74.労働は大変、本当に…
「では、開店の時間が迫ってきましたので、早速研修に入りましょう!」
店のオーナーであるレイは、メイド服を着用したミユウたちをカウンター前で横一列に並ばせた。
まだ制服になれていないのか、彼女たちは体をもぞもぞとさせていた。特に、異常に丈の短い制服を着ていたミユウは下着が見えないようにスカートの裾を押さえていた。
「では、発声練習から始めましょう。先に私が言いますので、その後に大きな声で復唱してください」
「「「「はい!」」」」
「まずは男性のお客様がご来店された際の挨拶です。『おかえりなさいませ、ご主人様!』」
「「「「おかえりなさいませ、ご主人様!」」」」
「次に女性のお客様がご来店された際の挨拶です。『おかえりなさいませ、お嬢様!』」
「「「「おかえりなさいませ、お嬢様!」」」」
「今度はお客様がお帰りになる際の挨拶です。『いってらっしゃいませ』」
「「「「いってらっしゃいませ!」」」」
「ありがとうございます。この3つの言葉は特に重要なものですので、元気よくお願いしますね」
「「「「はい!」」」」
「それと……」
レイはミユウの前に移動する。
「な、なんですか……」
「ミユウさん、もう少し大きな声を出せないでしょうか?それと顔が強張っていますので、笑顔でお願いします」
「ごめんなさい。でも、接客自体初めてで、緊張しちゃって声が出ないんです。それに面白くもないのに笑うのはちょっと……」
「お気持ちはわかりますが……」
「やっぱりあたしには接客は無理です。後ろで雑用でもなんでもしますからあははははははははは!」
ミユウは腹を抱え、大声をあげながら笑いだした。それは突然横腹に強烈なくすぐったさを感じたからだ。
背後を振り向くと、両手をワキワキとさせているサヤが立っていた。
「はあ、はあ、い、いきなり何するの!」
「だって、これだったら笑うことも大声を出すことができるって思ったから」
「確かにそうだけど、それとこれとは意味が違うでしょ!」
「けど、くすぐり続けたら大声で笑う練習ができるようになるんじゃない?」
「ちょっと待って!そんなことしても意味がないって、やははははははははははは!」
サヤはミユウを無理やり倒して、彼女の上半身を容赦なくくすぐった。
「ほらほら。『おかえりなさいませ、ご主人様』って言ってみて?」
「あははははは!お、おか、おかえりなしゃいませ、ご、ご主人しゃま!あははははははは!」
「いい調子だよ。じゃあ、今度は『いってらっしゃいませ』って言ってみようか」
「ぎゃはははははは、いって、ら、らっしゃいましぇ、あはははははは!」
「それじゃあねぇ……」
「も、もうやめてーーーー!」
サヤは足をジタバタさせて悶えるミユウをくすぐり続ける。
そんな彼女の手をアストリアが後ろから掴んだ。
「ほら、もういいでしょう。やめてあげてください」
「はーい」
「はあ、はあ……」
くすぐりの手から逃れたミユウは床の上で息を荒くしながら倒れていた。暴れたせいか、短いスカートがめくり上がり、肩もはだけて、あられもない姿になってしまった。アストリアはその場でしゃがんで、乱れたミユウの制服を整え直す。
レイは一つ咳ばらいをして、一旦その場の空気を変えた。
「ま、まあ、発声練習はここまでにしましょうか。働いていれば、自然と大きな声を出すこともできるでしょうから。他にもお伝えすることはたくさんありますので、次に参りましょう」
「はい。よろしくお願いします」
その後、細かな接客方法や注文のとり方、メニューの説明などを受けたあと、店内の掃除を済ませて開店に向けての準備を進めていった。
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あと数分で開店時間の午後1時になる。
店の準備を終えたミユウたちは客を迎えるために、店の入り口の前に横一列に立っていた。
レイを始め、店内にいる少女たち全員が緊張していた。
“メイドが接客をする”ことがコンセプトの飲食店は、公国領内ではここが初めての試みとなる。成功した例があるといっても、他国とでは多少文化が異なる。受け入れられるかどうかは実際に箱を開けてみないと分からない。レイの心臓の鼓動は他人に聞こえるのではないかと思うほどに激しくなっていた。
そして、この中でも特に緊張しているのはミユウたち4人であろう。
数時間の簡単な研修だけで働かなければならない。その上、客と面と向かって対応する、いわばこの店の顔と言っても過言でない仕事だ。今日一日のこととはいえ、その責任は重い。いつも冷静沈着なアストリアでさえ、ぎこちない笑顔で全身を小刻みに震わせるほどだ。
そんな彼女たちの姿を見たレイは、自分の緊張を打ち消すように両手で自分の頬を叩き、ミユウたちの前に向かい合うように立った。
「皆さん、そこまで緊張しなくても構いませんよ。緊張すれば、お客さまにも伝わってしまうものです。今回は“失敗しない”“周りに迷惑をかけない”などと考えず、楽しく働きましょう。そうすれば自然とお客さまも楽しんでいただけます。大丈夫ですよ。皆さんのサポートは私がしっかりとさせていただきますから」
そのレイの言葉にミユウたちの緊張がほぐれ、強張っていた口角が少し緩んだ。
「そうだね。あたしたちにできることをすれば大丈夫だよね」
「そうおっしゃっていただけると安心できます。では、よろしくお願いしますね、レイさん、いや、オーナー」
「「「よろしくお願いします、オーナー」」」
アストリアと一緒にミユウたちも目の前のオーナーであるレイに頭を下げた。
本物と見間違うような完璧なお辞儀に、レイは納得しながら微笑む。
「けど、やっぱり緊張しちゃうな。今日はどれぐらいの人が来るのですか?」
「そうですね。町のすべての掲示板に案内のポスターを貼っておきましたし、私や父の知り合いにも宣伝するように頼んでいますので、この町の内外から多くの人が来る予定です。もしかしたら、今日は休む暇がないほどに忙しくなるかもしれませんよ~」
レイは声を弾ませながらそう言った。よほど楽しみにしているのだろう。
「オーナー、もうそろそろですよ!」
料理の準備をしていた眼鏡をかけた少女が呼びかける。レイはエプロンのポケットに入れた懐中時計を取り出して確認する。すると、午後1時になるまでに1分を切っていた。
「では、開店しますね。心の準備はいいですか?」
ミユウたちはレイの問いかけに黙ったまま頷いた。それを確認すると、レイは入り口のドアを開けた。ドアが開くのと同時に、ミユウたちは練習通りに頭を深々と下げて、出迎えの挨拶をする。
「「「「お帰りなさいませ、ご主人様!」」」」
「…………」
「「「「?」」」」
当然あるであろう客たちの反応が全くない。
不思議に思ったミユウたちは頭を上げて確認をする。
そこにはドアノブに手をかけているレイの姿しかいなかった。その彼女も予想外の光景だったのか、ぼーっと立っていた。
ドアの向こうの通りでは、往来する人々が好奇の目でミユウたちを見ている。それが妙に恥ずかしい、というか、いたたまれない。
耐えられなくなったミユウは急いで入り口のドアを閉める。
「ねえオーナー。これはどういう……」
疑問に思ったサヤがレイに訊ねる。
しかし、当のレイは店の隅で膝を抱えてブツブツとつぶやいている。
「信じられない、ありえない、信じられない、ありえない…………」
開店前の彼女とは思えないほどに暗い空気をまとっていた。
「オーナー?オーナー!」
「はっ!」
サヤがレイの肩を揺らすと、彼女は闇の中から戻ってきた。
「申し訳ございません。あまりの光景で気が動転してしまいました。少なくても10人ほどは並んでいると予想していたのですが、迂闊でした。しかし、なぜここまで集まらなかったのでしょうか?開店時間が遅すぎたのでは。いや、宣伝が足りなかったのかも……」
「いやだってそれは……」
「なんですか、ミユウさん?気付いたことがあれば何でもいいですのでおっしゃってください!」
「……なんでもないです」
ミユウはあることを口にしようとした。“外のデザインがあまりにも奇抜すぎるからじゃないか”と。
しかし、ミユウは言わなかった。それを伝えてしまうと、ただでも落ち込んでいるレイに更なる追い打ちをかけてしまう。それはさすがに酷な話だ。
それに気づいたのか、アストリアが話を変える。
「いかがしましょうか?このままでは誰も来ずに終わってしまいますよ」
「そ、そうですよね!とりあえず、呼び込みをしましょう!私が店先に立って前を通る方に呼びかけます!」
そう言うと、レイはドアノブに手をかけて外に出ようとした。
「ちょっと待ってください!」
「どうされましたか、アストリアさん」
「すぐ近くとはいえ、オーナーであるレイさんがこのお店を離れるのはいろいろと都合の悪いこともあるでしょう。ですので、私たちの誰かが呼び込みをします」
「確かにそうです。それに制服を着た方が呼び込みをしたほうがよりこの店のことをわかってもらいやすいはずです。しかし、どなたがされますか?」
「厨房の方は料理の準備をしないといけませんから、私たち4人の中から選ぶべきかと……」
誰もがこの制服を着て街に出るほどの度胸はない。そんなことをすれば、町の人々に冷たい好奇の目線を浴び続けることになることは間違いない。
ミユウたちは互いに無言のまま牽制し合う。
「このまま黙っとっても無駄に時間が経つばかり。そこでどうじゃろう。ここは公平にじゃんけんで負けたもんが呼び込みをするというんは」
「いいよ。それで決めよう」
「そのほうが後腐れもないからね」
「恨みっこはなしですからね。では、いきます」
「「「「じゃーんけーんぽん!」」」」
じゃんけんの結果、呼び込みはアストリアがすることになった。
彼女は自分の手のひらを眺めて、運のなさを嘆いていた。
「う〜、なぜこうも私は……。今度運を上げる魔術を考えてみましょうか」
「もう往生際が悪いよ。ここは観念して、アスねぇ」
「そうですね。もとを言えば私が言い出したことですし、責任を持って呼び込みをさせていただきます」
「よろしくお願いします、アストリアさん」
「わかりました。できる限りのことをさせていただきます」
そう言い残すと、アストリアは店を出ていった。
「では、アストリアさんがお客さまを呼び込まれるまで、もう一度研修をしましょうか」
「「「はい」」」
ミユウたちはレイと一緒にカウンター前へと集まり、再び研修を始めた。
アストリアが店を出て数分経った頃、ミユウたちは入り口のドアの前で接客方法を繰り返し確認していた。
カランコロンカラン♪
ミユウたちの後方からドアが開く音が聞こえたので振り返ると、2人の男性が顔をのぞかせていた。
彼女たちは一斉に踵を返して、頭を下げた。
「「「おかえりなさいませ、ご主人様!」」」
ミユウたちの挨拶を受けた男性たちは最初驚きはしたものの、すぐに店内に入って彼女たちの姿を足元から見上げるように見ていた。
「す、すごい!マジでメイドがいるよ」
「しかも、さっきのねぇさんに負けねぇぐらいかわいい子ばかりじゃん!ここは天国か?」
「あはは。ありがとう、ございます……」
彼らの想像以上の好反応にミユウたちは戸惑った。面と向かってかわいいと言われるのは嬉しいが、中身が男であるミユウにとっては複雑だった。
レイが隣で固まっていたシュナに肘でついて合図をすると、彼女は一歩前に出る。
「お2人でよろしいしょうか?」
「うん。そうだよ」
「ではこちらにどうぞ」
「ありがとう。つうか、恰好だけじゃなくて仕草もメイドじゃん。しかも、かわいい獣人族の嬢ちゃんって。これは期待しかねぇな」
シュナは男性客を一番奥にある席へと連れて行った。
「本当に来たね。突然だったから驚いたよ」
「あたしもだよ。けど、そんなに時間が経ってないはずなのにもう呼んできちゃうなんて、アスねぇすごいね」
ミユウとサヤが接客するシュナの姿を見つめながら話をしていると、再び入り口のドアが開いて、女性が入ってきた。
「「おかえりなさいませ、お嬢様」」
「あの~、メイドさんが接客してくれるって聞いたんですけど、こちらの店で合ってますか?」
「はい。その通りでございます」
「うわ~。外の人もかわいかったけど、本当にかわいい!あたしも着てみたい!」
「ありがとうございます。では、こちらにどうぞ」
「は~い!」
サヤは1組の客を席に誘導していく。
「もう2組も来ちゃった。アストリア、どんな呼び込みしてるの?」
ミユウはドアの前で一人立っていた。
すると、再び入り口のドアが開き、1人の男性が入ってきた。
「お、おかえりなさいませ、ご主人様」
「ご主人様って僕のことかい?」
「はい。その通りでございます」
「なんだか気恥ずかしいな~。こんなかわいいメイドさんに接客してもらえるなんて、本物の貴族になったようだ」
「ではこちらにどうぞ」
「よろしく頼むよ」
ミユウは席に男性客を誘導し、メニュー表を差し出した。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
「わかった」
ミユウはカウンターからガラス製のカップに入った飲料水を受け取り、男性客のいるテーブルの上に置いた。
「……あの、少しお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「構わないよ」
「どちらでここのことをお聞きしたのでしょうか?」
「外で勧誘していた金色の髪のメイドさんに聞いたんだよ」
「やっぱり。ちなみにどのような勧誘をされていたのでしょうか?」
「どのようなって、ごく普通の勧誘だったよ。『こちらでメイドさんにお世話をしてもらえます』って」
「“お世話”って……」
「しかし、ここは最近できたんだろ?それなのにあんな行列ができるなんて、よほど人気なんだね」
「え?“行列”ですか?」
「おや?知らなかったのかい?外を見てみなさい。たくさん人が並んでるよ」
「は、はい。失礼します」
ミユウは男性客に頭を下げると、入り口に向かい、ドアを開けて外に頭を出した。
すると、そこには道沿いに長蛇の列ができていた。そして、列の先頭で彼らを誘導するアストリアがいた。
「アストリア、これは一体どういうこと?」
「あ、ミユウさん。それが私にも分からないのです。私が店頭に出て、それほど時間が経たないうちに次々と人が集まりまして……」
「本当は魔術を使ってるんじゃないの?」
「失礼なことをおっしゃらないでください。皆さん、魅了の魔術をかけられた目をされていましたが……」
「あ、なるほど……」
その時、ミユウは察した。ここに集まってる人はアストリアのメイド姿に魅了されてきたのだと。
確かに彼女の美貌であれば特別に魔術を使わなくても十分に人を引き寄せることができるだろう。その上、露出度の高いメイド服を着ているとなれば、その魅力はより相乗される。最強の装備を身につけた歴戦の騎士のようなものだ。
現に行列を成している人々のうち、男性は目をハートにさせ、女性は彼女を憧憬の目で見ている。
しかも、アストリア自身そのことに本気で気付いていないようだ。いろんな意味で恐ろしい。
「この状況をオーナーにお伝えして、指示を仰いで来てください。このままでは私の手に負いきれません」
「わかった。すぐに伝えるから、もう少し頑張って」
ミユウはすぐにカウンターで手伝いをしているレイに外の状況を報告する。それを聞いたレイはアストリアが待っている店外に出た。
彼女と入れ替わるように、疲れ切ったアストリアが入ってきた。
「オーナーは何って?」
「オーナーが外のお客さまの対応をするので、私も接客をするようにとのことです。皆さんへの指示もいただいていますので、これからは店内の指揮も一緒にとらせていただきます」
「わかった」
その後、ミユウたちはアストリアの指揮のもとで接客をすることになった。
開店から2時間ほど経った。
昼食時は既に過ぎているというのに、一向に客足が減ることがない。
入店時のお迎えから席への案内、メニューの説明、注文をとる、できた料理を出す、店を出る客の見送り、そして、次の客を迎えるための準備など、ミユウたちがすることは山ほどある。
接客が初めてで慣れていないせいか、ミユウたちは目を回しそうになる。
閉店が午後6時、まだ3時間もある。このまま体がもつか彼女たちは不安になっていた。
「すみません!注文いいですか!」
「はーい!」
数分前に入ってきた若い女性客に呼ばれて、ミユウは伝票とペンを持って走り寄った。
「この“ふわふわ卵のオムライス”をお願い」
「“ふわふわ卵のオムライス”ですね。かしこまりました。少々お待ちください」
ミユウは伝票に料理名を書き込んで、カウンターに向かおうとした。その時である。
「あれ、背中にゴミが付いてるよ」
「え、本当で……」
彼女の背中にゴミが付いていることに気が付いた男性客が善意でそれをとった。その時、彼の指先がミユウの晒された背中をなぞってしまった。
「ひにゃーーーーーー!」
不意打ちで強烈なくすぐったさを受けてしまったミユウは悲鳴を上げて、その場に倒れ込んだ。
その声に驚いた店内全員が床に倒れたミユウに目を向ける。
「だ、大丈夫?!」
「お、お嬢しゃま。背中を、しゃわるのは、おやめ、くだひゃい……」
「「「!」」」
その場にいた全員がミユウの煽情的な姿に言葉を失った。
他の従業員より露出度の高い制服、背中をなぞられたことで紅潮した顔とたどたどしい口調、それらは男性だけでなく、女性も思わず目を背けたくなるほどに魅力的であった。
「しょ、少々、お待ちください……」
腰砕けになったミユウは懸命に立ち上がり、生まれた小鹿のように膝をガクガクとさせながらカウンターに向かう。
「ごめんなさい……」
彼女の背中のゴミをとった女性客は真っ赤になった顔を下げて、料理を待っていた。
その数分後、シュナが2人の男性客から注文をとっていた。
「では、ご注文を繰り返させてもらいます。“海鮮たっぷりパスタ”と“新鮮トマトのサラダ”、食後に“イチゴのレアチーズ”でよろしいでしょうか?」
「それでいいよ」
「では、少々お待ちください」
「待つ待つ!君みたいなかわいいメイドさんのためなら俺何時間でも待っちゃうから!」
「あ、ありがとうございます」
「つうかさ……」
二人ともシュナのメイド姿を下から舐めるように見つめていた。
「な、なんでしょうか?」
「君さぁ、この後、俺たちと遊ばない?」
「申し訳ございません。仕事がありますので……」
「仕事終わりでいいんだよ。ねえ、いつ終わんの?」
「いや、ボク仕事が終わった後も忙しいんで……」
「聞いたか?“ボク”だって?獣人族のメイドってだけでもかわいいのに、ボクっ娘要素なんて打点高すぎなんだけど!それにスタイルいいし胸もでけぇし、マジ最高じゃね?」
「あはは。では、失礼します……」
シュナはしつこく絡んでくる男性客から逃げるようにカウンターへ向かおうとした。
「おい、無視すんじゃねぇよ!」
男性客の1人が去っていくシュナを止めるためにシュナのしっぽを握る。
「ひゃん!」
いきなり弱点であるしっぽを握られたシュナは甲高い声を上げて、全身をビクっとさせた。
「あはは!そんなかわいい声も出せるんだ。マジおもしれぇんだけど。さっきの腰抜かしたねぇちゃんも色っぽかったけど、あんたもなかなかだな。やっぱさ、俺たちと遊ばねえ?そしたら、もっと気持ちいことしてあげるよ」
「……せ」
「あん?何言ってんの?声小さくて聞こえない。言いたいことがあんなら、ちゃんと言ってほしいんだけど?」
「ボクのしっぽを離せ!」
シュナは踵を返して、しっぽを掴んだ男性客に襲いかかろうとした。
そんな彼女を近くにいたミユウが羽交い絞めにした。
「シュナ、落ち着いて!」
「放せ!ボクの命の次に大事なしっぽを掴みよったんじゃ。許せるはずがなかろ!後生じゃ、こいつを殺してボクも死ぬ!」
「それはわかるけど、相手はお客さまだから、ご主人さまだから!」
「ボクのしっぽを掴んでええ男はミユウ一人だけじゃ!」
ミユウは犬馬をむき出しにして暴れるシュナを強引に店の奥に連れて行った。
そして、シュナと入れ替わるようにサヤが男性客の前に出てきた。
「誠に申し訳ございません」
「まったくだ。客に襲いかかるなんて、とんでもない店だな!」
「なんでもいたしますので、お許しください」
「なんでもするのか?それだったら、あいつの代わりにあんたが俺たちの遊んでくれよ」
「あたしが、ですか?」
「そうだ!それで今回のことは許そうじゃないか。まあ、あんたガキみたいだがな」
「ガキ?」
「それにさっきの姉ちゃんたちと比べると胸も小さいようだが、今回は妥協してやろうじゃねぇか」
「妥協……胸が、小さい……」
「ほら、さっさと行くぞ!」
男性客は店からサヤを連れ出すために彼女の右腕を掴んだ。
すると、サヤはその手を掴み返して床の上に叩きつけた。
店内に大きな音が響き渡る。一瞬のことで誰もが呆然としていた。それは投げつけられた男と一緒にいたもう一人の男性客も同じであった。
しかし、状況を把握したその男性客は床に倒れた男のもとに走り寄る。
「おい、大丈夫か!」
「いてぇ……」
固い床に背中を強く叩きつけられた衝撃か、なかなか立ちあがることができない。
「て、てめぇ!何しやがる!客にこんなことしてもいいと思ってるのか!」
「ふん!女の子に手を出そうとする失礼で野蛮な人をお客さまとは思わないよ。もちろんご主人さまともね」
「ちっ。女だと思って下手に出れば調子に乗りやがって。上等じゃねぇか。そっちがその気なら俺もお前を女だとは思わねぇ!手加減なくやらしてもらうぞ!」
男性客は右拳を振りかぶり、サヤに向けて打撃を食らわせようとした。サヤも反撃するために姿勢を低くして身構えた。
一触即発。すぐにでも大惨事が起こりそうになっていたその時だった。
「そこまでです!」
ぶつかり合いそうな二人を止める女性の声が店内に響き渡る。その声の主はアストリアであった。
「サヤさん。相手がどれだけ失礼で野蛮であっても、ご主人さまに手を出すなどあってはならないことです」
「で、でも……」
「でもではありません!」
「う~。わ、わかった……」
サヤはアストリアの言葉で戦闘体勢を解いた。
「ご主人さま、うちの従業員が重ね重ねご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした」
「お前が責任者か?一体あいつらにどんな教育してんだ?」
「申し訳ございません。しかし、そちら側が私たちに手を出されたことも今回の件の一因です。どうか今後はお控えくださいますようお願いいたします」
「何?その口ぶりじゃ、こっちが悪いみたいじゃねぇか!俺たちをもてなすのがお前たちの仕事だろ?なら、俺たちの言うことを黙って聞いていればいいんだよ」
「いいえ。いくらご主人さまであろうとルールやマナーを守っていただかねばなりません。それが無理だとおっしゃるのであれば、どうぞお引き取りください」
「ほー。ご主人さまに盾つくとは、大したメイドがいたもんだ!そんなメイドにはお仕置きが必要だな!」
男性客は再び右拳を振りかぶり、アストリアにぶつけようとする。
しかし、男性客はそれ以上動くことができなかった。彼の拳を後ろから誰かが掴んでいたからだ。
「な、なんだ?」
「ご主人さま~?暴力沙汰はご法度だと彼女から聞いていますよね?」
「てめぇ、さっきの……」
男性客が振り向くと、そこには他よりも妙に露出度の高いメイド服を着た黒い長髪の少女ミユウがいた。
「放しやがれ!これは教育だ!歯向かったメイドに教育をするのは主人の権利だ!」
「では、間違った行為を行ったご主人さまをお止めするのは私たちメイドの仕事です」
「うわっ!」
ミユウは男性客の手首を強く握りしめる。
骨が折れそうなほどの激痛に男性客が苦悶の表情を見せる。
「わかった、わかったから離せ!」
ミユウが男性客の右手首を離すと、彼はその場に尻もちをついた。
「なんなんだ、この店は……」
「ご主人さま。お一つお伝えさせていただきます…………もし今度あたしの大事な仲間に手を出したら、二度と生意気なことが言えない体にしてやるからな」
「ひ、ひぃ!もうこんな店に来るか!」
男性客は倒れた同伴者を肩に担いで、飛び出ていった。
それと入れ替わるようにレイが入ってきた。
「どうされたのですか?ご主人さまお二人が血相を変えてお帰りになられたのですが……」
「え、えっと、それはですね……」
ミユウは今まで起こったことを事細かに伝えた。
「なるほど。そのようなことが……」
「申し訳ございません、オーナー。せっかく来ていらっしゃったお客さまを追い返すようなことをしてしまって……」
「いいえ。いいのですよ」
「え?」
「ミユウさんの説明からすると、あちらが暴れられたようですし。むしろあちらの言うことをそのまま全て聞いていれば、お店として成り立ていなかったでしょう。皆さんの判断は正しかったとおもいます」
レイたちは店内にいた客たちに体を向けた。
「ご主人さま、お嬢さま。この度はお騒がせしまして、大変申し訳ございませんでした!」
レイの言葉を合図に頭を深々と下げた。
すると、店内の客全員から拍手が起こる。
『超カッコよかったよ』『あいつらにはあれくらいがよかったんだよ』『むしろスカッとしたわ。ありがとう』
店内の予想外の反応にミユウたちは驚いた。しかし、その反応が彼女たちにとっては嬉しかった。
「では、再開しましょうか。まだ外には多くの方がお待ちですから」
「「「「はい!」」」」
こうしてミユウたちは再び仕事を開始した。
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「「「「いってらっしゃいませ、ご主人さま!」」」」
午後6時、最後の客を見送った。
さっきまで賑わっていたとは思えないほどに、夕日が差し込む店内を静寂が支配していた。
レイは一息つくと、ミユウたち従業員をカウンター前に一列に並ばせた。
「本日はお疲れさまでした」
「「「「お疲れさまでした!」」」」
「皆さんのおかげで無事初日を終わらせることができました。ありがとうございます。では、お疲れのところ申し訳ございませんが、最後に店内の清掃をしましょう」
「「「「はい!」」」」
「皆さんの協力がなければ、本日は成功しませんでした。本当に感謝しています」
「いいえ。私たちもいい経験をさせていただきました。ありがとうございます」
「清掃は私たちがやりますので、皆さんは着替えてきてください」
「いや、ボクたちもやるで。せっかくじゃけん、最後までやらせてつかあさい」
「そうですか?では、よろしくお願いします」
ミユウたちが店内の清掃を始めようとすると、カランコロンと入り口のドアの鐘の音が聞こえた。
「申し訳ございません。もう当店は閉店してしまいまして……」
「いや、客ちゃうよ」
ミユウたちが入り口に目線を向けると、そこに二人の男女が立っていた。
「イリイナ!テイラさん!」
そう、彼らはミユウたちをこの店に紹介したイリイナとテイラだった。
「いやな、もうちょい早うにくるつもりやったんやけど、このアホウのイリイナのせいで思った以上に手間取ってしまってな」
「誰がアホや。第一、あれはあんたが構造を読み間違えたせいやろう」
「ちゃうわ!俺の考え方は合ってたんや。お前が俺の指示通りにせんかったんが悪かったんやろ!」
「あの!もういいですか!」
「「す、すまん……」」
「とりあえず立ち話もなんですので、奥に入ってください」
「それもそうですね。それでは、お言葉に甘えさせてもらいます」
イリイナたちはレイの案内でカウンターの後ろのドアに向かった。
「あたしたちは掃除を手伝うからちょっと待ててね」
「わかったわ。気長に待たせてもらうで」
「そう言えば……」
サヤは足取りを軽くイリイナに近づいた。
「朝言ってた“にぃにへのご褒美”って……」
「ん?ああ、そのことか」
「ねえ、あたしにも用意してあるの?」
「一応サヤの分も用意したで。まあ、ここで渡すわけにはいかんから、宿に戻って渡すわ」
「やったー!」
「じゃあ、最後まで頑張りや」
そう言い残すと、イリイナとテイラは店の奥に入っていった。
「では、早速掃除を始めましょう!」
「「「「はい!」」」」
こうして、ミユウたちは店内の清掃を始めた。




