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後編 遊戯幻想 下

最後まで読んでください!よろしくお願いします!

13


アニャンがエリディア遺跡群に到着したのは伊藤達からの連絡が来てから三十分後のことである。伊藤達からの報告は以下のとおりである。

1 伊藤は負傷するも、可奈と共に無事に増援を退けたこと。

2 長老ユスフの付き人であった二人の捕虜は軽傷であり、ユスフの居場所については把握しているも、敵兵には一切その場所を口外していないこと。これについてはドンクスからも裏が取れている。

3 長老ユスフはエリディア遺跡群の外周第二区にある旧地鳴り館跡地に退避していること。

アニャンは旧地鳴り館跡地へと真っ先に向かった。遺跡内は徒歩で散策出来る広さである。一行はアニャンの案内で遺跡内を進む。

「伊藤君と可奈との通信がほんの一時途絶えましたね。」

うさぎは交戦中からの二人のやり取りのぎこちなさにいち早く気付いていたようである。

「一から十まで全部あたしに報告する義務なんてあの子達にないから、気にしてなんかいないよ。ただ、キョロとは情報共有するべきかも知れない。青山とか言う執事は裏稼業で銭を稼いでいる連中にはちょっとした有名人でね。誰があの子にカードマジックみたいな禁忌魔法の知恵をつけさせたのかと思ってさ。」

「あの魔法そんなにすごいものなんですか?」

「伊藤のオリジナルの魔法は、ガキっぽくて一見単純そうに見えるけど、魔術士に至らない魔力の持ち主でも魔法を使えるようにできるって側面で言ったら、相当ヤバい代物なんだよ。翠玉から鶴の近況を聞いたが、鶴が躓いているのもまさにこの点でね。」

「魔術の汎用化ですか?」

アニャンは頷くとうさぎの髪を右手で撫でた。

「あんたは本当に勘が鋭い子だよ。キョロの野郎、鶴とは別のベクトルから鶴と同じ到達点に向かい始めてる。それも、一足先にね。」

「アニャンさんの右手からの感覚、一体何なんですか?」

うさぎはアニャンの右手を両手で握るとまじまじと観察し始めた。

「すごいだろう?枝戸張理宇からあたしが頂戴したもんだよ。何で出来てるかは想像もつかないけどね、私の身体の中に脈々と活きてる物質さ、人工の有機体で、それ自体が強い魔力を帯びている。しかも、簡単に細胞レベルで人間に吸着する。魔法の万能触媒ってところだね。」


アニャン達がエリディア遺跡群に到着してから一時間が経過した頃、エドハリは目を覚ました。エドガーがミカ・クルーエルにとどめを刺される直前、彼の掛けた転送魔法によって、何処かの上空に飛ばされ、落下、地面に身体を叩きつけられ、力尽きたところまでは覚えている。

「ここはテントの中か・・・エドガーが転生されてからの行動範囲は小規模の範囲に過ぎない。ならば、ここはドーヴォルク周辺か?」

エドハリは身体を起こそうとすると、全身に激痛が走った。

「これだけの怪我をしているんです。無理に起きてはダメですよ。」

目の前には婦人衛生兵が立っている。

「ここは?」

「デズ丘陵周辺の幕営地です。彼らがあなたを見付けてここまで運んで来たのです。」

エドハリを救助したのはドーヴォルクのすぐ近くで待機していた残りの学生達であった。その中のパスカルと言う名の男子学生がエドハリに声を掛けた。

「エドガー君は僕達にフリートークでこの周辺の視覚画像だけ送って来たんだ。僕達はその時ドーヴォルク近くの緑地帯にいたので、画像を見てエドガー君も同じ景色を見ながらドーヴォルクに戻ったんだとすぐに気づいた。少し画像の場所を散策したら、君が近くの草場で倒れているのを発見した。僕があの手帳から選択した治癒術じゃ、瀕死状態の君を応急処置するのが精一杯だった。しばらくすると、君の所持品の中にあった携帯ラジオみたいなもののスピーカーから声が聴こえて、僕達はその案内に従ってここまで来た。」

「ここへ導いたのは長老ユスフに違いない。携帯用の防災無線機から発する信号をユスフ達が拾ったのか。アニャン達と連絡が取れていればよいが。」

「伊藤君と音聞君が戦闘状態になって、敵の増援部隊を迎撃して、彼等が無事だってことまでは把握している。君が無事であることをアニャンさんに連絡しようとしたけど、連絡が繋がらないんだ。」 

「助けてくれてありがとう。君達がいなければ、俺はきっと死んでいただろう。頼みがあるんだが、少しだけ手伝って欲しいことがあるんだ。」

エドハリは学生達にそう言うと魔法で空間に投影した地図を広げた。

「俺の身代わりとなって、エドガーは倒れたが、それ以外の仲間達は全員生きている。」

パスカルは残念そうな顔をしてエドハリの顔を見つめた。二人が仲が良かったことを知っているのである。

「あいつの死は絶対に無駄にしない。お願いがある。アニャンの残りの転送時間はあと僅かだ。魔法が自由に使えるアニャンが消えたら、こちらの戦力は一気に落ちるだろう。。 

それはアニャンと同時に魔導六法が消えたら、あの手帳の効果は消滅し、俺以外の者は誰も魔法を使えなくなる。そうなる前に残った者達の魔力を俺に分け与えて欲しい。」

「君はアニャンさんが魔導六法を閲覧させてくれた時、あの場にはいなかったはず、魔導六法のことをどうして?」

「アニャンに魔法の使用権限を与えたのは俺だ。抜け駆けみたいで黙っていてすまなかったが、この地図の魔法で見せたように俺はここでも普通に魔法を使える。敵は血眼になって俺を探しているはずだ。俺はここを出たら、すぐにアニャン達と合流する。お前達はここで時間が来るまで待避しているんだ。」

パスカル達はエドハリの指示に黙って従った。学生達はエドハリと直列になるように手を繋ぐと学生達の魔力が全てエドハリに注ぎ込まれた。魔力に満ち溢れたエドハリの全身から紫色のオーラが発せられていた。


地鳴り館は屋内を地鳴りがいつも鳴り響く奇怪な洋館である。その理由は立地が霊脈が複数に交差する要衝の地であることや地鳴り館が持つ固有の力ためであり、長老ユスフはここを皇の守り刀と秘石を保管するアジトの一つとして長きに渡り、維持管理を続けて来た。 

建物自体は一見して古びた大きな洋館であり、建物自体は朽ち果て、外観から現在も人が住める環境でない事が分かる。アニャンは路地に面した玄関扉をノックした。

「本当にここで間違い無いですか?地鳴りなんて全く聞こえないですけど。」

「間違いないよ。私はここに一度来たことがある。地鳴りについては中に入れば分かる。」

扉が開くと、そこに誰も人はいない。大きな地鳴りが鳴り響いている。

「取り敢えず、中に入ろうか。頼母とユウリは悪いけど、ここで待っていてくれないかい。ここが敵の手に落ちていて、もしも、罠が張られていたら、あたしとうさぎはもう、帰って来ないと思ってもらって構わない。」

「扉を開けた瞬間のこの異様な空気からして、尋常ならざるものが待ち構えているとは間違いないのだろうが、アニャンさん、この先に一体何があると言うんだ?」

「頼母は剣術の遣い手だからね、きっとこの入口から既に何かを感じ取ってるんだろう。あたし達アバターはある程度の大きな量の情報の集約体と言えるからね。この先に眠るものの存在が世界の根幹をなすものの一つだって肌で感じさせるんだよ。」

「忠告は素直に聞く。近寄らないことにしよう。どうせ、元の世界に戻ったら、忘れてしまうのだから。」

「例えるならば世界の防衛力そのものかな。あたしが先に消えたら、うさぎのことを頼んだよ。多分、この子は別人のようになってここへ戻ってくるだろうから。誰が来てもこの先へは行かせないで欲しい。ここを通ろうとするものは誰であろうと敵と思って斬って捨てて構わない。」

「承知した。ご武運を。」

アニャンは軽く頷くとうさぎと共に扉の先へと入って行った。


アニャン達が洋館の中に入っていてから数分後、洋館の入口前で待機していた村田兄妹の前に人影が現れた。エドハリである。

「アニャン達は中に入ったのか?」

エドハリは二人に話しかけると何気なしにそのまま建物の中へ入ろうとした。

頼母は持っていた鞘入り刀の柄頭を扉の桟に強く打ち付けると立入禁止の意思表示をした。

「何の真似だ?」

「この先へは誰も通すなとアニャンさんから言われている。」

「お前は知るまいが、ここへ来るように指示したのは俺だ。通してもらう。」

「ダメだ、例外はない。」

「お前の許可など必要ない。」

エドハリは無理にでも先へ進もうとしている。頼母は鞘を真横に抜き、そのまま反対側の桟へと鞘の先を叩きつけた。絶対に通さないとの意思表示である。

「邪魔だ!」

エドハリは引き下がらず、そのまま先へ押し進もうとする。

「問答を申し込む!」

「何の真似だ?」

「他は是れ吾にあらずとは何ぞや!!」

「兄さん、間違いない。この人は偽物よ。」

ユウリは隠れた場所からフリートークで頼母に思念を送る。

「ああ、分かっている。」

「必死に質問の真意を探っている!」

「答えを知っていて、答えるべきか。」

「他は是れ吾にあらず」とは有名な禅語の格言の一つで簡単に言えば、自分のことは他人任せにせず自分ですると言う意味である。頼母は目の前のエドハリが本物のエドハリであるかどうか、最初からその真偽を疑っている。アニャンの話の通りなら、エドハリの力を持ってすれば、エドハリはここを通らずしてアニャンとうさぎの前に現れるはずである。仮にエドハリ本人ならば村田兄妹の総じた枝戸張理宇のイメージからこの程度の問答で動揺するはずなどないとも思っている。仮にエドハリの持つ記憶まで復元した偽者が現れたとしても試すことの出来る当てずっぽうな問い掛けで、頼母は目の前の男を試したのである。村田兄妹は自力で魔法など使わずとも偽エドハリの正体にいち早く気づいていた。

偽エドハリが右の腰に装着した刀剣の鞘からサーベルを左手で高速に抜いた。居合いの間合いである。サーベルの柄の空洞に頼母の刀の鞘の先が引っ掛かり、偽エドハリは剣を抜けない。 

頼母が咄嗟に鞘を前方下へ押しやり、サーベルの空洞に鞘の先を突っ込ませたのである。偽エドハリは鞘の角度を変え、力づくでサーベルを抜き払った。同時に頼母も鞘から刀を抜く、刀身のぶつかり合う音が響き渡ると、頼母の剣先が偽エドハリの右頬から額にかけて真上に浅く切り裂いた。偽エドハリの素顔が顕になる。その正体はくすんだ灰色の頭身をした古狸のタロウであった。

「偽者め、化けの皮を剥がしてやったぞ!」

「当て付け紛いの問答などしやがって、癇に障る小僧だな!お前ら、もう出てきていいぞ!やっちまえ!!」

洋館の周囲から敵兵がわらわらと姿を現した。

「その小者丸出しの臭いセリフ、嫌いじゃない。」

血迸る決闘が始まった。

洋館の入口前の旧道を挟んだ反対側の建物の屋根上から、狙撃兵が頼母に照準を合わせた。狙撃兵がライフルの引き金を引こうとしたその瞬間、狙撃兵の身体が後方へ仰反るように吹き飛んだ。狙撃兵はもんどり打って倒れている。洋館の頼母を狙って中間距離にいる数名のガンナーが機関銃で銃撃を始めたが、屋根上の狙撃兵と同様に全ての銃兵が倒れた。

「一体、何が起きてるんだ!?」

狙撃兵よりも更に後部に配置された重火器隊リーダー、ガゼルのバジェットは呟いた。一人また一人と銃兵は倒されて行く。双眼鏡で観察していたバジェットはあることに気づいた。

「あいつら、照準を付けてる隙に高速に伸びる棒か何かで下から喉元を突かれてるんだ。」

バジェットはガンナー隊に指示を出す。

「お前ら、撃ち方止めだ!入口の剣士を援護している奴がいる。体形を組んで、周囲をよく観察しろ!あの剣士から見て二時の方向の茂みに撃ち込め!敵の援護の攻撃の出処だ。敵をそこから引き摺り出す!」

一人の銃兵が茂みを撃とうと構えた瞬間、周りを囲んでいた兵士数名が同時に転倒した。

「また、やられたのか?構わず撃て!!」

バジェットの指示も虚しく、茂みを狙撃しようとしたガンナーも前のめりに倒れた。転倒した銃兵達は混乱し、彼らはが起き上がることなく、昏倒させられた。

「分かったぞ、敵は伸縮する長い棒を使うのか。茂みの中の敵は伸縮する棒で狙撃兵を突いて攻撃、他の兵の脚を長く伸ばした棒で刈払った後、その棒を使って棒高跳びの要領で後方へ高く跳び、背後からビリヤードの球でも突くようにアルファワンの後頭部を突いた。」

最初に倒された狙撃兵のすぐそばの屋根上に水色に塗装された長さ2メートル程の棒を持った村田ユウリが仁王立ちになりバジェットを睨み付けると、右手の人差し指で下瞼を下げ、舌を出して、挑発している。ユウリは更にバジェットに向かってジェスチャーで挑発を続ける。

「アッ、カンベーに、おならプー、バーカ、バーカだと・・・ふざけるなぁ!!このクソガキが!俺が前へ出る!隊を二手に分ける。俺が射線上にいても構わず、あの小僧に撃ちかけろ!」

「バジェット中隊長、危険過ぎます!長距離狙撃に専念するべきです。」

バジェットの傍にいるラッコ頭半獣の伝令兵が苦言を呈した。

「心配するな、お前らの弾なんぞ、俺のスピードスターの能力の前では簡単に避けられるトロい速さでしかない。そんな弾に当たるかよ。あの小娘はタロウ大隊長から引き離さなければダメだ。いくら大隊長でも、背後から点の攻撃で何度も突かれたら、気が散って剣士の攻撃に集中出来ない。敵の誘いに乗ってでも、奴を大隊長から引き離す!」

ユウリの得意技は杖術である。ユウリが武術の中でも極めてマイナーな部類に入る杖術を選んだのには理由がある。競技人口が激少のジャンルならば容易く一番になれると思ったからだ。 

それに剣道三倍段ではないが、長物の武器はその長さが増すにつれて、敵への優位が増すとのガバガバな理論を完全に間に受け、伸ばせる物なら伸ばせるだけ伸ばしてやろうと言う思いで杖術を鍛えに鍛えたのである。ユウリが魔導六法から選択したのはフリートークとこの杖を伸縮させる二つの魔法であった。伸縮術は極めてシンプルな魔法であるが、ユウリの得意技の杖術との親和性と魔法と体術の相乗効果は極めて高い。ユウリは身体変質術など使わずとも元々高い身体能力を持っている。魔法によって杖の伸縮の速度も極限まで高めれば、銃弾並の速さで突きを繰り出すことも出来るのである。ユウリの得物である杖は妙心樹と呼ばれる霊木の若木から作られたものであり、妙心樹はその名の通り心を持つ霊木であり、霊格の長い名僧の骸を養分として育ったと言われている。ユウリの父はこの杖にひよどりの意匠を凝らした彫物を施したが、これを見たユウリは相棒の杖を「ぴよ丸」と名付け、好きな色である水色にカラーリングをしてしまった。それを見たユウリの父は呆れ果ててしまい、勝手にしろと言うとユウリのやることにはその後一切口を出さなくなった。

ユウリが杖術に拘るのも、実力者で武道家の父からの期待と寵愛を受けて育った兄をいつか実力で負かすためである。ただ、鍛えた杖術も社会に出たら、役には立たないのかと言う漠然な思いが、彼女を腐らせていたとも言える。体術の成績が優秀で選令門に入ったユウリからすれば、「好きだけど、真面目にやらなきゃな、けど、これ本当に役に立つの?」的な微妙な立ち位置にある杖術と生涯どう向き合って行くのか複雑な気持ちでいたのは間違いない。今回の試験に際し、当初は軽い気持ちでいたが、詳細が明らかになるにつれ、自分の本分を活かすのはここだと言う気持ちが高まり、兄へ戦場の最前線へ行くことを志願したのも彼女からであった。 

「兄さん、あのうじゃうじゃいる雑魚っぽい連中は私が引き受けた。そのタヌキの剣気、相当ヤバめだから、そっちは任せたね。」

頼母は軽く頷いた。無駄口を叩く暇もないほど忙しいのである。タロウから繰り出されるサーベルの連続突きがとてつもなく速いのである。タロウのサーベルは刀身が厚めに出来ており、切っ先がより鋭角に造られている刺殺用に特化した構造になっているのであろう。頼母の扱う斬り払う縦横の攻撃に有利な日本刀とはその使い方が全く異なる。頼母は鍔と刀身の根元付近の刃でタロウが連続で突き出す剣を必死でかわしている。

「あの突きは速い、このままの間合いでは攻撃に転じられない。ジリ貧だ、どうする?」

頼母の心に落ち着き払った男性の声が聴こえてくる。

「私に考えがある。どんな戦士にも武器が定まれば必ず攻撃に規則性がある。あの狸にも当然に癖があり、正確な突き技故に緩急を付ける。敵の三手先の突き、敢えて前進して当たりに行きなさい。」

「そんなことをすれば、利き腕をやられる。次の一手でとどめを刺されてしまう。」

「導くままに私に身体を少しだけ委ねるのだ。されば、道は開かれる。」

「承知した。」

頼母は心の声に従い、前進した。タロウのサーベルの切っ先が頼母の右上腕に届く寸前のところで刀の柄が少しだけ上向くとタロウのサーベルの刀身の根本に頼母の刀の切っ先が当たり、その衝撃でタロウの動きが止まった。頼母はその隙を見逃さなかった。脚を踏ん張りめいいっぱい後方へ距離を取った。

頼母に囁いたのは頼母の持つ名刀漁火(いさりび)の柄の素材となっている妙心木に宿る精神である。刀の柄としての形を得たことで妙心木は剣そのものと言って良い精神を持った。ユウリのピヨ丸にしても同じである。彼らは所有者と共にあり、それらを助け導く。村田兄妹の父が彼らに妙心木を素材とした武具を与えたのは真に護身のためであった。

タロウは頼母の間合いに飛び込めば返り討ちに遭うことを既に察し、静止している。

「漁火、暗夜航路を照らせ。」

漁火の刀身が焔に包まれると、焔がぼたぼたと地面に落ち始めた。タロウは焔の熱気で頼母に近づくことが出来ない。ユウリは漁火に気付くと、建物の屋根を伝って距離をさらに取った。銃兵がユウリを追って頼母の近くまで、移動して来た。ユウリが更に距離を取れば、自ずと敵兵は頼母により近づくことになる。

「兄さんの漁火だ。タイミング的にドンピシャじゃん!」

頼母は八相の構えると、漁火の焔は三メートル程の高さまで燃え上がり始めた。

タロウは必殺の一撃に備え詠唱を始めると左手のサーベルで右前腕の上皮を軽く切った。血が地面に勢いよく滴り出し、地面に落ちると血溜まりは意思を持ったように薄く引き延ばされ、紋様を描き始めた。

「血の盟約だ。同朋よ、我を助け給う。八百屋血狸!」

血溜まりが一瞬にして気化すると、青白く燃える沢山の火の球が現れると、頼母目掛けて、飛び始めた。火の球は意思を持ったように不規則な動きで飛び回る。

頼母はタロウに向かって駆け出した。火の球が頼母に襲い掛かる。頼母は全力で漁火を振るった。タロウとの間合いはまだまだ縮まっていない。

頼母の漁火が発動した。漁火は単独個体を対象とした魔法ではない。漁火の伸ばした焔が届く範囲のものを爆損させる範囲魔法である。頼母は狸のタロウの発した八百屋血狸も自分の漁火と同じ中距離で効果を発揮する魔法と見越してタロウよりもわずかに早く魔法を発動させた。 

漁火の焔の効果は誘爆、物体に着火するとその物を燃焼体として、爆発物と変化させ、爆発させる。頼母が漁火を振り下ろした時、漁火の刀身に纏わりついていた液化した焔は四散し、八百屋血狸の青白い焔へ燃え移ると、すぐにその焔は爆発した。その爆発で生じた焔は漁火に近い距離ならばその誘爆効果を残した爆炎が更に他の焔を誘爆させた。漁火は頼母中心とした約三十メートルの範囲を爆炎で焼き払った。頼母の面前にいた敵兵の群れも当然に巻き添いを食って、倒された。焦土を覆い隠す黒煙が揺らめいた。

「手応えあり!小僧、剣技から距離を置いたのが、お前の敗因だ。その命、貰い受けた!」

タロウは漁火発動後、渾身の突き技を頼母に見舞ったのである。タロウ自身、どう言う訳か爆炎の被害を全く受けた様子はない。タロウのサーベルの刀身の根元から切っ先にかけて直線状に一筋の血が伸びている。黒煙が風によって払われ、周囲の様子が明らかになる。

頼母の漁火は振り下ろされ、空振りした状態にあるが、タロウのサーベルは頼母の左上腕を貫くと頼母の右肩付近の急所である胸部に突き刺さっている。

「つい、さっき知ったんだが、剣士には誰だって癖があるそうだな。」

「馬鹿な!?」

「正しくは馬鹿な、何故、俺の魔法が発動しない!?だろ?お前、俺のことを勘違いしているみたいだから、はっきり言っておく。

俺は剣士である以前に魔術士だ。爆炎魔法専門のな。」

「ここで俺は死ぬのだろう?最後に教えてくれ、何故、俺の八百屋血狸は発動しなかったんだ?」

「そのサーベルから伸びた一筋の血、それがお前の魔法のトリガーなんだろう?自分の血液を敵の血液と混血させ、相手の血肉を触媒として対象を爆殺する。俺の漁火とは根本的に魔法発動の過程と性質が異なる。俺の魔法がテロリストの扱う爆弾なら、お前の使う魔法は暗殺者の扱う毒みたいなものだ。サーベルを突いて必死に急所を狙うスタイルから感じたんだが、お前、自覚があるかどうか知らないが、相当繊細な奴だな?俺はお前は取っておきの技は必ず、至近距離で発動すると思ってたよ。」

「それでは答えになっていない。何故、お前はおれの魔法で燃焼しなかったんだ?」

「それはお前の魔法の由来が呪いによるものだからだよ。自身の血液を引き換え、触媒とした結界術、俺はお前の魔法がどんなものかすぐに察した。」

頼母は右手の親指を握った柄からずらすと丸に五芒星の紋章が現れた。

タロウは漁火の柄の紋章を見た。

「これは、陰陽の紋章?」

「俺の漁火は聖炎、生命と方舟を導き、闇を照らす。漁火は刀身どころか存在自体が退魔の効力を持つ。皮肉だな、呪いはお前に返った。にわか知識で呪術を使い、漁火の本質を見抜けなかったのが、お前の敗因だ。」

タロウは敗北を認め、目を閉じた。頼母の右手から繰り出された一閃の一撃がタロウの胴を真っ二つに斬り裂き、タロウは絶命した。


漁火の爆心地とほぼ同位置にあるにも関わらず、地鳴り館は無傷であった。強固な魔術結界が張られているためである。漁火の爆炎により、多大な被害を被ったバジェット率いる敵の銃兵隊はほぼ壊滅状態まで追い込まれていた。

「中隊長、撤退すべきです。我々が想定していた敵戦力は敵の魔法能力を全く加味していません。ランドスペースからの支援なしでは戦術を維持するのは無理です。」

ラッコの伝令はバジェットに意見具申した。

「そんなことは分かっている。パラドクスキューブさえ回収出来ればそれでいいんだ。パラドクスキューブはあの屋敷の中。大隊長はあの爆発じゃ、生存してはいまい。今後部隊の指揮は俺が取る。本隊へ現状を詳細に報告しろ。今後は本作戦の目的をキューブの回収一つとする。俺達は本隊の誘導を最優先、最低限の触覚要員以外は直近の平坦地へ本隊の誘導に努めろ。」

伝令は残存するガンナー隊に一斉連絡を実施、バジェットと伝令、護衛要員の隊員一名を除き、ガンナー隊は撤退を始めた。


「これだけの爆発に巻き込まれて、傷一つないとはな。」

「地下からとてつもない霊力を感じる。地下に眠る世界の根源のような何かがこの屋敷を守っているのだ。この霊力の規模からして、恐らく、人の思惑のままに事は進まない。因果の赴くままに事は進むであろう。頼母、今はとにかく傷を癒そう。」

漁火は頼母に思念で語りかけた。

「結果は既に生じていると?」

「物事には絶対に避けられぬこともある。この霊力はそれ単独だけで事象を引き起こす仕掛けのようなもの。創造主だからと言って、万象の全てを思うように操れるわけではない。たった一本のマッチの種火が森一つを焼き尽くすこともある。」

漁火が感じ取ったのはこのゲーム世界におけるメインシナリオと共にあるクエストの発生を予期したものと言えよう。皇の守り刀と秘石による力の伝承が行われる時、一つの世界に止まらない防衛の礎が築かれるのである。しばらくして、エリディア遺跡の上空に巨大な虚が現れた。虚の入口から数隻の武装空艇が現れた、敵の本隊である。


14


村田兄妹が戦闘に入る数分前に時は遡る。アニャンはうさぎを伴い、地鳴り館の中を進む。

「この建物は外観より中の方がずっと広いんですね。それにこの地鳴り。まるで生き物の体内にいるみたい。」

「うるさいだろう?建物が発するエコーみたいなものさ。建物そのものがこちらの動きを探知している。地鳴り館自体、クリーチャーオブジェクト、つまりは生物体としてこの世界で存在してるんだよ。変態して姿形を変えたり、移動したりして、秘宝を守っている。あたしも、エドハリから知らされるまで全く知らなかったんだよ。選令門が手を尽くしても探し出せなかったわけだよ。恐らく、ユスフはこの世界のクエストをいくつも拾って地道に辿り着いたんだろう。ただ、秘宝に辿り着いてもそれだけでは意味がなかった。防衛力の発動には条件がある。未だ力を伝承していない皇一族が必要条件だったんだろう。

「若葉は未完成の救世主なんですか?」

「個人的な推測だけど、皇剣吾が力づくでもあんたをここへ誘ったのはそれが理由なんだろう。若葉の力にはまだ伸び代があるんだろう。世界を救う救世主なんだからね。」

「何か、私、めちゃくちゃワクワクします。さっきから思ってたんですけど、アニャンさん、この建物の構造を知ってて、先へ進んでるんですか?」

「建物の中に入ったことがあると錯覚を起こしてるってのが実際のところなんだろう。偽りの記憶に導かれたまま、無自覚に足が勝手に思うままに進んでる。」

「えっ!?大丈夫なんですか!?」

「これから起きる事は恐らく必然みたいなもんなんだろうね。なるようにしかならないんだよ、もう。ただ、自我と言うかちゃんとした意志と自己決定の選択だけは出来るみたいだから、確認のためもう一度言っておく。私が合図したら、必ずパラドクスキューブを作動させるんだ。こればかりは一番信用しているあんたにしか頼めないことなんだよ。手土産の一つくらい持ち帰らないと割りに合わないからね。」

うさぎは約束は必ず守ると意志を込めて、力強く頷いた。うさぎが転送可能な時間は折り返しを迎える程度にしか未だ経過していないが、うさぎにとってこの試験、試練が正に終焉を迎えようとしていることをひしひしと肌で感じ取っていた。


アニャン達は地鳴り館の中央部にある大階段の間に到達した。アニャンの足は迷う事なく地下階へと向かっている。二人は螺旋階段をひたすら降りて行く。階段は壁面に掛けられたランプが照明となり、仄暗い。地鳴り音はどんどんと大きくなる。

「本当に下の階に向かってるんですかね?階段を降りてるって実感は確かにありますけど、同じ景色を繰り返し見ているような変な感覚があります。」

「きっと階段を自動生成してるんだろうね。上で起きてることと関連してるのかな?楽観的な考えをするなら、あたし達を保護するためにより安全な地下へと潜らせている。危難からの安全措置的な。」

「私達を外部から孤立させるためなのかもしれませんね。異物は受け付けない的な。」

そうこうしているうちに階段は最下段まで到達した。面前には大きな木製の大扉がある。

「ここ、露骨にボス戦前のセーブポイントみたいな感じですね。」

うさぎは笑っている。

「この世界を創ったエドハリの発想が貧困なんだよ。あんたも気付いてるだろうけど、建物に入ってから、フリートークが全く使えない。外の様子なんて全く分かりゃしない。私がこの世界にいられるのもあと僅か。気を引き締めて行こうかね、準備はいいかい?」

「もちろんです!」

アニャンは大扉のドアを開けた。


15


先頭の武装空艇から滞空しながら徐々に降下して来た者がいる。ゲーム世界の侵攻者の首魁、ミカ・クルーエルである。ミカはエドハリを倒した時のままの姿である神衣纏装の状態であった。ミカは地上を見下ろしている。

「よくよく、来てみれば、最終試練が既に始まっているではないか?矢張り、ならず者の寄せ集め、選令門の魔術士相手では足止めにもならないとは。」

「この禍々しく凶悪な魔力。頼母、我らに勝ち目はない。妹を伴って一刻も早く逃げろ。」

漁火は頼母に忠告をしたが、頼母は動かない。いや、身動きが取れないのである。

「あいつ、こっちをしっかり見ている。隙が全くない。」

「あいつじゃないわ。『あいつら』よ。ぼく?少しは用心しないとね。純心が丸裸よ。」

「心が覗かれてる。見られてるんじゃない、察知されてるのか。」

頼母の全身に戦慄が走る。頼母のいる周囲の物陰から数本の細い紐が直線状に猛スピードで飛んで来る。頼母は紙一重のところで紐の動きを読み、漁火で切断した。頼母が斬って捨てたのは小形の白蛇の首と胴体であった。

「素晴らしい!何て、勘の鋭い子なんでしょう!流石、あの人が選んだ勇者達!あのエドガーとか言う小生意気なガキもそう!面白がって悪の女王なんて気取らず、最初から一人一人ぶち殺していけば良かったんだわ!」

頼母は上空にいるミカを見上げた。

「エドガーを殺したのはお前だな。」

「そう、アバターごときが余りにも生意気だから、最後はそこの白蛇と同じように首と胴体を真っ二つに切り裂いてやったわよ!」

ミカは不敵に嘲笑っている。

「漁火よ、俺は死地をここに見出した。己が死に意味を持たせて散華する!」

すると、漁火は激しく発火し始めた。


「兄さん、無事なの!?あの船団は!?」

「ユウリ、俺のことは気にせず、すぐにここから離れろ。戦いはここまでだ。敵は大掛かりな虚数魔法を使って幾らでも、援軍を呼べる。アニャンさんとうさぎが試練を乗り越えない限り、強大な管理権限を持つエドハリが消えた段階で俺達にはもう、勝ち目はない。後、フリートークは今後一切使うな、敵はこちらの思考を読む。操心術等の魔術を使用してこちらの思考を読んでる気配がないところを見ると、世界の外側からハッキングのような手段でシステムそのものの防壁を破ってこちらの行動を読み取ってるんだ。内側の世界にいる俺達ではどうにも出来ない。俺が時間を少しでも稼ぐ、お前は逃げられるだけ逃げるんだ。この世界のシステムが完全に乗っ取られるまではマップの自動生成は続くはず、地の果てまで逃げ回れ。」

フリートークの回線は頼母の方から一方的に途切れた。

「末期のお別れは済んだかしら?」

頼母はミカの挑発を無視して思考に集中している。

「敵がこちらの思考を読む手段、これをどうにかして取っ払いたいが、思考を読まれ続けられる現状では恐らくどうにも出来ないだろう。どうするべきか・・・」

「迷ってる?迷ってるぅ!!アハハはっ!」

ミカは頼母を嘲り、高笑いしている。

その頃、ユウリは地鳴り館から百メートル程離れた場所から頼母の様子を伺っていた。

「兄さん、何言ってるのよ。この状況で安全な場所なんてないって!あの武装空艇から集中砲火をくらえば、私だって無事で済まないんだから。安全な場所はあそこしかない。」

ユウリの位置から見ても、地鳴り館が無傷であることは確認できる。

「ぴよ丸、いい加減、口聞いてよ。私一人じゃ決められない。ここまで来たら、誰か一

人でも選択を誤ったら、ダメな展開でしょう。お願い、私達を助けて!」

ユウリの得物である杖のぴよ丸は一度として、ユウリと対話したことはない。ユウリは兄が漁火と意思疎通を図っていると初めて聞いた時、

「元々、兄さんスピリチュアル的なとこあると思ってたけど、なんかアレな感じなところまでいっちゃったのかぁ。」

と正直、一歩引いた目で兄を見ていたのである。それは仕方のないことと言える。頼母は選令門へ入る前から軍人の父に帯同し、ポラリスの外側で幾つか戦場を目にしている。その際にポラリスと諸外国間とで結ばれた戦時協定に基づくレベルで使用可能な魔術戦力の使用を経験するか、見て来ているはずである。兵站の設営や輸送作業の過程等の限定使用で虚数魔法は既に実用化されている。だが、ポラリス市民の大多数はそれを知らないのである。知らないと言うよりは問題にすらしないと言うのが実際のところである。それは、魔力に身を委ねるアバターであるアクター、エキストラが持ち合わせた性質と言える。ユウリ自身、これだけ大掛かりな虚数魔法を目にするのは初めてである。目で見たもの以外は信じない。心の中の言動とは裏腹にユウリの行動は実は慎重に偏っている面がある。

「逃げたい、逃げ出すべきだ!兄さんがああ言ってるんだ、逃げたっていいんだ!あ〜もう!ぴよ丸助けてよ!」

「うるせぇ奴だなぁ〜。正々堂々責任転嫁しやがって。

ぴよ丸の声が聞こえる。可愛らしい子供の声である。

「ぴよ丸?ぴよ丸だ!!」

「その、ぴよ丸ってのが気に入らないんだよ。お前、人のことバカにしてるだろ?お前はいつも外向きには余計なこと言わずに、ちょっとカッコつけとこうみたいな気取ったポーズ取ってるくせに身内とか俺には一切敬意を払わず、軽めの態度取るよな。俺はお前のそう言うところが気に入らないわけ!兄さんは由緒正しい名刀みたいなのにきっちり加工されてるのに、こんな棒っきれにしやがって!しかも、小馬鹿にしたようなヒヨドリの彫り物に、挙げ句の果てにはセンスのないカラーリング!お前、俺のこと一度だって手入れしたことないだろう?そう言うのが腹立たしいんだよ。」

「ごめんね、今までのことは取り敢えず、謝るからさ。この超ヤバめな展開だけ何とかしてくれないかなぁ?」

ぴよ丸は苛立ちからかプルプルと震えている。

「だから、その軽めな扱いが腹立つってんだよ!!お前、この期に及んで、絶対反省してないな。俺自身に命の危険がなければ絶対出て来てないからな!」

「ごめん、ごめん!本当ごめん!よろしくお願いします!」

「あの建物の中に退避するのは、正解だ。いい判断だと思う。あの宙に浮いてる女がどこまでこちらの思考を読んでるのか、まんま対象の思考まで読み取れるのか、その範囲や対象の数、効果がある程度見極められないと、はっきり言って、今のままだと近づいた段階でやられんぞ。」

「そうなの?」

「俺の兄さん、あっ、漁火のことな。兄さんはさっきテレパシーで個別に俺にもお前を連れて逃げろって言ったからな。それにも関わらず、あの女はこちらを気にしている様子は一切ない。それは最低でも人の意思は読んでいても、物の意思までは読んでないってことだろう?やることはできてもやろうとしてもいないんだか。元々出来もしないのかは判別出来ないけどな。アニャンとうさぎの存在と俺とお前は自由に動けるってことと、俺が兄さんと意思疎通出来るって言う三点に限っては拙くて些細なものかもしれないけど、アドバンテージがあるとは言える。あと、付け加えるならば、ここで死んでも外では死なないって言うお約束もな。それって、行動に自由があるってことだろう。」

「ぴよ丸、あんたやるじゃん!!ちょっとカッコ良すぎて震えるわ!」

「イラついて、震えてるのはこっちだバカヤロウ!」



16


アニャン達は地鳴り館の最奥部である交霊の間に入った。部屋の中心に祭壇が祀られている。祭壇の上には短刀と水晶が供えられている。祭壇の傍で長老ユスフが寝転び、アニャン達を待ちわびていた。ユスフは背の曲がった高齢の男性である。黄色にくすんだ白髪、伸び放題の髭、寝ているのか起きているのかも分からない。生きているのがやっとと言う感じである。

「やっと、この時が来たか・・・お前が転送して来たと聞いて、迎えの兵がやって来たが、もう、この歳だ。ここから動くこともままならない。精神の死と共に元の世界へ還るところでおった。」

「長き任務、本当にお疲れ様でした。魔力の集中を経て、現世の守護、乱世の鎮護たるべき者をここへ連れて参りました。」

アニャンはユスフの前に恭しく傅いた。

「貴方様が選令門が渇望した守護者か?真性なる姿をお見せになられなくても、分かりますぞ。無限に湧き上がる魔力、間違いない、貴方こそ主に選ばれし者。外が騒がしい。危難はすぐそこまで迫っています。直ぐにでも、この刀と秘石をお手になされませ。」

うさぎは祭壇に向かい、歩を進めると、うさぎの姿は皇若葉へと変化していた。皇若葉は世界の防衛力である皇一族の一人である。若葉は眩い桃色のカラーを放つ慈愛の象徴の様な存在であり、救世の女剣士である。長身に腰まで伸びた長いストレートヘアをなびかせている。普段は憑代である小春うさぎの中に隠れているが、必要に応じ、外へ現れるのである。

若葉はユスフに一礼すると祭壇に祀られた守り刀である短刀と右手で手に取り、秘石である拳大の水晶を手にした。若葉は微動だにしない。しばらくすると、若葉は口を開いた。

「すまない。これで本当に良いのか。この身に何も変わりはない。」


頼母とミカの距離は最低でも三百メートルはあった。漁火の間合いは最長でその十分の一程度と言ったところだろう。それも、先程のように誘爆の効果も合わせてのことである。相手の間合いに入ることすらままならない、頼母にとっては絶望的な状況である。ミカとの圧倒的な力量差を見せつけられ、逃げても無駄と踏んで、一矢報いようと逃走と生存の選択を簡単に放棄した行為は無謀そのものであった。

「頼母、何故逃げなかった。ここで意地を張っても命を捨て石にするだけだ。かくなる上は地鳴り館の中へ入り、敵を引き込み戦うべし。敵が爆撃を試みても、魔術による攻め手でなければ、しばらくは持ち堪えられよう。時間を作り、次に備える。他力本願ではあるが、何もしないよりはマシだ。」

漁火は頼母を諫めて説得するが、頼母はそれに応じない。

「敵はここで引き付ける。強がりではない、何故か負ける気がしないのだ。予兆など全くないどころか、根拠もない本当に薄らとした予感めいたものなんだが、俺達はきっと負けない。それが何を理由とした衝動かは分からないが、確信めいたものはある。それは今、絶対にここを動いてはいけないと言うことだ。動けば大きな何かを見落とす。」

頼母は先の漁火からの「因果の赴くままに事は進む。」と言う言葉を聞いてから、何かを感じ取ったようである。地鳴り館が漁火の至近距離にいて爆発に巻き込まれたにも関わらず、無傷だったのを見た瞬間だったのか、それともその後に敵の本隊と遭遇した段階だったか思い返してみても、頼母自身にも何かが想起されたのかは分からない。同じような感情をくすぐる揺らぎのような現象は時を同じくして地鳴り館の内部にいたうさぎにも起こっていた。一つの正体不明な大きな結果に向かって事は進んでいる。主のなせる奇跡ならば口にすることさえ憚られる。大河の如き運命の流れの只中にいることだけは頼母もうさぎも感ぜられるのであった。

「ユウリ、俺を使って最速単で地鳴り館まで距離を縮められるか?」

「出来ますけど。」

ユウリの様子がおかしい。ぴよ丸の鋭い舌鋒に堪り兼ねて、涙ぐみ萎縮しているようである。

「なんだ急に泣いたりして、俺の言ったこと気にしてんのか?」

「はい、ちょっとだけですけど・・・」

「拍子抜けさせるなよ。本当に内弁慶な奴だなぁ。こんな棒っ切れにビビってどうするんだよ?あれだけの数の兵隊を軽くあしらうだけの実力を持っていて、いくら俺の言い分が本質を突きまくってるとは言え、ビクビクなんてするなよ。お前、正直言って、今回の試験結構楽しんでるだろう?」

「えっ、そんなこと・・・」

「お前がフリートークの魔法を選んでアニャンに真っ先に斥候役を買って出た時に俺はすぐに察したよ。今回の試験、お前らみたいな脳筋学生からしたら、本当にちょろい試験だからな。最初のホテル周辺で敵兵が現れた時も俺を使わなくてもある程度体術だけでいけるって分かってて、敢えて大人しくしてただろう?」

「分かっちゃいました?」

「お前と何年一緒にいると思ってるんだよ。優等生のキョロとか言われてた生意気そうな小僧に、団体スポーツでいかにもエースとかキャプテンやってますみたいなアクティブ感丸出しの女子がギャースカやってるの見て。この辺の連中とはなじまないな。もう、大人しくしてようってお前決め込んでたよな?」

ユウリは鼻をすすって泣いている。

「最後までちゃんと話を聞けって、図星で傷つくのは分かるんだけど、最後はちゃんとフォローすっから、ちゃんと他人の話を聞け。俺が今になって何でお前の前に姿?うーん、声?心?よく分からないけど、こう、ふわぁっと現れたと思う?」

「自分が危ないと思ったからですよね?」

「それもある、けど、俺が頭使ったところで自由に身動き出来る訳でもないんだし、こう、今のお前なら分かり合えるかなみたいなさ。俺からすれば、そこそこかわいい女の子に何年にも扱ってもらって、実際のところ口で言うほど悪い気もしない訳ですよ。それに、お前が地味でイマイチ、スター性のない杖術を選んでくれたことにも感謝してるのよ。だから、もどかしいって言うかさ、人間、生まれ持った性格みたいなのも当然あるから、お前の兄貴みたいなあんな極端な性格の奴の方が稀だし。だからそう言う人と自分を比べたりするなよ。」

「ありがとう、ござい、まっす・・・」

「泣くな、泣くなって。まぁ、頼母は見た目はちょっと頭悪そうにも関わらず、剣術以外に魔法の方も結構やるからなぁ。典型的な文武両道タイプと言うか。俺は本音を言えば、あいつに選ばれるより、お前に選ばれた方が百万倍良かったと思ってるよ。要は相性ってやつさ、人間には分からなくても言葉が通じない相手を一方的に見聞きしていて、理解してるってこともあるから。俺は自分も死にたくなければ、お前にも死んで欲しくない。最後に今後もタメ口でいいからな、何でも気軽に相談しろよ。」

「ぴよ丸、ありがとう。」

「俺、実はちょっと心配してることがあるんだけどさ。」

「心配って何を?」

「アニャンが地鳴り館にお前の友達の小春うさぎを連れて行ったのって、皇一族の力の継承のためだろう?」

「守り刀と秘石を取りに行くみたいなことを言ってたけど。」

「妙心樹を最初に植樹した明仁和尚って言う人はそれはもう、ど偉いお坊様なんだけどさ。その人が本来持つ力を代々継承しているのが皇一族なのよ。妙心樹はあからさまに皇一族を助けたり、何かを促したりはしないけど、今回みたいにお前や頼母を通じて間接的に皇一族をアシストするみたいな役目を担って生まれてきてるのよ。世界の防衛力みたいな大層なことをエドハリっておっさん臭い奴が言ってたけど、そんなことは当然知ってるし、ゲームメイカーだか世界の創造主だか知らないけど、お前だって俺達と本来同じようなもんなんだからな!と心の底では思ってるわけですよ。」

「今まで黙ってたくせによく知ってるなぁとは思ったけど。えっ、そうなの?」

「人間てのは知性を持ってるのが自分だけだって思ってるのは本当に悪いところだよ。お前らの知らないことなんて、この世の中に満ち溢れてるんだからな。大きな見えざ

る意思があって俺と兄貴が揃ってお前たち兄妹のところへ遣わされたんだって俺は信じ

てるよ。これは偶然の出会いなんかじゃないって。話を戻すと俺の知ってる限りだと、

力の継承は大君(おおきみ)の剣と経絡の石の伝授で行われるみたいなことは確かに聞い

たことがあるんだけど、それと力の発動みたいなのは全く別の話だったはずだぞ。」

「キーアイテムみたいなものを手にした瞬間、覚醒する訳じゃないの?」

「違うって、造られたゲーム世界のシステムの中のルールなら確かにそれで済むかも知れないけど、資格を選定する段階で継承器を持つべきものが手にするから初めて力が発動するわけで。」

「けど、うさぎは魔力の集中とか言って、特別な選ばれし者みたいなことをアニャンさんは言ってたような気がするけど、それじゃダメなのかな?」

「それは、お前達アバター世界での一方的な価値観だろう?仮想空間の中側のような外の世界の人間からしたら物質の実在を問うことが無意味な世界だったり、万能で個体数がめちゃくちゃ少ない生物が支配している世界だったら、魔法なんて、あっても仕方ない能力なんだからな。お前らアバターがそう言う世界を知らないだけであって。」

「それじゃあ、ここまで命懸けでやって来たのは全くの無意味だってこと?」

「それは断じて違うよ。意味があるから、ここまでみんなが命を燃やしてここまで来たんだろう?そこは疑っちゃいけないところだぞ。主に対する無垢の信心が強さに直結するのは魔術士にとっては大前提だろう?経験則として知ってることなんだから、そうしたことはブレずに信用しても構わないってことさ。」

「分かったような、分からないような・・・」

「それで、いいんだよ。俺は小春うさぎとお前はその辺のところの感覚は抜群に優れてると思うけどな。」

「そうなの!?地味に嬉しい!」

「素直で鈍いのがお前、小春うさぎは素直且つ凄まじく鋭い。イメージで言うとこんな感じかな。」

「鈍い・・・」

「アニャン以外の連中は小春うさぎの能力は伝聞でしか知らないだろうから、過大評価し過ぎじゃないのか?とか思ってるのかもしれないけど。お前が毛嫌いしてるキョロとか呼ばれてた奴は露骨にそんなオーラ出してたな。」

「うん、伊藤君ね。」

「皇一族を知る俺には分かる。小春うさぎは光の力そのものだよ。資格は絶対にあるはず、ボタンさえかけ違わなければ、上手く行く筈なんだけどな。」

「何か、気になるの?」

「今がピンチなのかはよく分かってる。上手く行くように急かされている感じと言うか、俺個人の感覚だけで言えば、ちょっとだけ、悪い予感がする。」


上空の武装空艇の内、一隻が地鳴り館目掛けて、機銃による攻撃を加えて来た。

「頼母、早く建物の中へ!」

「まだだ!」

頼母は機銃から無差別に飛んでくる弾の弾道を見極め、ギリギリの線で避けている。銃弾が頼母に直撃するのは時間の問題である。ミカは左の掌中に魔力の華を咲かせた。

「曼珠沙華」

ミカは魔力結晶で出来た彼岸花を掌から落とした。

空中で形を維持できなくなった彼岸花が魔力の赤い光弾となって頼母に襲い掛かる。頼母は漁火で光弾を打ち返し、誘爆効果で打ち消そうとするも、漁火は光弾に刃を合わせようにも、光弾はするりと剣撃を交わしてしまう。

「当たらない?しまった!!赤い光弾は銃撃のためのおとりだったのか!?」

武装空艇の機銃の照準は完全に頼母を捉えている。頼母は死を覚悟した。しかし、機銃は当て外れの方向に、発砲している。

頼母は上空を見やると地上から頼母を銃撃しようとした武装空艇の機銃に向かって、やっと視認できるほどの直線が掛かっている。

「ユウリのぴよ丸だ!!」

ぴよ丸は機銃の操縦手と機銃そのものをコの字にフックさせ、絡めとっている。

「ユウリ!今、引き上げるからな!」

ぴよ丸は高速で短縮し、ユウリを遥か上空の武装空艇の甲板まで引き上げようとした。

「あんな遠くの射程外から?」

ミカは拍子抜けしている。しかし、上空で甲板まで引き上げられようとしているユウリをぴよ丸から引き剥がすべく、既に左の掌中に曼珠沙華を用意している。

「大丈夫だ!そのまま上がって来い!あの彼岸花はこっちで何とかしてやる!」

「ぴよ丸、お願い!!」

ぴよ丸の機銃側の尖端は高速に長大すると、ミカの左手に直撃した。ミカはその衝撃で曼珠沙華を掌から落とした。

「あの長竿は物の特異点、コモンイデアか?道理で何も読み取れない訳ね。」

「神の衣だと、人間風情が神を気取ってとんでもないものを引っ張り出して来やがって。物理的なダメージはまず与えられないわけだ。」

ミカはぴよ丸の尖端を掴もうとしたが、ぴよ丸は尖端を極細にすると、ミカの手からするりと抜け出て、甲板上まで既に引き上げられていたぴよ丸の元へと戻った。

ユウリとぴよ丸のコンビの奇襲は成功した。ユウリはぴよ丸を自在に操り、武装空艇内の

敵を片っ端からぴよ丸で殴り付けている。


バジェット達はユウリのいる武装空艇を監視していた。本隊の誘導とユウリ達を狙撃するために地鳴り館を射程内とする位置まで移動してきたのである。バジェットについて来た狙撃兵は頼母に照準を合わせていた。

「どうして、攻撃の許可を出さないんです。今なら、あの娘も剣士も無防備です。剣士の方なら確実に仕留められます。」

 ラッコの伝令は懲りずにバジェットに進言している。

「だめだ、俺のスピードスターの能力が生きてこない。」

バジェットの使用魔法スピードスターは単純明快である。自身の身体能力を格段に上げ、移動速度を高める力と特定した動体のスピードを上げる力を持っている。バジェットはぴよ丸の能力を間近で見て、ユウリと自身の能力差を改めて思い知らされた。出ていけばやられる、頼母に攻撃を仕掛けても下手をすれば、武装空艇の銃撃に巻き込まれる恐れもある。現在の環境でスピードスターを使う機会は無いと思っていたのである。それに加え、ミカが自分たちを指揮することへの不信感も募っていた。

「あの女の近くにいるのは危険過ぎる。何をされるか知れたものではない。」

「中隊長、もう、待てません。あの剣士は沢山の同胞の命を奪った。決断出来ないなら、勝手にやらせてもらいます。」

狙撃兵が手負いの頼母を狙撃しようとしたその時、狙撃兵の首が真逆の向きへと捻じ曲がった。即死である。側にいたラッコの伝令も意識を失い、その場に倒れ込んでいる。

残ったバジェットは何が起きているのか全く理解できていない。背後の気配に気付き、振り返るとそこにはエドハリが立っていた。エドハリは何かの魔法で狙撃兵と伝令の二人に手を加えたのであろう。エドハリの手には長剣が握られている。エドハリは長剣の刃を伝令の首に当てがった。

「お前に、聞きたいことがある。答えなければ命はないと思え。」

「その風貌、もしや、聞いていたゲームメイカーか。ゲームメイカーはあの女が始末したと聞いていたのだがな。」

「見ての通りだ。お前たちのリーダーのあの女がお前達に適当に嘘をついたんだよ。あの女はどこからここへやって来たんだ?」

「分からない、知らないんだ。ただ、俺達がいるランドスペースから来ていないことは間違えない。もし、あの女も我々と同じランドスペースから来ていたのなら、俺達の肉体が人質に取られるような事態にはならなかったはずだ。俺を含め、今回の任務に乗り気でないものは多い。仮のリーダーのオズマと大隊長の二人を中心に一部の連中が騒いでいただけだからな。大隊長がやると言うから、我々はついて来ただけだ。大隊長はパラドクスキューブさえ手に入れられればよいと常々言っていた。そのために、あの女の提案に乗ったと。大隊長は素人同然の無防備の学生達を皆殺しにすれば、パラドクスキューブと一つのゲーム世界を報酬としてもらえると言っていた。ここへ来る前はちょろい任務だと思っていたが、蓋を開けて見ればこの始末だ。女に主導権を握られた挙句に沢山の同胞を失った。」

エドハリはバジェットが肩を落としているバジェットを見て、剣を鞘へと収めた。

「あれを見ろ。」

エドハリは武装空艇の艦隊を見上げた。ユウリのいる船を目掛けて他の船が銃撃を始めている。最早、本隊の兵士達は自分達の意志とは全く関係なく、ミカによって操られてしまっているのであろう。要は同士討ちである。

「狙撃の指示を出さなかったのは賢明だったな。あの二人の魔術士を攻撃すれば、お前もここで死んでいた。死にたくなければ、ここから立ち去れ。」

「どこへ行けと?」

エドハリの前にホログラムのコンソールパネルが現れた。

「俺の権限でシステム内の機能でログアウトさせてやる。他の仲間も救いたければ、外へ出たお前がランドスペース側から操作して、ログアウト作業を続けるんだ。」

エドハリはパネルを操作すると、一瞬にしてその場から消えた。

エドハリはそのままコンソールパネルで通話を始めた。相手は選令門の通信管制である。

「予想は的中した。こちらに残されたミカ・クルーエルは魔力適性値と魔術の使用傾向から言って、間違えなく、そちらの世界からやって来たアバターだ。管制システムに背乗りして、ハッキング攻撃でプレイヤーの行動予測ツールを無断で使用している。スタッフかそれに近しい者に内応者がいる。ハッキングの火元をすぐに特定、対処してくれ。」

「分かった、お前さんは俺の愛弟子を一人でも救ってやってくれ。ふざけた裏切り者は俺に任せろ。」

エドハリの通信に返答したのは皇剣吾であった。


ユウリのいる武装空艇に対し、他の武装空艇は一斉砲火を始めた。ユウリは棒高跳びの要領で素早く、他の船へと器用に飛び移る。ぴよ丸は軸となる地に着く先端を器用に伸縮させたり、変形させたりして、ユウリのジャンプのバランスを保てるように補助している。

「ユウリ、俺に身体を委ねろ。ただ、跳ぶことだけを考えるんだ。俺と対話して心を読ませるな!」

ユウリが跳び移った船へも同士討ちとなる砲火は続いている。

「あの女、乱心してやがる。けど、こちらにとっては好都合。あの女が滞空して動かないのにはきっと理由がある。付け入る隙を見つけるのにはもう、一アクション必要。そのためには頼母を何とかここまで引き上げないと、話にならない。いいタイミングでアニャン達は戻って来ないか・・・俺たちはそこまでの繋ぎって感じだな。」

ぴよ丸は敵の集中砲火よりもミカからの致命的な一撃を警戒し、焦っていた。

「物理特化型の俺とユウリの能力じゃ、あの女の装備には歯が立たない。兄さんの漁火の負荷効果が最低条件、加えて呪術反射スキルみたいな能力でも隠し持たれてたら、漁火の攻撃でも傷一つ付けられない可能性すらある。そうしたら、属性攻撃みたいなのも絶対想定して来てるだろうし、あらゆる攻撃が効かないだろうな。もしそうだったら冷静に考えても、ほぼ詰んでる状態に等しい。この状況、容赦がなさ過ぎるだろ・・・」

エドハリやぴよ丸の共通認識であるミカ・クルーエルを打倒するためにブレイクスルーしなければならないポイントは以下の三つである。

一 心情を読み取る能力

二 神衣纏装等の防壁効果

三 皇若葉の覚醒

希望的観測ではあるが、三番目の条件が突破出来れば、一番目と二番目の条件は自ずと突破出来るが、三番目の条件を突破するためには一番目の条件を突破しなければならないと言うジレンマがあった。そして、一番目の条件を突破するにはミカの能力そのものの正体が全く解明しておらず、現状ではミカに察知されることなく、転生先の魔術士達が自力で一番目の条件を突破することはほぼ不可能な状況であった。ぴよ丸も実際、自分たちが出来ることはやれても二番目と三番目の条件の突破までの時間稼ぎしか出来ないと考えていた。うさぎとアニャン、頼母とユウリ、伊藤と可奈の三つのグループの知らないところで、一番目の条件を突破するためのアクションが生還したエドハリによって既に起こされていた。選令門の通信管制はあっという間に、ハッキングの火元を特定した。内応者は通信管制の中の一端末からハッキングを仕掛けていたのである。部屋から出入り口ドアを開け通路へ逃げ出そうとする人影を剣吾は見逃さなかった。

「随分と久しぶりだな。俺はお前の名前など覚えてもいないが、学内で見かけた顔だ。俺の訓練に耐えられなかった意気地なしがどこへ行く。部屋の外へ逃げれば、お仲間に消されるのがオチだ。そんなことくらい、お前だって分かっているんじゃないのか?」

部屋から逃げ出そうとした裏切り者は剣吾のしごきに耐えられず、選令門を去った男子学生の一人浅井相であった。

「お前に弁解の時間はない。電脳攻撃のソースを直ぐに開示しろ。」

内応者の学生は黙っている。通路へのドアが一人でに開いた。通路の離れた所に仮面の紳士が立っていた。かの月光卿である。

剣吾は音速剣で飛び出した。名刀峻険は月光卿の心臓部へと突き立てられたが、月光卿は構わず反撃に転じる。

「剣聖よ、我らとはどうやら相性が随分と悪いようだ。月光卿は峻険を両手で掴むと闇のエネルギーを刀越しに注ぎ込んだ。」

剣吾は振り向くと浅井相に向かって叫んだ。

「俺は主のことをよく知ってる!主はお前を見ているぞ!」

「そんな小物に構っていたら、貴方、死にますよ。私は神殺しの英雄となる。」

「うるさい!!黙ってろ!!」

剣吾は月光卿の方を向き、一喝すると、また、振り向いた。

「捕食者共が目を付けたんだ。お前はさぞ優秀なハッカーなんだろう。俺や選令門の連中はこんな近くにいた反逆者に気付かなかった。お前の悪意と背信行為の才能に!主への忠誠心から魔術士の道を選んだお前は、命を燃やして戦っている級友を見て、何も感じなかったのか?小さなプライドや妬みの心を満たすために悪魔に魂を売ることに何のためらいもないのか!?仲間たちの戦いを見て、本気でそのままの小さな自分でいいと思ってるのかよ!!」

浅井相は泣き崩れた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい!」

「まだ間に合う。お前が仲間達を救うんだ!!」

内応者は小さく詠唱すると、ホログラムのモバイル端末が現れた。端末を操作し、電脳攻撃を中止した。

「あんなものから、ハッキングを・・・」

選令門のスタッフに動揺が広がる。

「神殺しが何だって!?」

剣吾はめいいっぱいの力で月光卿を前蹴りし、突き放した。


エドハリは上空にいるミカを見て、ハッキング行為が中断されたことをすぐに確認した。

「ユウリ!頼母!聞こえるか!?敵の読心攻撃はこっちで解消した!あと、ちょっとだけ持ち堪えろ!!死ぬなよ!!」

エドハリはフリートークにて二人に声をかけた。

「エドハリ!無事だったんだな!?」

頼母はエドハリに返答した。

「お願い!早く助けに来てください!!」

ユウリも返答する。

「枝戸張君!無事だったのか!?」

伊藤もトークに割り込みした。

「ああ、迷惑をかけたな。音聞、お前に頼みがある。今から、すぐそっちに行く。」

「あっ、そっけな・・・」

伊藤は沈黙。

「生きててくれて、本当に良かった!」

可奈も返答する。

エドハリは瞬間移動ですぐに可奈達の元へとやって来た。

「音聞、一目でわかる。成長したな。これから、あの化物を退治する。そのためにお前の弓矢の力が必要だ。」

「ちょっと見ただけで、本当にそんなにいろんなことが分かるんですか?」

可奈はエドハリに問うた。

「俺はプロトコルやコードのログを追って、ここで起きたことを見返している。だから、ここでお前達に何が起きたも既に把握している。お前のレールガンなら、この距離から黒幕のミカ・クルーエルを狙撃出来る。フリートークにミカ・クルーエルの概要を添付した。手短に流し読みしてくれ。」

可奈と伊藤は資料をさっと一読した。

「物理無効の相手にレールガン効くのかなぁ。」

「レールガン自体の能力で敵にダメージを与えるのが目的ではない。お前が正確に射た矢なら敵に矢を確実に当てることができる。俺にはもう今、敵の物理無効の能力を破る力はない。それどころか、この敵は一度会敵すると、相手の能力や太刀筋をあっという間に学習してしまう。敵の未知の能力で必殺の一撃を叩き込まなければこちらに勝ち目はない。だから、失敗は許されないし、やり直しも一切効かない。お前の攻撃はミカにとって全く想定外の一撃とならなければならない。」

「責任重大じゃないですか!?」

「お前の攻撃が成功しなければ、先の段階へは進まない。今のままでは、俺とアニャンの目論見は外れ、小春うさぎも敗北する。」

可奈は顎に手を当てて、真剣に考え込んでいる。エドハリは伊藤に話を向けた。

「お前にもやって欲しいことがある。」

エドハリは少し離れたところに落ちていた伊藤自身によって切断された手を拾って、伊藤のいるところまで戻って来た。エドハリは外套の裏地に取り付けたナイフを取り出すと伊藤の手を切開し、中から、ドーベルマンのキントの体内で飼われていた蚤を取り出して指先でつまみ、伊藤に見せた。伊藤は引きつった顔でそれを見ている。

「怪我の功名だ。こいつの毒が必要だ。俺がこいつの毒を解析する。お前はブランクカードにその毒を収納、魔法化するんだ。ミカ・クルーエルにとってこの毒は正に未知の世界のもの、これで奴の命をもぎ取る。」


地上の頼母をミカの放った白蛇の群れが襲う。頼母も漁火で斬り付けるが敵の数が多過ぎ、相当の長さを持つ蛇、多頭の蛇が混在し、頼母は全身を絡め取られつつあった。だが、頼母は漁火の爆炎の能力を出し惜しみしている。

「頼母、限界だ。魔法を発動させるんだ。」

「エドハリが必ず助けに来る。俺はそれまで魔法は使わない。」

頼母はもう、息も絶え絶えである。人の腕くらい太さを持つ大蛇が頼母の喉笛に噛みつこうとした瞬間である。

頼母は死を覚悟し、目を閉じた。目蓋の裏に金色の光が輝き、頼母の全身を原因不明の多幸感が突き抜ける。

「もう、大丈夫。貴方は道を誤らない。自分の信念に身を委ねなさい。」

「誰なんだ?」

頼母は目を開くと、瞬間移動で現れたエドハリが大蛇の前に立ちはだかり、大蛇の口に長剣を噛ませると頭から胴体にかけて二枚に下ろした。大蛇の血飛沫で周囲は血塗れとなった。

「ボルケートス・インフェルノ!」

エドハリが頼母に向かって詠唱すると頼母に巻き付いた白蛇は全て朱色の炎に包まれるとドロドロに溶けて消えてなくなった。

「炎が全くこちらに燃え移らない。詠唱する対象を完全に固定できるのか?」

「ああ、お前だってこちらのルールに慣れれば、この程度のことはすぐにできる。」

「助かった。何度、命を捨てかけたことか。感謝する。」

エドハリは頼母の胸の刺し傷に手を当て、治癒の魔法を詠唱した。頼母は全身の傷が癒え、力が満ち溢れている。

「さあ、妹を助けに行くぞ。俺はもう、あの化物とは直接戦えない。ゲーム世界内での能力は俺の方が奴よりまだ上だが、俺の能力は完全に把握されているだろう。それに、接近すれば、警戒され、恐らく奴は姿を消すだろう。お前の漁火が頼みだ。」

「エドハリ、お前のことだ、きっと気付いていることだろうが、念のために忠告しておく。あの武装空艇の兵士達とは別にここにはまだ未知の敵がいる。あの化物から、似通っているがダブつくような別の気配を感じる。」

「お前の言いたいことは分かっている。だが、そいつの相手はは俺の専門じゃない。アニャンとうさぎの二人まで、リレーを繋ぐんだ。この先どうなるかは俺にも分からない。」

頼母は先程の死の間際に感じた不思議な感覚についてはエドハリに黙っていた。

「さっきの不思議な感覚はエドハリからのものではない。あの感覚、既知のものだ。一体、何が起きているんだ。」


武装空艇はユウリが乗っている船ともう一隻の船しか残っていなかった。同士討ちにより、墜落した船もあれば、散り散りとなって戦場を離脱する船も複数あった。

「いよいよ、逃げ場がなくなったわね。次はどこへ逃げるのかしら?」

ミカはユウリを嘲笑っていた。

「ユウリ、あとちょっとの辛抱だ。頼母を伴ってエドハリがここへやって来る。あの女だって、俺の心が読めないことはもう、分かっている筈だ。俺達を生かしておいて、きっと救助に来るであろうエドハリを誘ってるんだ。」

程なくして、エドハリと頼母は瞬間移動により、ユウリの前に現れた。

「敵本隊にこれほどの甚大な被害を与えるとは、よく頑張ったな。遅くなってすまない。」。

「兄貴、あの女はいつでも俺とユウリを殺せたにも関わらず、エドハリが来るのを待ったんだ。地の利のある空中に誘き寄せるために。あと、一つだけ分かったことがある。 

俺とユウリの前で一度も背後を見せなかった。恐らく、弱点は背面にあると思う。そうでなければ、背に何か大きな秘密がある。兄貴、俺、やっと所有者と心を重ねられたんだ。まだまだガキだけど、こいつ、本当に腕が立つんだぜ!はぁ、疲れたなぁ・・・あとは任せたぜ!」

「弟よ、ゆっくりと眠れ。あとは我らに任せろ。」

ぴよ丸は沈黙し、その後、元の世界へ帰るまで目を覚ますことはなかった。


17


「大君の剣をお抜きになられれば、その力を実感できるはずです。大君の剣は所有者の力量に応じ、光を放ち、刀身を伸ばすと言われております。」

ユスフは若葉に抜刀を促した。小春うさぎの肉体を借り、姿を現した若葉は宝剣の鞘から剣を抜くと、黒色の硬質な柄から二本の竜の意匠を凝らした突起のような鍔が飛び出し、短刀程の長さしかなかった刀身が眩い光を放ち、約百五十センチの長さにまで伸びた。大君の剣からは光の粒子が陽炎の様に漂っている。

「間違いない!伝承されし、御姿と全く同じだ!」

ユスフは興奮している。アニャンも以前に夕焼けで見た絵画の写しの写真にあった皇若葉の姿を思い返していた。目の前にいる若葉の姿は絵画のものと同じであった。

「長老の仰る通りだよ。あたしの知ってる英雄はあんたに間違いない。この期に及んで何が足りないって言うんだい?」

「秘石に反応がない。この石にも必ず何か意味があるはずなのに。」

若葉は納得がいかないようである。地鳴り館の上部から獣の断末魔のような大きな物音がすると共に、天井が崩落し始めた。建物を上から貫くように鋼鉄の巨大な爪が何本も落下して来ると、天井から血の雨が降り注ぐと天井に空いた大穴から巨大な大蛇が首を覗かせていた。


エドハリはフリートークで頼母に話しかけた。

「俺は一度あいつと戦っているせいで、太刀筋や行動パターンが既に読まれている。それに魔法でどんなに身体能力を上げようが、向こうの特殊能力を打ち破るような芸当をしようにも手が限られていたり、詠唱に時間を要したりして、こちらから何かを仕掛けても、即座に妨害されてしまうことだろう。だから、俺はお前のサポートとユウリの保護に専念する。俺から動けば、俺の行動から敵はお前の行動を読む。だから奴とまだ剣を交えたことのないお前が俺に命じるんだ。」

「ちょっとだけ、僕の話を聞いてくれ!」

伊藤が回線に割り込んだ。

「今、忙しい。後にしろ。」

「人の話を聞けよ!!」

冷静沈着な伊藤が珍しく語気を荒げた。

「僕に考えがある。枝戸張君、君の視界でそこにいる敵を隈なく捉えるんだ。アイ・スクリーンの魔法くらい当然使えるんだろう?君の視界で捉えた映像を僕の視界とリンクさせるんだ。僕のピクセルローディングで敵を解析する。」

「俺の目をよこせと言うのか?」

「たった十秒でいいんだ。創造主の君なら僕の視界と自分の視界を同期させることくらいどうってことないはずさ。」

「分かった。その提案に乗った。」

エドハリはアイ・スクリーンの魔法を使った。アイ・スクリーンは他人の視界を乗っとる操心術の一種である。エドハリはアイ・スクリーンの能力を伊藤に一時的に授け、伊藤はエドハリの視界を共有している。伊藤はマジックカードを一枚、ケースから抜いた。

「ピクセルローディング!」

ピクセルローディングは周囲の物質を極小の半透明のブロックキューブへ変換させ、物質を解析すると同時に虚数魔術などの環境魔法以外の効果を無効にする魔法である。ピクセルローディングの効果は本来ならばカードを発動させた伊藤の周辺を解析するはずである。しかし、伊藤の周囲に全く変化はない。エドハリはミカを凝視している。視界の中のミカはキューブへと変換され始める。にも関わらず、ミカ自身、自分の異変に全く気付いている様子はない。

「そうか、この魔法は視界で捕捉した被解析対象しか変質させないのか!?」

ピクセルローディングの発動はエドハリ達にとって、時限的ではあるが、敵への三つの優位が生じたことを意味する。一つはミカの能力の解析、更にはミカと共に視界に入った頼母に副産物的な効果として、敵への物理攻撃等の耐性が付加されること、そして、ミカに虚数魔術等の特殊な魔法が確実に通じる環境が生まれることである。

「頼母、これはあのキョロが知恵を絞り出して作った最大のチャンスだ。俺はこれからカウントダウンする。それまでに準備を必ず整えろ。カウントがゼロになった瞬間、俺達はたった十秒間だけだが、無敵になる。」


ミカはエドハリ達の企みを察知したようであるが、それが何であるかまでは分かっていない。ミカを観察しているのがエドハリではなく、その場にいない伊藤だからである。

「また、悪巧みをしているのであろう。させるものか!!

曼珠沙華、煉獄の園。」

赤い結晶の彼岸花が宙に満開に咲き乱れている。

「散れ!!そして、全てを焼き尽くせ!!」

赤い光弾はさらに上空へ舞い上がると弾雨となって、エドハリ達のいる船へと降り注ぐ。

「3、2、1、0、ぶちかませ!!」

エドハリは叫んで合図を出した。エドハリは虚数魔術である瞬間移動で頼母をミカの背面上空へと移動させた。頼母はミカの背後を見た。ミカの後頭部にはもう一つの人面が付いていた。ここにいる者には誰も知ることのない顔である。頼母は瞬時にその正体を悟った。理由は先程感じた不快感と嫌悪感である。

「こいつはエドハリの既知の人間を喰った捕食者だったのか・・・とてつもなくおぞましい奸佞邪智の魂と溢れ出る魔力、こいつは伝説級の捕食者に違いない。」

ミカを捕食したプレデターはポラリス市街地戦で益荒男と袂を分かち、何処かへ消え去った魔神級の捕食者、手弱女(たおやめ)であった。

頼母は落下しつつ、渾身の一撃を繰り出す!頼母に光背が現れ、全身が炎で包まれた。落下する頼母と手弱女の間合いが縮まる。

「阿修羅多連撃!!」

頼母は超高速でミカを乱れ斬る。手弱女は全く動じていない。頼母の一撃がミカの右肩に直撃するが傷一つ付かない。手弱女を保護するようにおびただしい数の白蛇が瞬時に頼母の前に現れた。頼母は白蛇の首を片っ端から斬り落とすが、蛇の増殖が速すぎて間に合わない。

「若輩の魔術士風情が!殺れるものなら、殺ってみろ!!」

「そろそろ頃合いだな・・・お望みどおり、きっちり殺してやるよ。死ぬのはお前じゃない、憑代の本体の方だがな!」

阿修羅多連撃の効果が発動した。斬り落としたはずの白蛇の頭の一つが爆発すると誘爆効果が生じ、多重爆発が連続発生し、全ての武装空艇をも飲み込み、大爆発した。

「如何なる規模の爆撃であろうが、我には傷一つ付けられぬわ!」

手弱女の怨嗟の声が響き渡る。

大爆発の最中、一条の光が、爆源に射し込んだ。頼母は爆風に吹き飛ばされ、落下するところを瞬間移動で現れたエドハリに抱きかかえられた。二人は宙に漂っている。

「ユウリはちゃんと退避させてある。安心しろ。」

「後のことは頼んだぞ。悔いはない、やれることは全てやった。」

頼母はそのまま意識を失った。黒煙が晴れると爆心地であるミカの様子が露わになった。

「これで終わりのようだな。待っていろ、とどめを差しに行ってやろう。」

意識は手弱女からミカへ移るとミカは首筋の鎖骨付近の剥き出しになった地肌に違和感を感じた。小さな矢が刺さっている。ミカは矢を抜き、無造作に捨て去った。傷口がすぐに塞がる。

頸部が瞬く間に青黒く変色し始めると、ミカは激痛と寒気に襲われた。ミカはあまりの痛みに悲鳴を上げている。

「何だこれは!?神衣纏衣は毒の耐性も付いているはず!?」

手弱女はミカの意識の主導権を自分へと戻した。

「お前に突き立てられたその小さな矢には毒が塗られている。お前が知る由もない見知らぬ毒だ。ここで解毒する術はない。その小さな矢は俺達にとって希望の光。お前は負けたんだ。矮小な存在と決め付け、嘲った魔術士達に。」

「エドハリ、助けて!!お願い、私を助けて!!ごめんなさい!!お願いだ、から助け、てテテ…ててテテ…て…」

ミカの自我は既に消え去っている。

「俺は、お前のことを助けられるとずっと信じていた。お前の後姿だけを追い求めて。」

エドハリは堪えられず、目を瞑り、顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。溢れ出る涙は止まることはない。

「また、逢おう。ここではない何処かで。」

「あの男から特上の憑代を用意したと聞き、こんな辺境の世界まで来てみれば。何たることか。この肉体は不要、新たな憑代を探すまでのことよ。」

手弱女は脱皮する様にミカの身体を切り離し、捨て去るとミカの首から下の肉体は地上へと落下した。手弱女は大蛇へと姿を変えると地上を見遣っている。

「ほう、皇一族の力は無事に継承されたようだな。待ち侘びたぞ、この度、顕現した守護者はこれ以上、我に相応しいものはない極上の雌の憑代、受肉し、パラドクスキューブとやらで、故郷へと還ろうではないか!」

手弱女の表皮から複数の鋼鉄の触手が飛び出すと先端の鍵爪で、地鳴り館を強襲した。地鳴り館の結界は手弱女の凄まじい魔力の前にいとも簡単に破れ、鍵爪は地鳴りを貫き、大穴を開けると地鳴り館は断末魔を上げ、大量の血が吹き出した。


18


「エドハリ、もう、秘伝のものは全て手にした。」

「あぁ、承知している。他の者は皆無事だ。傷だらけだがな。」

「本当に良かった・・・あたしも最後の一仕事だね。」

「転送可能時間が残り3分切ってるぞ。」

アニャンはフリートークから意識を外し、左手の腕時計を見た。

「本当だ。いろいろと心配なんだけどね。後はあの子に全てを託しかない。あんた達に地鳴り館の外で何があったのかはよく分からないけど、あの化け物、一目見て分かる。あれは捕食者だろう?それなら、あたし達魔術士がきっちりカタをつけなきゃ。

うさぎ、頼んだよ。」

若葉は手弱女の鍵爪と鋼鉄の触手の上を飛び伝って地上へと飛び出した。

エドハリも瞬間移動で崩壊途中の地鳴り館内にいたユスフとアニャンを伴い、地上へと脱出した。しばらくして、地鳴り館から地鳴りが完全に鳴り止むと建物は一気に崩壊した。

「俺が出来ることは?」

「あの化物は命に換えてもあたし達で仕留める。その代わり、パラドクスキューブはきっちり報酬として頂くよ。」

「キューブはもう、お前達の物だ。好きに使ってくれ。」

「分かった。」

「なぁ、俺が、どうして妻がここにいると分かって、お前達選令門の魔術士まで巻き込んで、この世界を目指したと思う。」

「えっ?」

「俺はお前に以前に会っている。お前は全くその事に気付いてもいないようだがな。お前が俺をここへと導いたんだ。俺は奇跡の道筋をただ、辿っただけだ。このゲーム世界の創造者でも今の今まで気付かなかった。勘の鋭いお前に近しい者でその事に気付き始めた者もいるようだ。」

「あんたのことだ、どんなでたらめなことが起きてても不思議じゃない。あんたが何を言いたいのかはよく分からないけど、奇跡が起きるって言うなら、あたし達はあの化け物に勝てるってことだね?」

アニャンは手弱女を見上げた。

「それは神のみぞ知るだな。」

エドハリは、汗と土埃で汚れたむさ苦しい顔で微笑んだ。


若葉は大君の剣を鞘に収め、元より帯刀している長刀若葉を抜いた。

「始祖開眼、実映繁茂。」

手弱女の眼が赤く光ると全身から大樹の枝のように多頭の蛇が天を覆い隠す程に至る所に生え出した。夥しい数の白蛇が大繁殖し、津波のように周囲のものを飲み込み始めた。

アニャンとエドハリを蛇の群れが飲み込まんとする。

「これに乗って戦え。」

エドハリは人差し指で地を指すと一匹の飛竜が現れた。アニャンは軽く頷くと飛竜を巧みに操り、上空へと高速で舞い上がった。

蛇の群れはエドハリと側にいたユスフをかわすように遺跡群を飲み込んでいく。

地鳴り館から離れた高台から、ユウリと頼母はその光景を見ていた。

「あんなものを見ても、絶望しないなんて、私、どうかしちゃったのかな。これからすごいものが見られそうってワクワクしてる。さっき、誰かの声が聴こえたんだ。『もう、大丈夫。』って。」

「俺も同じ体験をした。俺達の知らないところで何かが起きている。それは間違いない。」

「えっ?兄さんも!?一瞬、アニャンさんかなとも思ったんだけど、アニャンさんは地鳴り館にいたわけだし、違うよね、きっと。」

ユウリは双眼鏡で上空の蛇の群れを見ている。

「兄さん、あの印ってまさか?」

「呪術刻印だ。刻印がついた蛇が本体だ。俺が敵味方共に物理攻撃無効だったにも関わらず、阿修羅多連撃を放ったのは音聞の毒矢をあの化物に必中させるためのカモフラージュのためと言うのが最大の目的だが、俺なりに奴と戦ってみて分かったこともある。 

敵の増殖や分裂、再生が奴の最大の脅威と言うことだ。だから、本体を識別出来る内にこちらから目印を付けた。ピクセルローディングの発動中だったし、直後の大爆破もあって、おそらく奴は印を付けられたことに気付いていない。奴の動きを見ているとそれが分かる。」

「あはは・・・相変わらず、いろんなこと考えてるのね。」

「奴は今、皇若葉を物量で抑え込み、捕まえて身動きを取れなくすることしか、頭にない。生物の本能や衝動でただ、動いているようなものだ。エドハリにも言えることだが、敵は有り余る能力を持て余している様に見える。だからこそ、使い勝手がよく、効果のより高い技に偏りがちになる傾向にある。この戦いは知恵比べと言うよりは力比べと言ったところだろう。敵の能力はシンプルだが、極めて厄介。さぁ、どうやって、始末をつけたものか。」

頼母は見知った選手の試合を観戦するかのように柔和で余裕ある表情でユウリに話しかけた。彼にもどちらが勝つか既に結果が見えた様である。


若葉の背には桃色に煌くオーラで作られた翼が生え、手弱女の周りを飛び回っている。アニャンが飛竜でそこに近づく。

「何故、宝剣を抜かない!」

「あの剣では斬った直後に敵が増殖するか分裂する。今、この場では使っても無意味と判断した。この剣なら、敵の魔力と術を斬れる。」

「若葉は本来、物体を斬ることには不得手だったはず、それじゃあ、あんな化物をどうにか出来るわけないだろう!それじゃ、何のために若い魔術士達がここまで頑張って来たのか分からないじゃないか!!」

「感情論では奴には勝てない、寧ろ、無駄な敗北と死を招く。お前がそれを一番分かっているはずだ。」

若葉は落ち着き払っている。

「いつもの、我に任せろみたいな強気は一体どこへ行っちゃったんだい!?みんな、救世主のあんたを信じて、ここまでやって来たんじゃないか!!自分が自信がないのを敵の能力のせいにするんじゃないよ!!」

アニャンは激昂している。

「我はデータと魔力の集積体、だからこそ分かるのだ。我は皇一族と言う属性を持ち合わせていても、本来の力まで継承したわけではない。」

「そんな、馬鹿なことってあるかい!?」

「お前達に変な期待を持たせたくない。だからこそ、奴と戦える術を選ぶ。」

若葉が本来の力を出せなくなり、委縮してしまったのは手弱女が最初に放った始祖開眼の魔眼能力のせいである。手弱女より後に生まれ出たばかりの若葉にとって、手弱女本体の本来の姿である原始の蛇の姿は動物的な感覚に作用する脅威の対象となる。手弱女はそれが分かっていて、その力を先に発動させたのである。

アニャンの身体がわずかに光を放つと、粒子となり、肉体が粒子となり、消え始めた。

「このタイミングで時間切れか。一体どうしたらいいって言うんだい!?」

アニャンは目を瞑ると目蓋の裏には眩い光を放つ人の形を持ったオーラが見えた。

「これは主の御姿?違う、私だ、私自身だ!一体何が!?」


「今こそ、キューブを使うのです。小春うさぎは既に今、何が起きているか気付いた様です。未だ、皇若葉の裏に隠れていますが。」

「アニャンさん・・・」

遠くでうさぎの声が聴こえる。フリートークなどではない、意識下に声が伝わる。

「うさぎ!何処にいるんだい!?」

「ありがとう・・・さようなら・・・」

「安心しなさい。貴方は無事にあの子達にまた会えます。変わりない日常がまた動き出す。それは折原鶴にも及ぶ。」

オーラの右手が伸び、アニャンの心の中で頭を撫で付けた。アニャンの中に莫大な量の情報が流れ出す。

「全て、理解しました。あの目印、私が頼母を使って付けたものなんですね。」

「その通り、結果は既に起きています。貴方は後にそれを確認することになるでしょう。これから起きる奇跡は全て貴方が種を蒔き、芽吹かせ、花が咲き、そして果実となっ

たものです。さぁ、目を開き、奇跡を起こすのです。」

「はい。」

一言そう答えるとアニャンは目を開いた。


「出でよ、トイボックス!」

アニャンはトイボックスから小ぶりの双剣を取り出した。双剣は刀身が露わになっている。

「若葉、ぼうっとそこで突っ立ってるなら、あたしが先に行く!さぁ、派手に行こうか!」

アニャンは飛竜で頼母が刻印を付けた本体目掛け、突進する。白蛇の群れがアニャンに襲い掛かる。アニャンはそれを双剣で斬り落とす。アニャンは手弱女本体まで辿り着くと、その両眼に双剣を突き立てた。手弱女から悲鳴が上がると白蛇の群れが一斉にアニャンの身体に巻きつき、飲み込もうとしている。

「うさぎ!今だ!キューブに私を取り込むように命じろ!!」

「させるかぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

手弱女の憎悪に満ちた声が響き渡る。若葉の意識は一瞬にしてうさぎへと戻る!

うさぎは左の掌にキューブを手にしている。

「パラドクスキューブよ、ここに、命じる!アニャンを転送せよ!!!」

キューブから幾何学模様の文様が現れ、光り輝くと、うさぎの左手からキューブは消え去っている。手弱女もアニャンが消えた感触に気付いたようである。

「若葉さん!早く。今こそ、その剣を使ってあの大蛇にとどめを!!」

若葉は沈黙している。

「ハハハハハハッ!!!これ程、片腹痛いことがあろうとは!!笑いが止まらぬぞ!!」

「どうしたんです!?若葉さん、応えてよ!!」

「お前の口から悲しい、とぉっても悲しい絶望の答えを教えてやらぬか。皆に期待を持たせた責任はきっちりと取らないとなぁ。」

若葉はうさぎに思念で答えた。

「あの大蛇は捕食者ではあるが、ヤマタノオロチと言うコモンイデアだ。どうやってあの姿を手にしたのかは分からない。八つの頭と尾を持っている。我らはその一つの本体すら、倒せていない。アニャンは十六個ある魔眼の二つを潰したに過ぎない。あの大蛇は八岐大蛇として、この世界においては、モチーフに留まらず、実体として定義づけられている。創造主のエドハリですら、手が出せない。」

若葉はその場に恐怖で立ち尽くしている。

「皇若葉、偽りの英雄よ。魔術の力を持てど、この身は滅ぼせぬ!これで終わりだ!その美しき肉体をもって、神に罪を贖え!!」

白蛇の群れが若葉を包み込もうとしていた。


19


「暗い。ここは、何処だ・・・」

アニャンは目を覚ますと、真っ白なシーツの敷かれた医療用ベッドの上だった。横たわるアニャンの目の前にいたのは白衣を着た小春うさぎの父、小春陽介であった。

「やっと、目を覚ましたね。自我が再始動する兆候がパターンで出始めていたから、そろそろとは思って首を長くして待っていたが、やっと目覚めてくれた。」

「ここはどこなんですか?」

アニャンは起き上がろうとするが身体が思うように動かない。

「まだ、実体を自力で維持するのには時間が掛かる。順を追ってその疑問に答えよう。君はゆっくりしていていいんだ。戦いはとっくに終わっているのだから。」

「うさぎ達はどうなったんですか!?パラドクスキューブを使えって、あたし、あの子に頼んだんです!!他の子達だってどうなったのか!?」

「落ち着きたまえ。この世界で丸一年も君は眠っていたんだ。君達の住むアバター世界だと既にその二十四倍の時間が経過している。残念なことだけど、君がキューブで転送された直後、皇若葉は本当に呆気なく敗北したんだ。私もモニタ越しにそれを見ていたが、いとも簡単にあの手弱女と言う捕食者に取り込まれてしまった。だから、うさぎや選令門の魔術士達は既にこの世にはいないんだ。と言うか、君のいたアバター世界そのものも簡単に捕食者の侵攻で滅んでしまったんだ。」

アニャンは衝撃を隠せない。悪寒で全身が震えた。

「だから、言っただろう?順を追って説明すると。」

「だって、主、あれっ、私、主なのかなぁ・・・奇跡は起きる、結果は既に起きているみたいな。」

アニャンは泣き崩れている。

「ここまで来たら、直接見せたほうが早い。」

小春陽介は病室のブラインドをリモコンスイッチで操作して、上げた。壁面がそのまま大きな窓となっており、外の景色が一望出来る。

そこには異様な光景が広がっていた。空一面に巨大なシャドウ、実体を持たない捕食者の顔が並び、隙間なく、空を埋め尽くしている。そびえ立つ高層ビル群の中を様々な大きさ、形をしたヒューマン、人型の捕食者が闊歩している。

「君達アバター、ひいては人類そのものが捕食者に敗北したのだよ。ゲーム世界の戦いの最後、月光卿と失われた折原鶴君の魔力を持った分身のシャドウが、選令門内の管制塔をあっという間に占拠した。守護者の一人である皇剣吾も善戦はしたのだがね。不意に現れた女のシャドウが虚数魔法で展開した結界からおびただしい数のシャドウを召喚すると、相性が最悪だったようで、流石の剣聖も敵わなかった。対策する間も無く倒されてしまったのさ。だから、皇剣吾はシャドウに身体を乗っ取られる前に自害の道を選んだ。あっさり敗北を認め、他のアバターに迷惑をかけない様に自死したんだよ。仮想世界に止まらず、現実世界でも敵の侵攻は確実にそして手堅く進行していたことに選令門の者達は誰一人気付くことが出来なかった。」

「どうして、そんな涼しい顔をして、淡々と語れるんですか?」

アニャンは小春陽介を睨みつけた。

「怖いなぁ、やめてくれないかな。そう言うの。君は自分自身、勝利を確信したんだろう?違うのかい?」

「それは・・・」

「戦いは未だ、終わってないんだよ。僕もこれから物語の結末を目撃するんだ。だから、本当は高揚して、じっとなんかしていられないんだ。起きて早々に申し訳ないがすぐに君に見せたいものがあるんだ。」

小春陽介は医療ベットの操作パネルを操作すると、車椅子が自走して来た。更に操作するとアニャンの身体はいつの間にか、車椅子の上に座らされていた。小春陽介は車椅子を押して、病室の外へと出た。床がリノリウム、ガラス張りの長い廊下が続いている。

「そうだなぁ、意味はちょっと違うんだけど、分かりやすくするためにここの世界は地球、仮にアースと名付けよう。このアースにかつてアメリカと言うとても大きな国があって、世界を席巻していたんだ。この建物もそのアメリカの主要都市、ニューヨークと呼ばれた場所にあるんだ。アースは隆盛を誇っていたが、『凶星』と呼ばれる異邦者に侵略され、世界は一度滅び掛けた。しかし、ある英雄が凶星を倒し、世界を救った。」

「その英雄って皇一族のことですか?」

「その通り、その後、皇一族は姿を消し、世界は平穏を取り戻したに見えた。」

「その後、アースに何が起きたんですか?」

「その前に話が少しだけ逸れるんだけどね。アースの中に日本と呼ばれた小さな島国があってね。これはアース再興後の話なんだが、その国にある京都と呼ばれる古都のある寺社の跡地から一体の即身仏、ミイラが見つかったんだよ。このミイラは生体活動をしていた。つまり、ずっと生き続けていたんだ。

おっ、やっと着いた様だ。」

回廊の行き止まりには鋼鉄の両開きのドアがある。小春陽介はドアを開錠し、開いた。部屋の中は沢山の電機資材で溢れている。

中には巨大な試験管があり、沢山の電極で繋がれている。試験管の中には満たされた溶液の中に一人の黒髪の女性が立った状態で眠っていた。

「この人は?」


「彼女は君達アバターのよく知る人物、かの主だよ。」


「正しくは、広義の意味での主と言う意味だ。彼女はミクロコスモス、君達の世界でゲーム世界と呼ばれている世界の根幹、分かりやすく言うとハードみたいなものだ。

 無数にあるミクロコスモスはこの女性の中に全て存在している。裏を返せばゲーム世界の中にいる知性を持った生命体の根源に至る世界はこの主の実体が存在しているアースと言うことになる。アースは地球と言う一つの惑星に過ぎないが、アースを一つの世界と定義しよう。

再興後アースで機能していた文明そのものを支えていた超高性能AI「マルボラ」と呼ばれるマザーコンピュータは彼女を直接解析すると時の統治機構「世界統一戦線」に進言した。世界統一戦線は国際連合と呼ばれたおざなりの国際機関の後に出来た戦後の荒廃し、バタバタとした時代に急場で拵えた行政機関だったからね。マルボラの提案をいとも簡単に受け入れた。長い解析作業を経てマルボラが出した結果はアンノウン、つまり正体不明のものであると言うことだった。けれども、幾つか判明したこともあってね。このミイラは現代の技術で形態を整え、元の姿に復元できると言うこと、更には高度な知能を持っていて、人間と意思疎通が出来ること。そして、これが一番の発見だったんだが、その思考をデジタル解析すると凄まじい量の情報量を持っていて、それが多次元的に機能し、現実世界にも影響を及ぼすことが判明したんだ。

例えば、彼女が思考した身近な出来事が現実化すると言う様なことだね。」

「それって、彼女は神と同義と言うことなのではないですか?アースの人達は神を復元したと?」

「マルボラは彼女を「アマテラス」と名付けた。荒廃した世界では倫理観、宗教による価値観など後退しきってしまっていたからね、マルボラのなすがままにアマテラスのことをくまなく調べた。すると、あることが分かったんだ。彼女の精神の中には多次元的な宇宙、いや、世界だね。多次元の中に存在する多数の平面世界があることを発見した。 

一人の女性の妄想話ではなく、自我を持った多数の生物が彼女の心の中で世界を作って生息していることをね。」

「そんなこと、本当に分かるんですか?」

アニャンは訝しんだ。

「君はマルボラのことを知らないからね。明察神とも言えるマルボラなら、その程度の答えなら導き出すだろう。そのくらい、素晴らしいAIだったんだよ。マルボラ自体が凶星と同種の異次元世界から造られた技術であったことを考えれば、全く不思議なことではない。マルボラは世界の終末を独自に予測していてね。常々言われていたことは凶星の再来による崩壊、数字にすると三十数パーセントの確率で起きると言われて言われた災厄だったんだが、実際に目にして分かったと思うが、世界崩壊の原因はミクロコスモスの中のとある世界の中の一つからガン細胞の様にある生物を生み出すことだった。」

「それが、捕食者だと?」

「その通り、君達魔術士は捕食者を駆逐するために自然発生した白血球の様な存在だったんだ。捕食者とは相反する存在、ミクロコスモスの中に自然発生した防衛力の一つ、だけど、その単体の力だけでは捕食者を殲滅することは到底敵わなかった。」

「捕食者の感染力ですね。潜航し、人類に成り代わる。」

「捕食者だって、君らと同じ情報そのものの存在、実体なきアバターは表の世界にまで現れることはないと我ら人類はたかを括っていたんだ。だが、君も知っている通り、捕食者は皇一族に憑依し、受肉し、この世界へとやって来た。」

「一体どうやって?ゲームメイカーのエドハリしか元のアバター世界に戻る権限はなかったはずです。」

「選令門の管制塔からわずかに離れた場所にミカ・クルーエルの本体は安置されていたのさ。敵の手によって、保管されていたんだ。手弱女はパラドクスキューブを使ってこの世界まで這い上がって来ようとしたようだが、それを君が阻止したんだ。」

アニャンは段々と状況を理解し始めていた。

「手弱女は転生前にアバター世界でミカ・クルーエルに憑依し、ゲーム世界内で皇若葉を捕食すると、あっという間に世界を侵略した。どうやったかは間近で見た君には想像に難くないはずだ。皇一族の力すら手に入れた手弱女はこの世界にも現実に存在する概念として、いとも簡単にこの世界へとやって来た。そこにあるケースがその残骸だ。」

小春陽介はアマテラスの近くに置かれていた巨大な試験管を指し示した。

「そこには実体を持った皇一族の開祖、皇源流斎が眠っていたんだよ。皇源流斎は皇剣吾と同様にあらゆるミクロコスモスの中に共通の概念として存在する防衛因子だが、そのオリジナルである実体はこのアースにあった。彼は世界を救うため、肉体を我らへと提供し、ミクロコスモスの海の中へと消えた。君の知る皇剣吾も同様にね。」

「アース世界が滅びたなら、もう、どうすることも出来ないのでは?」

「普通はそう考える、当然だ。見ての通りこの有様なんだから。お手上げだよ。」

小春陽介は両手を上げて降参のポーズを取った。

「けど、君はやって来た。この世界にね。情報そのものの存在としてミクロコスモスの海を縦横無尽に移動できる特異点として、生まれ変わったんだ。残滓に過ぎないマルボラ端末は君を『アニャン・アマテラス』名付けた。君はミクロコスモスの中から初めて実体を持ってこの世界に現れた情報そのものである人類だ。

君に僕の正体を明かそう。私は君たちの存在するアバター世界内では小春うさぎの父でもあるが、私はあらゆる世界の歴史に関与する時を管理する眷属、『終始を知る者』の末裔だ。正確に言えば、人間でもアバターでもない。人間に非常に肩入れしているがね。」

「私はこれからどうすれば・・・どうすれば、うさぎ達を救えるんです!」

 小春うさぎは落ち着いた様子でアニャンにやさしく語りかけた。」

「下位世界から上位世界へと初めて越境することに成功した君にしかできないこと、それはこの根源世界で人類が滅びるまで遂に果たせなかった理、時間遡行だよ。」

「タイムトラベル!?」

「情報だけなら、時間を飛び越えられる。話は本当に長くなるんだがね。君の知ることない英雄、帝国騎士スメラギは大分前にその真理に一人で辿り着いた。彼もまた、救世の英雄なのだろう。」

「じゃあ、みんなを助けられるんですね!?」

「理論上はね。うさぎが産まれる少し前、魔力の集中の予言を人為的に引き起こすところまで遡れば、歴史を修正することは可能だろう。僕がここから君に指示を出す。君は過ぎ行く時の中で生きる者達に必死に働き掛けろ。負けるなと声を掛け、鼓舞し続けるんだ。君が判断を誤ってうさぎ達を導けば、そこで人類生存の道は途絶える。君は情報の海の中からうさぎ達に生き残る知恵を授けながら、歴史を軌道修正し、皇若葉を勝利に導き、ゲーム世界から救い出すんだ。」


20


情報体となったアニャンには既に時の理から逸脱したところに存在している。アースにいる小春陽介の導きでうさぎとその仲間達のもとを訪れた。彼女らが時に悩み苦しみ、そして笑っている安らかな日常を過ごしていたことを知った。アース世界から離れてどれくらい経つのだろう。アニャンの試みが実を結び始めた。うさぎはアバター世界へと無事に生まれ、そして、時は流れ、鶴やアズマル達とスバルで出会った。

「この子は勘が鋭いなぁ。」

アニャンがうさぎと出会った時に感じたことには理由があったことも初めて知った。

「当たり前だ、あたしから、上手いこといくように常にシグナルを出していたんだから。けれども、うさぎだけは本当に最初の方から私の存在を肌で感じてたのかもしれない。。いや、目の前に私本人がいるんだから、違うか。」

夕焼けで夕食をみんなと取っていたうさぎと視線が合った。

「まさか、あたしに気付いてる?歴史が本当に少しずつだけど、動き始めている。」

アニャンの目から涙が溢れた。時は更に流れる。折原鶴が月光卿によって、魔力を奪われる場面だ。アニャンは何巡もここで歴史を修正しようと鶴やその場に居合わせた自分自身にメッセージを送ったが、この場にいた者にはだれもメッセージは届かなかった。情報体となったアニャンは絶対に転換することができない歴史の分岐点があることを知った。人類史にとって鶴がここで魔力を奪われることが必然のように感じていた。

「私の手で、必ずお前の元に魔力を返してあげるから、今は我慢しておくれよ。」

 更に時は流れる。アニャンはトリアングルムの要塞の中で可奈に念を送る。

「可奈!!そこで、あたしが弓を使えるようにするから、待ってるんだぞ!!」

「キョロ!!あぁ、こんなことになるならこいつには最初から魔導六法渡しとけば良かったのかな。でも、こいつのことだから独り占めとかするんだろうな、どうせ。」

アニャンは苦笑している。

エドハリとエドガーが共闘し、ミカと戦う場面だ。

「エドハリ、本当にごめんね。どうやってもあんたにこの女の正体を伝えられない。この辺の歴史の流れはガチで変えられないって感じだなぁ。

けど、勘が鋭く貸与された管理権も上手く使いこなすエドガーなら、コモンイデアの座標くらいならパラドクスキューブがなくても持ち出せるかもしれない。」

 アニャンはうさぎ達とあの洋館で遭遇する前、ゲーム世界内を半日近くも散策している。

その半日の間でアニャンはゲーム世界内に用意されたいくつかクエストをクリアし、その報酬として、あるアイテムを手にしている。アニャンはエドハリからパラドクスキューブの存在についての説明を受けてから、当初はパラドクスキューブに収納して持ち出すべきアイテムをこのアイテムにすべきと考えていたが、エドハリから特殊な魔力の伝達体質を与えられてからは、ゲームクリアが失敗に終わることも想定して、転送時間の最後に自分の肉体をパラドクスキューブに乗せて外の世界に出ることへ考えを改めた。アニャンはエドガーの敗北時にこのアイテムの座標の情報を託しており、エドガーがこのアイテムを手にするために奔走することになるのは後の話である。

伊藤と可奈がドンクス達と戦っている場面だ。アニャンは二人に声援を送り、見守っている。

「ここにキョロと可奈は置いておいていって、本当に正解だった。キョロの野郎、潔くここに残ってくれて、引き下がってくれたけど、もしかしたら、あたしのことに気づいてくれてたのかなぁ。」

頼母が狸のタロウに必殺の一撃をくらわした場面である。

「頼母!ちょっとこっち見た!?ヤバいヤバイ!このイケメン!あたしにちょっと気付いてない!?」

アニャンは武装空艇で勇ましくぴよ丸を振るうユウリを見た。

「あれっ、今のアニャンさん?」

アニャンは爆心地から離れた場所から手弱女を狙ってレールガンを放とうとする可奈を見た。

「キョロ!!今、アニャンさん、ここにいたでしょ!?」

「キョロって言うなと言っただろう!」

そして、自分自身がうさぎにパラドクスキューブを使うように指示した瞬間がやって来た。

「アニャンさん!!」

うさぎは若葉から自我を奪い取り、大きな声を出した。

「うさぎ!!」

「見えます。そこにいるのが見えますよ!やっと気付けた・・・アニャンさん、ずっとずっと、私の傍にいてくれたんですね。私が若葉の力に目覚めたあの時も。私をいつでも正しい道に導いてくれたのは、アニャンさんだったんですね。」

「うさぎ、お前がみんなを救うんだ!」

「はい。」

うさぎは目を閉じて詠唱した。

「イマージュ!!!!」

うさぎの身体が瞬く間に金色に輝き出す。

「アニャンさん、敵の本体はそれだけじゃない!!逃げて!!」

アニャンは手弱女の本体の直前まで迫ったところで、うさぎの声に気付き、振り返った。

「うさぎ!あんた、あんた、遂にやったんだね!」


うさぎの姿は金色に光り輝くウェーブヘアの美青年に姿が変わっていた。全身から黄金のカ

ラーが溢れ出している。小柄な身体に漆黒の忍装束、黄金の輝きで肉体は殆ど見ることができない。遂に皇一族の真の力、救世の英雄、世界の防衛力たる皇源流斎が顕現したのである。皇源流斎の胸部に埋め込まれた秘宝の水晶が光り輝き、右手には大君の剣を手にしている。

「その姿は、まさか、この期に及んで覚醒したのか!?」

「我が名は皇源流斎、小春うさぎ、お前が祈り、想像した姿と俺の意識が重なった。若葉に足らなかったことは完全勝利への決心と覚悟だ。俺は資格なき者に手は貸さない。」

源流斎は左手の人差し指で額に触れると印を結んだ

「分身の術」

源流斎の横並びに七体の実体の分身が並ぶ。

「概念だけの凶星など、恐るるに足らん。過ちの虚影には光を持って罪を糺さん。」

「虚影とか如何に!?これだけ繁茂させた肉体の中から本体を探すことなどできぬ。その肉体をもって我に償え!!」


源流斎は一瞬にして、姿を消すと八岐大蛇の本体である八体の白蛇の前に姿を現した。

「馬鹿な!?何故、本体の位置を見分けられるのだ!?」

 手弱女は自分の身に起きている逆転した戦況を受け入れらないでいる。

「十六個の赤い魔眼は何度も繰り返し見て、その場所を特定した。」

アニャン・アマテラスは勝利を確信し、呟いた。

「皇流奥義、光道烈断。」

大君の剣のは一斉に大きな光を放ち、皇源流斎は全力で横一閃に大君の剣を薙ぎ払うと全ての分身が同時に八岐大蛇の八つの本体の首を切り落とした。

「ぎゃあああああああああああああああああ!!!」

手弱女の断末魔が上空で響き渡ると、八岐大蛇の肉体全てが灰となって消え去った。凄まじい量の灰が地面へと落下する。

「吹けよ、大嵐!風と共に散れ!!」

エドハリが魔法によって遥か上空へと全ての灰を舞い上げ、地の果てまで追い払った。

「勝った!何かよく分からないけど、勝った!!やったぁ!!」

飛竜の上でアニャンは歓喜している。皇源流斎は思念の中でうさぎへと話しかけた。

「よく、この姿を捉えたな。」

「アニャンさんが、教えてくれたんです。あっ、アニャンさんってあっちのオーラみたいな方の・・・あれっ、アニャンさん?アニャンさん!!」

アマテラスとなったアニャンはもう、姿が見えなくなっていた。

「困ったことがあれば、俺を呼べ、若葉はまだ幼い、これからは若葉と二人、お互いに助け合うんだ。」

「はい、分かりました。」

源流斎も若葉もうさぎの意識から消えてしまった。うさぎはフリートークで皆に話しかけた。

「私、みんなのおかげで勝てたんだよ!胸を張って一緒に帰ろう!」

アニャンは飛竜から飛び降りるとうさぎの元へ駆け寄り、うさぎに抱きついた。

「本当にあんた良くやったよ!急に覚醒したから、何が起きたのかと思ったよ!」

「アニャンさんこそ、大丈夫ですか。もう一人のアニャンさんはど一体何処へ。」

アニャンは不思議そうな顔をしている。

「もう一人のあたし?何の事だい?」

「やっぱり、自覚してないんですね?」

「だから、一体何の話なのさ?」

「主の正体、私にとっての主って言ったら良いのかなぁ。アニャンさんだったんですよ。」

「えっ?」

「もう一人のアニャンさんがついさっきまですぐそこにいたんです。私が一番最初に若葉の力に目覚めた時に主に触れたって話したの覚えてますか?」

「もちろん、覚えてるよ。」

「私があの時会ったのは精神体のアニャンさんだったんです。」

「もう一人の自分?私達アバターは完全なオリジナルの複製なんて出来ないはずだよ。」

「そのあり得ないことが、今、ここで起きたんです。実はアニャンさんに最初に出会った時から、不思議な感覚があったんです。アニャンさんの考えに感応するみたいな。アニャンさんとしか思えない何かがすぐ傍にいるって感じるようになったのは、本当につい最近のことなんです。アニャンさんが飛竜に乗って、特攻を仕掛けた時に初めてその姿が見えたんです。」

「精神体のあたしの姿が?」

「はい、どうやってここへやって来たのかは分からないけど、オーラのようになったアニャンさんが私達を助けにここへ現れたんです!」

「うさぎ、パラドクスキューブは手元にあるかい?」

うさぎは必死にキューブを探すが見つからない。

「使った記憶はないのにキューブが無くなってる。私、絶対に落としたりなんてしてません。アニャンさんが突っ込んで行った時に使う時が近づいてきたと思って、ちゃんと手元にあるのを確認してますから。」

「既にキューブの使用形跡があるなら、うさぎの言うもう一人のあたしがここへ来たのはパラドクスキューブの効果なのかも知れない。エドハリの話だとパラドクスキューブはゲーム世界には基本プログラマー一人につき、一個しか使用機会のないスーパーレアアイテムらしいから。」

「知らぬ間にキューブを使ったってことですか?」

「無いってことはそう言うことなんじゃない?さっきの状況で盗まれたり、落としたりなんてまずないだろうから。」

「そもそも、アニャンさん、キューブを何のために使うつもりでいたんですか?」

「キューブを使って、あたし自身が外の世界に出たら、今のあたしに宿っている特異な魔力体質の特性ごと身体を持ち出せるんじゃないかと思ったんだよ。」

「特性ってエドハリさんに施してもらったって言う、魔力の伝導力のことですか?」

「そのとおり、私の身体の一部を鶴に移植したら、あの子の魔力が戻ると閃いたんだよ。」

「もし、本当ならすごいことですよね!けど、これは私の直感なんですけど、きっとそれも、もう一人のアニャンさんが今、ここにいる実体のあるアニャンさんに働きかけて授けた知恵ですよ。」

「自分が自分に指示する、そんなことってあり得るのかねぇ?けど、キューブがなければ、物体は持ち出すことはできないし、ここの情報や技術しか持ち出せない。元の世界へ戻っても、ただ、意識が戻るだけかぁ。鶴には悪いことしちまった・・・」

アニャンは非常に残念そうにしていた。可奈と伊藤がフリートークで話しかけてきた。

「みんなが無事で本当に良かった!アイ・スクリーンって魔法でエドハリさんの視界経由でフリートークの動画実況の機能で途中からうさぎ達の戦いを観てたんだよ。金髪のイケメンにぼわぁっと変身した時には、ヤバすぎて、ガチにビビっておしっこちびるかと思った!」

「おしっことは淑女の発言とは思えない。これだから、君は・・・あっ、それよりアニャンさん!僕の勇姿を見せたかったなぁ!あの値千金のピクセルローディング!」

「あんた、チートな執事呼んで、恥ずかしいカードマジック使ってただけでしょう?俺

のターンだ!みたいなさぁ。」

「命の恩人になんてことを。」

「私だって、レールガンをキメて、やることちゃんとやってたもん。あんたばっかり、偉そうに語ってんじゃないよ、キョロ充のくせに!あんまり、あたしに生意気な態度取ると、狐のおっさんのこと言っちゃうからね!」

「いや、それは、君、ちょっと・・・」

「狐のおっさん?」

アニャンが伊藤に聞いた。

「いやいや、何でもないです。向こうでもいろいろあったんです。大したことでは。」

エドハリが頼母とユウリ、ユスフを伴って現れた。

「全員、無事だな?俺がすぐ傍にいながらエドガーを脱落させてしまった。」

「けど、元の世界へは無事に戻れたんでしょう?」

「ああ、今は安静にしていることだろう。」

頼母がうさぎの勝利を讃えた。

「よくやったな。本当に凄いものを見せてもらった。ただ、感動した。」

「うさぎちゃん、生きててくれてよかった。何回も、もうダメだって思ってた。けど、ほんとに只者じゃなかったんだね?」

ユウリはうさぎの肩を抱き寄せ、うさぎの肩に頭をすりすりと泣きながら擦り合わせた。

「私なんて、大したことしてないよ。勝てたのはみんなの努力と勇気、あとはアニャンさんのおかげだよ。」

うさぎは半ベソをかいていた。緊張の糸が途切れたようだ。

「さあ、みんな帰るよ!トリアングルムに残った子達も本当によく頑張った。」

「ああ、彼らが俺を保護して介抱してくれなければ、まだその辺で気を失って寝転んでいたかも知れないし、敵兵に見つかって無防備なところを殺されていたかも知れない。みんな、本当にありがとう!」

エドハリはホログラムの操作パネルを召喚すると、一斉ログアウト処理を始めたが、しばらくして操作の手が止まった。

「どうしたの?」

アニャンはエドハリに訊ねた。

「おかしい、ログアウト出来ない。」

「えっ、外部からの操作でも当然ログアウト出来るはずでしょう?」

「帰還のためには転送前の世界からの捜査を必要とする。先程から外の世界をコールしてるが一切応答がない。俺からの命令が届かないようにブロックされてる。

「えっ、ちょっとちゃんと操作してみて。」

「多分、無駄だと思います。」

「うさぎ、あんた何言ってるの。」

「アニャンさんが強制ログアウトされるはずの時間からもう、五分以上経ってます。ログアウト機能が外の世界から何らかの理由でキャンセルされてるんですよ。」

「まずいことになった。恐らく、外の世界で今プログラマーの俺の管理権を停止させるほどの事態が起きている。」

「具体的にどんな事態が想定されるんですか?」

伊藤が会話に割り込む。

「考えられるのは地震等による大規模な電気系統へのトラブル、もしくは管制システムのハードそのものに対する物理的攻撃だ。」

「向こうの世界でゲーム世界を破壊せずに維持させるために恐らく、操作が出来るうちにシステムをダウンさせるんじゃないですか?」

「お前の言うとおり、マニュアル通りならそうなる。」

「システムダウンって、そうしたら僕達は。」

エドハリは苦痛に満ちた表情で語った。

「俺達はここでこの世界と共に消失する。アカウントも復元できず、元の世界で意識が二度と戻ることはない。」


21


選令門研究所の廊下では、月光卿と皇剣吾が依然として睨み合っていた。管制室から歓声の声が上がった。

「どうやらエドハリ達は上手いことやったみたいだな。お前達の陰謀もこれまでだ。」

「想定外だが、致し方ない。ゲーム世界の勇者達にはここで死んでもらうとしよう。」

「霊膜開披。」

「お前達、出番だぞ。眠れる若き魔術士はさぞ、豪勢な馳走となろう。」

管制室のすぐ側の上空が四角に縁取られ、虚数空間に転じると多数のシャドウが中から現れ、管制室と剣吾のいる場所へ向かい始めた。シャドウが出払った後、鶴から魔力を奪い、出現した雌型のシャドウが現れた。月光卿が折原鶴から奪い取った魔力で復活させた月光卿の妹である。選令門ではこのシャドウを「マスカレードレディ」と呼称している。

「お兄様、加勢に参りました。このアバター世界に管理権を持つ程の憑代を当てがったにも関わらず、あの手弱女は使い物になりませんでしたか?」

「ああ、不愉快な程に手に持て余す。制御するにも手間が掛かるし、命令仕様が不安定過ぎて、兵器としても実用的ではない。(クラス)の格としては手駒に使うには申し分がなかったのだがな。惜しいことをした。」

剣吾を多数のシャドウが取り囲む。

「傑出した英雄の最期にしては実に呆気ないものだ。」

「くそっ!このままじゃ、どうにもならねぇ!!」

剣吾は魂を乗っ取られるくらいならと、自死を覚悟したその瞬間であった。


「バレットモンスターインテリジェントカスタム!イビルバスター!!!」

霊子弾の散弾が月光卿とマスカレードレディを強襲した。シャドウは撃退されたが、月光卿とマスカレードレディの二人は何処かへ逃げ去っていた。

「一体何が起きたんだ?」

「ギリギリ、間に合ってよかった。」

アズマルは長く息を吐いた。

「ねっ、アニャンさんのこと信じて良かったでしょう?」

翠玉はアズマルの背後から肩をポンポンと叩いた。

「主の恩寵って、あんなにあっさりしてるもんなの?まさか、電子メールからなんて。」

「形なんて関係ない。アズマル君なんてまだ、マシな方だよ。私なんか新聞記事の各段落の頭文字の縦読み暗号だったんだから。」

剣吾は二人の魔術士の登場に呆気にとられていた。

「で、お前達は一体何者なんだ?」

「初めまして。僕達は選令門の魔術士でアニャンさんの後輩です。」

アズマルは快活に剣吾の問いに答えた。




22


「今のあたし達に出来ることは何かないの!?」

アニャンはエドハリの胸ぐらを掴んで詰め寄った。

「時間が無さすぎる。すまない、俺にはもう、何も考えつかない。」

エドハリは申し訳なさそうに項垂れた。周囲に絶望の空気が漂う。


「あきらめないで!!」


遠くから声が聞こえ、こちらへ駆け寄る黒い人影が見える。黒色のヘルメットに全身黒のタイツスーツ、華奢な身体をしている、女性であろうか。ヘルメットのライナーが開く。

「その声、あんた、まさか・・・鶴なのかい?」

「鶴さん!!」

鶴は走って来たのか息を切らしており、大きく頷いた。

「エドハリさん!ヤマタノオロチがドロップしたアイテムを確認しましたか?」

「いや、していない。何故そんなことを聞く?」

「理由は後で説明します。あの化物が落とした草薙の剣があれば、皇源流斎の力を継承した今のうさぎならコモンイデアの性質を利用して、うさぎだけでも元の世界に戻れます。アバター世界にはゲーム世界内と二十四倍ものタイムラグがある。今すぐ、うさぎを元の世界に還せば間に合います。」

「分かった。うさぎ、俺に付いて来い!ドロップ地点の場所を解析、瞬間移動でお前を誘導する!」

「分かりました!鶴さん・・・」

うさぎは泣き始めた。

「喜ぶのはまだ早い。気を抜くじゃないよ。」

「はい!」

エドハリはうさぎを伴って姿を消した。

「ヒーローは遅れてやって来るか。あとは全部任せたよ。」

鶴は振り返ると、うさぎ達がいるであろう場所を微笑みながら見つめていた。


管制室に侵入したシャドウは次々と選令門の研究スタッフを捕食し始めた。騒然とする室内、職務を放棄し室外へ逃げ出そうとする者が次々と現れた。

「捕食者に転送システムを乗っ取られる前に今すぐにシステムダウンするべきです。我ら選令門はゲーム世界への介入ツールを放棄してはいけない!」

スタッフの一人が小春陽介に詰め寄る。小春陽介は沈黙している。

「転送者の一人に娘さんがいるのは承知しています。彼女が魔力の集中であることも。けれども、貴方も先程の化物を見たでしょう?あんなものがゲーム世界から、この世

界に具現化すれば、アバター世界に甚大な被害をもたらす!小春さん、決断して下さい!

もう、時間がない!再起動して、ロストしたプレイヤーを探すか、アカウントを復元す

る道を探るべきです!」

「うさぎ、すまない。」

小春陽介はシステムダウンの許可をスタッフに出した。スタッフが管制室内のパネルを操作し、システムダウン処理が始まった。

「システムダウンまで十秒、9、8、7」

管制室のガラスを突き破り、うさぎが飛び込んで来た。

「操作をすぐに中止して下さい!」

「うさぎ!?すぐに操作を中止しろ!!」

「4、3、2」

「システムダウン操作をキャンセルしました。」

アナウンスが室内に流れる。うさぎはスタッフに憑依したばかりの捕食者の前に立ちはだかり、若葉と手にしたばかりの草薙の剣を十字に交差させた。

「イマージュ!」

うさぎの姿が皇源流斎の姿に一変すると、左手に握った草薙の剣を回転させ、器用に逆手に持ち替えた。

「皇流奥義、冥約決殺。」

うさぎは全力で両手の剣を振るった。左手の草薙の剣は一閃、全てのシャドウを真っ二つに斬り裂き、右手の若葉がヒューマンと化したスタッフ内のシャドウのみを斬り裂くと、器用に両手の剣を鞘へと収めた。

管制室内で転送されていた者達が次々とログアウトし、アバター世界へ帰還した。よろめき歩きながら、アニャンが最初にうさぎの前に姿を見せた。泣きながら、うさぎの頭をくしゃくしゃにして撫で回す。

「お前は本当に良い子だよ。もう、最高。」

うさぎは何も応えなかった。うさぎの頬を涙が伝う。二人は力の限り、抱き合い、生還を喜ぶのであった。





23


アニャンと選令門の学生達はゲーム世界からの帰還後すぐに選令門内の医療施設へと搬送され、療養とメンテナンスを兼ねて検査入院を余儀なくされた。

アニャンと可奈は入院当初、ずっとハイテンションになって騒いでいたが、睡眠安定剤を服用すると泥のように眠った。うさぎも転生中のことを思い返しながらまどろんでいた。

「どうしてそんな浮かない顔しているの?」

うさぎ達を看護していた翠玉はうさぎに訊ねた。翠玉はうさぎ達が医療施設へ搬送された後もずっと居残り、現在まで付き添っていた。

「アニャンさんのことです。アニャンさんは実体として、ここにちゃんといるけど、私達を助けに来てくれたもう一人のアニャンさんはどこに行っちゃったのかなぁと思って。 

それに鶴さんはここへはいないみたいだし。頭の中で整理されてないことや分からないことが沢山ありすぎて。」

「当然よ。けど、一番真実に近いところにいるのがうさぎちゃんだって言うのは間違いないと思う。今、確実に言えることは分からないってことが正答だってこと。私は推測でしか、話すことはできないけど、うさぎちゃんが見たアニャンさん、あれは多分、私達アバターがずっと正体を求めて来た主そのものだったんじゃないかな?実は私、ここ何ヶ月か鶴と何度か連絡を取ってたんだ。現実改変の兆候を感じたとか言って、急に連絡をよこして来たの。それまでは、私から連絡を取ろうとしても、一方通行って感じだったんだけどね。さすが、虚数魔術の天才、私もスバルの一件以降に起こった出来事を色々と思い返してみたの。そうすると色々なことが奇跡の連続で起きたような気がしてしまって。一度そう考えると、もう、そうとしか思えなくなって来たの。その内、アニャンさんと何度か会って話をしている内に、ビビッと来たの。デジャブではないんだけど、デジャブみたいに感じる既視感みたいなもの、うーん、既視感と言ったら、イメージを固定し過ぎかな。アニャンさんに会う度に思い起こされる、なんか自分はこうした方が良いんじゃないか、こっちの道を選んだ方が正しいんじゃないかと感性が鋭くなるのよ。そのことを鶴に話したら、『アニャンさんにこれから起きることを包み隠さず話すように言って。』って。私は鶴の助言に従って、鶴が言ったことをアニャンさんにそのままぶつけてみたの。そうしたら、アニャンさんはだいぶ思い詰めたような顔をしてこう言ったの。『鶴を助けてやれなかったことをずっと後悔している。どんなことをしてでも、鶴の魔力を戻してみせる。』って。そして、続けて、『選令門で他次元世界へ探査する実験が行われようとしている。その世界に行けば、この世界では分からないことでも何か分かるかもしれない。その世界にうさぎ達が行くことになっている。うさぎの保護も兼ねて選令門からの護衛の任務を受けようと思っている。』と言われたのよ。私からアニャンさんには鶴が魔力の供給の研究をしていて、魔力の種火の固定化と維持に苦戦している話は以前からしていたから、きっと、どうにかしてあげたくて、どんなことでもやってやろうって思いでいたんじゃないかな。アニャンさんはそれ以上、選令門から依頼された任務について、全く話してくれなかった。鶴に相談してみると、鶴の赴任地であるエスタフは魔術と縁の遠い場所にあるから、ポラリスや選令門のことがよく見られるみたいで、主の正体について、ある仮説を説明してくれたのよ。人類史を省みれば、一神教の宗教の方が信仰対象が強くなり、民衆に浸透しやすい。それにも関わらず、主に肉薄し、奇跡体験を経験した者がポラリスの極一部にしかいないのはおかしいって。うさぎちゃんには話したことないけど、主の姿を見た、聞いた、触れたみたいな奇跡体験を選令門で認定した件数はこれまでにたった三件しかないの。代表的なものは選令門の授業でもやったかもしれないけど、東方三賢者の神との邂逅、近代魔法文明の父で真解システムを解明した大賢者カミュ=サマセットの主との遭遇の二つ、そして三件目はつい最近のことなんだけど、魔力の集中、つまりはうさぎちゃんが皇若葉の力を得たことなのよ。この三つの奇跡に共通していることは主と遭遇した人は特定の宗教を信仰していなかったと言うことなの。東方三賢者は錬金術師、カミュ=サマセットは偉大な物理学者、うさぎちゃんに関しては魔力適性の儀式すら受けていない、魔法に関しては全くの素人。鶴の考えでは不敬ではあると断った上で話してくれたんだけど、『奇跡を体験したものは極々身近な彼らを知る何かから啓示を受けたのではないか。』と。主とは言い換えると特別ではない特別なもの、奇跡の被験者をよく知るものなんじゃないか?って。」

「頭脳明晰な鶴さんのことだから、裏付け的なものもきちんとあるんでしょうね。」

「それは、当然。鶴が根拠なく、妄言を吐くような人じゃないのは知ってるでしょう?」

「はい。それで一体何が理由なんですか?」

「どんなに主を信じても、魔力は戻らなかったって鶴は言っていたわ。きっと鶴は吹っ切れたのね。そして、彼女は独自に選令門とそれに関わる外側の世事について調べたの。あらゆる手を使って、選令門とエドハリと言う男に行き着いた。」

「相変わらず、鶴さん冴えてますね。」

翠玉もうさぎも笑っている。カラッとした性格の鶴が始めから答えを知っている問題を解くかのように謎を解く姿が目に浮かんだからだ。

「私は、鶴がもうちょっと若い時から知っているけど、元々がもう、好奇心の塊って感じだったもの。それに鶴の今の地位なら、選令門の秘密にもある程度近付ける資格も持っていれば、危険な目に遭わずに秘密に近付ける地位にもいる。たまたま、身近にそうしたことに詳しい人もいたみたいだけどね。先ずは虚数魔術の権威である真仲先生の手を借りて危険が最も少ない自分の身辺から徹底的に調べた。そうしたら、鶴は直感なんかじゃなく、本当に自分の周りの現実が改変されていたことにそこで色々調べてみて初めて気づいたのよ。魔力の集中を言い当てたプレディクトの予言に真仲先生はまず注目したの。プレディクトの予言について先生はかなり細かく観測と調査を以前から行なっていたから、沢山の記録が残っていた。先生は特異型のPに憑依されてしまった経緯もあって、今は研究の中心から遠ざけられてしまったけど、鶴は立場が異なるから比較的簡単に穴の開いたデータについても補完して調べることが出来たみたい。プレディクトの予言を過去に遡って調べるとうさぎちゃんの行動に関わる予言だけが際立って特異な反応があったそうなの。私も後から真仲先生から聞いたんだけど、元々の予言を修正しようとする魔術的な干渉が行われた形跡が間違いなくあったって。鶴はアニャンさんによる現実改変に元々的を絞って考察していたから、予言修正の現象が『巨視の窓に似た魔力が関係した現象が起きたのではないか。』と言う仮説にスムーズに到ったそうよ。

「巨視の窓って一体何なんですか?」

「うさぎちゃんが鶴とアズマル君に最初に出会った時に鶴が魔導筆で空間を縁取りしていたのを覚えている?」

「はい、後から思い返せば、あれは真仲先生の補助で魔法を使っていたんだと思います。」

「その通り、巨視の窓はアバター世界の外側から、虚数空間上にある摂理、コードみたいなものを書き換える魔法で、一見パッとしないけど、めちゃくちゃ高度な虚数魔法なの。結果と一緒に過程も大事にする先生だからこそ、わざわざ面倒な手間をかけてシャドウを駆除させていたそうよ。鶴は最初アニャンさんが何らかの虚数魔術を使って現実改変を試みたと考えたようだけど、先生ははっきりと違うって否定したんだって。理由は本当に簡単なことなのよ。アバター世界の虚数魔術のルールとゲーム世界の現実世界のルールが全く異なるのがその理由らしい。頑固な鶴も抵抗することなく、すんなりと先生の説明に納得していたわ。」

うさぎは感心しながら、翠玉の話を聞いていた。

「確かに、ゲーム世界ではプログラマーの強固な管理権が外側の世界からの干渉を阻みますよね。」

「ゲーム世界にはどうやって行き着いたんですか?」

「そこも、物凄く単純な話だった。ポラリスの魔術文明は随分と前に他次元世界、正式名称はミクロコスモスと言うそうだけど、ゲーム世界の存在を覚知していたし、遠い過去にはプログラマーもこのアバター世界に存在していたみたい。けれど、それは簡単に禁忌の技術として区分された。」

「タブー視され、あっという間にロストテクノロジーと化したと言うことですね?」

「その通り。ごく僅かな魔術士だけが知る失われた秘術になったと言うところかしら。それを知っていた人物は鶴の極めて身近なところにいたの。その人は鶴の直属の上司であるアンリ・マックスハートと言う啓示上科学者兼物理学者だった。彼は魔術世界の歴史に造詣の深い人物で、鶴も短い期間でかなり親交を深めていたんだって。そこで鶴は彼に全ての疑問をひっくるめてぶつけてみた。真仲先生とマックスハート氏は鶴の異動先を斡旋するに際しても面識があったようで、いとも簡単に解答は出た。」

「ぶつかった壁を乗り越えたんですね。」

うさぎは鶴が選令門を去ってからも面白おかしくやっていたことを知って安心し、話の続きを聴きたくてたまらなくなっていた。

「マックスハート氏は魔力の種火の問題が解決しないなら、ゲーム世界から技術を持ち出す方向で研究のアプローチ方法を抜本から変えるつもりだったって。」

「すごい、その人、天才じゃないですか!?」

「多分、先生にも愛弟子の鶴を使って上手いことすごい研究結果をぶち上げて、元の選令門の地位に返り咲こうって思惑もあったんだと思う。この辺まで込み込みで真仲先生も鶴をエスタフに送り込んでだとしたら、私的には上司の慧眼にゾッとするけどね。

ゲーム世界に関する資料は秘密裏に動いている選令門よりもエスタフの方がずっと集めやすかったそうよ。マックスハート氏は国際社会に顔が利く人だそうで、鶴はエドハリさんと同じようなプログラマーを探し出すことに成功した。」

「えっ、そんなご都合主義的な展開が?」

「その人は元々、選令門や魔術とは全く縁もゆかりも無いただの人で、エドハリさんが持っていたうさぎちゃん達が転送したゲームのデータや技術をそっくり持っていたそうよ。正しくはエドハリさんからゲーム世界の保管管理を頼まれていた若い科学者だった。エドハリさん、こっちの世界だと一体いくつだと思う?」

「えっ、想像もつかないな。私の知ってるエドハリさんは結構なおじさんですけど。」

「彼のアバター世界での年齢は十八歳、うさぎちゃんの一つ上だから。」

「えっ!!??そうなんですか?」

「外見のイメージに囚われすぎよ。普段のうさぎちゃんはもっと頭が柔らかいじゃない。考えてもみてよ。ゲーム世界そのものを作成したプレイヤーならゲーム世界の中のキャラクターなんて幾らでもキャラメイク出来るじゃない?」

「確かに・・・」

「その科学者も最初は大事とも考えていなかったみたい。ただ、エドハリさんはミカって言う彼女を探しているとか言っていたそうよ。ゲーム世界の中で迷子になってるかもしれないみたいな話で。けど、問題はその先にあったのよ。エドハリさんの彼女のミカが何者かによって拐われた。だから、僕は彼女を探しに行く、そう言ってエドハリさんはゲーム世界のツールの管理を頼むと姿を消してしまった。」

「エドハリさんはアバター世界で問題が生じたから選令門を頼ったのですね。」

「本人に聞いたわけじゃないけど、きっとそうなんでしょう。その若い科学者は自分に

も危険が及ぶんじゃないかととても不安になったそうよ。そこで、彼の住む国の警察機関に相談したけど、話が全く荒唐無稽で、誰からも相手にもされなかった。電脳空間上で彼が助けを求めているところを超高性能コンピュータを使ってマックスハート氏が拾い上げたってわけ。」

「すごい、凄すぎる。」

「だよね。色々と超人の知恵の張り合いみたいなところもあって、私も話について行くのやっとだもの。ゲーム世界に辿り着いた鶴とマックスハート氏はあることを思い付いたの。ゲーム世界の中なら、魔力を自発で起こせるのじゃないかって。」

「けど、ゲーム世界のソフトに対する技術って多分、転送先から持ってこられるようなものは物質は当然だめですし、転送先から持ち出せても、ただの情報ぐらいだったはずです。どうやってゲーム世界の中に入って来れたんですか?」

「その辺は私もうまく説明出来ないんだけど、鶴から直接聞いた方が良いかもね。」

「そう言えば、この中に鶴さんはいないみたい、どこにいるんですか?」

部屋の出入口ドアから人が入って来た気配がする。壮年の彫りの深い顔の作りをした男性だった。ここの医師か何かであろうか、白衣を着ている。

「折原鶴君はここにはいないよ。私は君と同じ選令門の魔術士でウィリアム・マックスハートと言う名の学者だ。」

「マックスハート、鶴さんの上司の人ですか。」

「それは弟の方だよ。病み上がりのところ、大変申し訳ない。魔力の集中はポラリスでは君が思っている以上に世間を賑わしている話題でね。一度君に会ってみたいとずっと考えていた。選令門はかつて武芸百般と言われた伝説の戦士カルナゴの末裔、アニャン・クニヒトが保護すると言う条件で君の負担にならないように君の養育を小春陽介に許したのだ。折原鶴君がスバルでの襲撃後、真っ先にクニヒト氏を頼ったのにもきちんとした理由があっただ。夕焼けと言うバーは選令門から非常時における防災拠点に指定されていた。非常時とは主に戦時下を想定している。夕焼けは君の自宅から直近の魔術施設だった。今は改装されて商業ビルになっているそうだね。」

 いきなり病室へ現れ、他人事として自分のことや恩人のアニャンのことを語るマックスハートに対して、うさぎは不快感を抱いていた。

「クニヒト氏って言う呼び方は何かしっくり来ません。アニャンさんって呼んでもらえますか。私にとってはただの姉代わりのアニャンさんなんです。」

「分かった。いきなり来て、話の腰を折って気を害してしまったかな。すまなかった。それでは話を元に戻そう。ここからは私が話を引き継ごう。結論から言う。折原鶴君はここにはいない。彼女はポラリスから間も無く、刑事訴追を受ける。アニャンさんも時期にそうなるだろう。落ち着いたら、二人は収監される。」

「そんなバカなことって!?二人は世界を救った英雄です!」

「彼女達は禁忌に触れた。無断で小宇宙に触れることは魔法都市ポラリスにおいては重罪なのだよ。」

「そんなことをもしするなら、私はあなた達を絶対に許さない。」

うさぎは興奮し、ベッドから起き上がろうとした。

「うさぎちゃん、落ち着いて。最後まで彼の話を聞いて。鶴だって、私もアズマル君もこうなるって分かっていて、行動したのよ。アニャンさんだって、パラドクスキューブを私用で持ち出そうとした段階できっと分かっていたはずよ。」

「だから、記憶を消されるんですね?罪にならないように。」

「その通りだ。覚えていないなら、罪に問えない。許可の範囲内で違法行為を行使したに過ぎないわけだから。ただ、選令門の決定に待ったを掛けた者がいる。君の級友の伊藤政通君の父の伊藤有靖氏と次男で都市議員の政従氏だ。彼らは将来を嘱望された三男の政通君の助命を願い出た。学生には何の処分も課されないと言うのにね。転送試験の進展と予想外の結果に我が子も含めて処分を受けることを恐れたのだろう。君達全員の助命と復学処分も合わせての嘆願だ。選令門の背後で暗躍する長男の将臣君についてはもっと分かりやすく実力行為を行おうとした。ゲーム世界についての選令門の研究行為を世に公表し、告発するどころか技術そのものを国際機構である世界統一連合国へ無償で提供すると選令門を恫喝した。政通君とやらは、家族全員からとても愛されている御子息のようだ。」

マックスハートは笑っている。

「アニャン君に君を含めた被験者の学生達、そして本来なら懲罰に処されるはずのアズマル君と翠玉君全てをひっくるめて面倒をみようと言う危篤な魔術士がいてね。君達の知らないとても優秀な魔術士だ。彼の専門分野は国防、その中でも突出しているのは諜報活動だ。彼は特に君の能力を欲しがっている。」

「アニャンさんは学生達は試されているって、転送試験はリクルートも目的としていたんですね。」

翠玉はマックスハートに訊ねると、彼は軽く頷いた。

「我々選令門は仮想敵国バスク公国による大攻勢の情報を既に入手している。拘束中のテロ組織ジャーナルネットワークの構成員水掛望人は共にテロ行為に加担した二人の友人の共犯者を助けるために洗いざらい証言してくれた。既存の諜報機関の報告では魔神カテゴリの捕食者、手弱女の憑代で水掛望人の共犯者の一人、後藤紀も既に死亡しているとのことだ。今回の攻撃の敵の首謀者である月光卿への諜報活動のために派遣された特派員は全て帰らぬ人となった。君達を欲しているその魔術士は君達が選令門肝煎りのプロジェクトに一刻も早く加わることを願っている。我々は君達のプロジェクトへの参加を条件に折原鶴とアニャンさん両名の赦免を決めた。若き魔術士達に訪れるであろう未来は困難を究めるものだ。それでもやってくれるかね?

「みんなが助かるならどんなことだってします。」

うさぎは決意を固め、返事をした。

「それで、そのプロジェクトの名前って何と言うんですか?」

「気になるかね?特殊作戦のコードネームは

『アバター・マジック・オーケストラ』

略して、AMOだ。」

 マックスハートがそう告げると、うさぎの身体には希望と勇気が漲ってくるのであった。


エピローグ


 ミカ・クルーエルは選令門の新設の防諜機関である特殊戦術課の工作員によって、選令門の研究棟から近い高層マンションの一室で発見、無事に救出され、晴れてエドハリと再会した。 

救出作戦はAMOプロジェクトのリーダーとして皇剣吾に接触し、選令門の優秀な若き魔術士であるうさぎ達をリクルートした特殊戦術課の課長である斑鳩静月が先導して行った。

斑鳩静月は転送試験中もゴーストの動向や転送試験の経過についても皇剣吾を通じて秘密裏に情報を入手しており、エドハリに皇剣吾を出会わせ、ゲームメイカーであるエドハリを転送試験に介入させたのもこの男の手によるものである。また、エドガーが転送先から戻った直後、傍らにいたダークカラーのスーツの紳士もこの斑鳩静月であった。

ミカ・クルーエルの捜索については、早い段階で内通者の存在が察知されていたため、ごく小規模の人数によって、転送試験に携わる者達には極秘で行われていた。この作戦のメンバーの中にはうさぎ達より先んじてAMOプロジェクトのメンバーに選ばれた折原鶴も含まれている。折原鶴は翠玉の説明の通り、鋭い洞察力でアニャンの手による現実改変を転送試験の前にはあらかた看破しており、複製されたアニャンの情報体化までは見抜けなかったが、斑鳩静月が意図的にアンリ・マックスハートに漏らした情報を通じて、結果的にゲーム世界内に誘われる結果となった。斑鳩静月はアバター世界内をさすらっていたエドハリとミカの二人のゲームメイカーの動向についても独自の情報網から把握済みであったらしく、エドハリに接点を持ち、ゲーム世界の管理を任されていたと言う若い科学者も魔法により、変装した斑鳩静月であった。アバター世界に多少なりとも管理権を持つエドハリがその変装に全く気付けなかったことがこの男がいかに優秀で素性の知れない諜報員であるかを物語っている。

ゲーム世界への転送試験から約一か月が経った。今回の転送試験で処罰を受けた者は結局一人もいなかった。それどころか、通例であれば、転送中の記憶を消去されるべきところを誰一人として、消去された者はいなかった。内通者であった浅井相ですら、処罰されずに記憶も消されず無罪放免となった。全て斑鳩静月の手引きによるものであるが、浅井相のハッキング技術を買っており、裏切者の学生すら、優秀と認めればリクルートされたのか、彼は姿を消した。

転送試験を無事に勝ち残ったうさぎ、可奈、伊藤、村田兄妹、エドガーは揃って斑鳩静月によってリクルートされ、後に選令門から魔導六法の手帳を与えられた。うさぎ達はAMOプロジェクトへの参加の準備段階として、全寮制の宿舎に缶詰めにされ、半年間の軍事教練を受けさせられる予定となっている。この訓練を修了すれば、選令門の職員としての肩書を与えられるらしく、うさぎ達は入校への不安と将来への希望が混ざった不安定な気持ちで毎日を過ごしていた。アニャンも夕焼けの経営者の肩書を維持したまま、うさぎ達と同時期にAMOプロジェクトに加わるとのことである。うさぎと親しい久坂翠玉と東丸透はうさぎ達よりも早く現在の部署から異動の内示を受けAMOプロジェクトに編入されることが決まっている

折原鶴の行方について誰も知らなかった。彼女は魔力が戻ることのないまま姿を消したという。ただ、彼女がアンリ・マックスハートに託した魔力発生に関する研究レポートは秀逸な出来であったらしく、マックスハート氏によればゲーム世界への転送体験も含めて、彼女の魔力が回復する大きな兆しとなったことは間違いないとのことであった。斑鳩静月だけが、彼女の行方を知っているのであろう。

それから更に半年が経った。季節は巡り、うさぎ達若き魔術士は厳しい軍事訓練を終え、溌溂とした笑顔で宿舎を後にしたのだった。


物語はまだ続きます!

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