89.魔と聖の出会い、そして…
これは現在から八年前の話である。
公国の都市のひとつ“ナイトリアス”に大きなカバンを背負った一人の少女が到着した。
紺色の服をまとい、金色の長い髪にルビーのように赤く輝く瞳のその少女はこの時十歳。身長は一四〇センチほどである。
見た目は少し大人びた少女のように見えるが、ただの人間ではない。彼女は魔術という不思議な力を使いこなすことができる“魔術族”である。
そんな彼女が両親や村長の許可を得て村を出たのは観光のためではない。その目的はある少年を探すためである。
その少年は少女の許嫁であった。別の村に住んでいる少年とは数度しか会ったことのなかったが、少女は心の底から少年を慕っており、いずれ彼と結ばれることを待ち望んでいた。
しかし、二年前に少年は突如として姿を消えてしまった。どうやら彼は村を飛び出していったそうだ。
その情報が彼の村から届いた少女はすぐにでも少年を探そうとしたが、まだ旅に出るには幼すぎるということで村中の人に止められてしまった。
それでもあきらめきれなかった少女は、すべての魔術を修得することができれば村を出ることを許可してもらうことにした。少女は通常は最低でも六年はかかるところを、生まれ持っての才能と少年に対する執念によって二年間で全ての魔術を修得することができた。
そして、一日前に少女“アストリア・ナルトリフ”は村を出発したのである。
人口百人ほどで、基本村や周囲の森で必要なものを賄っていた村とは何もかも違い、見るものすべてが新鮮であった。
通りには多くの人々が往来しており、通り沿いに並ぶ店舗には今まで見たことのない食べ物や雑貨が並んでいた。
「旅に出ていた方から聞いていましたが、やはり自分の目で見ると全く違いますね。目移りしてしまいま、きゃ!」
あまりの物珍しさに目を奪われ、大通りを走る馬車に何度か轢かれそうになった。田舎者感が丸出しである。その姿を歩いている人々から笑いながら見られ、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「さ、さて、宿を探しましょうか……」
アストリアは恥ずかしさを隠すように小走りでその場を去り、人通りのない建物と建物の中に入った。
「ふう。驚きました。今後は気をつけないと」
アストリアは周りに人目がないか確認すると、自分の胸の前で右手を広げる。そして、左手で鳴らすと右手の上に黒い穴が出現し、その中から袋がジャリンと落とした。
亜空間を作り出し、ものを収納する中級魔術である。この魔術を使いこなすためには一ヶ月ほどかかると言われているが、アストリアは旅に出るには必須ということでたった一週間で習得した。
袋の口を広げると、金貨と銀貨、銅貨が袋いっぱいに入っていた。
村を出る際に旅の資金として三十万リールだ。一か月は生活をすることができるほどの金額だ。
少女は袋の中から三枚の銀貨を取り出して、目の前にかざす。
「不思議です。これを渡すだけでいろんなものを手に入れることができるのですからね」
彼女は今回生まれて初めて金銭を使う。その小さな金属の価値を理屈では理解できても、正直実感が湧かない。
しかし、外とあまり関わりをもたない村の人々が彼女のために一か月かけて集めてくれた資金である。そのため、それらがとても大事なものなのだということは十分にわかる。
袋を両手で握りしめると、なんとなく両親や村の人たちの顔が脳内に浮かび上がり、自然とニコッと微笑んでしまう。
「うふふ。大事に使わないといけません」
左手で指を鳴らし、胸の前に黒い穴を作ると三枚の銀貨を残して袋を落とした。
「さて、もうそろそろ宿を探しましょう」
アストリアは銀貨を右手で強く握りしめ、大通りに飛び出した。
ドンっ!
飛び出したアストリアは何かとぶつかり、後ろに突き飛ばされた。
「いてて……」
石造りの道に強く叩きつけられたお尻を両手でさする。
(先ほど注意しないと学んだのに私としたことが。浮かれ過ぎです……)
「おいっ!」
「はい?」
声をかけられた方に目線を向けると、そこには一人の男が立っていた。
男は二十代で、一七〇センチほど。アストリアからすれば遥かに大きい。
男は腕組みをしながら、地面に倒れている彼女を睨みつけていた。
「てめぇ。いきなり出て、俺にぶつかってくるとはどういうことだ?」
「はっ!」
アストリアは急いで立ち上がると男に頭を下げた。
「申し訳ございません!以後注意しますので、どうかお許しください」
「以後注意するって、そんなの俺には関係ねぇんだよ。誠意を見せろ」
「本当に申し訳ございません!」
「言葉なんざいらん。もっとわかりやすい形にしてもらわねぇとな、お嬢ちゃん」
「わかりやすい形と言いますと?」
アストリアが頭を上げると、男はニヤつきながら右手で顎を触る。
「そうさな。一番わかりやすいのは金だ。三十万で手を打ってやろう」
「三十万……」
アストリアの頭に村人からもらった資金が浮かんだ。
確かに今回は彼女の不注意が原因だ。
所持金三十万リール全てを支払えば、この場は丸く収まるだろう。
しかし、渡してしまえば旅を続けることはできない。そうなれば少年を探すことができない。それに見送ってくれた村の人々に顔向けができなくなる。
「……お支払いすることは、できません」
「今持ってないんだったら、親にでも頼めばいいだろう」
「私は一人で旅をしていますから、近くに両親もいませんし、すぐにお金を用意していただける方もいません」
「旅?」
男はアストリアの姿を見る。
彼女は背中に大きなカバンを背負っている。町の住民であれば、持ち歩くことのないものである。
「嘘じゃなさそうだな。仕方ねぇ。金はいい」
「あ、ありがとうございます!」
「その代わり……」
男はアストリアの手首を力強く握る。
「てめぇの身体で許してやる」
「え?」
「嬢ちゃんは俺の好みの顔してるからな。まだガキだが、楽しめそうだ」
「何を、おっしゃっているのですか?」
「いや。お前を奴隷商のところに売るのもいいかもしれねぇな。結構な上物だし、安くても四百万リールぐらいにはなるだろう。それで好みの女を買った方が得かもしれねぇ」
「た、助けてください!」
アストリアは大声で助けを求めた。
しかし、誰も助けてくれる気配がない。不要な干渉をして、巻き込まれることを恐れているのだろう。
(そんな……)
村の人々とは違う、町の人々の他人への冷たさにアストリアは絶望する。
「わめくんじゃねぇ!黙ってついてきやがれ!」
「やめてください!」
男が腕を思いっきり引っ張ると、アストリアは思いっきり右手で男の頬を平手打ちした。
突然のことに驚いた男はアストリアの手首を放した。
「いきなり何しやがる!」
「それはこちらのセリフです!確かにぶつかったのはこちらが悪いですが、ここまでされる謂れはありません!」
「生意気言いやがって。売りもんを傷つけたくなかったが仕方ねぇ。抵抗できねぇよう動けなくしてから、奴隷商のところに連れて行ってやる!」
「出来るものならやってみてください!」
人前で魔術を使わないよう戒められていたので、なるべく使いたくはなかった。
しかし、このままでは自分の身が危ない。
(大丈夫。あの人の体に少し電流を流してビリッとさせるだけです。周りの方々には気づかれない位の微量ですから、心配ないでしょう)
アストリアは後ろに下がり、男と距離を空ける。そして、右手で指を鳴らす準備をした。
「調子に乗るな!」
男は右腕を思いっきり振りかぶり、アストリアに向けて拳を放った。
その時だった。
「何をしているんだ!」
通りを行きかう人波の中から、男を止める少女の声が鳴り響いた。
「あん?なんだぁ?」
アストリアと男が声の発信源に目線を向けると、そこに少女が仁王立ちしていた。
エメラルド色の瞳の彼女は十八歳ぐらいで、青い修道服とベールを身に着けている。
同じ修道服装の二十代ほどの女性二人が彼女の後ろに立っていた。
「君、そんな小さな女の子に手を出すとはどういう了見だ!男として恥ずかしくないのかい!」
「何言ってんだ?てめえも十分ガキじゃねぇか」
「あなた、なんと無礼な!」
左後ろに控えていた女性の一人が顔を赤くしながら身を乗り出して抗議しようとすると、少女は左腕を真横に広げて彼女を制止する。
「ほう。この僕がガキだと?どうやら君はよほどの世間知らずなんだね」
「はぁ?世間知らずはおめぇの方だ。その格好だと何処ぞの修道女みたいだが、関係ねぇ。ガキが大人の事情に介入してくるな!」
「それが僕にはその大人の事情に介入できる権利があるんだよ」
少女は首から提げたペンダントを男に見せつけるように胸の前に掲げた。
ペンダントは銀で作られており、十字架と太陽と三日月が重なった独特のデザインをしている。
「そ、それは!」
ペンダントを目にした男はさっきまでの強気な態度から一変、何かに恐れるように冷や汗をかき始めた。
「ふっふっふ。やっと気づいたようだね。そう我は……」
「こちらのお方はヒーリスト聖教ナイトリアス教会の長“メイリス・トロイアス”司祭にあらせられます!」
右後ろに立っていた女性が少女の前に出て、高らかに彼女の紹介をする。
そして、黙々と再び少女の右後ろに下がった。
「それ、僕が言いたかったんだけど…………まあ、いいや。そう僕はヒーリスト聖教の司祭だ。君も知っているだろうが、公国から布教を公認されている聖職者は一般市民の訴訟を仲介する権限を与えられている。だから、君たちのもめ事に僕が関わる権利があるという訳さ。ありがたく思いたまえ。司祭自ら君たちの仲介をしてあげるのだからね」
「うう……。ダイナ・ハウスト。よろしくお願いいたします」
「え?あ、アストリア・ナルトリフ。よろしくお願いいたします!」
さっきまでの威勢はどこへやら、男はおとなしくメイリスへ頭を下げた。
その姿を見て、アストリアも警戒態勢を解いてメイリスに頭を下げる。
「うん。よろしい。ところで、君たちは何を揉めていたのかな、ダイナ君?」
「俺が道を歩いていたら、いきなりこいつが飛び出して、俺にぶつかってきたんです」
「ほうほう。それはこの子が悪いね」
「そうでしょう?ですから、俺はこいつに慰謝料を払うよう求めました」
「なるほど。金銭で解決しようとしたんだね。方法としては妥当じゃないか」
「そしたら、こいつが金は払えないと駄々をこね始めたから……」
「つい手を上げてしまったんだね。でも、いくら何でも女の子を殴るのは良くないな」
「申し訳ございません」
男から一通りの事情を聞いたメイリスは、次にアストリアに訊ねる。
「彼はこう言っているが、君は何か間違っていることはあるかい、アストリア君?」
「間違えはありません。あの方にぶつかったことも、金銭の支払いを拒否したことも事実です」
「ふむ。自分の非を全て認めるということかな?」
「確かに私にも非があることは認めます。しかし、いきなり三十万リールを要求されても支払うことは不可能です!それに奴隷として売られるようなことをした覚えはありません!」
「三十万リール……奴隷……」
メイリスはアストリアの言葉を復唱しながら、男に目線を向ける。
「そういうことなら話は別だ。ぶつかって回復するのに一ヶ月はかかる大けがをしたならまだしも、君はどう見ても怪我一つしていない。それで三十万リールは高すぎるよ。高くても千リールぐらいがいいとこだよね」
「うう……」
「それに奴隷として売るのも良くない。ぶつかったことに対する適切な罰とは言いがたいな」
「……」
男は沈黙した。自分がやったことが不当だということを十分に理解しているため、弁明の言葉が見当たらなかったからだ。
「うん。大体の言い分は出揃ったようだね。それに二人の間で何が起こったのか十分に理解した」
メイリスはゴホンと咳払いをすると、銀のペンダントを両手でつかみ、両者の前に掲げた。
「では、我らが主シリスト様の名代として、主の忠実なる僕メイリス・トロイアスが判決を下す。アストリア・ナルトリフは本日より一日間ナイトリアス教会への奉仕を命ずる」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何かな?ダイナ君?」
「何ですか、それは!それじゃ罰というよりまるで……」
「君は僕の裁定に不満があるというのかい?この偉大なるシリアス様の名代としての僕の判決に」
「そ、それは……」
「僕の判決に異議を唱えるということが、シリアス様や訴訟仲介権を与えた公国への侮辱に等しい行為だと分かっていての言葉かな?その場合、本件とは別に君へ罰を与えることになるが」
「……くっ!分かりました。謹んでお受けいたします」
「うんうん。いい心がけだ。アストリア君はどうかな?」
「は、はい!謹んでお受けいたします!」
「よし。これで本件は無事解決だ!はっはっは!」
「「お見事でございます」」
メイリスが腰に手を当て爽快に笑うと、二人の女性が賞賛の言葉を彼女に捧げる。
それと同時に、いつの間にか集まっていた野次馬から拍手が送られた。
「さて、アストリア君。さっきも言ったとおり、君には僕たちの教会に来てもらうことになった。ご同行願えるかな?」
「はい!よろしくお願いいたします!」
「いい返事だね。じゃあ、僕たちについてきて。よそ見をして、迷子になったり、人にぶつからないように気をつけるんだよ」
「はい!」
アストリアは、メイリスと同行していた二人に対して深く頭を下げると、彼女たちの後ろをついて行った。
メイリスたちについて歩き始めてから十分後、アストリアは大通りから少し離れたところにあるナイトリアス教会に到着した。
巨大な門の奥に建てられたその建物は大規模な儀式などを行うための礼拝堂で、白を基調としたレンガ造り。その荘厳さと静寂さが合わさった不思議な空間を演出していた。まるでこの教会の敷地内が神々の棲む聖地のように思わせる。
そして、門や礼拝堂には巨大な紋章が描かれている。それはメイリスが所持していたペンダントの形と全く同じものだった。
「はあ……」
アストリアは目を奪われる。
町の建物もそうだったが、このような白く輝く巨大な建造物は出身の村にはないものだった。
「どうだい?なかなかのものだろう」
呆然とするアストリアの隣にメイリスが立ち、アストリアは驚きのあまり彼女から距離を空けた。
「申し訳ございません!つい見とれてしまいまして……」
「気にすることはない。僕だって、はじめてこの礼拝堂を目にしたときは今の君のような反応をしたものさ。白状すると、未だに目がチカチカしてしまうよ」
「そんなことでこの教会の管理者が務まりますか?メイリス司祭」
二人は背後から男性に声をかけられた。
振り向くと、そこにはメイリスと同じように青色の修道服を着た男が現れた。
身長が一八〇センチ以上ある細身で眼鏡をかけた男は両手を後ろで組んで、二人に近づいてきた。
「司祭である貴女がそのような頼りないことをおっしゃられると、我ら教会の者だけでなく、ヒーリスト聖教教徒全てが侮られるのです。よりご自身の立場というものを考えていただかねばなりません」
「あはは。帰ってきたばかりで疲れている相手に説教をするものではありませんよ、ハイリング助祭」
「司祭様に説教など畏れ多い。私はただ司祭のなんたるかを鞭撻しているのです。全てはメイリス司祭、貴女のためを思ってのことです」
「助祭様は僕より司祭のことをよくご存じのようですね。恐れ入ります。しかし、そういうのを東方では“釈迦に説法する”というのだそうですよ。僕たち風に言えば“シリスト様に説教する”ってところですかね。とにかく分かりきっていることを毎日のように言われるのは心労が重なるばかりです」
「ご自覚があるのでしたら行動にしていただけませんか。そうすれば、私もこのような心苦しいことを口にしなくて済むのです。少しは我ら下の者の諫言を聞き届けていただきたいものです」
「はいはい。わかりましたよ。わかりましたから、今日はこの辺で許していただけませんか?お客様に僕らの醜態を晒すつもりですか?」
「お客様?」
ハウリングはこの時初めてアストリアに目線を向けた。
「この方は?」
「さっき町で男に絡まれていたので、僕が仲裁して助けてあげたんです。明日のこの時間まで教会内の奉仕をしていただくことになっています」
「アストリア・ナルトリフです。よろしくお願いいたします」
アストリアはハウリングに深々と頭を下げる。
ハウリングはアストリアの全身を見渡すと、フンっと鼻を鳴らして再びメイリスに目線を向けた。
「はあ、またですか?以前もこのような小汚い少年がセイトルーズ商会の商人と揉めていたのを仲介して、彼をこの教会に匿ったではないですか」
「ハウリング助祭。そのお言葉は許容できません。僕の客に失礼ではありませんか?今すぐ撤回と彼女への謝罪を求めます」
「……」
苦虫を嚙むような表情でハウリングはアストリアに頭を軽く下げる。
「先ほどの言葉を撤回する。申し訳ない」
「頭をお上げください。私は気にしていませ……」
ハウリングはすぐに頭を上げ、再びメイリスに目線を向ける。
「しかし、このようなことは今回を最後に控えていただきたい。神の教えを広めることが我らの務めであり、厄介ごとを仲裁することが目的ではありません。そのようなことは裁判所に委ねればよろしいのです。それに貴女から不公平な裁定を下されたと苦情が来ていることは貴女自身ご存じでしょう」
「確かにそのような声も耳にしています。しかし、僕は間違ったことをしたとは思っていません。ただ法令に則り裁定を下すことが救いなのではありません。慈悲をもって、臨機応変に対応をしなければ弱い民を救うことはできません。それができると判断したから、公国は僕ら聖職者に訴訟仲介権を与えたのだと理解しています」
「貴女の深慮深い御心が伺える理論ですね。しかし、我ら聖職者もどこまでいっても人間です。人間である以上、限度というものがあります。全ての民を救えるなどと自惚れたお考えはいずれ全ての民から顰蹙を買うもとになりかねません。それともご自身が万能の神になられたとでもお思いなのですか?」
「そこまで自惚れてはおりません。僕はあくまで神に仕える人のひとりとして自分の出来うる範囲内の人々を救うことができれば、それで構いません。しかし、“聖職者はどこまでいっても人間”ですか。その点はよく理解できます」
「どういうことでしょうか?」
「僕の聞いた話では、仲介する際には常によりお金を持っている方に有利な裁定を下し、後でその者から“仲介料”と称して賄賂を受け取っている不届きな聖職者がいるそうです。聖職者も人間。己の欲望には勝てないということなのですかね?まあ、あくまで噂なのですが」
「ほう。それは聞き捨てならない噂だ。神に仕える聖職者にあるまじき行為、我らの名を汚す許されざる行為です。もし、そのような者を見つけましたら、必ずや我らが手で聖なる鉄槌を下しましょう」
「(ふんっ。なに他人事のように言っているんだ。白々しい。僕が何も知らないとでも思っているのかい?)」
「何かおっしゃいましたか?」
「いいえ。資金集めに熱心な者がいる教会は安泰だなと思っただけです。それよりもこのようなところで議論を交わしていても仕方ありません。僕はお客様を案内しないといけませんから、ここで失礼します」
「お忙しい中、引き留めてしまい申し訳ございませんでした。ではまた後ほど」
ハウリングはメイリスに恭しく頭を下げると、その場から立ち去っていった。
メイリスはその後ろ姿を見送ると、大きなため息をついた。
「すまないね。見苦しいものを見せてしまった。気分を害しただろう?」
「そ、そんなことは……」
「彼は誰よりも教会のことを想っているし、聖職者としても優秀なのは僕も買っているだがね。どうも苦手だ。話をしていると、どっと疲れが溜まる」
「大変なのですね」
「ここにいて一番気を遣うのは人間関係さ。まだ執務室で書類と向き合っている方が気が楽だよ。もしかしたら僕には司祭の立場はふさわしくないのかな?」
「そんなことはないです!先ほど私を助けて下さったときのメイリス司祭の姿はとてもかっこよかったです!よくわかりませんが、メイリス司教は司教としてふさわしい方だと私は思います!」
「ありがとう。でも“かっこいい”か。嬉しいけど、一応僕も女だからね。できれば“かわいい”とか“きれい”の方がよかったかな」
「あ、すみません!メイリス司教はかわいくて、おきれいです!」
「あはは。冗談だよ。君のような純粋な女の子を見ているとついからかいたくなったんだ。ごめんね。さて、詳しい話は応接室で詳しく説明するから早く中に入ろう」
「はい!」
アストリアはメイリスに案内されて、応接室に入った。
この室内の壁は白く塗られており、ほとんど装飾や置物がないシンプルな作りであった。その空間の真ん中に机と、それを挟むように二台のソファーが置かれていた。
二人は向かい合うようにソファに座る。
アストリアが腰を下ろすと、彼女のお尻をクッションが包む。
今まで木造の固い椅子にしか座ったことのなかった彼女にとって初めての体験で、思わず感動の声を漏らしてしまった。
そんな彼女の姿を見て、メイリスはニコッと微笑んだ。
「もしかしてソファに座るのは初めてかい?」
「はい。私が住んでいた村にはこのようなものはなかったですから。不思議な感触ですが、とても気持ちがいいです!」
「そうか。それはよかった。僕も君がみせる感情豊かな表情を見ていると、新鮮な気持ちになるよ。なにせ教会や町の人々はどこか心が冷え切っていて、君のような顔を見せることは滅多にないからね」
「そうなのですか?」
「外から来た君の方がよくわかるんじゃないかな?」
「それは……」
アストリアの脳内にある風景が流れる。
馬車に轢かれそうなっている彼女をあざ笑うような人々の視線。男に連れ去らわれようとする彼女を助けようとしない人々。そして、小汚いと軽蔑するハウリングの表情。いま思い出すだけでも胸に氷の棘が突き刺さるような痛みを感じる。
全員が助け合う家族のような人々が住む村では、このようなものを見たことがなかった。
彼女の表情が暗くなっていく。
「つらいことを思い出させてすまない。けど、これから旅をするのであれば覚えていてほしいんだ。ほとんどの人は他人に興味を持つことができないほど心が冷え切っているし、君を軽蔑の目でみる人だっているということをね。純粋な君には受け入れがたいかもしれないけど、自分自身を守るためには理解しなくてはならない事実だから」
「それでも……」
「ん?」
アストリアはソファから立ち上がり、机の上に身を乗り出した。
「それでもメイリス司祭は私を助けてくださいました!そして、そんなあなたを町の方々は称賛を送っていました!それは彼らにも私を助けたいという気持ちがあった証拠です。しかし、あの男性が怖くて勇気が出なかった。ただそれだけ。ですから、人々の心はまだ冷え切っていない、目に見えないだけで、本当は彼らの奥底にはまだ温かいものが残っているはずなんです、メイリスさん!」
「…………」
メイリスは豆鉄砲をくらった鳩のように目を丸くしながらアストリアを見つめていた。
「はっ!」
そんな彼女の姿をみて、自分が感情的になっていたことに気付いて恥ずかしくなり、とっさにソファに座り直した。
「す、すみません!私、大それたことを!それに司祭様を“さん”呼びしてしまって……」
アストリアは顔を真っ赤にしながら、目線を落とす。
すると、メイリスは沈黙を破るように大声で笑いだした。
「め、メイリス司教?」
「“人々の心の中にはまだ温かいものがある”うん。そう。まさに君の言う通りだ。いや、実に情けない。誰よりも人の心の清らかさを信じるべき僕たち聖職者がそのことを忘れているとは。心が冷え切っていたのは僕だったんだね」
「そんな……」
「久しぶりに爽やかな気分を味わえたよ。これでこれからも頑張れる気がする。感謝するよ、アストリア君」
「私には恐れ多い言葉です、メイリス司祭」
「あの、お願いなんだが、僕のことを“司祭”と呼ばないでくれ。なんだか距離を感じてしまう」
「では、なんとお呼びすれば?」
「さっきみたいに“メイリスさん”がいいかな。僕は君のことを“アストリア”と呼ぶから。あ、どうせなら君も呼び捨てにしてくれても構わないよ」
「呼び捨てなんて無理です!で、では、よろしくお願いします、メイリスさん……」
「こちらこそよろしく、アストリア。なんだか友人ができたみたいでドキドキするな」




