小物王子と天才少女
王立魔法学園の廊下を歩く俺に、あちこちから嫉妬と羨望の視線が注がれる。
実に心地いい。
この俺、ユーグ・パラディールはここプリエ王国の王子であり、なおかつ学園で最も優秀な生徒が就く生徒会長の地位にあるのだから当然ではあるけれど。
こうして有象無象から畏怖されると、自分が特別な人間なのだと実感できる。
「ユーグ様、下衆な考えが顔に出てますよ」
せっかく俺が気持ちよくなっていたというのに、隣を歩く男から無粋な声を浴びせられたせいで一気にテンションが下がっていく。
「シルヴァン、言っておくが俺は王子だからな。いくらお前がオラール伯爵家の次期当主でも、その気になればいつでも不敬罪で牢にぶち込めるのを忘れるなよ」
「はいはい。そういうのいいんで、早く園長室に行きますよ」
俺の隣を歩きいまいち敬意を感じられない言動を見せるシルヴァンは、これでも俺の幼馴染であり最も仲のいい友人だ。
なまじ付き合いが長いだけに俺のことをなめている節があるのは欠点だが、有能で何かと役に立つので困ったことがあればとりあえず丸投げしている。
「にしても、あのジジイ。用も告げずに俺を呼び出すなんてどういうつもりだ?」
「ユーグ様、学園長のことをジジイと呼ぶのはやめてください」
「別にいいだろ。あいつ俺が生徒会長だからって無茶ぶりばっかしてきやがるし、腹立つから敬称で呼びたくねえんだよ」
今回俺を呼び出した張本人である学園長のジジイについてシルヴァンと話しているうちに、俺たちは学園長の執務室へたどり着き無駄に立派な扉の前で足を止めた。
「おーい、ジジイ。来てやったぞー」
シルヴァンが開いた扉を通り、上質なカーペットが敷かれ値の張る絵画が幾つも飾られた部屋の中へと足を踏み入れる。
「ん? 誰だ?」
てっきりジジイ一人だと思っていた部屋の中には、予想に反して二人の人間がいた。
一人は、この部屋の主であり当然俺もいるだろうと考えていた王立魔法学園の長であるバティスト・クロデル。
まあ、これは問題ない。
問題なのは、ジジイの前に立ちこちらへ値踏みするような視線を向けている女の方だ。
誰だ、こいつは。
女は顔立ちこそ整っているものの、肩口まで伸びた黒髪はあちこちで跳ねており、赤い瞳は王子である俺の価値を遠慮なく上から目線で計っている。
おまけに、纏っている衣服は所々裂けており、そこから白い肌が露出していた。
学生の大半を貴族の子女が占める王立魔法学園では、まずいないタイプの人間だ。
「よく来たの、ユーグ君にシルヴァン君。ほれ、ぼさっと立っておらんでかけなさい。実はよい茶菓子が手に入ったんじゃ。君たちには特別に分けてやろう」
「ジジイ! 茶菓子なんぞどうでもいいから、きちんと説明しろ」
俺の困惑には欠片も気づいていないと言いたげなジジイのふざけた態度に苛立ち声を上げると、彼はため息を吐きだしてから気が進まなさそうに口を開いた。
「言わずとも気づいておろうが、今日君たちを呼んだのにはそこにおるリーズ・エルフェ君が大いに関わっておる」
見知らぬ女の名は、どうやらリーズというらしい。
やはり聞いたことのない名ではあるが、こうして俺を呼び出している以上まさかただの生徒ということもあるまい。
もしかすると、どこぞの貴族の隠し子だろうか。
「実は、このエルフェ君は君の姉君であるオレリア君から学園に入れてやってくれと頼まれた子でな。わしとしても吝かではないし、明日にでも君と同じ第二学年に編入させようと思っておる」
「は? 姉様が、こいつを?」
俺の姉、即ちこの国の王女であるオレリア・パラディールは俺から見てもぶっ飛んだ天才であり、学園に通っていたころは当然の如くあらゆる分野で他者を圧倒していた。
現在は次期国王候補筆頭として地盤固めに勤しんでいるはずだが、そんな彼女がリーズを学園に入れたがっているというのは何とも空恐ろしい話だ。
あのめちゃくちゃな姉様がわざわざジジイに頼んでまで学園に入れたがるなんて、絶対に何かあるぞ。
さっきは貴族の隠し子じゃないかなんて呑気に予想していたが、こうなるとリーズが俺たちの父である国王の隠し子だと言われても驚かない。
「あー、それとな。ここから先は非常に言いづらいんじゃが、君は今、生徒会長の任に就いておろう?」
「ああ。この学園で最も優秀な生徒が生徒会長になるんだから、当然だろ」
姉様の名前を出した割には、随分と当たり障りのないことを聞くんだな。
姉様がとっくに卒業している以上、学園に俺より優れた生徒がいるわけはないしこんなこと今さら確認する必要はないだろう。
「うむ、その通り。君は非常に優秀で、それ故に今日まで生徒会長であり続けていた。じゃがの、リーズ君が編入した暁には、その任を解きリーズ君を新しい会長にしようと思っておる。そのこと、どうかわかってくれぬか」
「は?」
何を言ってるんだ、このジジイは。
俺の代わりに、リーズを生徒会長にする?
「……ふざけてんのか」
俺の隣で、シルヴァンがびくりと体を震わせる。
長い付き合いだけあって、彼にはジジイの返答次第ではこの部屋を灰にしようと思っていることが伝わってしまったらしい。
「……ユーグ様、どうか自制の心をお忘れにならないでください。あなた様は皆の模範となる立場にあるのです。それが軽はずみに事を起こしては示しがつきません」
「シルヴァン、少し黙ってろ」
未だ何か言いたそうにしているものの、シルヴァンは俺の命令に逆らうことなく黙り込んだ。
流石に、彼はこの辺りの引き際をきちんと心得ている。
「で、どうなんだ? ジジイ。そこまで言うからには、納得できる理由はあるんだろうな。言っておくが、いくら姉様の差し金でも俺から何かを奪うというならそう簡単に許しはしないぞ」
「……愚かね」
俺がジジイに詰め寄っていると、横合いから聞き慣れない女の声が聞こえてきた。
声のした方へ顔を向けてみれば、そこには侮蔑の感情を隠そうともせずこちらに見下すような視線を向けるリーズの姿がある。
「あなたが能力的に劣っていて器ではないから会長の座が私に移る。そんなこと、考えるまでもなくわかりきってるじゃない」
リーズが口にしたのは、露程も考えたことのない可能性だった。
言われてみれば、確かにそういうことなら辻褄は合うのだけれど。
しかし、あのでたらめな姉様ならともかく、それ以外の人間に俺が劣っているとはとても思えない。
「随分な口の利き方だが、お前、俺が誰だかわかってるのか?」
「ええ、知ってるわよ。あなた、王子様なんでしょ。あなたの姉のオレリアさんはすごかったから、少しは期待してたんだけど。やっぱり、王族や貴族なんて血筋しか取り柄のないぼんくらばっかりね」
ムカついた。
この俺をここまで馬鹿にしくさったやつと出会うのは生まれて初めてだ。
もうジジイのことなんてどうでもいい。
それよりも、このクソ生意気な女にどちらが上かわからせてやる。
「どうやら、少し痛い思いをしなければ口の利き方がわからんらしいな」
「そうね。あなたみたいに何の苦労もせず楽して生きてきた人間は少しくらい痛い思いをするべきだわ」
どこまでもイラつくやつだが、まあいい。
これくらいムカつく方が良心の呵責を感じずに済む分、却ってやりやすい。
「サラマンダー!」
学園の中で唯一、俺だけが従えている炎の大精霊の力を解き放ち辺りを焼き尽くそうとしたところで、俺の視界を眩い光が覆いつくした。
どうやら、今の光は攻撃だったらしい。
そのことに気がついたときには、俺の体は宙を舞っており意識を保つことさえ困難になっていた。
「あっけないわね」
何ともムカつく捨て台詞を聞き届けてから、俺の意識は闇の中へと沈んでいく。