出すなんて、それこそ国の頂点に立つ王族の振る舞いじゃない。
「ふふ、最初は他の連中と大差ないクズにしか見えなかったし、オレリアさんの身内贔屓かと思ったけど。案外、楽しくなりそうね」
珍しく笑みを浮かべ姉さんの関与を仄めかすリーズの右手に、俺の手を重ね合わせる。
たとえこれが誰かの仕込みだろうと、今俺がひんやりとしたリーズの手を握っているのは自分自身の意思によるものだ。
何の因果か勝者と敗者が手を取り合って、新しい生徒会は今この瞬間から始まった。