65.甘い誘惑、かな……
アストリア特製の料理を食べ、ミユウとシュナが文字通りの食中毒に襲われてから二日が経った朝、ミユウとシュナが動けるまでに回復することができた。
一日目はなかなかにひどいものであった。
内側から何かに食い潰されるような激痛が二人を襲い、寝返りを打つことさえきつい。今までにあらゆる薬を投与されて苦しめられたが、それらの比にもならない苦痛だ。
より悪質だったのは、出すべきものを出すことができなかったことである。二人を苦しめた毒素“マジリアスク”は内臓にあるもの全てをその場に停滞させた。
驚異的な治癒能力を持つ不殺族の村人全員が苦しめられたというサヤの話も納得がいく。
ミユウは自分のベッドの上で仰向けになっていた。
猛毒に責められ続けた自分の腹部を労るように優しくなでる。つい最近まで悲鳴をあげていたのが嘘のように静かに上下に動いていた。ある地域では、このことを“台風一過”というらしい。
「もしアストリアと一緒になったら、またあれを食べないといけないのかな?」
婚姻を結んだ者たちが食事をともにするのはごく当たり前の話だ。
そのときにはアストリアが作ったものを毎日のように口にしなければならないだろう。
そう考えた途端、ミユウの顔が青ざめていく。
「……料理、今のうちに勉強しよう」
ミユウは決意した。
「にぃに~、起きてる?入ってもいい?」
ドアをノックする音と共に、少女の呼びかける声が聞こえた。
ミユウが「いいよ」と返すと、ドアを開けて妹サヤが水を入れた桶を脇に抱えて入ってきた。
「どう?お腹もう痛くない?」
「ありがとう。痛みもないから安心して」
唯一アストリアの料理から免れたサヤは、ミユウとシュナの看病をしていた。
サヤは、自分が二人にアストリアの料理のことを伝えず、自分だけ逃げ出してしまったことを申し訳なく思っており、そのお詫びとしてさまざまな薬を用意してくれた。もし、それがなかったら今でも苦痛に襲われていただろう。
「あれ?シュナさんは?」
サヤが部屋を見渡すと、ミユウと一緒に倒れているはずのシュナがいなかった。
「シュナはトイレに行ったよ。なんかたまってる物を出せそうだからっていって」
「あのね、シュナさんも女の子なんだから、そんなこと言っちゃだめだよ。にぃには本当にデリカシーがないんだから」
「ごめん……。そういえば、アストリアはどう?」
「うん。最初はにぃに達を心配していたけど、うまいこと言ってごまかしたよ。料理のこともばれてないから安心して」
ミユウ達はアストリアにミユウとシュナの症状のことを秘密にしていた。もし自分のせいで倒れてしまったと知ってしまったら、彼女は強い自責の念にかられてしまうだろう。それはミユウ達が望むことではない。
「そういえば、にぃにはもう何か食べられるようになった?」
「うん。たくさんまではいかないけど、少しぐらいなら食べられるよ」
「よかった。二日間何も食べたないから小腹すいているかなって思って、いいもの持ってきたんだ」
「いいもの?」
サヤは机の上に抱えていた桶を置くと、ポケットから出した小さな赤い袋の中から、小さくて黒い球形のものを3つ取り出して、ミユウの前に差し出す。
ミユウは上半身を起こすと、細目でサヤの差し出したものを眺める。サヤの口ぶりからすれば、それは食べ物なのだろうが、それが何なのか全く見当がつかない。
「それ、何なの?」
「“ショコラート”だよ」
「ショコラート?」
サヤの口から発せられた言葉の響きを真似るように、ミユウも口にする。
名前を聞いてもわからない。しかし、その響きから何か上品なイメージが浮かび上がる。
「知らないの?まあ無理はないか。ショコラートはね、確か“カカオ”っていう豆を使ったお菓子なんだ。昔は少ししか作ることができなくて上級階級の人たちしか口にできなかったんだけど、ここ数年の間に大量生産できるようになって、多くの人たちの口にも入るようになったんだよ」
「なるほど。あたしが捕まっている間に世の中はいろいろと変わったんだね」
ミユウは時間の移り変わりを改めて実感しながら、サヤの手のひらの上から1つのショコラートを手に取る。
何も言われなければ、薬草を煮詰めて固めた薬と勘違いしてしまいそうな色と形。とてもおいしそうに見えない。
しかし、鼻に近づけて匂いを確認すると、そのイメージは一変する。最初は甘い香りが漂っていたが、その中にわずかな苦みが感じられる。一言でいえば“落ち着く”匂いだ。
「ほら、食べてみてよ」
「え?いいの?」
「そのために持ってきたんだから。きっとにぃにも気に入ってくれると思うよ」
「じゃあ、遠慮なく」
ミユウはショコラートを口の中に放り投げる。
「ん!」
ミユウはその触感に驚きを隠せなかった。
舌の上でショコラートが氷のように溶け出していく。すると、口の中に甘さとほろ苦さが広がっていった。同時にミユウの脳内にほわほわとした気分が支配していく。
「どう?」
「おいしいよ!いままで口にした食べ物とは全然違うね」
「でしょ?でも、よかった。正直にぃにはあまり好きじゃない味かもしれないって心配してたんだけど」
「そんなことないよ。ありがとうね、サヤ」
「うん!」
ミユウが笑顔で礼をいうと、サヤは少し頬を染めて微笑みながら返事する。
第三者の目から見れば、二人は仲のいい姉妹に見えているはずだろう。
「でも、これどこで手に入れたの?町に出たときに買ってきたの?」
「ううん。実はこれ……」
サヤが答え始めたと同時にドアをノックする音が聞こえた。そして、外から問いかける女性の声が聞こえた。
「ミユウさん?入ってもよろしいでしょうか?まだ体調が優れないのであれば後ででもよろしいのですが……」
鈴の鳴るような声と淑やかな口調、アストリアの声であった。
「ううん。大丈夫だよ。入ってきて」
「では失礼いたします」
ミユウが返事をすると、ドアが開いてアストリアが中を窺うように入ってきた。
金色の滑らかな髪に白い肌、そしてルビーのような赤色の瞳。2日ぶりに目にした彼女の姿に、ミユウは懐かしさを感じていた。
「サヤさんから“ミユウさんとシュナさんが風邪をひいている”とお聞きしたのですが、大丈夫でしょうか?それにシュナさんのお姿もないようですが……」
「あたしもシュナも治ったよ。シュナは、その、お花を摘みに行ったんだよ」
「そう、でしたか。それは、よかったです……」
アストリアは涙目になりながら、そう答えた。
サヤはミユウとシュナの食中毒をごまかすために、二人は風邪をひいているとアストリアに伝えていた。「それなら看病する」と何度も迫られたが、二人の姿を見せるとバレてしまうため「感染すると危ないから立ち会わない方がいい」と伝え、面会を断っていた。
二人が苦しんでいるのに自分は何をすることもできないと、アストリアは不安と悔しさで二日間まともに寝ることができなかった。それを心配したサヤが気分転換に散歩に出るように勧め、彼女はその提案にのって町に出ていた。
そして、一通り町を歩いて帰ってきたところで、ミユウ達の様子を見に来たのだ。
「心配かけてごめんね」
「いいえ。大丈夫です。念のため今日はゆっくりしてください。もし翌朝も体調がよろしいようでしたら、明日の昼頃に出発しましょう。宿主の方にもそうお伝えします」
アストリアは涙を手でぬぐうと、安心したように微笑みかける。
「わかったよ。シュナが帰ってきたらそう伝えておく」
「あ、そうです」
アストリアはパッと何かを思いついたかのように一つ手を打った。
「今晩はお二人が回復されたことをお祝いして、ごちそうをお作りしましょう!」
「「え!」」
そう提案すると、ミユウとサヤはビクっと全身を震わせた。
もし、またアストリアの料理を食べれば、今度はいつ回復できるか分からない。
「そ、そこまでしなくてもいいよ!」
「どうしてです?遠慮されなくてもよろしいのに」
「ほ、ほら、にぃには病み上がりだし、あまりご飯食べられないんだよ!だよね?」
「うん!せっかくだけど、それはまた今度に!」
「そうですか?お二人がそこまでおっしゃるのであれば仕方ありません」
二人に止められてアストリアはがっかりとする。
彼女の表情を見るとかわいそうになるが、すべては自分たちの体のためである。ここだけはどうしても譲れない。
「では、私はここで失礼いたします」
アストリアはミユウに軽く頭を下げて、部屋を出ようとドアノブに手をかける。
「あ!そういえば、サヤさんにお訊ねしたいことがあったのを忘れていました」
そういうと、踵を返して再びサヤに目線を向ける。
「あのですね、私たちの部屋の机の上に赤い袋が置いてあったのですが、私が帰るとそれがなくなっていたのです。ご存じではないですか?」
「赤い袋?」
ミユウは彼女の“赤い袋”という言葉に思い当たりがあった。それはサヤが持ってきたショコラートの入った袋のことだ。
きっとあれはアストリアが持っていたもので、サヤが黙って持ってきてしまったのだろう。
「それだったら、さっき……」
「ううん!知らないよ!」
「え?」
ミユウが答えようとした途端、それを遮るようにサヤが言葉をかぶせた。
サヤに目線を向けると、彼女は引きつった笑顔で冷や汗を流し、例の赤い袋を背中に隠していた。そして、ミユウに向けてウインクを送る。これは「黙っていて」というメッセージなのだろうか?
「そうですか。おかしいですね。留守の間に泥棒に入られてしまったのでしょうか?」
アストリアは顎に手を当てて、不思議そうに思案していた。
そんな彼女に対して、少し震えた声でサヤが訊ねる。
「もしかして、それって大事なものなの?」
「いえ。大事というほどのものではないのですが、あの中にはある魔術を使う際に使用するものが入っていたのですよ」
「ブッ!」
アストリアの回答をきき、ミユウは思わず吹いてしまった。
「大丈夫ですか?!」
「だだだだだだ大丈夫だよ!ちょっとせき込んだだけ」
魔術に使われるもの。それがまともなもののはずがない。今すぐ体内から吐き出したいが、すでに体内に吸収済みのはず。もう手遅れだろう。
ミユウの慌てふためく姿にアストリアは不信感を持った。
「そう言えば、ミユウさん先ほど何かおっしゃいかけていましたよね。実は何かご存じなのではありませんか?」
「え、そ、その~」
アストリアの笑顔の圧力にミユウは動揺が隠せなかった。
正直に言おうかと思ったが、サヤからも無言の圧力を感じて口にすることができない。それに正直に言ったところでアストリアが許してくれそうにもない。あとでどんなお仕置きをされるか。
「し、知らないな~」
ミユウはショコラートのことを隠すことにした。
しかし、アストリアはそれを見逃さなかった。
再会してまだ一か月も経っていないが、それだけの間にミユウが嘘をついているかどうかわかるようになっていた。
その経験に基づけば、ミユウは間違いなく嘘をついている。何かを隠している。
隠すのであれば、アストリアのすることは一つである。
「そうですか。あまり病み上がりのミユウさんにはこのようなことをしたくはなかったのですが、隠されるのであれば仕方ありませんね」
アストリアは右手で指を鳴らす。すると、彼女の右手がいきなり光り出し、一つのものが現れた。
彼女が握っているもの、それは木製の人形だった。全長30センチほど、頭部には顔は一切かかれておらず、関節の部分が糸でつながれていた。よく見ると胸の部分が二つ盛り上がっている。どうやら、女性を象っているらしい。
「何なの、それ?」
ミユウが全身を震わせながら訊ねる。
アストリアは人形の腹の部分を両手で持ち、目の高さまで持ち上げる。
「先ほどお伝えしましたよね?赤い袋の中にはある魔術を使う際に使用されるものが入っていると」
「う、うん」
「その魔術というのは……、いや、実際に体験された方が分かりやすいですね」
「え?」
「うふふ……」
アストリアは両手の人差し指を立てる。すると、その指先が赤く光った。そして、光った人差し指の先で人形の左右の脇の下をくすぐる。
それと同時に、ミユウの何もあるはずがない脇の下に、人の指先でくすぐられている感覚が発生した。
「え?あ、ぎゃあははははははははは!」
「にぃに?!」
いきなり笑い始めるミユウに驚くサヤには一体何が起こっているのか理解できていなかったが、当のミユウは一瞬で自分に何が起こっているのか理解できた。
自分はあのショコラートを食べたことにより、アストリアの持っている人形と感覚がつながってしまった。だから、人形の脇をくすぐられると、自分の脇の下にくすぐったさが襲うのだ。
しかし、どれだけ脇の下を押さえて隠しても、くすぐったいという感覚は収まらない。この不思議な状況は肉体にも精神にもかなりきつい。
ミユウはベッドの上で体をジタバタさせて笑い悶えるしかできなかった。
「あはははははは、いひひひひ、や、やめてーーーー!」
「うふふ。こちらの人形をくすぐるとミユウさんが反応されている時点でもう明白ですが、改めてミユウさんの口からお聞きしたいです。一体どなたがあのショコラートを召し上がられたのですか?」
「あ、あ、あたしが、た、食べましたーーーー!あははははは!」
「そうでしたか。人のものを無断で召し上がるだなんて、ミユウさんは悪い子ですね。こちょこちょこちょ~」
「いひひひ、ご、ごめんな、あはははははは!ゆ、許してーー!」
ミユウは許しを請うが、アストリアは人差し指の動きを止めなかった。
彼女にはまだ聞かなければならないことがあるからだ。
「もう一つお聞かせ願いますか?どのようにして私たちの部屋からあの袋を持ち出したのですか?」
「ギクッ!」
アストリアのミユウに対する尋問の内容に、傍観していたサヤが反応する。
もしミユウが本当のことを白状してしまったら、間違いなく自分がお仕置きされる。それだけは何としても阻止したい。
「アスねぇ、もうこの辺にしてあげない?にぃにも十分反省してるからさ」
「いいえ。私たちの留守中に忍び込んだ挙句、勝手に私物を持ち出すだなんて。その上、私たちがミユウさんのことを心配していた時にそのようなことをするだなんて許すことはできません!」
「それは、その……」
「私もこれ以上ミユウさんを苦しめたくないのです。本当のことを白状されれば、今回はこのあたりで許して差し上げますので」
「いひひひ、い、い、言わない……」
「え?」
サヤは驚いた。早々にミユウは本当のことをあっさりと白状してしまうかと思っていたからだ。
ミユウは何も事情を知らなかった。勝手に持ってきたサヤに責任があっても、ミユウには何の責任はない。早く本当のことを言えば、自分は助かるはずなのに、ミユウはそれをしなかった。
「……残念です。ミユウさんはもっと正直な方だと思っていましたのに。では、もう少し苦しんでいただきましょう」
アストリアの人差し指以外の指先がすべて赤く光った。そして、それらの指が人形の左右の横腹をグニグニとくすぐり始める。
それと同時に、ミユウの脇腹全体にくすぐったさが襲う。
「ぎゃはははははははは!しょれは、いやあははははははは!」
「あわわ……」
先ほどより激しく笑い悶えるミユウ。
(持ち出したのはあたし。悪いのは全部あたしで、にぃには全然悪くない‼)
そう喉まで出かかったが、お仕置きが怖くて寸でのところで声にすることができなかった。
サヤはベッドの上の兄を眺めながら、何度も心の中で「ごめんなさい」と連呼した。
そんな時である。
アストリアの後ろにあったドアがゆっくりと開き、一人の少女が入ってきた。黄金色の髪の中から犬のような耳を生やした獣人族の少女、シュナであった。
彼女は腹部をさすり、猫背になりながら壁伝いに歩く。いつもピーンと立っている耳も心なしか前に折れ曲がっている。
「う~、まだ少しだけ痛いのう~。明日までには治ればええんじゃけど……」
そうつぶやきながら、一歩一歩をゆっくり踏み出していく。
そこで部屋がやけに騒がしいことに気が付いた。
ふと部屋を見渡すと、ベッドの上でミユウがジタバタと暴れながら笑っている姿があった。昨日まで同じように苦しんでいたとは思えない元気さに、少しばかり妬ましく思った。
「君は回復が早うてええのう。そん力少しでも分けてほしいわ。でも、なんでそんなに笑いよるん?なんやおもろいことでもあったん?」
「おや?シュナさんはまだ回復されていないのですか?」
「え?」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ振り返ると、そこにはアストリアとサヤが立っていた。
「…………あ!アストリア!なんで君が!いや、僕は元気よ!ちょっと最近便秘気味じゃったけん……って、君何しよるん?」
木製の人形を両手で持ち上げている奇妙なアストリアの姿にを見て、シュナは疑問に思った。
「いいえ、お構いなく。今、乙女の部屋に入った泥棒さんにお仕置きをしているところなので」
「泥棒さん?何のことじゃ?」
アストリアの答えを聞いても状況が呑み込めなかった。
シュナはアストリアの側でにいたサヤに近づいて、彼女に詳細を聞くことにした。
「なあ、これはどういうことなん?なんでミユウはあんな元気に笑って……ん?サヤ、後ろに持っとるその赤い袋は何?」
シュナはサヤが持っていた赤い袋を手に取り、目の高さに持ち上げる。
「え?あ!」
サヤは慌てて赤い袋をシュナから奪い取る。
「何や黒いもんがようけ入っとるけど、薬なん?」
「いや~その~……」
「サヤさん?」
「ひい!」
サヤの背後から殺気が冷気のように漂う。
恐る恐る振り向くと、そこにはニコッと笑っているアストリアがいた。
「アスねぇ、いや、これはね……」
「サヤさん?先ほどお尋ねしましたよね?『赤い袋のことを知りませんか』と」
「……はい」
「その時に『知らない』とおっしゃいましたよね」
「……はい」
「そのサヤさんがなぜ例の赤い袋をお持ちになられているのですか?」
「あの……えへへ♪」
「うふふ」
サヤはごまかすように愛想笑いをする。
アストリアは右手で指を鳴らす。それと同時にサヤの上半身を拘束するように鎖が出現する。
「ふぎゃ!」
不意を突かれたサヤは鎖の重さで床に倒れ込む。
「なるほど。やはりサヤさんが持ち出していたのですね」
「え!まさかあたしが犯人って気付いていたの!」
「当たり前です。ミユウさんがわざわざ私たちの部屋に忍び込んで、私物を盗むようなことをするはずがありません。そうなれば、犯人は私と同じ部屋のあなただとわかります」
「じゃあ、なんでにぃにを……」
「ミユウさんが苦しめられている姿をご覧になれば、良心の呵責にかられたサヤさんが白状していただけると思ったからです。結局それは叶わなかったのですが……」
「そ、そんな……」
サヤは自分がアストリアの手の上で踊らされていたことに気が付くと、全身の血の気が引いていくのを感じた。
アストリアはベッドの上で痙攣していたミユウに目線を向けた。そして、深々と頭を下げる。
「ミユウさん。この度はサヤさんから自供を出すためとはいえ、ミユウさんに大きな負担をかけてしました。誠に申し訳ございません」
「はあ、はあ、大丈夫、だよ。黙ってたあたしも、悪かったんだから……」
「それでは、この後隣の部屋でサヤさんにしっかりお説教しないといけませんので、ここで失礼いたします。お二人は明日の朝までゆっくりとお休みください。では、行きますよ」
「ひゃ、ひゃ~い」
アストリアはサヤを拘束する鎖の端を掴んで、彼女を引きずるように部屋を去っていった。
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ショコラート事件が終結した10時間後、日が完全に沈んでいた。
ミユウ達の宿は繁華街の近くのため、道沿いの部屋には外の灯りと騒音が入ってくる。
しかし、道側に面していない廊下は闇が支配しており、等間隔に配置された灯りのみがほんのりと照らしていた。
その廊下の中央に一人の少女が正座をしていた。
肩ほどの短い黒髪に透明な瞳、まだあか抜けてきっていない幼い容姿の少女、サヤであった。
サヤはショコラート事件が終結した後、アストリアに5時間にわたるお説教を受け、その後廊下で正座をさせられていた。
昼は暖かくなったとはいえ、夜は肌に突き刺さるような寒さだった。
「う~、寒いよ~、痛いよ~、足がしびれてきたよ~。でも、勝手にアスねぇのものを持ち出したあたしが悪いのだし、仕方ないよね……」
今までさまざまないたずらをして両親に怒られたサヤも、今回のアストリアの説教はかなりこたえていた。寒さに晒される中で、自分のしたことの罪をしみじみと感じていた。
「サヤ、大丈夫?凍え死んでない?」
自分にかけられた声の方に目線を向けると、そこには兄であるミユウが両手に2枚の銀の器をもって立っていた。
「にぃに、どうしたの?」
「お腹空いていない?少ないけどご飯を持ってきたよ」
「あ、ありがとう……」
ミユウはサヤの前に2枚の器を置く。一枚には2つのパン、もう一枚には湯気が立ち上る野菜のスープが入っていた。
「また器を取りに来るからね」
そう言い残すと、ミユウは踵を返して部屋に戻ろうとする。
「ちょっと待って!」
サヤが呼び止めると、ミユウは再びサヤに目線を向ける。
「ん?どうしたの?トイレに行きたいの?」
「違うよ!そうじゃなくて、その、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「聞きたいこと?」
「うん。さっき何で本当のこと言わなかったの?」
「何の話?」
「にぃにがアスねぇにくすぐられていた時のことだよ。あの時、あたしのことを白状すれば、にぃには助かったんだよ」
「あ~そのことか……」
ミユウは少し考えたあとに、返事をする。
「それはまあ、サヤがショコラートを持って来たって言おうとも思ったよ。けど、サヤはあたしのために持ってきたんでしょ?方法はあれだけど、あたしを気遣ってくれたのがうれしかったんだ。だから、とても言い出せなかったんだよ。それに……」
「それに?」
「サヤはあたしの妹だから。兄が妹を守るのは当たり前でしょ……」
「にぃに……」
大好きな兄を自分のした不注意で苦しめてしまったこと、そして、その責任をすべて兄に押し付けて黙ってしまったことをサヤは心の底から悔やんだ。
そして、サヤはいつの間にか大粒の涙を流し、ミユウの胸元に飛び込んだ。全身で飛びつかれたミユウはそのまま背後に倒れてしまう。
「ご、ごねんね~!あたしのせいで、あたしのせいで~!」
「……うん。わかった。わかったから泣かないで。サヤが反省してることはよくわかったから」
ミユウは泣きじゃくるサヤの頭を何度も撫でる。
どれだけ世の中が変わろうと、無邪気な心を失っていない妹が変わらずにいてくれる。そのことに気づけたことが少しだけありがたく思えた。
「あの~もうそろそろ退いてくれる?」
「ごめん。足がしびれて立てない。だからもうちょっとこのままでいさせて~」
「え~」
この後ミユウは妹の下敷きになったまま、1時間動くことができなかった。




