86.聖なる拾いもの、それは…
“サクトス”と“アレスティアス”までの距離はかなり遠く、徒歩では一日中歩き続けたとしても三日はかかる。無論、人間である以上食事や睡眠をとる必要もあるため、早く見積もっても五日間の旅路となる。
各町には互いを往来する人々を乗せる大型の馬車を扱う業者がおり、それを利用すればより楽に移動することも可能ではあるが、その運賃はおいそれと出せるほど安くはない。ボロ宿であれば、それで一泊できるほどだ。
そのため、馬車を利用するのは商人や金銭面で余裕のある旅人ぐらいで、それ以外の人は、疲労や野宿の不便を受け入れた上で徒歩を選択する。
ミユウたちはどうかと言えば後者を選んだ。
“トーア”での大会の賞金はまだ余っている上に、イリイナが今までの仕事で稼いた報酬もあり、彼女たちには馬車賃を気にするほど金銭に困ってはいなかったが、一年以上の長旅では無駄な出費は命取りになると、あえて徒歩を選んだ。
彼女たちが昼前に簡単な食事を済ませ、“サクトス”を去ってから約六時間が経つ。
「さて、もうそろそろ日が沈んでしまいそうですし、野営の準備をいたしましょうか?」
「そうじゃのう。あまり暗うなってはいろいろと面倒じゃ。野営場も近づいてきたけん、ちょうどええかもしれん」
“野営場”とは、数日間かけの移動が必要となる長距離の道沿いに設けられた広場である。
“休息所”のように公国が運営している訳ではなく、長年にわたって幾人もの旅人が野営をした跡地が自然と複数人が同時に滞在しやすい環境を形成した。
そのため、道の利用者数によっては数キロの間にその規模を問わず十カ所以上の野営場がある場合もある。
ミユウたちは百メートルほど先に現れた野営場で一日目の夜を過ごすことにした。
そこには既に三組合計十人ほどの男女が食事や睡眠の準備を行っていた。それでもあと五組ぐらいは十分なほどの面積がある。
その中でも彼女たちは広場の一番奥に陣取る。
「いや、人がいっぱいいるね。この前の湖の近くなんてあたしたちしかいなかったのに」
「以前のは本当に稀なことなのですよ。本来の野営場とはこういったものです」
「あの時は行方不明騒動で、ほとんどが怖がって馬車を使っていたもんね」
「もうさすがにあんなことはないじゃろう。サヤが魔獣を飼いたいと駄々をこねん限りはのう」
「魔獣ってあれか?この前、ミユウに化けてた黒猫やろ?あれを飼育しようとするやなんて、サヤは肝が据わってるな」
「ちょっとシュナさん、イリねぇ!恥ずかしいからそういうのやめて!あの時はあんな奴だとは思わなかったの!」
話ながらも徐々に野営の準備が進んでいき、十分後には一夜を過ごせる環境が整った。
一通りの設営を終えると、ミユウは背伸びをし、他の旅人たちの様子を見る。
「けど不思議だな。これだけ人がいれば、騒がしいものだと思っていたのに。どこもこんな感じなの?」
「そうですね。数十年前にはかなり治安が悪かったと聞きますが、私が村を出た時には既にこのような状態でしたよ」
「うちも実際見たことはないけど、昔は強盗や強姦が当たり前のように行われとってな。そのせいで人やものの流通がほとんど停止してしもうたんや。そうなると、商業が停滞し、公国全体の利益が損なわれる。それを危機に思ったお偉いさん方が道の整備と治安維持に力を入れるようになったんや。それが約十年前の話。今ではうちらみたいな若い少女たちでも安心して道の往来ができるようになったんやで」
「それと同時に、旅人間で『互いのことを最低限干渉せん』という暗黙のルールが自然とできたんじゃ。みんな幕を張っとるやろ?それより先には他のもんは立ち入らんようにしとるんや」
「なるほど。だから、みんなあたしたちに目を向けないんだね」
「それもありますが、“人除けの結界”の効果もあるでしょう」
「アスねぇ、いつの間にそんなものを張ってたの?」
「念のため設営と同時に張っておきました。数メートル範囲内でしたら、どれだけ大きな音を出そうが、こちらに目を向けることはないでしょう」
確かに、ミユウたちのように少女ばかりだと、例え暗黙のルールがあったとしても心許ない。
人除けの結界ぐらいは必要だ。
しかし、このような結界を簡単に作り出せてしまうとは、魔術族の力は侮れない。改めてそう思った。
「一通りの設営は終わりましたね。あとは食事が必要でしょうか」
「そうじゃのう。そのためにも火が必要じゃし、薪も集めないけん」
「では、ミユウさんとサヤさんで薪を集めに行っていただけますか?その間にこちらで食事の用意を進めておきます」
「わかった。にぃにとできるだけたくさん拾ってくる」
「いいですか。薪を拾うのですよ。くれぐれも魔獣を拾ってこないでくださいね」
「アスねぇまで変なこと言わないでよ!」
「うふふ。冗談です。もう少しで暗くなりますので、早めに帰ってきてください」
「「はーい」」
ミユウとサヤは森の中に向かおうとした。
「あっ」
すると、何かを思い出したかのようにサヤが踵を返し、シュナに近づいていく。
そして、周りに聞こえないようアストリアたちに背を向けて、小声で話しかける。
「シュナさん。絶対アスねぇに料理に手を出させないでよ」
「言われんでもわかっとる。こんなところで腹下したら堪らんけんのう。イリイナと協力して見張っとくわ」
「お願いね」
サヤとシュナは手を握り、最悪の未来を引き起こさないよう決意を固める。
「お二人とも何をお話ししているのですか?」
「え?いや~あの~そう!薪の効率的な集め方を教えてもらってたんだよ。こういうのはシュナさんが一番知っているからね」
「そ、そうじゃ!乾いたもんやないといけんで。少しでもしめッとったら薪として使えんけんのう」
「わかった~。気を付けるよ~。にぃに、早く行こう!」
「う、うん……」
サヤは再び踵を返すと、ミユウの腕を掴んで森の中に入っていった。
暗くなった森の中で、ミユウとサヤは歩き続けていた。
野営場を出てから一時間経った頃、彼女たちは両脇にいっぱいの薪を抱え、アストリアたちのもとに戻っていた。
「これだけあれば十分一晩はもつだろうね」
「暗くなったし、みんなも心配するだろうから早く帰ろう、にぃに」
「そこまで奥に行ってないだろうから、すぐに戻れるよ。転ばないように足元に注意して、ね?」
「にぃに、どうしたの?」
「あれなんだろう?」
ミユウが目線を落とすと、草むらの中に何かが落ちているのを確認した。
二人は抱えていた薪を地面に置き、その物体の近くにしゃがみ込んだ。
周りが暗くてよく見えないが、大きな物体の上に青い巨大な布がかぶさっていた。
「なんだろう。この布、結構いい素材でできてるし、あんまり汚れてない。こんないいやつを捨てる人なんていないよな」
「どうする?めっくてみる?」
「う~ん。何かの罠って可能性もあるな。めっくた途端、手に拘束具がはめられたり、網が落ちてきたりして」
「さすがにそれはないと思うよ。こんなところに罠を仕掛けても意味がないでしょ?それにこんな上等な布を罠に使わないでしょ」
「確かにね。じゃあ、めくってみようか」
ミユウはめくるために青い布へ右手を伸ばそうとする。
その瞬間……
「うわっ!」
ミユウの驚きの声と共に、腕の動きが止まった。
なぜかと言えば、何かに彼女の手首をがっしりと掴まれてしまったからだった。
出所を確認しようと目線でたどると、今めくろうとしていた布の下から出ていた。
「サヤ、やっぱり罠だった!きっと下に獣がいたんだ!捕まえられちゃったよ!」
「落ち着いて、にぃに!よく見て!それ人の手だよ!」
「え?」
ミユウは再び自分の手首に目線を向けると、そこにあったのは紛れもなく人の手だった。肌は雪のように白く、五本の指は細い。まるで女性のような手だった。
恐る恐る左手で青い布の端を掴み、ゆっくりと上げていく。
すると、そこには滑らかなエメラルド色の髪の女性がいた。肌は雪のように白く、光って見えた。
「人間?ていうことはこれって服だったんだ。なんでこんなところに倒れてるの?」
女性はゆっくりと頭を上げ、エメラルド色に輝く瞳でミユウたちを見つめる。
「…………」
「ねえ、この人何か言っていない?」
二人が女性の顔に耳を近づけてみると、僅かにだが声を発している。
「…………れ」
「え?何?」
「…………をくれ」
「くれ?何を?」
「し、し、食料をくれ~~!ガクッ」
一瞬大きな声を出したかと思えば、再び顔面を地面にぶつけ、ミユウのの手首を掴んでいた手がフッと放れた。
それと同時に「ぐぅ~」と鈍い音が鳴り響く。
「……サヤ、何か食べられるもの持ってる?」
「町で買っておいたお菓子ぐらいならあるけど、これじゃお腹は膨れないと思うよ?」
「何も食べないよりかはマシだよ」
「それもそうだね」
サヤはズボンのポケットから赤い袋を取り出し、女性の頭の上に差し出す。
「あの~今これしかないですけど、食べますか?」
「……」
「あれ?気絶しちゃったのかな?それともさっきので力を使い切ったのかな?」
「……」
一向に返事がないので、サヤは袋の中から一枚のクッキーを取り出し、女性の顔のそばに近づける。
「少しでも食べた方がいいんじゃ……」
「め、め、めしーーーーーー!」
何の前触れもなく、女性はサヤ(の持っている袋とクッキー)にめがけて飛びついてくる。まるで獲物を前にした巨大熊のようである。
「ふぎゃーーーーーーー!」
驚いたサヤは悲鳴を上げながら、尻餅をついた。
それに終わらず、不殺族の戦闘本能に任せ、女性の腹部めがけて左拳を放った。
「サヤ!落ち着いて!相手は人間だよ!」
「ハッ!」
ミユウの声に自我を戻したサヤは腹部にあたる直前のところで止まった。彼女の左手には砕かれたクッキーのかけらがボロボロと砂のように落ちていく。
しかし、それにより作られた強力な衝撃波を止めることができず、上半身を持ち上げた。そして、女性は再び全身を地面にたたきつけられた。
「ご、ごめんなさい!驚いちゃってつい!にぃに、あたし殺っちゃったかな?」
「大丈夫。いくら弱ってるからと言っても、直接殴った訳じゃないんだから。きっとまた気絶しちゃっただけだよ」
「よかった~。本当に危なかったよ。にぃにが止めてくれなかったら、この人のお腹に大きな穴が開くところだった」
「サヤ。あたしはここで待ってるから、先にみんなのところに戻って、この人が食べられそうなものも持ってきて。それとアストリアも呼んできて。彼女だったら応急措置してくれると思うから」
「この人を背負って連れて行った方が早くない?」
「そうしたいけど、結構弱ってるのに無理に動かしたら逆に危ないよ。それにさっきみたいに背中でいきなり暴れられても困るからね」
「わかったよ。できるだけ早めに戻ってくるね。あ、この袋は置いていくね。あと四枚ぐらい残ってるから全部食べてもらってもいいよ」
「ありがとう。気をつけてね」
サヤは袋をミユウの足元に置くと、アストリアたちがいる野営場へと駆けていった。
残されたミユウは一つため息をつくと、足元に倒れた女性に目を向けた。
「さて、もう少し広いところに出そうかな」
女性の下半身は藪の中に隠れて、よく見えない。
もしかしたら、足を怪我しているかもしれない。その場合、早めに措置をしなければならないだろう。
ミユウは彼女にできるだけ衝撃を与えないように、ゆっくりと藪の中から引きずり出した。
そして、うつ伏せの状態である彼女をぐるりと裏返した。
「これは……」
ここでミユウははじめて女性の全体像を確認した。
彼女の身につけているものはほとんどが青色で統一されていた。服はゆったりとしていて、ほとんど装飾がない。頭には髪を隠すほど大きな青色の布をかぶっている。
そして、装飾がない中で唯一の飾りとして、首から銀のペンダントを提げており、十字架に太陽と三日月を象っている。
見るからにただの旅人とは思えない。
「けど、この格好をした人をいろんな町で見るよな。それにこのペンダントの形も建物の壁に描かれてるのもよく見る」
そう。ミユウが今まで訪れた町でも彼女のような服装の人物がいた。
他の人々と確実に区別するようなオーラを放ち、一挙手一投足全てに気品を感じた。そんな彼らにある者は手を合わせ拝み、ある者は気さくに話しかけ、そしてある者はできる限り関わりを持たないように距離を取る。
何度か彼らがどんな存在なのか、興味本位でアストリアたちに聞こうとしたが、タイミングが合わずに結局知ることはなかった。
「まあ、大きな怪我はないみたいだし、とりあえずは大丈夫みたいだね」
よく見ると、胸のあたりが上下に動いている。どうやらしっかりと呼吸もしているようだ。
それだけが確認できれば安心だ。
安心したミユウはその場に腰を落とす。
町を出てからずっと歩き続け、野営の準備をしたあとにそのまま森の中を一時間歩き続けた。かなり疲労がたまっている。
「サヤが帰ってくるまで時間がかかるだろうし、ここで少し休もうかな」
ミユウは重くなった上瞼を落とし、そのまま眠りについた。




