51.体を取り戻す、そのためには…
「もう、嫌だ!」
シュミルーク家のプライベートビーチを後にして、イリイナと別れてから三時間後、ミユウは森の中の道の真ん中でそう叫んだ。
アストリア・サヤ・シュナの三人があきれたようにミユウを見る。
「どうしたん、ミユウ?もうイリイナのこと恋しくなったん?」
「ちがーーーう!あたしはこの状況に不満があるの!」
「あまり大きな声ではしゃがないでください。大人げない……。どういうことですか?何が不満なのか口にしていただけなければわかりませんよ?」
「じゃあ、はっきり言わせてもらう!あたしはくすぐりに弱いこの体が嫌なの!男の体に戻りたいの!」
アストリアたちは大きくため息をついた。
「今更ですね……。以前にもお伝えしましたが、ミユウさんたちの故郷の村で、私と婚姻の儀を執り行うその直前に魔術印を消させていただきます。それまでは辛抱してください」
「それじゃ嫌だ!ここ最近、この体のせいでどれだけ屈辱的で苦しい思いをしてきたと思ってるの!もう我慢できない!」
「すべてはミユウさんの自業自得です。ですので、もう子供のように駄々をこねないでください。サヤさんの前で恥ずかしくないのですか?」
「うっ」
「にぃに、あたしは恥ずかしいよ……」
サヤに目線を向けると、ミユウを見下すような目で見ていた。それが鋭利なナイフのように心に突き刺さる。
ミユウは咳ばらいして、空気を変える。
「とーにーかーく!あたしはあたしの体を取り戻すためにアストリアに言いたいことがある!」
「はあ。大体の予想はつきますが、参考までにお伺いいたしましょう」
「あたしミユウ・ハイストロは、アストリア・ナルトリフに勝負を申し込む!」
アストリアを指さし、宣戦布告の言葉を彼女に投げつけたミユウ。
それにアストリアが目を丸くしていた。それを見ていたサヤやシュナも同様である。
「……え?私と、勝負ですか?」
「そうだよ。あなたに奪われた体は勝負をして勝ってから取り戻す。それが道理でしょ?」
そう言い切ると、サヤがあたしの肩に手を乗せる。
「あたしね、にぃにのことをまっすぐな人だとちょっとだけ尊敬していたんだ。けど、見損なっちゃったよ」
「え?何言っているの?あたしは正々堂々真っ向勝負を挑んでるじゃん」
「あたしが言いたいのは“非力でか弱い一人の女の子に対して、組手を挑むのは卑怯者のすることだ”ということなの!」
「非力?か弱い?」
「ミユウさん?なぜ、そこを疑問に思われるのですか?」
「ひい!いや違う違う!みんな誤解してるよ。あたしはなにもアストリアと組手で勝負しようとは言ってないよ!」
「では、どのような勝負を望まれているのですか?」
アストリアの問いに小首を傾げる。
感情にまかせてアストリアに勝負を挑んだが、具体的な対決内容まで考えてなかった。
「そうだね……あたしが十分間ティークにくすぐられるのを我慢するっていうのはどう?」
「「「……」」」
アストリアたち3人はまた黙り込んでしまう。
「……ミユウ、それ本気で言いよるん?」
「もちろん!本気も本気だよ」
「にぃに、確かに組手でアスねぇと戦うっていうのと比べたら、卑怯じゃないけど、それってあまりに無謀過ぎない?」
「そうだけど、まあ大丈夫でしょ!最初から全身に集中して力を入れておけば耐えられるって」
この時のミユウはなぜか自信をもっていた。もしかしたら、何度もくすぐられて耐性が付いたのかもしれないという過信があったのかもしれない。
「あのですね、ミユウさん?自信を持たれるのは大変結構なことですが、あまり魔術を侮られては身のためにはなりませんよ?」
アストリアは苦笑いを浮かべながら諭す。
魔術印により、くすぐり耐性が致命的に弱くなったミユウだが、これまで一度もそれに耐え抜いたことがない。かつ、“拷問蛇”の異名を持つティークは彼女の弱点を彼女以上に知り尽くしている。
この勝負、行う前から結果は見えきっている。
しかし、ミユウはここで引く訳にはいかなかった。
「ふ、ふん!魔術なんて怖くないもん!だいたい魔術なんて子供だましの手品みたいなものでしょ?そんなものに屈するあたしじゃないよ!」
そう言った瞬間だ。重い空気が迫ってくるような感覚があった。
その気配の根源に目線を向けると、そこには無表情で見つめているアストリアがいた。
それは彼女と再会して、あたしが“お前のことは知らない”と断言した後、あの時と同じ殺気を帯びた冷たく恐ろしいものだった。
「ミユウさん、冗談でもおっしゃっていいことと悪いことがありますよ」
「だってその通りじゃん」
「おやおや。では、あなたはその“子供だましの手品”によって、そのようなお姿になったということですよね?まったく惨めなことで」
「な!それは、その……」
それを言われてしまっては返す言葉もない。
しかし、このまま黙っては先に進むことができないと無理やりに言葉を繰り出す。
「とにかく!あたしの挑戦、受けるの?受けないの?」
「ええ。お受けいたしましょう。ミユウさんには一度魔術の真の恐ろしさを徹底的にお教え差し上げなければなりませんから」
「そ、そんな、脅し、怖くない、よ……」
見栄を切ったが、嘘だ。
全身から汗が噴き出して、震えが止まらない。
「じゃあ、早速勝負できそうな場所を……」
「一時間」
「え?」
「さきほどミユウさんは十分間とおっしゃいましたが、それでは足りません。ティークさんのくすぐりをミユウさんが一時間耐え抜いたら、あなたの勝ちを認めましょう」
「い、一時間は、ちょっと……」
十分間とは、ミユウが耐え抜けるギリギリの時間だ。それ以上となると、耐えられる自信がない。
「おや、おかしいですね?ミユウさんにとって魔術は大したものではないのですよね?それでしたら、足の裏の魔術印の効果に一時間耐えることなど造作もないはずです。それとも今更怖気ついてしまわれましたか?」
「そ、そんなことないよ!もう一時間だけじゃなくて、二時間、いや三時間は耐え抜いて見せてやるんだから」
「それでしたら三時間でお願いいたします」
「あ……」
今、自分で自分の首を絞めてしまったことに気付いて両手で口を押さえたが、もう遅い。
「にぃに。あたしが言うのもなんだけど、その挑発に簡単に乗ってしまう性格、直した方がいいよ」
「うん。前向きに検討する……」
「サヤさん、シュナさん。これからミユウさんに魔術のご指導をいたします。終わるころには日が沈んでいるかもしれませんので、大変申し訳ございませんが、先に町で私たちの宿をとっていただけませんか?もしミユウさんと一緒に魔術について学びたいとおっしゃるのであれば別ですが」
「「ひい!ご遠慮させていただきます!」」
アストリアに表情を一つ変えることなく誘われたサヤとシュナは即答で断る。彼女たちには未知の恐怖を目にすることに耐えられなかった。
「そ、それじゃあ、にぃに、頑張ってね」
「う、うちらは、ミ、ミユウの冥福、祈っとくわ」
「勝手に殺さないで!」
その後、サヤとシュナは一度も振り返ることなく、足早に次の町へ向かっていった。
この場に残されたのはミユウとアストリアだけ。
「……アストリア。今日のところは、勝負はおあずけっていうのでどう?」
「ダメに決まっているではありませんか。こういったことはできる限り早めに済ませた方がいいですから」
「そ、そうだよね……」
こうして、ミユウはアストリアに手を引っ張られて勝負(?)にふさわしい場所を探しに森の中に入っていった。
森の中に入って数分も経たないうちに勝負ができる空間を手に入れた。
もう少し正確に言えば、アストリアが草木を無理やりに風で薙ぎ払い、この空間は無理矢理作られた。日頃温厚な彼女がこのようなことをするとは想像できない豪快な行為だ。
心の中は思っている以上に荒れているらしい。
「準備は整いました。ミユウさん、覚悟はできていますか?」
「ごめん。まだ出来てないから今日はやめに、ひにゃ!」
ミユウが言葉を言い切る前にアストリアが右手で指を鳴らす。
それと同時に、あたしの上にティークが召喚された。そして、いつものように手際よくミユウの四肢をしっかりと拘束する。
仰向けに倒れたミユウの顔の右側にアストリアがしゃがみ、覗き込む。
彼女は無表情のはずなのに、そこから怒りの感情がひしひしと伝わってくる。それだけで精神が潰されそうだ。
「ルールの確認です。今からミユウさんにはティークちゃんにくすぐられていただきます。開始してから三時間経ってもミユウさんが声を上げて笑わなければミユウさんの勝ち、お約束通りに足の裏と背中の魔術印を消して差し上げます。ミユウさんが少しでも声を出して笑ってしまわれたら私の勝ち、ミユウさんは今後『魔術印を消してほしい』とおっしゃってはいけません。それでよろしいですか?」
「う、うん。それでいいよ」
アストリアが立ち上がり右手で指を鳴らすと、彼女の隣に巨大な砂時計が出現した。不思議なことに砂は下に落ちることなく、くびれより上側で止まっている。
「こちらは三時間を測る砂時計で、私が合図を出せば砂が落ちていきます。私が十数えますので、数え終えた瞬間に勝負開始です。ではいきます。一.二…」
アストリアのカウントが始まった。もうここまで来たら逃げられない。
まず、くすぐられている間の空気を確保するため、思いっきり息を吸いこんで口を膨らませる。そして、全身の隅から隅までに力を入れる。これで耐えられるか分からないけど、何もしないよりまだマシだ。
「……八.九.十!」
パチンと指を鳴らす音が響く。
それと同時に、さらさらと細かい砂の粒子が下に落ちていった。
「…………あれ?」
勝負が開始されたが、ティークはまだくすぐり始めない。
強く閉じたまぶたをゆっくりと開く。
「アストリア、どうしたの?」
「一気に全身をくすぐっては早くに勝敗がついてしまいます。それではミユウさんに魔術の恐ろしさをお伝えすることができません。とりあえずは脇の下から責めていきましょう」
彼女の指示を聞き、ティークはあたしの両脇の下をくすぐり始める。
「んっ!」
ティークの指のように繊細な筋肉が、脇の窪みを優しくくすぐる。
身構えていたおかげか、声を出すことを我慢できた。
しかし、結構ギリギリの状態、全身をくねらせてやっとの状態だ。少しでも気を抜けば、笑いがあふれ出してしまう。
「おやおや。脇の下をちょっとくすぐっただけですのに、もうそんな苦しい顔をされて。まだ始まったばかりですよ?もっと私を楽しませてくださいな」
その後、アストリアは懐中時計を見ながら時間を測っていた。一分が経つごとに上から徐々にくすぐる場所を増やされていく。
「次は難所“脇腹”です。さて、耐えることはできますかね?」
「ん~~!ん~~!」
ティークが脇腹を揉むようにくすぐり始めた。
的確にツボを押さえてくる。今までだったら今の時点で涙を流しながら笑っていたが、なんとか耐えることができた。
勝負が始まって一時間後、へそ・腰・脚の付け根・太もも・膝といくつもの難所を越えて、今はくるぶしまで進んでいた。
未だ声を出さずに耐えているが、全身に異常なまでの汗が噴き出している。呼吸困難と同時に全身の水分がなくなりそうだ。
「なるほど。ここまで耐え抜かれるとは、ミユウさんの本気を認めざるを得ません。しかし、それもここまでです。次は足の裏、ですからね」
「んん~~~!」
左の足の裏には魔術印が刻み込まれている。
ミユウを弱体化させた根源であり、他の部分より倍の感度を持つ部分だ。
今までの難所の比ではない。そんなところを責められたらどうなるか分からない。
そ左足の拘束を外そうと必死にもがく。もちろんそんな行動は無駄だ。むしろ徐々に強く締め付けられていく。
「無駄な抵抗は無駄に力を消費するだけですよ。さあ、お覚悟を」
足首を拘束するティークのしっぽが足の裏をくすぐり始めた。
「ん、ん~~~~!」
左の足の裏から全身にくすぐったい感覚が駆け巡り、口からあふれ出しそうになる。
それを口角筋で必死に押さえつけた。
悶絶するミユウの表情を眺めていたアストリアの頬が少し緩んだ。いつもの優しいほほえみだ。
「うふふ。すぐに笑い始めなかったのは驚きましたが、もう限界のようですね。これ以上はミユウさんの命に関わります。そうですね、ミユウさんが『魔術を侮辱しないこと』『今回の勝負の負けを認めること』この二つを約束していただけるのであれば、くすぐりを止めて差し上げます。いかがですか?」
魅力的な提案だ。実際、もうこれ以上我慢できる保証はない。ここで潔く負けを認めるほうが賢明かもしれない。
けど……。
「ん~~~~!」
口をへの字に結んだ状態で、首を左右に振る。
「おや?まだ続けられるのですか?まったくミユウさんは強情ですね。そこまでの覚悟なのであれば続けましょう。もちろん、一切手は抜きません」
砂時計を見ると、砂の半分が下に落ちていた。
足の裏をくすぐられ始めてから数十分間、脇の下からすべてをくまなくくすぐられていた。もちろん、通常の人間のようにくすぐったさに慣れることはない。
「もうそろそろ負けを認められてはいかがですか?本当に死んでしまいますよ?」
「んん~~!んん~~!」
「はあ。どうやら勘違いされているようですが、ミユウさんの体でまだくすぐっていないところはたくさんあるのですよ。例えば……」
ティークの体がミユウの肩より上に上がり、首回りに辿り着いた瞬間に鎖骨の窪みと首を刺激し始める。
「ん~~~~~~!」
「それに背中も……」
今度はミユウと地面の間に体をねじり込ませて、背中やお尻をくすぐり始める。
「んん~~~~~~~~~~!」
後頭部を地面に何度もぶつけることで、くすぐったさを紛らわせる。
もうそれでしか耐えることができない。
「どうしてそこまで……。仕方ありません。この手はあまり使いたくありませんでしたが、ミユウさんのためです」
その言葉を合図にティークはあたしの両胸と股にしっぽを伸ばす。そして……
「ひにゃ〜〜〜!……あ」
乳首と局部を責められ、不覚にも口を開いてしまった。
こうなってしまってはどうしようもない。関が決壊したように、ミユウの中にため込んできたものが全て口から放たれる。
「ぎゃああははははははははははははははははははははは!」
今までに出したことのないような悲鳴に似た笑い声が森中に響き渡る。
「これで私の勝ちですね?」
「あぎゃ、いや、あ、あはは、いあはははははは!」
アストリアに返事をしようとしても、言葉らしい言葉が出ない。
汗と涙でぐちゃぐちゃになったミユウ顔をアストリアが頭のそばでしゃがみ込んで見つめている。
「ここでひとつ魔術印に関する講義をさせていただきます。魔術印を刻まれた方がその効果に抗うとその方に対して反動が返ってきます。そして、抗う時間が長ければ長いほどその反動はより大きくなります。
ミユウさんの場合、『くすぐったさに耐えて笑わないこと』が『魔術印の効果に逆らうこと』に当たります。そして、その反動というのは、『いままで耐えてきたくすぐったさが何倍にもなってミユウさんを襲う』というものです。いかがです?今後のためになりましたか?」
「あひゃ、ひ、ひゃ、ひあははは、あはははははは!」
「うふふ。私が改めて説明する必要はありませんでしたね。今回の場合、ティークちゃんがくすぐりをやめたあとも二時間ほどくすぐったさは収まらないでしょう。まあ、この際に身をもって魔術の恐ろしさを理解していただければと思います」
「ひひょんひひひゃあははははははははははは!」
ティークが消えた後も全身にくすぐったさがしばらく残り、地面の上で笑い悶えながら、のたうち回り続けた。




