88.魔と聖の相克、そして…
闇が支配する森の中、二人の少女が細い野道を速足で歩いていた。
一人は黒髪の少女サヤ、一人は金髪の少女アストリアである。
サヤは兄であるミユウと薪を拾いに行った帰りに、倒れていた少女を見つけた。彼女は極度の空腹状態だったため、サヤは食料を取りにいくのと、治療をしてもらうためにアストリアを連れてくるために野営地へ向かっていた。
しかし、アストリアが張っていた“人除けの結界”の影響でなかなか見つけられずにいた。
偶然結界の外に出たシュナが彷徨っているサヤに気づき、結界を解いて合流できたのは、ミユウと離れてから二時間ほど経った頃である。
このころには完全に日が沈んで、空には無数の星が散りばめられていた。
だいぶ時間が経ってしまったことに焦ったサヤは、アストリア・イリイナ・シュナの三人に今までの経緯を説明し、腹の足しになるような食料をかき集め、アストリアの手を強引に引っ張って、ミユウが待つ場所に向かって行った。
「もうアスねぇの結界のせいで無駄な時間を過ごしちゃった」
「申し訳ございません。お二人のことを完全に忘れてしまいました。反省しています」
「早くしないとその人の命に関わるかもしれないんだよ!」
「わかりましたから。痛いので、引っ張らないでください……ん?あれは何でしょうか?」
二人が歩き始めてから数十分経ったころ、彼女たちの目の前に不思議な光景が広がっていた。
暗い森の中である場所で明るく光っていたのだった。それはどう見ても焚火の灯りではなく、まるで大きな稲妻が落ちたようなまぶしいほどの灯りである。
「あそこはにぃにが待ってる場所だ。間違いないよ」
「なるほど。でも何でしょう?あの光から不思議な力を感じます」
「不思議な力?それって魔術?それとも妖術?」
「いいえ。魔術や妖術とは根本的に違う力です。それに以前感じたことのあります。嫌な予感がしますね」
「嫌な予感?」
「サヤさん。ここからはできるだけ身を隠しながら慎重に進みましょう」
「う、うん」
アストリアとサヤは道端の藪の中に入ると、上半身を下げて音を立てないようにゆっくりと歩き始めた。
徐々に光源に近づくと光だけではなく、妙な音も聞こえてきた。
いや。それは音ではなく声だ。それも聞きなじみのある少女の声だった。
「アスねぇ、この声って」
「はい。間違いないでしょうね」
二人は一度腰を下ろすと、ゆっくりと頭を出して覗く。
すると……
「ぎゃああああはははははははははは!は、はひ、は、はひぃひゃはははははは!」
二人の視線の先には、光の十字架に拘束されているミユウが数十人の羽の生えた幼児たちにくすぐられていたのだった。
「にぃに、一体何やってるの……」
サヤは驚くというより呆れてしまっていた。
今まで同じような光景が何度も繰り広げられてきたからだ。
「にぃには本当に学習をしないな……」
「サヤさん、あの方は?」
「ん?」
兄のあまりに情けない光景に目を取らてて気付かなかったが、ミユウの前に青い服とベールを身にまとった少女が立っていた。
サヤはその服装に見覚えがあった。
「あ!あの人だよ。森の中に倒れていたのは」
「そうでしたか。ところで、あなたからはミユウさんが彼女を看病していたと伺っていましたが、なぜミユウさんは看病していた方にくすぐり責めにされているのですか?」
「さ、さぁ……」
きっと少女はサヤが置いていったクッキーを食べて動けるようになったのだろう。その彼女に助けてもらい感謝されているのであればわかるが、逆に苦しめられている。
何をどう考えようと、そこまでの経緯を想像することができない。
「そんなことより、にぃにを助けに行かないと!」
サヤは藪から身を乗り出そうとした。
「待ってください」
アストリアは焦るサヤの腕を掴んで止める。
「アスねぇ、どうして止めるの?」
「サヤさんはあの方の正体が分かりますか?」
「え?そうだね。確かあんな服を着てる人はたまに町で見かけるけど、どんな人かは分からないな。アスねぇはわかるの?」
「あの方はヒーリスト聖教の教徒です」
「ヒーリスト聖教って、世界中に信徒がいるっていう大きな宗教のことだよね?」
「はい。彼女の首に下げられているペンダントの形は、彼らが進行するシリストの象徴ですから間違いないでしょう。それにあのペンダントを所持できるのは聖職者だけだと聞いたことがありますから、彼女は助祭以上でしょう」
「それってすごいの?」
「ヒーリスト聖教内には階級があり、助祭より上の“聖職者”になると、あのような強力な“神術”を使うことが可能なのです」
「神術?魔術や妖術みたいな力なの?でもそれだったらアスねぇの魔術でなんとかすればいいじゃん。あんまり詳しいことは知らないけど、アスねぇの魔術は強いんでしょ?」
「できるのであればしたいのですが、そういう訳にもいかないのです」
「え?」
「神術は魔術を撃退するためだけにヒーリスト聖教教徒が編み出した技術で、相性が悪いのです。もし、私が出て行って魔術を行使しても、聖職者の神術を行使されれば簡単に打ち消されてしまうでしょう。それに神術の前ではサヤさんの戦闘能力でも勝てる可能性は薄いです。実際、あのミユウさんもあのように捕まってしまっています」
「にぃにが捕まるのはいつものことだけど……。でもどうしよう。早く助けないと、くすぐられすぎてにぃにかなり衰弱してるみたいだよ」
「くすぐられていることもでしょうが、あの光の柱が一番の原因でしょう。女性化する際にミユウさんの全身の筋肉を含めたほとんどの細胞は魔力へ変換されています。ですから、今ミユウさんはあの柱に全身の筋力を奪われているのと同じような状態なのでしょう。その上、くすぐられているとなると、あと数時間で内臓を動かす筋力もなくなってしまいます」
「だったら、なおさら危ないじゃん!そうだ!戦って負けるんだったら話し合えばいいんだ。なんでこうなったか分からないけど、話し合えば丸く収まるんじゃないかな?」
「話し合っても絶対に意味はありません。特にあのように他のことに目を向けることのできない人たちは……」
「じゃ、じゃあもう強行突破だ!」
「それでもサヤさんが捕まってしまうのが関の山です」
「さっきから何なの?アスねぇはにぃにを見殺しにする気?」
「一度冷静になりましょう。安心してください。ちゃんと対処法を考えていますから」
「本当?」
「はい。では早速ですが、急ぎお使いを頼みたいのですが、よろしいですか?」
「お使い?」
「あああはははははははは!た、た、たすけ、いやあはははははははは!」
現在ミユウは光の柱に拘束され、一時間にわたって多くの天使たちにくすぐられていた。
長時間くすぐられたことと、光の柱に体力を吸収されたことによりだいぶ衰弱していた。
衰弱しているが、くすぐられる限り嫌でも大声で笑ってしまう。大声で笑えば、より力が削がれて衰弱していく。負の連鎖はミユウをより苦しめていた。
そんな状況でも天使たちは一切の手心を加えず、容赦なく襲いかかってくる。
最初の内は筆や羽を使っていた天使たちだったが、今となっては全員が素手でミユウの全身をくすぐっている。中には服の中に潜り込んで、乳児のようにミユウの乳首を吸う個体まで現れた。
本来ならかわいらしい愛すべき存在なのかもしれないが、今は恐ろしい悪魔のように見える。
「あはははは、はひ、はひひ、も、もう許してはははははははははは!」
「仕方ないな。みんな、一旦止まって!」
メイリスが指示を出すと天使たちはくすぐりをやめ、ミユウの体から離れる。
くすぐり責めからやっと解放されたミユウは手足を拘束されたまま、上半身を前に倒し、必死に酸素を補給する。
「はあ、はあ、はあ……」
「どうだい?こんなにもかわいらしい神の使いたちに愛撫されて、まるで天国にいるような心地だっただろう?身も心も清められて、魔女のいる場所を教えたくなったんじゃないかな?」
「そ、そんな、訳、ない、でしょ……」
「はあ。まったく君は頑固だなぁ」
「あなたに、だけは、言われ、たくない……」
「君はどうしてそこまで魔女のことを庇うんだい?君も魔の力を宿されて、迷惑しているって言ったいたじゃないか」
「あたしは、仲間を、売ったり、しない。あなたたち、みたいな、奴にわたしたりは、しない……」
「“仲間”ね。そう思っているのは君だけじゃないかい?あいつらはね、平然と嘘をつくんだよ。魔女に騙された人は精神まで支配されてしまう。そう、今の君みたいにね。そして、最後には奈落の底に落ちていくんだ。そんな絶望に満ちた人の姿をみて楽しむような性根の腐った奴らなのさ」
「そんなわけ、ない……」
「これは結構心の奥深くまで支配されているみたいだね。でも大丈夫。僕が君を助けてあげる。魔の手から解放してあげるよ。そして、ヒーリスト聖教教徒になろう。君は倒れていた僕を助けてくれるぐらいに心優しいから、きっといい聖職者になれるはずだよ。さあ、魔女の居場所を教えてくれ。そして一緒に倒して自由になろう!」
メイリスの瞳はエメラルドのようにキラキラと輝いていた。
ミユウを救いたいという気持ちに偽りはないだろう。
しかし、ミユウには彼女の考えを受け入れることは到底無理なことだった。
「噓つきは、神様の方じゃん……」
「ん?」
「魔術族の中にも、いい人は、いるのに。少なくても、あたしは、一人知っている。だから、魔術族は、全員、悪い奴、だなんていう神様は、嘘つきだ。それを、信じてるあなたこそ、神さまに、心を支配、されている……」
ミユウが荒い息の中で言葉を紡ぎ終えた瞬間、空気がピリッとした。
「…………何、言ってんのさ」
「メイ、リス……?」
「シリスト様は嘘つき?魔術族はいい奴?はぁ?そんな訳ないだろ?いいかい。魔術族は人々を惑わし、地獄へと陥れる悪い奴らだ!現に僕は信頼していた魔術族の女に騙された!魔女に陥れられたんだ!だから、シリスト様は決して嘘をついていない!」
「みんながみんな、そうじゃ、ない……」
「うるさい。うるさい。うるさい!……もういい。命の恩人だから手加減してあげていたけど、シリスト様を侮辱したり、魔女を庇ったりするんだったらもう容赦しない。その間違った考えを、穢れた魂を清めてあげるよ!」
メイリスは銀のペンダントを両手で力強く握る。
「『請う。眼前に侍る哀れなる魂を堅固なる微笑にて愛撫せよ』」
メイリスが詠唱を唱えると、彼女の隣に光の粒子が集まり、巨大な鉄の物体に形成されていった。
細長い鐘形をした物体には、微笑みながら祈りを捧げる女性の彫刻が彫られていた。
「“笑う聖処女【ラフィング・メイデン】”君の穢れた魂と体を浄化する聖なる乙女さ」
「ラフィング・メイデン……」
「彼女に抱かれた者は自らの考えと行いを改め、涙を流しながら我らが主を崇め奉る。今までにも何百人もの人々が彼女に救われているんだ。今から君も彼らの一人となるんだよ。ああ、なんて素晴らしいんだ」
メイリスはうっとりとした表情で祈りを捧げるように天を仰いだ。
しかし、その表情の中には狂気が見え隠れしてた。
「さて、洗礼を受けてもらう前に確認しておこう。ミユウ、君がさっき言っていたことを撤回し、悔い改めるつもりはないかい?君の心を弄ぶ魔女と手を切るつもりはないかい?」
「……ない」
「はあ。君は本当に哀れだ。ただただ君が救われることを心から願うよ」
メイリスはゆっくりと後ろに下がり、“ラフィング・メイデン”との距離を取った。
すると、けたたましい轟音と共に、“ラフィング・メイデン”の彫刻が彫られた部分が扉のように左右に分かれ、それと同時に、ミユウの体を拘束していた鎖がほどけた。
力の抜けたミユウの体が前に倒れる。その体を“ラフィング・メイデン”の中から伸びてきた無数の光の手が捕らえ、中に引きずり込んだ。
「ここはどこ?」
扉が閉まると、ミユウの視界は真っ白な光に支配される。自分以外何もない寂しい空間に彼女は全裸の状態で浮遊していた。
ミユウは周りを確かめるために手足を動かす。
外からは身動きが取れないほど狭いように見えたが、この空間に壁のようなものはない。
この空間から外へ脱出しようと泳いでみる。
しかし、どこまで言っても真っ白な風景が続いているため進んでいるのかさえ分からない。
「どうすればいいんだろう?」
途方に暮れていた中、いきなりミユウの全身を掴む感覚があった。
驚いたミユウは自分の体を目視する。
すると、この空間に引きずり込んだ無数の手がミユウの体を掴んでいた。何度も振りほどこうとするが、光の手の力は尋常ではない。
次第にミユウの全身は完全に動けなくなった。
そして、動かなくなったミユウの体を新たに現れた光の手がくすぐりはじめた。
「ぎゃはははははははははははは、やめ、や、いやははははははははは」
光の手はミユウの体の弱いところを把握しているかのように的確にツボをくすぐる。
「た、た、たしゅ、たしゅけてーーーーーーー!」
森の中でメイリスはひとり銀のペンダントを握ったまま、“ラフィング・メイデン”を見つめていた。
その中からは閉じ込められたミユウの笑い悶える声が聞こえる。
それが彫刻の女性が声を出して笑っているように見えたのが“ラフィング・メイデン”の由来である。
どれほど精神力が強い人間でも、この中に閉じ込められてから一時間経った頃には意見をガラッと変えてしまう。
“神器”などと言われているが、有体に言えば拷問器具以外の何物でもない。
「ミユウ。君が悪いんだよ。素直に僕のことを信じてくれてさえいれば、こんな苦しい思いをしなくてよかったんだ……ううん、違う。一番悪いのはあの子の心を弄んでいる魔女の方だ。やっぱりあいつらはこの世から排除しなければ」
少女は再びペンダントを強く握りしめる。
「随分ないいようですね。そこまでおっしゃられると泣いてしまいそうです」
メイリスの後ろから若い少女の声が聞こえた。
「誰だ!」
メイリスはとっさに振り返る。
すると、藪の中から一人の少女が現れた。アストリア・ナルトリフだ。
「金色の髪。赤い瞳。白い肌。そして、紺一色の服をまとった女…………うん。間違いない。君は魔女だね」
「その“魔女”という呼び方、やめていただけませんか?」
「ふん。君たちのような穢れた術を使う者たちは“魔女”という名前がお似合いさ」
「穢れた術とは魔術のことですか?それは聞き捨てなりませんね。魔術は遥か一万年前に確立し、今では世界の技術発展の一役を担う伝統的かつ由緒正しき技術です。それに比べれば、あなたたちの神術が確立したのは約三千年前と歴史は浅く、聖教内でその術を秘匿し、自らの教義のためにしか利用しないではないですか。そのような自己満足の技を使われるあなたたちに魔術を侮辱されたくありませんね」
「何が“世界の技術発展”だ。笑わせないでくれ。君たち魔術族が人間たちに魔術を伝え、それが紛争や戦争に利用されたことによって、どれだけの人の命が奪われたと思っているんだ。奇跡に近い強力な力だからこそ、限られた者の中で秘匿にするからこそ正しい使い方ができるんだ」
両者がにらみ合うこと数十秒。二人の間に目に見えない火花が散らされた。
「……どうやらこれ以上話をしても時間の無駄のようですね」
「何をいまさら。話し合いで分かり合えたら、何千年も対立はしていないさ」
「そうですね。では時間が惜しいですので、本題に入らせていただきます。そちらの中に閉じ込められているミユウさんをお返しいただけませんか?」
「ああ。君がミユウに取り入っている悪い魔女だったんだ」
「私はミユウさんに取り入ってなどいません。私とミユウさんは許嫁であり、互いに愛し合っているのです。一緒にいるのは当たり前でしょ?」
「許嫁?愛し合っている?ああ、なるほど。そういう設定で洗脳しているということか。そうか。君はそういう趣味があるのかい?でもさすがに女の子同士で“許嫁”というのは少し無理があるんじゃないかな?」
「設定ではありません!紛れもない事実です!今は少し事情が……いや、あなたとこのような話がしたかったのではありません」
アストリアは事態が全く前に進んでいないことに気付き、少し冷静になる。
「まったく。あなたと話をしていると、つい感情的になって、冷静でいられなくなります。本当に昔から変わらないですね、私もあなたも」
「ん?なんだい?その口ぶりだと僕のことを知っているみたいだね」
「はい。私たちは八年前に出会っていたのですよ。まあ、お互い思い出したくない記憶でしょうがね。メイリス・トロイアス司教」
「なぜ僕の名前を知っている。それに僕のことを“司教”と。いや待て。八年前に出会っていた?……まさか、お前はアストリア・ナルトリフ!」




