91.魔と聖の衝突、どうして……
一人の少女が泣いていた。
最近仲良くなった違う村の子どもたちと遊んでいた彼女は、見知らぬ森の中で完全にはぐれてしまった。
聞こえてくるのは鳥と獣の鳴き声。あたりを見渡しても草木が邪魔をする。
歩いている時に木の根っこに足を引っかけ、くじいてしまった。不安に苛まれた少女はその場に尻餅をついたまま泣き続ける。
「お父さーん!お母さーん!助けてー!」
どれだけ呼んでも意味がないとは気づいてはいても呼ばずにはいられない。幼い彼女にはそれ以外の手段を思いつくことはできないのだから。
そんな時、彼女の後ろの藪からガサガサと物音が聞こえた。
「ひぃ!」
驚きのあまり腰を抜かしてしまう。恐ろしくて鳴き声さえも出なくなった。
もし獣だったら、無力な自分は簡単に食べられてしまう。
少女は目を閉じると、近くにあった小枝を拾い、ナイフのように音のした方へ向ける。
「なんだ。こんなところにいたんだ」
「え?」
少女が恐る恐る目を開けると一人の少年が立っていた。
少女は彼のことを知っていた。
この村の子どもと遊んでいるといつも距離をとって少女たちを不機嫌そうに見つめていた。
ひとりぼっちで、寂しそうで、しかし、それを悲観することなく。
そんな彼が今目の前に立っていた。いつもの不機嫌そうな顔をして。
「こんなところでギャーギャー叫びやがってうるさいな。そんな騒いでたら獣たちを呼んじゃうぞ」
「え?あ!」
少女は慌てて口を両手で塞ぐ。
その姿を見て、呆れたように笑った。
「今更。なんかみんな探してるみたいだぞ。あんまり迷惑をかけんなよ」
「ごめん、なさい……」
「…………ん」
少年はその小さな手を少女に差し出す。
彼の行動に少女は首を傾げた。
「言わなくても分かるだろ。手を貸してやるって言ってるんだ。そんなとこで座ってるわけにもいかないだろ」
「……です」
「ん?なんて?聞こえないよ」
「足をくじいて、立てない、です」
「はあ。仕方ないな……」
少年は少女に背を向け、しゃがむ。
「仕方ないから背負ってやるよ」
「……いいの、ですか?」
「いいって言ってるだろ。日が暮れるから早くしろ」
「はい」
か細い声で少女は返事をすると、少年の背中にその身を委ねる。
「落ちないようにしっかりとつかまってろよ」
「はい。ありがとう、ございます……」
不思議だった。
彼は自分と同じぐらいの大きさのはずなのに、なぜか広く感じたのだ。かつて父におんぶされていた時と同じように大きくて、温かくて、安心感のある背中。
少年の背中に耳を当ててみる。ドクンドクンと脈を打つ小さな鼓動が子守歌のように聞こえた。
少女はいずれ婚姻を結ぶその少年の名前をボソッとつぶやいた。
「ミユウ、さん……」
ーーー
「ぐっ!」
アストリアは首を絞めつけられる苦しさと痛みで目を覚ました。
息苦しさの中で片目を開けて確認すると、自分の首を掴む男の右腕が見えた。その主はハウリング助祭だった。
「う゛う゛う…………」
「魔女にしては随分とかわいらしい寝顔ではないですか。もっと獣のような顔を想像していたのですがね」
ハウリングはアストリアが目覚めるのを確認すると、彼女の首から無造作に手を放す。
「はあ、はあ、はあ……」
アストリアは荒い息を整えながら、自分の置かれた状況を確認していく。
大きな松明がこの部屋を照らしている。どうやら牢の中にいるらしい。
彼女は修道服を脱がされ、手首足首には鉄の枷で拘束されており、天井の角から延びる鎖に両腕をY字に開くように引っ張られていた。
そんなアストリアを三人の男たちが眺めている。正面にいる一人は眼鏡をかけた青い修道服姿の男ハウリング助祭、両脇にいるのはアストリアを拘束した黒い修道服の男たちである。
ハウリングはアストリアの首を掴んだ右手を白い布で拭き、男二人は金属製のこん棒をアストリアの首もとで交差させ、頭を強引に上げる。
「な、なぜ私にこんなことを?何か粗相でもしてしまいましたか?」
「なぜか?そんな分かりきったことを。それは貴女が魔女だからです」
「魔女?」
「なんとも白々しい。我らヒーリスト聖教の中で貴女のような悪魔の少女を“魔女”と呼んでいることぐらいご存じでしょう?」
「悪魔?それは魔術族のことでしょうか?」
「……その顔、本当に知らないのですか?我らは幼い頃より貴女たちから受けた忌々しい弾圧の歴史を学ぶと言うのに、その弾圧した側は自分たちの過ちを語り継がないとは。聞いていて腹の立つ事実ですね」
「魔術族があなたたちに弾圧を?」
「はい。数千年も前の話です。新興宗教だったヒーリスト聖教に対し、多くの国家政府は拷問・処刑を行ってきた。それを先導したのは当時政府中枢に潜り込んでいた魔術族だったのです」
「初めて聞きました……」
「それ以降、国家政府から布教を公認され、勢力を伸ばした私たちは魔術族を捕らえては拷問と処刑を行っているということです。このようにね」
ハウリングが左腕を挙げる。
すると、アストリアの左側に立っていた修道士がこん棒を高く振りかぶり、彼女の背中にめがけて叩きつけた。
「ぐはっ!」
アストリアは口から血を吐いて前に倒れる。そして、男たちは再びこん棒で彼女の頭を強引にあげた。
「我々は“魔女狩り”と呼んでいますがね」
「ただの復讐では、ないですか。仮にも、神に仕えるあなた方が、そんなことをしても、いいのですか?」
「復讐であることは否定いたしません。しかし、魔女狩りは歴とした聖なる神事の一つです。邪悪な一族を根絶やしにすることでこの世を清める救済なのです」
「何が、救済ですか。ただの、自己満足ではないですか」
「穢れた血を引いた魔女に我らの崇高なる世界を理解することなど到底無理なこと。ここで問答するつもりはありません。それよりも……」
ハウリングはアストリアの目の前でしゃがみ、彼女と顔を近づける。
「貴女に教えていただきたいことがあります」
「なん、でしょうか?」
「貴方の故郷、悪魔たちが集まる村の在処です」
「それを知ってどうされるおつもりですか?」
「わかり切っていることを質問するものではありません」
「……“魔女狩り”ですか?」
「ご名答」
「そうと知って私が教えるとでも、同胞たちを売るとでも思っているのですか!」
「教えないでしょうね。今までも貴女のような魔女や悪魔を何人も見てきましたからわかります。ではここで問題。教えたくない、言いたくないと頑なな者の意思を粉砕もとい矯正したいと思った場合、人はどのような行動をとりますか?」
ハウリングが再び左腕を挙げる。
それを合図に修道士の一人がこん棒を高く振りかぶり、アストリアの背中を強く殴打した。
「ぎゃあっ!」
こん棒はアストリアの脊髄に命中し、彼女の全身に激痛と共に痺れが走る。
「いかがですか?そのか細い体でいつまで耐えられますか?」
「絶対に、言いません……」
「無理はしない方がいい。どうせ近いうちに死にゆく運命なのです。無駄に痛い目を見る必要はありません」
「私の意思は、変わらない」
「わからない人ですね。通常であれば、この世に生まれたことを懺悔するほどに痛めつけた後に処刑するところを、今回は特別に今白状すればすぐに楽な方法で死なせて差し上げるといっているのですよ。これ以上にない慈悲だとは思いませんか?」
「馬鹿を、おっしゃらないでください。そのような取引で、白状すると、思っていらっしゃるのであれば、大きな間違いです」
「……まったく。自らの状況を正確に把握できていないようだ」
ハウリングは立ち上がると、アストリアから距離をとる。
「仕方がありません。この哀れな魔女を殴打し続けなさい。くれぐれも殺さないように。それと頭を狙わないでください。記憶が消えてしまえば元も子もありませんからね。首より下を狙うのです」
「「はっ!」」
二人の修道士はこん棒を高くあげる。そして、アストリアに向けて振り落とされようとした。
その時だった。
「待ちなさい!」
牢の中に女性の声が鳴り響く。牢内にいた全員が声の主に目線を向ける。
すると、格子の外にハウリングと同じように青い修道服を身に着けた少女が立っていた。
「お越しになりましたか、メイリス司祭」
「ハウリング助祭。その子の拷問は待っていただけますか?」
「なぜです?」
「今から僕が彼女を説得するからです」
「説得、ですか?」
メイリスの言葉にハウリングは鼻で笑う。
「説得など時間の無駄です。こういった輩は多少手荒なことをしなければ白状しない。そのことは貴女もご存じのはずだ。それをどうして」
「彼女は、アストリアはちゃんと話をすればわかってもらえる相手です。僕はそう信じています」
「なんと面妖な。自らの素性を隠し、近寄ってきた相手を貴女は信じると?私には到底理解に苦しむお考えです」
「信じるのは彼女ではなく僕自身です。僕は今日一日彼女と一緒にいて、その純粋さや無垢さを見ました。僕は自分自身の目で見たものを信じるのです」
「貴女がその目で見たものは彼女の偽りの姿。それを見抜けなかった結果がこれだ。神聖なる教会に穢れた者を招き入れた。この教会の管理者たる貴女がですよ!これ以上、貴女の偽善に我らを巻き込まないでいただき……」
ハウリングの叱咤する声が止まる。
なぜなら、メイリスがハウリングに対して深々と頭を下げていたからだった。
「メイリス、さん……」
「身勝手だということは十分にわかっています。しかし、どうか、僕に彼女と話す機会をいただけませんでしょうか?でなければ、僕は今後シリスト様にどう向き合えばいいのか分からなくなってしまいます」
その姿を見た修道士たちは戸惑いを見せる。
ヒーリスト聖教において、自分より下の立場の者に頭を下げることは決してないことであったからである。
「どのようにいたしますか?ハウリング助祭」
「司祭にあそこまでされては無下に断ることはできないかと」
「わ、わかっています!」
ハウリングは頭を下げているメイリスの姿を黙って見つめる。
「…………わかりました。彼女とお話しください」
「ありがとうございます」
「貴女の無理を聞くのは今回が最後です。それを忘れないように」
「はい。肝に銘じます」
門番をしていた修道士が格子の扉を開けると、牢の中にいたハウリングと修道士二人が外に出て、代わるようにメイリスが中に入る。
「我らは先に部屋に戻っております。お話の内容は明日の朝に司祭室で伺いましょう」
「わかりました」
「では失礼いたします」
ハウリングは修道士二人を連れて、その場を立ち去る。
廊下の遠くから重い鉄扉を閉める音を確認すると、メイリスはアストリアの前に歩み寄り、地べたに座った。
「メイリスさん。私のために申し訳ございません」
「あれは僕が僕のためにやったこと。君が気にすることはない。それよりも驚いたよ。君が魔女、いや魔術族だったなんてね。生まれて初めて腰を抜かしてしまった」
「申し訳ございません。しかし、私は騙すつもりはなかったんですし、メイリスさんたちが魔術族を目の敵にしていたことも知らなかったんです」
「そうだろうね。もし知っていたら、わざわざ敵の拠点に乗り込んでくるはずはないだろうからね。君が僕たちの情報を調べるために派遣されたスパイじゃなければの話だけど」
「ス、スパイなんかじゃありません!」
「本当かな~?何か隠しているんじゃないかな~。コチョコチョコチョコチョ~」
メイリスはがら空きになっているアストリアの脇の下をくすぐる。
「ひゃははははははは!いひひひ、や、やめて、ほんと、ち、ちがはははははははははは!」
「僕の腰を抜かせた罰さ」
メイリスがくすぐりをやめる。
「はあ、はあ。や、やめてください。先ほど背中を二回叩かれたばかりで、痛みが残っているのですから」
「それは申し訳ない。けど、どうしても君に仕返しをしたかったから、つい手が出ちゃったんだよ」
「か、勘弁してください……」
アストリアは驚いていた。
魔術族を敵と見ているはずのメイリスが、昼間と同じように優しい表情で接してくれていた。
「メイリスさんは……私のことが、魔術族が憎くないのですか?」
「うん?そうだね。魔術族は憎いと思っているよ。僕もヒーリスト聖教の聖職者だし、ホーリーエルフ族だからね」
「フォーリーエルフ族?」
「うん。ヒーリスト聖教の教徒の半数がフォーリーエルフ族でね、教徒じゃない同胞もだいぶ魔術族に殺されちゃったからね。そりゃ恨みは持っているよ」
「そうでしたか……」
「でも、それはあくまで昔の話だ。君が魔術族だからって君を恨むのは見当違いだってことは分かっているよ」
「しかし、魔術族を殲滅しなければならないという教えなのでは?」
「確かに経典の中には魔術族は他の神様の血を引いているから悪だという教えはあるよ。けど、積極的に殲滅せよだなんて書かれていない。あれは魔術族に弾圧された復讐をしたいという過激派たちがこじつけたものなんだよ。千年前にその過激派が主流派になってしまったから、“魔女狩り”だなんてものができてしまっただけさ」
メイリスは右手を差し出し、アストリアの頭を撫でる。
「こんなことに巻き込んでしまい、本当に申し訳ないと思っている」
「いいえ。何も知らなかった私が悪かったのです。知っていれば、教会の中に入ることはなかった。全ては私の勉強不足のせいです」
「君は本当に純粋な子だね。本当だったら僕は恨まれても仕方がないのに」
「メイリスさん。私はこれからどうなってしまうのですか?」
アストリアが不安そうに問いかけると、メイリスは彼女の頭から手を離す。
「すまない。外の警備が堅固になっていてね。君を逃がすことは難しい、というか不可能だ」
「それは困ります!私はどうしても見つけなければならない人がいるのです!ここで死ぬわけにはいきません!」
「僕も君の命をこんなことで奪う気はないよ。そこでね、僕に考えがあるんだ」
「考え?」
「うん。アストリア、君の故郷の村の在処を教えてくれないかな?」
「……」
アストリアは沈黙し、メイリスを疑いの目で見る。
「やはりメイリスさんもハウリング助祭と同じことをおっしゃるんですね。村の人々の命を差し出したら私の命を助けて下さる、ということですよね」
「いいや違う。むしろ両方の命を救いたいと思っている」
「どういうことですか?」
「僕がハウリング助祭より先に君の故郷の村に行って、違う場所に移住してもらう。その後に彼らへもぬけの殻となった村の場所を伝える。そうすれば、君たちの同胞は助かるというわけさ」
「私はどうすれば?」
「ハウリング助祭が君の故郷に向かうときに、案内役として君を連れて行くだろう。その時に僕が隙を作るから逃げてくれ」
「確かにここで拘束されているより逃げられる可能性は高くなります。しかし、そんなことをしてはメイリスさんの立場が危うくなるのではないですか?」
「大丈夫。そこはバレないようにうまくやるさ。それに君を見殺しにするぐらいなら少し居心地が悪くなる方がまだマシだからね。どうだい?乗ってみる気はないか?」
「…………」
アストリアは沈黙する。
この作戦なら逃げられるはずだ。悪いものではない。
それでもすぐに返事をすることはできなかった。それはメイリスを信じ切ることができなかったからだ。
確かに今日一日接した中で、彼女は信用できる人だと確信していた。
しかし、メイリスもヒーリスト聖教の教徒の一人である、その上、多くの教徒を指導する側にある。そんな彼女が本当に魔術族である自分を助けてくれるのだろうか。
もしかしたら、ハウリング助祭と結託して自分を騙し、村の情報を聞き出そうとしているのかもしれない。
もしそうであるならば、迂闊に教えてしまえば村の人々が虐殺されてしまう。それだけは決してさせてはならない。
何もしゃべらず、ただメイリスを見つめるアストリア。そんな彼女の表情からメイリスは何かを察した。
「そうだよね。彼らと仲間である僕の言うことをすぐに信じろと言われても無理な話だ……分かった。もう少し君の返事を待つことにするよ」
「よいのですか?」
「うん。君にも考える時間は必要だからね」
「しかし……」
「安心なさい。決断するまで君への拷問は待ってもらうことにするよ。まあ、彼らの気は相当立っているだろうから、抑えられても二、三日ぐらいだろうけど」
「それだけいただければ十分です。ありがとうございます」
「その間に僕なりに他の方法を考えてみるよ。もし決心がついたら、常に格子の外に門番が立っているから、声をかけて僕を呼んでもらうといい。当番の者には話をつけておくからさ」
「重ね重ねご迷惑をおかけします」
「いいんだ。謝らないといけないのはこっちだよ。この教会の管理者という立場にありながら君を今すぐここから出すことができないんだ。無力な自分が時々嫌になるよ」
「……」
アストリアは再び黙り込む。
本当は「あなたは無力なんかじゃない。あなたは私を助けてくださったのだから」と返したいところだった。
しかし、まだ十分にメイリスを信じ切ることができていない自分がそれを言うのは何かが違うと感じたからだ。
そんなアストリアの心境を知ってか知らずか、メイリスは「うん」と軽く頷く。
「そんなに長くは待てないけど、君の決断が出るまで僕は待ってるよ」
そう言い残すと、メイリスは立ち上がり、格子の外に出て行った。
「私は一体どうすれば……」
暗い牢の中に一人残されたアストリアはボソッと囁いた。




