93.魔と聖の分裂、だから…
赤く染まった西の空が完全に黒く染まり、夜が訪れた頃、ヒーリスト聖教のナイトリアス教会の地下へ向かう男の影があった。
彼の名はハウリング・リスティンガー、ヒーリスト聖教の助祭である。
ハウリングは男性修道士二人を連れて、地下牢に囚われている魔術族の少女アストリア・ナルトリフのもとに向かっていた。
「助祭、いよいよですね」
ハウリングの左後ろを歩く若い修道士ランドルが意気揚々と話しかける。
「まだ彼女が承諾するとは決まっていません」
「いいえ。奴には我らの計画に乗る以外に選択肢はありません」
今度は右後ろを歩く中年の修道士メイシアットが落ち着いた面持ちで話しかける。
「助祭は数十年間に渡りナイトリアス教会の運営全般を担ってきました。事実上、百人近い修道士たちが居住するこの大規模な教会を存続させることができたのはあなたの存在の功績といえます」
「この教会の中にもあなたを支持する者も少なくはありません。いずれ司祭、いやそれ以上の地位に立つこともそう遠くないと我々は信じています」
二人の修道士から耳に心地いい言葉を並べられるハウリング。
しかし、当の本人は気重な表情でため息をついた。
「そう言われ続けて二十年。未だに司祭への昇進の兆しは一向に見えません」
その言葉に饒舌に話していた修道士たちは一気に口をつむぐ。
「先代の司祭が他の教会へ転属となったときに私がその席に着くと思っていましたが、実際はメイリス氏が司祭として配属となった。彼女は聖教の創始者と同じホーリーエルフ族であり、我々に及びもつかないほどの神術の才能がある。その上、あの実直で穏和な気性だ。全て私にないものです。そこが本部の方々から評価されたのでしょう」
「元々ホーリーエルフ族は生まれながらにして神術の才能に恵まれている種族です。あのように若いお姿をされているが、今年で百八十歳をこえられるとのこと。神術の優劣を短命な我らと比較されても仕方がないことです」
エルフ族は長命なことで有名である。通常の人間の約十倍の寿命を持つと言われている。そのため、外見の成長が遅い。
百八十年以上の年月を生きたメイリスであるが、その容姿は二十歳にも満たない少女のようであった。彼女の種族からすればまだ若い部類になるので、“少女”と呼ぶのは間違ってはいないだろうが。
「メイリス司祭が転属になったときにはそれほど悲観していなかった。彼女は上層部にえらく気に入られていますから、数年も経てば昇進すると予想していました。そして、その後釜として今度こそ私が司祭になると。しかし、現在に至るまでの十数年間、メイリス司祭はこの教会の管理者として居座っている。その理由はわかりますか?」
ハウリングの問いに二人の修道士は首を横に振る。
「今まで本部から司教部へ転属する内示が下りましたが、彼女はそれを何度も断ってきたからです。疑問に思い、本人に訊ねました。その時、彼女は何とおっしゃったと思いますか?“町の人々と直接触れ合う仕事がしたいから”だそうです」
理由を聞いたメイシアットは呆れたようにフッと笑った。
「実にあの方らしいお考えですね。純粋と言いますか、なんといいますか。どちらにしろはた迷惑な話です」
「まったくです。まあ、まだそこまでは仕方ないこととして受け止めましょう。お飾りとして鎮座していただければ、あとは私が好き勝手に動けますからね。しかし、彼女は我々のすることに何度も口出しをなされる。それはどうもやりづらい」
ハウリングが頭痛を抑えるよう額に手を当てる。そんな彼の隣に並ぶようにランドルが進み出る。
「資金集めのことですよね。仲介する際に仲介料を取ることを賄賂だといい、糾弾される。そのようなことはどこの教会でも当たり前のように行っていることなのに。でなければ、教会を維持することはできません。その当たりのことを司祭はご理解なさっていないんだ」
「あの方はこの教会に来られるまで教会に配属されたことがなく、五十年間の修行期間を経た上ですぐに司祭になったものですから、その辺の実状を知らないのでしょう。長命なホーリーエルフ族の修道士によくあることだ」
「なるほど。だから、あそこまで夢見る少女のような幻想を口にされるのですね」
ランドルの言葉にメイシアットは大いに笑う。
「“夢見る少女”か。それはいい。であるなら、我々は“聞き分けの悪い少女をお守りする周囲の大人たち”といったところか」
突然ハウリングが足を止める。それと同時に二人の修道士も足を止めた。
「いずれ子どもは現実を知り、自立するもの。我々は彼女に一人の聖職者として自立していただくよう何度も促した。しかし、彼女はそれを無視し、未だに夢物語を口にされている。もう子守はたくさんだ。改善が見込めないのなら、その命ごと退場していただくしかない」
ハウリングがゆっくりと振り返る。
眼鏡の奥の鋭い眼光を目にしたランドルとメイシアットの頬に一筋の汗が流れる。「蛇に睨まれたカエル」とはまさにこのことだろう。
「その為にもあの魔女にはどうしても協力していただかなければなりません」
「し、しかし、未だに信じられないです」
汗を袖で拭きながらランドルが口にした。
「メイリス司祭は確かに世間知らずではありますが、一度した約束を簡単に反故にするような方ではないと思っていたのですが。それが例え魔女相手の約束であっても」
「その点は私も同感です。今までも見えないところでそのようなことをされていたと助祭もおっしゃっていましたが、全く知りませんでした」
「ああ。そのことですか」
ハウリングはニヤッと笑うと、踵を返して背を向ける。
「あれは全て作り話です」
「「え?」」
思いがけない言葉に二人の修道士は、思わず間抜けな声を出した。
「助祭。それは一体……」
「メイリス司祭は貴方たちの目にしてきたそのままのお方だと言うことです」
「なぜそのような嘘を」
「あの魔女はメイリス司祭を信頼し、尊敬していた。それは子どもが親を慕うがごときものです。それが彼女の唯一の支えだった。しかし、信じていた司祭の全てが瓦解すればどうなるか。衰弱しきった彼女の精神はガラス細工のように脆く崩れていくでしょう。そこにできた心の隙間に踏み込むことは容易い。我らの声に耳を傾けやすくなると言うことです」
「しかし、それでも疑問が残ります。あの魔女はメイリス司祭に故郷の村の場所とそこまでの行き方を伝えたと言っていました。その情報がなぜ我らに漏れたのでしょうか?我らの知っているメイリス司祭であれば、簡単に誰かへ情報を漏らすことなどしません」
「簡単なこと。あの魔女がメイリス司祭と思っていた人物が他人だったというだけです」
「別人だった?彼女がメイリス司祭と他の者とを見誤ったと?」
「まさか。神術ですよ。神術の中にも様々な種類がありましてね、その中でも私は幻惑系の術を得意としています。二人が何を話していたかは門番から聞いていましたからね。魔女が司祭を呼んでほしいと言った時に、司祭ではなく私のもとに来るよう申し伝えておきました。さすがに私の身長では気づかれてしまうので、女性修道士の一人に役を買っていただきました」
「しかし、女性修道士は全員メイリス司祭を支持していたはず。我らに協力するとは」
「そのようなことはない。表に出ていないだけで彼女たちの中にも司祭に反発を持つ者は多いのですよ。手伝っていただいた方も日頃から司祭への不満をこぼしていたようですし」
「ということは今回の件を司祭は」
「知っているはずがないでしょう。我らで魔女狩りに向かったことも報告していません。きっと今でもあの魔女が故郷の場所を教えてくれるのを待っているでしょうね」
「「…………」」
事実を知ったランドルとメイシアットは絶句した。
「ふっ!私に軽蔑しましたか?」
「い、いえ……」
「無理をしなくてもいい。私も自分自身を軽蔑することがある。このようなことを平然とやってのける私こそが悪魔なのではないかと。しかし、これも全てはこの教会の、いや、ヒーリスト聖教の威信のためです。その為なら私はこの身も心も血に穢されてもかまわない」
その時、彼らの目の前に小さな鉄扉が現れた。
二人の修道士が守るこの扉の向こうに地下牢へ向かうための階段がある。
ハウリングが目で合図すると、門番の修道士たちはその重々しい鉄扉を開けた。
「さて、最後の仕上げに取りかかりましょうか」
ハウリングはランドルとメイシアットを連れて、階段を降りていく。
暗い空間には、等間隔に吊るされた蝋燭の火だけが照らしている。もともと地下倉庫して作られたこの空間は、年中日の光が入らないせいか、真夏であろうとここは涼しく保たれている。それがなんとも怪しい。
コツコツと靴音を鳴らしながら数十分歩き続けると細長い廊下が伸びている。その右側には六つ牢獄が並んでいた。
その中の一番奥にある牢の前に番人の修道士が立っている。その中にはハウリングたちの目的の人物が拘束されていた。
ハウリングたちがその牢の前に立ち、番人の修道士が牢の扉を開ける。そして、腰をかがめて牢の中に入っていった。
奥の壁から伸びた鎖に四肢を拘束されたその人物は十歳ぐらいの小さな少女アストリアである。透き通るような白い肌と金色の長い髪。しかし、数日間この牢にいたせいで本来のまばゆい輝きは失われていた。
「別れは済んだかね?アストリア・ナルトリフ」
「……」
アストリアはハウリングの声掛けに言葉を返さない。ただ目の前に並べられた二つの物体を見つめていた。
アストリアと同じ金色の髪の二人の男女、彼女の両親の首である。ハウリングたち修道士がアストリアの故郷を襲撃した際にハウリングが持って帰ってきたものである。
長い髪は乱れ、頬は痩せこけたアストリアの姿を見て、ハウリングはフッと鼻を鳴らす。そして、彼女と目線を合わせるようにしゃがんだ。
「まだ名残惜しいとは思いますが、もう約束の時間です。我々の計画に参加するかどうか、返答を願えますか?」
「……」
ハウリングの問いにアストリアは答えなかった。
ハウリングの言う“我々の計画”とは“メイリス殺害計画”のことである。
「貴様!ハウリング助祭のお訊ねだ!黙っていないでお答えしろ!」
ハウリングの後ろに控えていたランドルがアストリアの右側へ移動すると、彼女の髪を鷲掴みにし、強引に頭を上げさせた。
少女の赤い瞳には生気を感じることができず、その周りは赤く腫れ上がっていた。長い間、涙を流していたのだろう。
「申し訳ないが、貴女の心の傷が癒えるまで待つほど我々には余裕がない。返答がない場合は貴女を即処分させていただくことになるが」
「…………さい」
アストリアは聞き取りづらいほどに小さな声でささやく。
「ん?何かね?」
「私に、やらせてください」
「重要なことなので確認させてもらいたいのだが、貴女はメイリス司祭の殺害に手を貸すということで合っていますか?」
「はい。私にはやらなければならないことがあります。その為にもこのような場所で死ぬわけにはいきません」
「なるほど。賢明な判断だ。さぞかし亡くなられた同胞の方々は喜ばれるだろう」
ハウリングのその言葉を耳にし、アストリアは鋭い目つきで彼を睨む。
「ふっ!そう睨まないでいただきたい。確かに貴女たちの同胞に直接手を下したのは私だが、その元凶はメイリス司祭の裏切りだ。今はそのことだけに集中すればいい」
アストリアはふんッと鼻を鳴らして、目を逸らした。
ここで自分たちに嚙みついても意味がないと半ば諦めてしまったのだろうとハウリングは理解した。
「まあ、これ以上の問答は無駄です。早速計画の流れをお伝えしましょう。今メイリス司祭は私の部下の誘導により、教会の裏門の外に連れ出されています。貴女はそこに修道士に扮して向かう。そして、近距離まで近づいたら、この短刀で彼女の命を絶つのです」
ハウリングはメイシアットからまったく装飾のない短刀を受け取ると、アストリアの目の前で鞘から抜き、その刀身を見せた。研がれた刀身にアストリアの瞳が映し出される。
「このようなもので本当にあの人を殺すことができるのですか?」
「確かに彼女は神術の使い手。貴女がどれほどの魔術の使い手かは知りませんが、それでは彼女を仕留めることはできないでしょう。しかし、それは自分の腕を過信することに繋がり、予想外の方法に対応できなくなる。案外こういった単純な方法の方が効果があるのですよ」
「そう、ですか……」
「彼女の死を確認すれば、後はその場を去りなさい。好きなところに行けばいい。理解できましたか?」
「……はい」
「よろしい。では、拘束を解きましょう」
ハウリングはランドルとメイシアットに拘束を解くように指示を出す。
しかし、メイシアットはハウリングの側に近づき、小声で話しかける。
「ハウリング助祭。本当によろしいのですか?解放したと同時に我々に襲いかかるのでは?」
「安心なさい。彼女はここ数日封魔鎖に魔の力を吸われ続けた上に、何も口にしていない。まともな魔術も使えなければ、我々に襲いかかるほどの力もないでしょう。それにこのままではメイリス司祭のところまで連れていくこともできませんから」
「それもそうです。わかりました。しかし、こちらもできるだけ警戒をしておきます」
「よろしくお願いします」
メイシアットはアストリアの左側に移動した。そして、手首を拘束する鎖に手をかざすと、ランドルに目線で合図を出して短い詠唱を唱える。
すると、アストリアの四肢を拘束する枷が解除される。解放されると同時に前へ倒れるアストリアの両脇をメイシアットとランドルが抱えた。
「やはりだいぶ衰弱しているようですね。外まで歩けますか?」
「はい……」
「よろしい。とりあえずここを出ましょう」
「わかりました」
アストリアは二人の修道士に支えられながら、その場に立ち上がる。
「では、行きましょうか」
ハウリングは踵を返し、牢の出口に向かおうと一歩を踏み出した。
しかし、その場に立ち止まり、振り返って目線を落とす。
そこにはアストリアの両親の首が並んでいた。
「アストリア・ナルトリフ。ここで貴女の両親との今生の別れです。最後に何か声をかけてあげては?」
アストリアは一度目線を落とす。
「配慮は無用です。先ほど済ませましたから」
「そうですか。弔いはこちらで丁重にさせていただきますから安心なさい。せめて来世では清い魂に転生できるよう」
「……」
「行きましょう」
ハウリングが再び歩き始めると、その後ろをついて行くようにアストリアもおぼつかない足取りで歩き始めた。
一瞬、両親の首に目線を落としたが、すぐに目を逸らした。
ハウリングに続いてアストリアとランドル、メイシアット、そして牢の番をしていた修道士が地下牢から出た。アストリアにとって数日ぶりの外は真っ暗で、さほど地下と違いはなかった。
ハウリングは鉄扉のすぐ近くにある扉を指さす。
「そこの部屋に修道服を用意してあります。着替えてきなさい」
「はい」
「部屋の扉はひとつだけ。窓などの外に出られるところは一切ありません。ですので、くれぐれも逃げだそうとは思わないことです」
「分かっています」
「あまり時間はありませんので、すぐに済ませなさい」
「はい」
アストリアはハウリングに指さされた部屋の中に入っていった。
そして、扉が閉じられると同時に牢の番をしていた修道士が扉を背に立つ。
アストリアが部屋に入って、10分ほど経った。
苛立つハウリングは腕を後ろで組み、扉の前を何度も往復する。
「遅いですね。衰弱しているとはいえ、これほどまでに時間がかかるとは思えません」
「あの、ハウリング助祭」
扉の前で立っていた修道士がハウリングに声をかける。
「どうしましたか?」
「この際、我々も中に入った方がいいのではありませんか?あの小娘はもとより下着姿。男が着替えに立ち会っても何の問題もないはずです」
「……それもそうですね。私としたことが。魔女ごときに変な気を回してしまいました」
ハウリングはひとつ咳払いをし、扉のノブに手をかけた。
「アストリア・ナルトリフ!申し訳ないが、これ以上貴女の着替えに時間を費やすわけにはいきません!中に入らせていただきます!」
中に声をかけたが、返事がない。ハウリングは扉を思いっきり開けた。
三畳ほどの小さな部屋。蝋燭の小さな灯りが部屋全体を灯している。
その真ん中に黒い修道服を身につけたアストリアが扉に背を向けて立っていた。
「返事がないと心配していたが、もう着替えは済んでいるではありませんか」
「……」
またしても返事を返さない。
ハウリングはため息をつくと、部屋の中心へ足を進めていく。
「何度もお伝えしているが、我々には時間がないのだ。さっさと出てきなさい」
ハウリングとの距離が一メートル以内に近づくと、アストリアはゆっくりと振り返った。
「さあ、同胞たちの仇を討ちに行きましょう」
「はい。しかし、その前にしなければならないことがあります」
「ん?何だね、しなければならないこととは、っぐ!」
その瞬間だった。ハウリングの腹部に強く、鋭い痛みが襲った。
恐る恐る目線を下げると、自分のみぞおちに刃物が刺さっていた。
「なんだ、これは……」
「うふふ。“単純な方法の方が効果がある”あなたの言葉は本当のようでしたね、ハウリング助祭」
ハウリングがゆっくり目線を上げると、黒いベールの奥でニコッと笑う少女の表情があった。
「なぜ、だ。この部屋、には、服以外、には、何も置いてなかった、はず……」
「ええ。その通り。この部屋にはこの服以外何もありませんでした。だから、取りだしたのですよ。亜空間の中から」
「亜空、間?」
アストリアの右側に黒い渦のような穴が開いているのを確認する。
「魔術、か。あれほど、までに、魔の力を、吸われ続けたと、言うのに……」
「この空間は以前より生成したもの。そこへの扉を開けるだけなら、今の魔力量で十分です」
「油断していたのは、私、だったか……」
「ハウリング助祭、いかがされましたか?」
なかなか出てこないハウリングが気にかかったランドルが部屋の中を覗き込んだ。
「扉を、閉めなさい……」
「はい?今何と」
「早くその扉を、ぐはっ!」
ハウリングが叫ぶと同時にアストリアは彼の体から刀身を思いっきり抜いた。血を撒き散らしながら前に倒れてくる巨体を交わし、扉の外から覗き込むランドルに向かって突進し、全身をぶつける。
突然のことに受け身がとれず、ランドルはそのまま部屋の外に飛ばされた。
「貴様、ハウリング助祭に何を……」
アストリアは急いで上半身を起こそうとするランドルの喉元に刃を当て、思いっきり引いた。
すると、彼の首から噴水のように大量の血が吹き出る。
ランドルの生暖かい血を全身に受けながら、アストリアはゆっくりとその場に立った。
その姿をメイシアットを初めとする修道士四人が呆気にとられながら見ていた。
「ランドル……。ま、まさか!」
我に返ったメイシアットは扉の前にいた修道士を突き飛ばし、部屋の中を覗き込む。
そこには青い修道服をまとった巨大な男がうつ伏せに倒れていた。そして、その巨体の下から赤い液体が流れ出ていた。
「あのハウリング助祭が、こんな小娘に一瞬で……」
「ぎゃーーーーーーー!」
「やめろ、こっちに、来るな、や……」
「貴様、我らにこんなことをしていいとでも思っているのか!シリスト様からの怒りの鉄槌が、あ、あーーーーーーーー!」
メイシアットの背後から悲鳴が聞こえた。
急いで振り返ると、自分が突き飛ばした修道士や鉄扉の番をしていた二人の修道士が床に倒れていた。その全てが全身に鮮血を浴び、恐怖に顔を歪ませていた。
そして、その中で唯一血の滴る短刀を右手に握りしめた少女が立っている。彼女の修道服は既に全身怪しげな赤に変色していた。
メイシアットは驚愕した。確かに彼らは少女よりがたいのいい男たちだ。例え彼女が衰弱しきっていなくても簡単に取り押さえることができただろう。それを隙を狙ったとはいえ、ものの数分で計五人の命を奪ってしまった。しかも、一切魔術のようなものを使わず、その身のみで。
「なぜだ。貴様はここ数日飯どころか水さえ与えられなかったはずだ!それをなぜそこまで動けるのだ!」
そうメイシアットが叫ぶと、少女はルビーのように赤く光る双眸で彼を捉える。それは金色の長髪を乱し、頬がこけた少女の姿。誰の目から見ても瞬時に複数人を殺めることができるとは思えないほどにやつれていた。
少女は目を細め、口角を上げて、ニコッと笑った。
「“自己強化”。全身の筋肉と神経に魔力を巡らせ、一時的に身体能力を上げる催眠系の魔術です。効果が持続している間はいくら疲労していようが、満身創痍の状態であろうが、常人以上の身体能力を得ることができます。効果が出るまでに時間がかかるのと、効果が切れた後に強烈な筋肉痛に襲われるのが欠点ですが」
「くっ!なかなか外に出てこなかったのは効果が出るまでの時間を待っていたのか……。まさか、もとよりこれを計画していたのか?」
「ええ。あなたたちからメイリス司祭殺害計画を持ちかけられた時から考えていました。あの鎖から解放され、数分間一人になる時間を作れば簡単に実行ができますからね。もしかして、私の同胞を虐殺しておいて、私があなたたちに何もしないとでも思われていましたか?それは実に虫のいい話ではありませんかね」
アストリアは一歩ずつメイシアットとの距離を詰めていく。
少女から発するなんともいえない圧迫感に彼は思わず腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。あたかも猛獣の檻に投げ込まれた小動物のように。
「なるほど。貴様は魔女などと生やさしいものではないな。言うなれば獣、いや、魔獣だ……」
それを最期の言葉に、メイシアットの首は天高く跳ね飛んだ。
ーーー
小さな星が無数に散りばめられた夜空の下、ホーリーエルフ族の聖職者メイリス・トロイアス司祭はナイトリアス教会の裏門を出てすぐの森林で一人待っていた。
彼女は三時間前にある女性修道士から秘密の相談があると、この場に来るよう言われていた。
当の本人は教会の中での仕事が長引いているらしく、待ち合わせ時間から一時間ほど経っても姿を現さなかった。
「まったく。僕のことを信頼してくれているのはいいが、最近は扱いが酷くなっているような気がするよ。もっと僕を大事にするべきだ」
春になって日が経っておらず、薄着でいるにはまだ肌寒い。
メイリスは自室から持ってきたブランケットを肩にかけ、かじかむ両手をさすりながら女性修道士が来るのを待っていた。
人通りから離れたこの静かな空間で、メイリスはふとある少女のことを思い出す。
「アストリアは無事でいるだろうか?」
アストリア・ナルトリフ。
数日前にナイトリアスの町で彼女が男に絡まれていたところを仲介したのが初めて出会ったきっかけに、友人のように親しい仲になった。
しかし、彼女はメイリスたちヒーリスト聖教の敵“魔術族”だった。
それをハウリング助祭に見つかり、彼女は捕らえられてしまった。
ハウリングたちに故郷の場所を自白するよう拷問を受けるところをメイリスが止め、彼女に“アストリアの同胞たちを助ける”という秘密の計画を持ちかけた。
しかし、それから数日経った現在、彼女からの返事をもらえていなかった。
(確かに待つとは行ったけど、時間がかかりすぎだ。僕への不信感以上は仕方ないが、早くしないと……)
“宣教活動”という名目で数日間教会を離れていたハウリングが今日戻ってきた。きっと彼は明日からアストリアに対する拷問を始めるだろう。そうなれば、いくらメイリスといってもどうすることもできなくなる。
その前になんとか対策を取らねばならない。
「仕方ない。彼女を急かすみたいだが、今晩でも会いに行ってみるか。しかし、遅いな……ん?」
背筋をぐっと伸ばしていると、メイリスの視界に人影が見えた。修道服を着たその人影はかなり小柄で、服の上からでも分かるぐらいに細身だった。
「お、やっと来てくれたかな?」
メイリスは自分の居場所を伝えるため、右腕を頭の上で大きく振った。
それに気づいたのか、人影はゆっくりとメイリスに向かってくる。
「随分と遅かったじゃないか。何をしていた、んだ……?」
木陰で見づらかったその人影の全貌が明確と見えるようになると、メイリスは声を止めた。
なぜなら、近づいてくる人影がまとっている修道服は一般修道士が着る黒でも、聖職者の着る青でもなく、どす黒い赤色をしていたからだった。
そして、その人物から鼻を突くような不快な臭いが漂い、メイリスは思わず袖で鼻を覆った。
そこで赤い色や臭いの原因の目星をつけた。
(これは、血だ。それも一人や二人分ではない)
メイリスは鼻を覆っていた袖を下ろし、引きつった表情で人影に声をかけた。
「君は一体何者だい?その服を着ているということは教会の者かな?それとも、うちの修道士の身ぐるみをはがして奪い取ったのかな?どちらにしろ、そんな血まみれの修道服を平然と着たまま僕の目の前に現れるとは、君は異常だ」
メイリスの声を聞くと、修道服を着た人物はその場で立ち止まった。
二人の距離、約三メートルほど。未だにその顔がベールの陰に隠れて見えない。
「どうしたんだい?答えてくれないのかい?僕はどうしても君のことを知りたいんだけどな」
その時、血染めの修道服の右袖口からキラリと光るものが見えた。
目を凝らすと、それは刀身だった。袖に隠れて、その長さを把握することができないが、その刀身から赤い液体がポトリポトリと滴れ落ちているのが確認できる。
確実にあれが獲物だ。
「もしかして、それで僕を殺す気かい?なるほど。確かに僕は教会内外に問わずいろんなところに恨みを買っているからね。誰かに殺害を依頼されたというわけか」
「……ふふ。うふふ……」
人影はこの時初めて声を発した。不気味な笑い声は高い女性の声だった。
(やはり女性だったか。しかし、随分と若いな。それにどこかで聞いたような……)
「ねえ。何がおかしいのかな?僕にはこの状況のどこを見渡しても面白さの欠片も見当たらないけど」
「おかしいのではないのです。嬉しいのです」
「嬉しい?何が嬉しいんだい?」
「だって、ようやくあなたと出会えたのですから、メイリスさん」
そういうと、人影は左手でベールを脱ぎ捨てた。
すると、突然金色の長い髪が姿を現し、暗闇の中でその輝きを放った。
そして、ベールに隠されていた幼い顔がメイリスの瞳にしっかりと映し出される。
「アストリア……」
「お久しぶりです。メイリスさん」
目の前の少女は先ほどまでメイリスが心配していたアストリア・ナルトリフその人だった。
彼女はその痩せこけた顔で、優しくニッコリと笑っていた。
「なんで。なんでだ!君は今地下牢にいるはず!こんなところにいるはずがないのに!」
「そのような分かり切ったことを。それはあの地下牢を出たからですよ」
「出てきた?封魔鎖で繋がれた上に厳重な警備で固められたあの地下牢をかい?信じられない……」
「信じるも何も。今起こっていることが真実です。そんなことより、私が逃げ出せたことを喜んでいただけないのですか?」
「ああ。嬉しいよ。君が無事だったことは本当に嬉しい。ただし……」
メイリスはアストリアの修道服を指さす。
「君がなぜそんな血まみれの修道服を着ているのか、その疑問が解けない限りは心の底から君の生還を喜べないよ。まさか道に落ちていたから拾ってきた、なんて愉快なオチではないだろうね」
「?」
アストリアは素っ頓狂な表情で小首を傾げる。まるでメイリスの問いの意味を理解していないかのように。
「おかしなことをお尋ねになりますね。それは教会を出るときに修道士の方々を全て殺したからに決まっているではありませんか」
「な!」
アストリアの答えにメイリスは言葉を失う。
メイリス自身、アストリアが教会を出るときに何かとんでもないことを起こしたのだとは予想していた。それはあくまで幾人かの修道士に重傷を負わせたぐらいに思っていた。
しかし、アストリアは「修道士全てを殺した」とその幼い口で発した。しかも、それを何も悪いことをしていない、当たり前のことをしたまでと言わんばかりの表情でそう言ったのだ。
メイリスはアストリアの脇を通りすぎ、ナイトリアス教会へと向かった。
彼女を問い詰めるより自分の目で直接見た方が早いと判断したからだ。そして、何よりもアストリアが虐殺などと野蛮なことをする少女だと否定したかったからだ。
走り続けて数分後、メイリスは教会の裏門の前に到着した。
外から見れば、自分が教会を出た一時間前とほとんど変わらない。違いがあるとすれば、裏門から出て行く血液の跡が地面に残っているぐらいだ。
メイリスは恐る恐る木造の裏門を開ける。
「……」
すると、彼女の視界には無数の修道士たちが大量の血液を流しながら地面に無造作に倒れていた。
あまりに現実離れした光景に、自分の目を疑った。
一歩一歩教会の中に入っていく。入っていけばいくほど、血の立ちのぼる臭いが濃くなっていく。
メイリスは死体の転がる廊下を歩き、大聖堂に足を踏み入る。
そこは多くの信徒が定期的に集い、主神シリストへ祈りを捧げる、教会の中で最も重要で神聖な場所。
しかし、長椅子に積み重なるように修道士の遺体が乗せられ、大聖堂の白い壁一面を赤い血が染めていた。
「アストリア、君は何で?」
「全ては彼らが悪いのですよ」
絶望に暮れるメイリスの背後から少女の声が聞こえた。
振り返ると、そこにはアストリアが立っていた。
「彼らはですね、私を騙して私の故郷の場所を聞き出し、そして、両親を含む同胞を全員殺したんです」
「君を騙した?同胞を殺した?どういうことかな?」
「そのままですよ。それ以上付け加えることはありません。だから、私はこの教会の人たちを同じ目に遭わせた。十分な動機だと思いませんか?」
そういうと、アストリアはニコッと笑う。
「ここにいる全員が君の同胞の虐殺に加担したとは思えないけど、そんな彼らも殺す意味はあったのかい?」
「ええ。彼らも心の中では魔術族のことを憎んでいる。全滅すべきだと考えていたに違いありません。それはもうハウリング助祭たちと同罪です」
「それで、僕のもとに来たのは最後に僕を殺すためかい?君を、君の家族を、同胞を守ることのできなかった無能な僕を」
すると、アストリアは右手に握っていた短刀を落とした。
「……いいえ。あなたを殺すつもりはありません。もとよりそんなつもりはありません」
「なぜだい?僕もこの子たちと同じヒーリスト聖教信者の一人だ。君たち魔術族を虐殺してきた者たちの仲間だ。そんな僕が憎くないのかい?ハウリング助祭たちと同罪ではないのかい?」
「あなただけは特別です。ハウリング助祭はあなたが私を裏切ったとおっしゃっていましたが、それは嘘です。それぐらいのこと、意識が朦朧としていた私にもわかります。この教会の中で唯一あなただけは私を心配してくれました」
「僕だけが唯一、ね」
メイリスはアストリアから目を反らし、椅子の上に倒れる一人の女性修道士の顔を見つめる。
「君はこの子が誰か知っているかい?」
「いいえ。知りません。初見ですね」
「この子はね、君にクッキーを買ってきてあげてほしいと僕に頼んできた子たちの一人だ」
「……」
「確か、君のことを幼くして死んだ妹と似ている、次の日にはここを出て行ってしまうなんて寂しいなと言っていたね。君がハウリング助祭に捕まり、突如姿を消したときにも心配になって僕に聞いてきたんだよ。本当に君のことが好きだったんだね」
メイリスはその女性修道士の開いていた目を優しく閉じる。
そして、アストリアの顔をキリッと睨んだ。
「君はこの子にも罪があると言うのか!最後の最後まで君の安否をわが身のように心配してくれた彼女も同罪だと言えるのか!」
「……」
アストリアは返事を返さなかった。沈黙したまま、女性修道士の顔を見つめていた。
「この子だけじゃない。他にも君の働きを認めてくれた子、君のことを心配してくれた子はたくさんいた。そんなことは君が一番理解していたはずだ。それに目を反らし、復讐に身を任せた。そうじゃないのか、アストリア!」
その時、アストリアの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「どうすればよかったんですか……私はどうすればよかったんですか!いきなり家族を殺され、故郷を奪われ、そして私自身も殺されようとしていた。それなのに、私は彼らを許さないといけなかったんですか!あのまま殺されればよかったのですか!そんなの、あんまりじゃないですか……」
その場に泣き崩れるアストリア。
「僕は君を過大評価していたみたいだね」
メイリスはアストリアに背を向けた。
「本当なら君を捕らえて審問機関に引き渡したいところだが、一度は親友と認め合った仲だ。今回は見逃してあげるよ」
「メイリスさんは?」
「僕はここに残るに決まっているだろ?」
「そんなことをすればヒーリスト聖教から何をされるか分からないじゃないですか!このようなところなんて捨てて私と一緒に旅へ出ましょう!そう誘うために私はあなたの目の前に現れたんです!」
「勝手なことを言うな!僕にはヒーリスト聖教を出て行くなんてできない。そんなことをするぐらいなら死を選ぶよ。それに教会の同胞を殺した君を許すわけにはいかない!この気持ちは君が一番理解できるだろ」
「しかし……」
「しつこいな!分からないのか?僕が君を殺したくてたまらないのを必死で堪えているのを!」
「……」
「さあ、早く行きなさい。そして二度と僕の目の前に現れるな。万が一、現れるようなことがあれば僕は一切容赦しない。覚えておけ」
アストリアはゆっくりと立ち上がる。そして、メイリスに一言かけようとした。
しかし、かける言葉が見当たらず、結局何も言わずに踵を返して大聖堂を立ち去った。
大聖堂に残されたメイリス。
彼女の前にはヒーリスト聖教の象徴である十字架と三日月と太陽を重ねたマークを描いたステンドガラスがあった。
ちょうど雲の隙間から顔を出した月の光がガラスを通して、大聖堂内を照らす。
すると、メイリスは両手を合わせ、主神シリストに祈りを捧げた。
「我らが主よ。どうか、あなたの忠実なる僕たちの魂に、そして、罪深い我が親友の魂をお救いください」




