92.魔と聖の亀裂、なのに…
教会の地下牢に一人の少女が拘束されている。
彼女の名前はアストリア・ナルトリフ。魔術という不思議な力を行使することに長けている“魔術族”の一人である。
アストリアは突如姿を消した許嫁を探すために故郷の村を出たが、初めて訪れた町“ナイトリアス”にあるヒーリスト聖教の教会にお世話になることになった。
しかし、ヒーリスト聖教は過去の因縁により魔術族を目の敵にしており、アストリアが魔術族であると判明すると、彼女を捕まえ、地下牢へと閉じ込めてしまったのである。
そんな中、アストリアは一人の人物を待っていた。その人物が今アストリアの目の前に立っている。
彼女の名前はメイリス・トロイアス。このナイトリアス教会の管理者を務める司祭である。アストリアが“ナイトリアス”でもめ事に遭った際にそれを仲介し、この教会へ案内したのは彼女である。
メイリスは牢の中に入ると、アストリアと同じ目線の高さになるように腰を落とした。
「お呼びだてしてしまい、申し訳ございません。ご迷惑でしたか?」
「ううん。大丈夫だよ。ちょうど今日の仕事を終わらせたところだからね。君の方こそ体調はどうだい?かなりキツいだろう」
「はい。この体勢のままというのもそうですが、どんどん体中の力が抜けていくようです」
「それもそうだ。君の手足を拘束している鎖は“魔封鎖”といってね、魔の力を持つ者が触れるとその者の力を吸収してしまう代物なのさ。魔術族を拘束するために聖教内で作られたんだ」
「なるほど」
アストリアは何度か魔術を行使しようと指を鳴らしたが、一向に発動しなかった。全てはこの特殊な鎖の効果であった。
それもそのはず。魔術を使う者をただの鎖でただ繋ぐだけにするはずがない。
「ところで、僕を呼んだということは、例の話の返答ということでいいのかい?」
アストリアはメイリスの顔を力強く見つめながら首肯する。
「そうか。では、早速返事を聞かせてもらえるかい?」
「以前メイリスさんが提案された、私の故郷の方々を逃がしてくださる件ですが、乗らせていただこうと思います」
「一応聞くけど、なんで僕の提案に乗ろうと思ったんだい?この前はためらっていたはずなのに」
「確かにあの時はどうしても決心することができませんでした。メイリスさんはハウリング助祭や他の方々と同じヒーリスト聖教の教徒であり、この教会の管理者でもあります。もしかしたら、私を騙しているのかもしれないと思っていました」
「じゃあなんで?」
「思い出したんです」
「何を?」
「私が心の底から信頼しているのは“ナイトリアス教会の司教様”ではなく、メイリスさんその人であるということを」
「あはは。出会って数日も経っていないというのに、ここまで信頼されるとは。うらやましいね」
「え?」
「いいや、何でも無い!じゃあ、早速だけど君の故郷の場所を教えてくれるかな?」
「…………」
アストリアは目線を下げると、沈黙した。
それを不思議に思ったメイリスが小首を傾げる。
「どうしたんだい?さっき君は僕の提案に乗るといってくれたはずだろ?それともまだ僕のことを信じられないというのかい?」
「……あの、もう一度確認してもよろしいですか?」
「確認?」
「メイリスさんは、本当に、本当に私の家族や同胞を守っていただけるのですよね!」
アストリアは全身を前に突き出し、メイリスを見つめる。
それに応えるようにメイリスは両手をアストリアの両肩にポンと置く。
「……ああ。本当さ。なんたって僕はシリスト様に仕える身だよ。そんな僕が嘘をつくわけないじゃないか。だから安心してくれ」
「申し訳ありません。私はまたあなたを疑ってしまいました」
「仕方のないことさ。君の同胞の命に関わることなんだからね」
体を突き出していたアストリアは再び腰を下ろすと、大きく深呼吸する。
「では、お伝えします。この町に南側から入る道がありますよね」
「ああ。あの街道のことだね」
「はい。そこを二キロほど進むと、石でできた大きな道標が立っている分かれ道があります。その真ん中の森をまっすぐ突き進んでいただければ村に到着します」
「森の中?そんなところにあったのか?」
「何もないように見えますが、確かに村は存在します。しかし、村にたどり着くためには結界を一部解除しなければなりません」
「結界を一部解除?」
「先ほどの道標の裏側に小さな六芒星が刻まれています。右手の親指で円の真上から真下に中心を通るようになぞります。そのまま指を外さず、円をなぞるように時計の九時の位置まで移動して、左から右に中心を通るようになぞります。最後は左斜め下に向けて線を引けば解除できます」
「それは僕でもできるのかい?」
「はい。昔は魔力を持っている者だけが解除できるようだったのですが、現在は他の種族との交流が増えたので、誰でも解除できるよう張り直しています。その代わりに解除されれば村の方々にも伝わるようになっています」
「突然、僕のような者が結界を解除すれば警戒されないだろうか?隠れられでもすれば話し合いができない」
「私も一緒について行くことができれば、話は早いのですが…………そうです!『ミユウ・ハイストロ』と伝えてみてください。そうすれば、私が案内したことが伝わると思います」
「『ミユウ・ハイストロ』?何かの呪文のようなものかい?」
「呪文……うふふ。そうですね。私にとってとても大事な呪文です。唱えると、こう、心がときめいてしまいます」
「う~ん。よく分からないが、分かったよ。強力してくれてありがとう」
「いいえ。こちらこそ同胞を守っていただけることに感謝しています」
「いいんだよ。じゃあ、準備ができ次第すぐに向かうことにするよ。村の人全員を逃がすことができたら、また君に報告する」
メイリスはその場で立ち上がると、牢の出口に向かう。
「あの!」
彼女の後ろ姿に向けて、アストリアは声をかけた。
「ん?どうしたんだい?」
「あの……村の方々によろしく伝えてください。それと、お父さんとお母さんには特に……」
頬を染めながら依頼をするアストリア。
そんな彼女にメイリスは優しく微笑む。
「ああ。分かっているよ。『あなたたちのお嬢さんは優しくて素晴らしい女の子だ』と伝えておくことにするさ」
「ありがとう、ございます……」
メイリスはそのまま牢の外へ出て行った。
「これで、いいんですよね……」
そうつぶやくと、アストリアはフッと力が抜けたように眠りについた。
「これでいいんですよね?」
「はい。上出来です。これで奴らを一網打尽にすることができる。西方司教様へ素晴らしい報告ができます」
「…………」
「おや?なにやら浮かない顔ですね」
「あんな小さな女の子を騙して、本当に良かったのでしょうか?」
「なるほど。良心の呵責に苛まれていると。しかし、安心なさい。貴女は間違ったことはしていない。我らが主も心よりお喜びになられるでしょう。これからもより一層精進するように」
「はい。ハウリング助祭」
ーーー
メイリスと話をしてからどれくらい立つだろうか?
時計もなければ、外からの光が入る窓もないこの地下牢の中では時間を正確に把握する術がない。
門番をしている修道士が入れ替わる時の引継ぎの声が僅かながらに聞こえていた。その内容から何度か夜を越えてしまったことは間違いないだろう。
その間にアストリアを訪問するものはいなかった。メイリスからの報告も、ハウリングの尋問も一切なかった。
このなんの変化もない状況にアストリアは言いようのない焦りを感じていた。
「一体、どうなったのでしょう……」
思わず不安を吐露してしまったその時、コツンコツンと廊下を歩く音が牢に響いた。
「おや?確か先ほど門番の方が交代したばかりだというのに……」
靴音が徐々に近づいてくる。
すると、格子の向こうに一人の男性の姿が現れた。
細身で高身長、威圧感を感じさせる無表情の顔、青い修道服を着た男。
「ハウリング、助祭……」
「ご機嫌いかがかな?アストリア・ナルトリフ」
「何日も鎖に繋がれて、その鎖に魔力を吸われ続け、おまけに食事もいただけない。そんな私が元気だとお思いですか?」
「それは失敬。あいにく我らが教会には魔女に提供するほど食料の備蓄がないものですからね。まあ、その減らず口を叩けるようなら心配いりませんかね」
「ところで、こんな衰弱したみすぼらしい私に助祭様が何かご用でしょうか?今から私を拷問する気ですか?」
「いいえ。ここ数日、用事で教会の外に出ていました。貴女への土産を用意しましたので、持参した次第です」
「え?」
ハウリングは門番の修道士に格子を開けさせると、牢の中に入っていく。そして、彼に続いてニ人の修道士が入ってくる。彼らは巨大な円柱型の木箱を両手で持っていた。
修道士たちはアストリアの前にニつの木箱を横一列に並べて置いた。
「こちらがそのお土産ですか?」
「ええ。少し刺激が強いと思いますがね」
ハウリングが合図を出すと、修道士たちが木箱を持ち上げる。
そして、その中身がアストリアの目の前に現れる。
「…………」
アストリアは沈黙した。唖然とした、といった方が正確かもしれない。
目の前にあるものは彼女から言葉を奪ってしまったのである。
その正体が、二人分の頭だったからである。
一つは三十代ほどの金髪の若い男性、もう一つは二十代後半ほどで金色の長い髪を後ろで結った若い女性だった。
それらは死んでいるのが信じられないほどに血色のいい状態だった。まるで首だけになっても生きているかのように。もしくは、精巧に作られた人形のように。一切の腐敗がみられないし、死体が放つ臭いも感じられない。
大体の人間であれば、そのようなものが現れれば目を背け、場合によっては体内の遺留物を吐き出すことだろう。年端もいかない少女ならなおのことである。
しかし、アストリアは一切それらから目を背けることはなかった。
なぜなら、その姿を何度も見たことがあったからである。彼女が決して忘れることがない、自分自身に愛情を注いでくれた二人の男女。
「……お父、さん、お母、さん」
そう口にすると、知らぬうちに涙が頬を伝った。
「貴女の名前を伝えると、この二人が真っ先に飛びついてきたものですからね。もしやとは思っていたが、貴女のご両親で合っていたようですね」
「…………夢です」
「体は全て灰も残さず焼き払ったが、どうしても君に確認してほしくてね。首だけを切り落とし、時間停止の神術を使って亡くなられた直後の状態を維持しています」
「………これは悪夢です」
「実際、この神術は高度な上に負担が大きいので渋ったのですが、形の崩れた顔を見せられても判別がつかないですからね」
「………もしくは人形、いや幻惑の術で」
「それに、いくら悪魔や魔女の類いとはいえ、親の死に顔を見ることができないのは酷な話だ。それぐらいの慈悲は与えましょう」
「あ、あ、うわあああああああああああああああああああああ!」
アストリアは叫びとともに上半身を前に乗り出し、ハウリングや修道士たちに飛びかかろうとする。その表情は猛獣のようであった。
しかし、繋がれた鎖がそれを阻む。手首から血が流れ、白い肌を赤く染めていく。
「殺す!お前を、お前たちを皆殺しにしてやる!」
「とうとう本心を出しましたか。身なりを整えようが、丁寧な言葉遣いをしようが、その内にある邪悪な存在は隠しきることはできないですからね」
「何が邪悪だ!悪魔だ魔女だとこじつけて、罪のない人たちを痛めつけて、殺して、お前たちの方こそ悪魔じゃないですか!ハウリング!」
「親を殺され乱心しているのは分かりますが、我らの神聖なる行為を非難するのはやめていただきたい。それにその怒りを私だけに向けるのはお門違いというものです」
「なに!」
「よく考えてみなさい。なぜ私たちが貴女の故郷にたどり着けたと思いますか?人除けの結界を張っていたあの村にたまたま到着できたとでも?」
「え?」
ハウリングの言葉にアストリアは落ち着きを見せた。
「……どういう、ことですか?」
「貴女の故郷への行き方を私たちに教えた人物がいるということです」
「う、嘘です。そんなこと……」
「お気づきになられたようですね。そう。貴女の故郷への行き方を教えてくださったのはメイリス司祭その人です」
「嘘です!嘘です!あの人が、メイリスさんがそんなことをするわけありません!」
「これは滑稽ですね。あの方以外に考えられないでしょう。それをまだ信じているとは。たかが一日であの方の何を理解したというのですか?」
「それ、は……」
「哀れな貴女にお教えいたしましょう。メイリス・トロイアス司祭の本性を」
「メイリスさんの、本性……」
「あのお方は、天使のような優しさで人の心の奥底まで入り込み、その者が持っている情報を盗み出す。そして、用済みになれば紙くずのように捨て去ることができる女なのです。そうして、司祭という立場にまで上り詰めることができた」
「……」
「ここに姿を見せないのがその証拠だ。貴女はメイリス司祭に使い捨てられた犠牲者の一人というわけです」
アストリアの全身の力が抜けた。
魔封鎖の影響もあるだろうが、何より心の支えとなっていた者を一気に全てが崩れ去ったのが原因だろう。
ハウリングは二つの首を修道士たちに移動させると、アストリアの前に立ち、彼女の目線に合わせるようにしゃがんだ。
「実を言えば、悪魔たちを狩るためとはいえ、今回の方法は私も腹に据えかねています。彼女の行いは我らの名を著しく貶める所業であり、ヒーリスト聖教司祭の品位に欠けます。あの人こそ貴女たち以上の悪魔かもしれません」
「どの口でそのようなことを……」
「まあ聞きなさい。彼女のような者がこの教会の管理者であることは教会内の者のほとんどが思っています。そこで、私はあの女を排除しようと思っています」
「排除?どのように?」
「簡単な話です。その命を絶てばいいだけのこと」
「殺す、のですか?」
「メイリス司祭はヒーリスト聖教の創始者と同じフォーリーエルフ族。その為か本部の上層部は彼女を重宝し、身の丈に合わない司祭の地位を与えた。多少のことでは彼女をその地位から引き下ろすことはないでしょう。だからといって、私たちがどれだけ讒言をしようと聞く耳を持たない。そうなれば、もうその存在自体を消すしか方法はありません」
「そんなことができるのですか?」
「ええ。可能ですよ。貴女が協力していただけるのであれば」
「私がですか?」
「今晩、貴女には女性修道士に扮していただき、我々が彼女の近くまで誘導します。そこで二人きりにしますので、隙を見つけ次第、ナイフで彼女を殺害してください」
「そんなことをして大丈夫なのでしょうか?」
「よくあることなのですよ。悪魔や魔女がヒーリスト聖教教徒を殺害する事件は。本部も多少調べが入るでしょうが、そこまで大事にはならないでしょう。周りに知られれば、聖教全体の面目が潰れますからね」
「それで下手人である私の遺体を本部に引き渡し、一件落着というわけですね。それで私があなたに協力するとでも?少し考えが甘いのではないですか?」
「そうですね。では今回は貴女を見逃しましょう。貴女には成し遂げなければならないことがある。でもなければ、若い貴女を旅に出すことを周囲が許すはずがない。それを志半ばで死んでもいいのですか?死んでいった家族や同胞に顔向けができますか?」
「それをあなたが言いますか!」
「私としてはどちらでもいいと思っています。メイリス司祭の件はまたの機会に解決すればいい。貴女をここで処刑しても、こちらには何の損失もないのです。しかし、貴女は違う。私の計画に協力しなければここで終わってしまう」
「くっ!あなたがその約束を守る根拠は?」
苦虫を噛むような表情でハウリングを睨むアストリア。
そんな彼女に顔を近づけるハウリング。
「そのようなものはない。しかし、ここで囚われたままでは絶対に助かる見込みはない。貴女ももうそろそろお気づきでしょう。助かるためには私に協力するしか道は残っていないのだと」
「うぅ…………」
癪ではあるが、ハウリングの言っていることに間違いはない。
魔術を使うことができれば逃げることは可能だが、魔封鎖で拘束されている限りそれは不可能だ。魔術を封じられた魔術族などただの人間も同様である。
ここで彼の計画に乗らなければ、確実に殺される。
「ふっ。この期に及んでまだ決断できないとは。とんだ腑抜けだ。やはり魔女といえどもまだ子どもというわけですか。よろしい。では、もう少し待ちましょう。あと二時間も経てば日が落ちる。その時にまたここに来ます。そこで貴女の決断をお伺いしましょう。君にとって賢明な判断を待っているよ」
ハウリングは立ち上がると、踵を返して牢の出口に向かう。
「あの、助祭。これはどうしましょうか?」
アストリアの母親の首を持っている修道士がそう訊ねると、ハウリングは二つの首の顔をしばらく見つめる。
「彼女の目の前にでも置いてやりなさい」
「「はっ」」
修道士たちはアストリアに対面するように二つの首を置く。
「今晩それらは焼却します。貴女がどのような決断を下そうが、これが今生での最期の親子水入らずになるでしょう。短い時間だが、存分に味わいなさい」
そう言い残すと、ハウリングは修道士とともに牢を出ていった。
コツンコツンと複数の足音が遠くに消えていく。
ひとり牢に残されたアストリアは目の前の両親の顔を無言で見つめていた。
まるで寝ているかのように安らかで穏やかな表情の二人。
魔術のことになると厳しく一切の妥協を許さなかったが、それ以外のことになると慈悲と愛情に満ちた表情で接してくれた二人。
しかし、もうあの笑顔を見ることは出来ない。優しい声を聞くことはできない。
そして、そんな状況を招いたのは間違いなく自分自身の油断による判断ミスなのである。
二人はその最期をどのような気持ちで迎えたのだろう。
不安?怒り?恐怖?至らぬ自分たちの娘の不甲斐なさ?
それを知る術はない。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…………」
ただアストリアは涙の止まらぬ中、ひたすらに謝罪するしかなかった。




