68.変幻、なぜに…
朝を迎えると、ミユウたちは目を覚ました。
薄いシーツから体を出して、うーんと背筋を伸ばす。
周りを見渡してもまったく見えない。差し込んだ光が池から立ちのぼった霧に反射しているらしい。
ミユウは目を凝らしながら霧の中を歩き、池に近づいて顔を洗う。水の冷たさが心地よい。
「珍しく早起きですね。あまり眠れませんでしたか?」
後ろから声をかけられて振り返ると長髪の少女の影が見えた。
少女の影が近づいてくると姿がはっきりと見える。金色の髪に赤い瞳、紛れもなくその影はアストリアだった。
紺色の緩やかなワンピースの夜着をまとった彼女は、既に髪を櫛で整えていた。
「ううん。ちょっと目が冴えちゃっただけ」
「そうですか。私もいつもより早く起きてしまいました。少し今朝は肌寒いですから」
アストリアは小刻みに震えながら体をさする。
確かに今朝は少し寒い。もしかしたら室内で夜を過ごすのに慣れてしまったからかもしれない。
「よろしければ、少し二人で話しませんか?」
「いいよ。サヤたちもまだ起きそうにないからね」
「では失礼します」
アストリアはミユウの右隣りに腰を下ろした。
すると、彼女は「うふふ」と笑みを浮かべた。
「ん?どうしたの?」
「いや、こうやってミユウさんと二人っきりになれたのが久しぶりだなと思いまして」
「そう言えばそうだね。サヤと合流してからはこんな機会もなかったから」
「あの湖で再会したときには、ここまで賑やかな旅になるとは思いませんでした」
「アストリアはあたしと二人っきりの方がよかった?」
「それはまあ、たまに二人っきりになりたいと思うこともあります。しかし、サヤさんやシュナさん、そしてイリイナさんと一緒に過ごす時間は私にとって宝物のような時間です。それを嫌だと思ったことは一瞬たりともありませんし、これからもそう思うことはありません」
「そうか。うん、あたしも同じだよ」
その後ミユウとアストリアは沈黙して、池の向こうのゆっくりとのぼる太陽を眺めていた。2人だけでいることに慣れていないためか、言葉を続けることができなかったからだ。
しばらくすると、アストリアが沈黙を破るように話を始めた。
「ミユウさん、今サヤさんのことを考えていたのではないですか?」
「え?」
突然のアストリアの言葉にミユウは驚き、彼女の顔を見つめた。
「ど、どうしてそう思うの?」
「私をなめないでください。ミユウさんの姿を見ていればわかりますよ。昨日の口論のことを考えていらっしゃったのでしょう?」
「……うん」
昨晩ミユウたちはサヤと猫を飼うか飼わないか口論をしていた。なかなか決着がつかずにいら立ったミユウは、サヤの横腹をくすぐって半ば強制的に猫を森に返したのだった。逆恨みしたサヤはミユウを数時間にわたってくすぐった後、一切言葉を発さずに眠りに着いてしまった。
その後、ミユウはサヤと和解できていない。
「あまりご自身を責めないでください。ミユウさんの行動は私も正しかったと思います。もしミユウさんがしていなければ私がしていました」
「でも、もっとうまいやり方があったんじゃないかって思うんだ。そのせいで、またサヤと喧嘩しちゃった」
落ち込むミユウの体にアストリアが身を委ねる。
「わかりました。では私も一緒に謝ります。その方がミユウさんも気が楽でしょう」
「いいの?」
「はい。このままだとサヤさんとまた仲直りできなくなってしまいます。そんなお二人を見ているのはとても辛いですから。きっとシュナさんやイリイナさんも同じお気持ちだと思います」
「ごめん。なんだかみんなに迷惑をかけてたみたい」
「それでいいのです。どんどん私たちに迷惑をかけちゃってください。そして、一緒に悩んで解決していきましょう。それがミユウさんのおっしゃる“仲間”というものではないですか?」
「…………うん。ありがとう」
ミユウは隣でニコッと微笑むアストリアの表情を横目で見た。
いつも上品で優雅で大人っぽく見えることが多い彼女だが、たまに見せる子どものような屈託のない笑顔が特に好きなのだとミユウは改めて思った。
「それでは、もうそろそろお二人を起こしましょうか」
「そうだね。起きたら早速サヤと話し合いだ」
ミユウとアストリアは腰を上げて、服についた汚れを払うと、野営地に戻ることにした。
池から野営地に戻ると、ミユウとアストリアはサヤとシュナが眠っている場所に向かった。
まだ霧が濃くてよく見えないが、確かに2人分の影が見える。
ミユウはその2つの影の間でしゃがみ、まずは左側で寝ているであろうシュナから起こすことにした。
「シュナ、朝だよ。そろそろ起きて」
シュナの肩を揺らしながら声をかけると、彼女はゆっくりと上半身を起こした。
「う〜〜もう朝か……」
まだ十分に目覚めていないのか、目をトロンとさせ、耳は前に倒れていた。
ミユウはその姿に違和感を抱いた。
いつもならアストリアと同じぐらい早く起きて、ミユウとサヤを起こしているほど朝に強いはずのシュナだが、今日はなぜかまだ眠そうにしている。
「どうしたの?あまり眠れなかった?」
「そうなんよ。夜遅うに何やゴソゴソって物音がしよってな。気になってよう眠れんかった」
「気づいていなかっただけで、私たち以外にも人がいたということでしょうか?」
「う〜ん。霧が濃うてよう見えんかった」
「物騒ですね。念の為、後で何か盗られていないか確認してみましょう」
次にミユウは右側のサヤを起こすことにした。
昨日のこともあるため、すこし緊張しているが、一つ深呼吸をして気持ちを整える。
まずは声をかけるだけ。
「サ、サヤ。朝、だよ〜」
「…………」
ぎこちく声をかけてみたが、返事がない。まだ眠りが深いのだろうか。
「サヤ、早く起きて!」
もう一度声をかけてみたが、返事がない。
もしかしたら、もう起きているのに、まだ拗ねていて寝ているふりをしているのかもしれない。
その場合、無理に起こそうとすれば事態が悪化することも考えられる。
「う~ん。困ったな……」
ミユウが頭を抱えていると、後ろで乱れた髪を櫛でといていたシュナが声をかけてきた。
「なあ。さっきから不思議に思っとったんじゃけど、妙に静か過ぎん?」
「それはまあ、朝だからね」
「そうじゃのうて、さっきからサヤの寝息が聞こえんじゃろ?」
シュナの言葉にハッとしたミユウはサヤと思われる人影に手を伸ばした。
すると、ミユウの掌に人とは思えない柔らかくチクチクとした感覚があった。
「何これ?」
「灯りを用意します」
アストリアは枕元に置いてあったランプに火を点けて、ミユウの掌に近づける。
灯りに照らされると、枯れた葉や草を密集させて作られた等身大の人形があった。そこにはサヤの姿はない。
慌てたミユウたちは手探りで周りを探してみたが、一向にサヤの姿を見つけることができなかった。
「そ、そんな……」
顔を真っ青にしたミユウは力が抜けたようにストンと腰を落とした。
「きっとサヤはあたしのことが嫌いになって……」
ミユウの脳裏には以前サヤと喧嘩をしてしまったときの思い出がよぎった。
あの時にはサヤと仲違いをした状態でミンクに捕まってしまい、そのまま一生会えないのかもしれないと思ったものだ。
その時には結局再会することができ、仲直りすることができたが、今度こそサヤとこのまま仲違いをしたまま会えないかもしれない。そう思うと、ミユウの顔色はより悪くなっていく。
「ミユウさん、それは早とちりですよ。こちらをご覧ください」
地面の上で抜け殻のように座り込むミユウにアストリアはあるものを見せる。
アストリアの手にあったものは1人分の衣類だ。
「これはもしかして……」
ミユウたちはその衣類に見覚えがあった。紛れもなくサヤが寝るときに昨晩着ていた夜着だった。
「こちらがあの人形の側に落ちていました。残されていたのは服だけではありません。着用されていた下着や靴、そして荷物もそのままになっていました。おかしいと思いませんか?」
確かにミユウたちから逃げるのに、わざわざ服を脱いだり、荷物を置いて行ったりする理由がない。
そんなことをすれば逃げ出した後に苦労するのは目に見えているはずだ。
「じゃあなんでサヤはいなくなったんだろう」
「考えられるのはサヤさんの意図と関係なくどこかに連れ去られてしまったということです」
「それこそ信じられない。あのサヤが誰かに連れ去られるなんて」
サヤは戦闘能力に優れた不殺族だ。いくら眠っていたからといっても強引に連れていくことは不可能な話だ。それにミユウたちがいたにもかかわらず、サヤだけを襲った理由も分からない。
もし金品目的なら所持品がなくなっているはずだが、サヤやミユウたちの所持品もそのまま残っている。
いろいろ考察すればするほど犯人の意図が分からなくなっいく。
そんな時、サヤが眠っていたシーツの周りを探索していたシュナが一つの考察を立てた。
「なあ。これって昨日言いよった“魔獣”の仕業ちゃうか?」
シュナのいう“魔獣”というのは、通常の生物とは異なり、魔術に似た奇妙な術を使う生物のことである。近頃、ナクトリスとクリアスティアをつなぐ道で人がいなくなる一連の騒動の原因の一つと考えられていた存在だ。
「確かにそう考えれば不殺族のサヤさんを無理やり連れて行くことは十分あり得ますね。そう言えば、先ほど『夜に何か物音がした』とおっしゃっていましたが、それが魔獣だったとおっしゃるのですか?」
「ああ。あん時はよう見えんかったんじゃが、かすかに獣の臭いがしよったんよ。この人形からも同じ臭いが染みついとるわ。けんど、あの臭いを最近嗅いだ覚えがあるんじゃが……」
「え?どこでですか?」
「う~ん。それがよう思い出せんのじゃ」
「そうですか。何かの手掛かりになると思ったのですが……」
「まあ安心しい。臭いはしっかり残っとる。これを辿ったらサヤのおる場所に辿り着けるはずじゃ」
「お~!さすがはシュナだ!もしもの時に頼りになる~」
一縷の希望の光を見出したミユウは、満面の笑みでシュナの頭をワシワシと力強く撫でまわした。そんなミユウをシュナは不満そうに見つめた。
「やっぱ君、ボクのことをペットかなんかやと思っとるじゃろ」
「そんなことはないよ~」
ミユウの機嫌がよくなったことに安心したアストリアが一つ咳払いをした。
「では、荷物をまとめて早速サヤさんを探しに行きましょう」
「うん!」
こうしてミユウたちは早々に自分たちの荷物をまとめると、シュナを先頭に林の中へ入っていった。




