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こことはちょっと違う現実世界

アンチ・デッド・キラーズ

作者: 仁司方


 世の中を渡っていくのは厳しいことである。


 これに同意されない方は、いままでの人生、相当に恵まれていらっしゃったのであろう。

 とはいえ、たいていの人は、どうにかこうにか渡っていけるのだから、人間とそれが構成する社会との関係は、致命的亀裂を生じるには至っていないようである。そもそも、社会と全面的に関係を断ち切るにしても、自給自足の厳しさに耐え抜くことは、生易しいことではあるまい。

 それでも、社会の軋轢やさもしさに曝されて生きていくことを考えれば、あながち、秤にかけて比べる価値もないとまでは、いいがたいのではなかろうか。


 しかし、ただ渡っていくだけで精一杯になってしまうことは多々あるようだ。なにぶん、他人になってみたことはないので「ようだ」としかいえないが。


 わたし自身はいちおう、余裕、とまではいかないが、ただ生存していくことだけで全エネルギーを使い切ってしまうような事態には陥っていない。謙虚に、恵まれているほうだ、と思うべきなのだろう。


 余裕を失っていくと、他人のことにまで気がまわらなくなってしまう。そして他者への無関心が進行していくと、害悪の温床にもなりうるのである。あまり周囲から構われては困る種類の活動をしているわたしがいうのは、すこし妙な気もするが。


 わたしの姿は、いったい傍から見るとどう映るのだろうか。若干、気にならなくもないのであった。


    *****


 わたしはティーカップを持ち上げ、すっかり冷めてしまった紅茶をすすった。さすがに、一杯で二時間ちかくも粘るのはきついことだ。

 ときおりウェイター氏の視線が横面に突き刺さってくるような気がするのは、貧乏人的な引け目のせいばかりではないだろう。とはいえ、高級ホテルのラウンジにあるティースペースである。経費はぎりぎり、もはや帰る電車賃しか残っていない。わたしの自腹におよぶこともたびたびだ。


 抑揚の効いた照明と、クラシックの名盤がBGMとして流れている静かすぎず程よい状態。ウェイター氏が背中を見せているときなどは、小市民らしくもなく、ついつい落ち着いてしまうのだが、わたしの同行者は、


小山部こやまべさん、ぼくみたいな庶民には、ここの空気は合いませんよ。灑魂原さこんばらさん、まだもどってこないのかなぁ……」


 などと、芝居がかったことをいいながら、情けなくも周囲を見まわしている。

 泰然自若としていれば、けっこうそれなりに見えるだろうに、落ち着きのないことだ。顔立ちは実年齢より上のような気がしなくもないが、精神年齢は実年齢よりだいぶん低い。平均すれば、年相応といえなくもない、のかもしれない。もっとも、今日において精神年齢というのはまったくあやふやなものになってしまっているが。


 この状態で、くつろぐまではいかないが、落ち着いていられる神経のあるわたしは、かなり図太い部類に入ってしまうのだろう。こいつも、そわそわしているのは、お茶の一杯で居座っていることへの遠慮ではないのだから、まったく傍若無人な一行だ。わたしたちふたりを合わせても、現在この場にいないもう一名にはかなわないが。


 そのひとりを待っているのだが、最近は、わたしとこいつ――流沢秀彦が、灑魂原(めい)嬢のお供をしている、といったほうが実態に近い。

「サコンバラ」と「ルサワ」などという姓を、よく聞くことは絶対にないだろう。「コヤマベ」も、これまでわたし自身は親戚以外の同姓に出会ったことがない。日本人は世界でダントツに姓の多い民族なのだそうだ。


 名前にしても、秀彦ひでひこはごく普通だが、()は人名としては珍しい字だろう。これにはちょっとしたいわくがあるそうだ。ちなみにわたしは加不徒かずとという。これもいわくありげな名だが、読みはいたって普通なので少々の知己レベルであれば問題なくつき合える。なにかの機会で名を書くと、途端に不思議がられるのが常ではあるが。


 名前をつけてくれたのは母方の祖父だそうだ。なんでも、「ただ多数であるというだけの集団におもねるような人間になってくれるな」との願いを込めてくれたのだとか。画数を気にしたほかの親戚とひと悶着あったらしいのだが、その決着を聞いたことはない。画数も悪くなかったのか、それとも押し切ったのか……。


 そんな名前の効果なのかどうか、自分がかなり向こう見ずなことをしているという自覚はある。きっかけはどうあれ、秘密結社モドキの一員をしているのだから。


 待ち合わせのためだけにこんなところにいるわけではなかった。それだけなら、チェーン展開の茶店が、この辺りでも探す必要もないくらいに増殖している。費用は、一〇分の一ですむだろう。いちおう、ホテルの全出入り口を張っている形になっているのだ。


「遅くないかな。なにか、あったんじゃ……。小山部さん、落ち着いてていいんですかあ」


 秀彦のそわそわ度が増し、腰を浮かせんばかりになっている。時計を見ると、予定より十五分ほどすぎている。たしかにすこし遅いが、なにかがあろうはずはない。なにかが起こったりしたならば、ここまで騒ぎが伝わるに決まっている。


「みっともないぞ、しゃんとしてろ。問題が起きてたら連絡がある」

「そうかな……だいじょうぶかな……」


 本当にこいつは今年の春に高校を卒業したのだろうか? わたしの十数年前は、もっと落ち着いていたと思うが。


「あっ、灑魂原さん……ッ!?」


 やにわに秀彦が立ち上がったかと思うと、テーブルの脚にしたたか自分の脚を衝突させ、椅子に逆もどりする。鈍い音は響く事なく、だれもこちらを振り向かない。伊達に高いだけではない老舗だけあって、重みのある良いテーブルだ。その上のティーカップも揺れはしたが、中身を失うことはなかった。わたしは後生大事に取っておいたそれを飲み干し、立ち上がる。


 声こそ立てていないが悶え苦しんでいる秀彦を無視して、勘定をすませた。茗が、ごく穏当な科白を口にする。


「おまたせ」


 まさに玲瓏玉の如し。声というのはある程度頭骨の形が影響するだろうから、頭蓋骨の形が良い人の声を、人類は良い声だとして聞いてきたはずだ。とはいえ声美人と外見美人はなかなか共存しているものではない。わたしは彼女ほど完璧な例をほかに知らなかった。もっとも、わたしは美女とそうそう知り合いになれるような暮らしはしていないのだが。すくなくとも、彼女の横にわたしが突っ立っているのは不釣り合いだと断じられても否定はできない。


 客はもとより、ホテルのスタッフまで数名、こちら――正確には茗の行く手――に合わせて視線を動かしている。これから起きる怪事件が表沙汰になることはないはずだが、もしなんらかの遺漏があったら、「大谷おおやホテルの事件のとき、すっごいかわいい娘見かけたんだよなぁ」というかたちとなって幾人かの記憶に残ってしまうであろうことが、ちょっとした悩みの種だ。


「待ってくださいよう」


 秀彦がよたよたとついてくる。何本となく抜けているようだが、この道五年のベテランなのだ。茗は秀彦よりふたつ下だが、似たようなものだろう。


 一般常識と少々かけ離れてしまっても、致し方ないのかもしれない。方々で生きた社会勉強をしている、ともいえるはずなのだが、やはりそうもいかないようだ。存在からして常識外なのだ、その上に節度が求められようか? いや、存在が常識外なのだから、せめて節度がありうるべきなのかもしれない。



 わたしたちは、目標へ向かって客室フロアへと入り込んでいた。さいわい人影は見当たらない。掃除機の音が遠くに聞こえる程度だ。カストーディアルのワークスケジュールは把握している。


 堂々と歩けばいいものを、秀彦はしきりに周囲をきょろきょろと見まわす。先頭を進んでいる茗がいきなり立ち止まったかと思うと、やはりいきなりターンし、秀彦の靴を踏みつけた。そしていわく、


「もう、目立つじゃないの、しゃきっとしてなさいよ。万引だって、おたおたしてなきゃバレやしないんだから」

「えっ、したことあるんですか?」


 踏まれたことに対しては文句をいわないのが秀彦の真価である。踏みつけることをなんとも思わないのは茗の真価、ではない。仮に文句があろうものならば、十倍にして返すのが彼女の本領である。


「あるワケないでしょ。あたしは甲斐性のない旦那しか捕まえられなかったくせに生活水準は落とせないけど働くのはいやだなんて専業主婦じゃないし、度胸試しがしたい、なんてほざくバカともちがうわ。度胸が試したいんなら、地雷除去のボランティアでもやればいいのよ」


 まことごもっともだが、身分不相応な――じつは茗に関してはそうでもないが、その話はあとでいいだろう――高級ホテルの客室フロアをうろついている上にこう騒いでいては、見とがめられた際に非常に言訳しづらい。わたしは、適当に割り込んだ。


「目標は?」

「もういっこ上よ。取り巻きも出てったわ」

「いまのところは上首尾だ。締まっていくぞ」

「野球じゃないんだから」


 わたしと、秀彦、茗のつき合いはこの二年くらいのものだ。実戦レベルでのわたしは、射撃が優、といった程度で、エースは茗なのだが、ふたりとも未成年であるので、お目付役としてもう何年かはついていなければならない次第である。といっても、さきほどちょっと述べたとおり、秀彦はこの道五年、茗も四、五年はやっていて、後輩のわたしがお目付役というのもなにやら妙なところだが。

 いちおう、前任からの引継――ということになるのだろう。


 目的のフロアである、地上三十八階にたどりついた。わざわざ下の階から階段で昇ってきたのには、もちろん理由がある。エレベータで直通ではあやしまれるからだ。なにより、エレベータのカゴには監視カメラがついているし、常時上下しているから小細工もしにくい。非常階段やスタッフ用通路はタイミングさえ計れば人目につかず移動できるし、カメラを一時的にジャックしてもバレにくい。そっち方面の工作は別行動の仲間がやっている。


 三十八階には客室が二部屋しかなく、片方は現在空いている。もう片方は、ここ半年ばかりずっと同一人物が連泊していた。その三八〇一室のドアを秀彦が素早く解錠し、そろそろと後退する。正々堂々と正面から、という言葉の意味に、鍵のかかったドアは含まない、と、わたしが知ったのはこの世界に踏み込んでしまってからのことだ。


 秀彦と入れ替わって進み出るのは茗だ。彼女の襟元に仕込まれたCCDカメラと小型マイクのとらえた映像と音声を受信すべく、わたしは携帯端末を開いてモノラルのイヤホンを装着する。やはり、こういう活動をする際には両耳をふさぐべきではない。


 さすがに広い部屋であった。ドアを入ってすぐに、前方のみならず、左右にまで空間が広がっている。滞在空間であり、生活空間ではないので、同じ広さの住宅に比べれば、キッチンなどが省けて贅沢な部屋割りにすることができるのは当然だ。正面には大きな窓がある。夜景がさぞやすばらしいのだろうが、それにはやや時間が早く、夕陽が射し込んできていた。


 茗が、鈴を鳴らすような声で呼びかける。


「先生」

「……遅かったな」

「このへんきたことがなかったから、ちょっと迷っちゃった」

「さっさと入ってこい」

「明るいところがいいなあ、なんて」


 奥のドアが開き、バスローブをまとった「先生」が顔を出した。やや腹が出ぎみだが、肥満ではない恰幅のよさをしている。たしか、名前は嵩条辰治郎氏だったか。


 こちらを――茗を見る嵩条氏の目には、不審感と同時に、隠しきれない好色さがにじみ出ていた。


「指名した写真とちがうようだが」

「彼女、急病で。あたしが代理です。お嫌ですか?」


 嵩条氏はいわゆる裏デートクラブの会員で、ときおりこうして周辺警護の黒服連をさがらせては未成年買春の挙におよんでいる。茗はどうにか自分を抑えて演技してはいるが、内心では虫酸が走っているだろう。わたしも同様だ。とはいっても、べつに児童淫行の容疑で嵩条氏を裁きにきたわけではない。


 まあ、本来嵩条氏が呼び出したはずの少女を途中で捕獲したのも茗であって、それを待つためにさきほどわたしたちは喫茶スペースで待機していたのだが。


 全身を舐めまわすように見られ、茗の自制力ゲージが急速に振り切れつつあることがこちらにもありありとわかる。頼むからまだキレてくれるなと念じているうちに、嵩条氏がようやく視線を外した。


「……かまわん、こっちにこい」


 嵩条氏は自分が狙われていることを知っている。しかし警戒感を茗の魅力が上まわったようだ。たびたび少女を買っている性癖の持ち主が、茗の姿を見て欲望を抑えるのは無理だろう。


「明るいところは嫌なの、先生?」


 茗の声は若干ひび割れていた。これはちょっと執拗な上に不自然だ。やはり嵩条氏は陰険そうな顔をこちらへ向け、


「か――」


 えれ、と続くはずだった口の動きが止まった。茗がジャケットを脱ぎ捨てたのだ。

 ブラウスの襟元をくつろげ――カメラの視点が左へずれる――、上から順にボタンを外しながら嵩条氏のほうへと進む。


 みっつめくらいのボタンに右手をかけながら左手で嵩条氏の腕を取って、茗は思い切り引っ張った。夕陽の射し込むエントランスへ、嵩条氏が転がり出る。


「……ない!?」


 茗の裏返った叫びがイヤホンから聞こえるや、わたしは映像を確認する前に端末をポケットに突っ込みながら駆け出した。ワンテンポ遅れで、秀彦がついてくる。


 非常階段の角から三八〇一室のドアまでは一〇メートル少々。二秒半で開け放たれた戸口に立って、ホルスターから抜いたエアピストルを室内へ突きつける。


 嵩条氏は部屋の隅へ飛びさがった茗を追いつめたところだった。正面の窓から射し込む夕陽が眩しい。たしかに、しかるべきものがなかった。


 嵩条氏の足下から、わたしのいるあたりまで伸びていているはずの、影が。


「なるほど……。そうか。お前たちが例の叛逆者だな」


 嵩条氏が、肩越しにわたしのほうへ視線を走らせながらそういった。


「正当防衛よ」


 応じたのは茗だが、嵩条氏は彼女に構うことなくこちらに向き直った。茗の能力が自分に効かないことを確信している。


 わたしは嵩条氏の胸元に狙点を定めて、口を開く。


「このエアピストルは猛獣用の麻酔銃です。まあ、あなたがたからすればオモチャのようなものですが、当たってなにも起きないということはありません」

「……なんだ、お前はなんの変哲もない凡人か?」

「ええ。恋人をあなたがたに殺されただけの関係です。彼女が非凡だったとは、つき合っているあいだはまったく気づいていなかったのですがね」

「それで女の仇討だと? そんなくだらん理由でお前は国の足下を掘り崩す気か」


 嵩条――もう「氏」をつけるのはやめよう――は、自分こそが価値ある存在であり、他人をいくら犠牲に供しようがそんなのは当たり前のことだ、といわんばかりの口調だった。


「あんたに国を語る資格なんてないわよ」


 背後から飛んできた茗の声に、嵩条の眉が苛立たしげにうごめく。


「小娘になにがわかる」

「ロリコンの変態に天下国家を語られるほど、この国も堕ちちゃいないわ」


 茗の毒舌に、嵩条が再度そちらを振り向いた。


「そういえば、我々は、お前にずいぶん借りがあるな。もっとも、影がなければなにもできまいが。そこの無能を片づけたら、最初の予定どおり楽しませてもら――」


 背中を見せた嵩条へアンプルダートを発射したりはせず、わたしは手招きして戸口の陰にいた秀彦を呼び寄せていた。間抜け面のままでのこのことやってきた秀彦を室内に押し込み、嵩条のほう目がけて尻を蹴る。


「……って、なにすんです小山部さッ!?」

「なんだ、この餓鬼は!」


 秀彦にまとわりつかれ、嵩条はバランスを崩しかけたが、転倒にはいたることなく踏みとどまった。容赦なく、秀彦を足蹴にする。


「いた、痛い、痛いですって、ば」


 とどめにあごにひざ打ちを食らって、秀彦はカエルのように仰向けに倒れた。床の上は毛足の長い絨毯敷になっているので、蹴られた以上のダメージは免れただろう。

 軽く息を乱す嵩条へ、わたしは皮肉げな口調を投げかけてやる。


「やはり、不死ではあっても超人というわけではないようですね」

「だが、お前たちを片づける程度のことはできるぞ」


 そういう嵩条の表情にはたしかに凄みがあった。これまでの長い人生、自ら血路を切り開いた経験くらいはあるのだろう。いまは国家の元老を気取り、黒服の人垣で身を守ってはいるが、嵩条にも在野の時代はあったのだ。


 わたしはエアピストルを構えたまま、嵩条に話しかけた。


「どうもわからない。あなたがたがなぜ特定の人々を弾圧し、命さえ奪うのか。彼女がいっていた――」


 と、茗のほうを一度視線で示し、続ける。


「正当防衛というのも、こちらの立場からすれば、そうとしかいいようがないからですよ」

「お前たちは自らが犯した大罪すらも憶えていないというわけか。愚の骨頂とはまさにこういうことをいうのだろうな。だが知る必要もあるまい。秩序の維持のためには異分子の摘出はやむをえぬことだ」


 嵩条の傲岸な態度は小揺るぎもしなかった。わたしはため息をつく。


「そうですか。残念です」


 口を動かすとともに、つぶれたカエルからひからびたゴキブリの体勢に移行していた秀彦に目配せする。

 秀彦の手が伸びて、嵩条の足下を撫でると、黒い染みが湧き出すかのように、夕陽に照らされて影が伸びていった。


「……なんだと!?」


 嵩条の驚きは、まあ当然だろう。秀彦は「アンロック」の能力を持っている。物理的な錠前にとどまらず、デジタル的なパスワードでも、術式の封印でも、「鍵」ならなんでも解除してしまえるという、インチキくさいシロモノなのである。悪用のしようはいくらでもあるが、節度は守っている――はずだ。


 秀彦が手を伸ばすと同時に、茗も動いていた。軽くスナップをきかせて、白い碁石のようなものを投じている。それは、解き放たれた嵩条の影の上に、吸いつくように落ちた。


 嵩条の動きが、ぴたりと止まった。動けないのだ。影を隠して嵩条が余裕綽々だった理由、裏を返せば影を恐れていた理由だ。この「シャドウバインド」能力を持つ茗の参戦以降、狩る側と狩られる側の一方的な関係は終わりを告げたのだという。


 微動だにできずにいる嵩条へ、わたしはあらためてエアピストルを突きつけた。


「じつをいうと、さきほどはこのピストルについて全部ご紹介していませんでした。弾に麻酔液は入っていません。あなたがたでも死ぬ強さの――毒です」


 アンプルの中には、特殊なペプチドが何十だか、何百種類だか入っている。呼吸や蛋白質の合成など、複数の生化学反応を一挙に阻害するもので、「生物」であれば問答無用で死ぬ。すくなくとも、地球産で、酸素を吸気とする炭素生物であれば。これも、まっとうな化学の産物ではなく、超能力者によって作り出されたものだそうだ。わたしはその人物との面識はないが。


 端的にいえば、部屋に押し込んで嵩条にアンプルダートを射ち込むだけで、始末をつけることはできたのだ。しかし、それではわたしたちも嵩条たちとなにも変わらない。そして、なぜすこしばかり特殊な能力を持つ人々が殺戮されてきたのか、「彼ら」はなぜ常軌を逸した長寿を誇っているのか、わたしたちにはなにもわかっていないのだ。


 だが嵩条の態度では話を聞き出すことはできそうにもなかった。独りきりになる機会を、ずっと待っていた標的であって、これ以上の時間はかけられない。場所を変えて尋問をしてやりたいのが本心だが、リスクは冒せなかった。すくなくとも、立場としてはこちらのほうがずっと弱い。われわれは権力とは無縁だ。


 射たれて死ぬ、というのは嵩条にとってお笑い種でしかなかっただろう。表舞台で活動していた前世紀のうちには、幾度か実際に鉛弾を浴びているはずだ。わたしが手にしているのが普通の銃ではなく薬剤を注入するためのものであることから、ようやく、物理的な破壊とはちがう意味での脅威がありうると、私の話がはったりではないかもしれないと気づいたらしい。


「ま、まて……」


 いまさらなにかを話す気になってくれても、残念だが時間切れだ。わたしは半ば以上自分の退路を断つために、嵩条の言葉をさえぎって告げる。


「苦しむことはないはずです」


 いっても詮のないことと知りつつも、自分の罪が軽くなるわけでもないとわかってはいるが、それでもわたしはそう口にせずにはいられなかった。


 茗や秀彦の手を汚させない、それが、わたしのもっとも重要な役割だ。


    *****


 ……ひと仕事終えたわたしたちは、引き上げに先立って、後かたづけの確認をしていた。


 お堀端の緑地に設えられているベンチの上で目を醒した少女が、額に手をやりながら左右を見渡している。嵩条が本来呼び出していたのは彼女で、入れ替わるために、茗が影を踏んで捕獲した。


 若い身空を安売りするのはやめなさいと、説教のひとつくらいはするべきなのかもしれないが、こちらの存在を知らぬまま、嵩条に呼ばれていたことも忘れて立ち去ってくれればそれで良しとするほかないのが、わたしたちの現在おかれている状況である。


 特異能力者たちのゆるやかな相互扶助組織――それがわたしたちの集まりだ。


 もちろん、茗の能力は万能ではない。少女の記憶に干渉し、今日の予定を忘却の彼方に流し去ったのは、わたしのかたわらに立っている妙齢の淑女だ。

 ご多分に漏れず超能力者で、ひとりの人間に対し、最近二十四時間以内の、およそ十五分のあいだまで、という細かい制限つきながら、記憶の消去や上書きをすることができる。田辺というその姓はごく普通だが、名前のほうは生粋きっすいといい、特異な能力がなくとも変わり者のレッテルは免れえそうにない。


 生粋と秀彦の能力を悪用すれば、それこそ大抵の犯罪行為を露見させぬままに働くことができる。もし超能力者が社会的に認知されていれば、当局がその動向の把握に務めるのは当然といえば当然の流れになるだろう。


 しかし存在は公にされぬまま、超能力者たちは狩り立てられ、殺されてきた。そして犠牲者の列に自分の恋人が加わったことで、わたしは彼女の遺品を整理する過程でメモ書きから超能力者の実在とその組織のことを知り、いまはこうして、無能力者でありながら超能力者たちの戦いに身を投じている。


 わたしの恋人はまったく無辜の罪で命を奪われた、というわけではないということを、首を突っ込むようになってから間もなくして知ることになった。

 彼女はレジスタンスの先頭に立っていた。茗と秀彦とチームを組んでいた、わたしの「前任」こそが彼女であり、殺された超能力者の仇を討ち、あるいは刺客と戦っていた。まだ十代前半の少年少女だった、能力に目覚めたばかりの秀彦と茗の命を救ったのも彼女なのだという。


 正当防衛だが、その手がまっさらの無垢だった、とはいえまい。彼女は再報復で殺されたのだろう。そもそもの最初、きっかけとなった一撃をどちらが放ったのか、わたしたちは知らない。嵩条ら、不死を誇る影の権力者の側はいきさつを記憶しているはずなのだが、口をつぐんだままでいる。


 超能力者は実在し、しかもテロリストである――そう宣伝するのはたやすいだろうに、なぜかやらないのだ。はからずも超能力者陣営に流れることになったわたしだが、しかし彼女の死を知らされるまでは、なんら関わるところのない第三者だった。

 そのころの感覚でいわせてもらえば、不死者たちの側にはよほど後ろ暗いところがあるのだろうとしか思えない。ちがうというならさっさと公表すればいいのだ。ことの仔細を明らかにした場合、より多くの損失を被るから闇から闇へ葬ろうとしている――それ以外に、黙っている理由はありそうにないではないか。


 だが、窮極的には判断材料が乏しすぎて、なにもわからない。


「それにしても、どうしてぼくらと嵩条サンたちはいがみ合っているんでしょうかねえ? いったい、いつからこんなことをやってるんでしょうか?」


 帰りの道中でわたしと似たようなことを考えていたのか、引き上げてきたアジトで、秀彦がそういった。いまは亡き嵩条が相手方の代名詞であるのは、わたしたちに突き止めることのできた限りにおいて、嵩条辰治郎がトップだったからである。

 嵩条を尋問できずじまいで始末してしまったので、現状ではこれ以上『敵』についての情報はない。根を絶てていない可能性は充分にあった。


 だが、これでいいのだろう。『予防』で殺しをやりだすようになっては、わたしたちも嵩条と同じ穴の狢になってしまう。


「どのくらい昔の話なのかはわからないが、おそらく、超能力者たちと嵩条たち不死者のあいだで、権力闘争があったんだろう。勝ったのは嵩条たちの側で、巡り巡って現在でも一定の権力を握っているんじゃないかな。カネの力や政治的な力は、べつに不死でなくたって、血縁なりなんなりで引き継いでいけるが、超能力者の子供が超能力者になる保証はない。というより、まずならないんじゃないか」


 わたしがそういうと、生粋がうなずいた。


「まあ、そうなんやろね。うちら突然変異やし」

「わかんないのは、連中の身内にだって超能力者が出る可能性があるってのに、なんで超能力者ってだけで殺されなきゃならないのかってことよ」


 と、憤りの声をあげたのは茗だった。秀彦があいづちを打つ。


「灑魂原さんのおうちはほとんど『向こう側』なんですもんねえ」


 茗の父である灑魂原さこんばら総源そうげん氏は、旧財閥の流れを汲む複合企業体の核、葦原あしはらフィナンシャルグループの総裁であり、本邦の歴代国家権力のスポンサー的存在の一角だ。公然ではない権力に与っている類の人種とも時候の挨拶を交わす程度にはつきあいがあり、わたしたちの仲間を殺してきた下手人の名として嵩条が浮上してきたのは、もっぱら茗の調べに依っている。


 茗という字は番茶の意であり、それが示唆しているように、総源氏は高齢になってから授かった娘をたいそう可愛がっているそうだ。

 総源氏が嵩条らの正体について、彼らが超能力者殺しを重ねていることを承知しているのかはわからない。だが悪いほうの想定に立てば、茗が超能力者であることを知れば、総源氏が娘殺しに手を染めようとする可能性は否定できなかった。すくなくとも、茗は一度殺されかけたことがあるのだ。最悪の場合、もうわかっていながら総源氏は素知らぬふりをしているのかもしれない。

 嵩条ら不死の権力者たちからすれば、茗の存在はまさに獅子身中の虫といったところになるのだろうか。茗の私見では、総源氏は娘が超能力者だとは知らないようだ、とのことではある。だが超能力者殺しのことを是認、あるいは黙認している疑いは捨て切れない。


 特別な力もなければ、肉親とのあいだに口に出して問い質すことのできない軋轢を抱えているわけでもないわたしには、茗の心中を推し量るなどおこがましくてできなかった。すくなくとも、茗は外から見えるよりずっと気丈で、そして無理をしているのだろう。

 わたし個人についていえば、恋人の仇を討つことができた。これで、ひと区切りついたと思ってよいのではなかろうか。


「……ちょっとカズ、なんで『終わった』みたいな顔してんの」


 勝手に仲間たちの会話から抜け出して個人の追想に浸っていたわたしだったが、いつの間にやら目の前で茗が両手を腰にやってこちらを睨んでいた。

 茗の身の上に同情めいたものを感じていたなどと生意気なことはいえないし、実際「そんな生意気なこと考えないでいい!」といわれるだろうから、わたしは自分のことを話した。


「これで、向こうからしかけてこない限りは、もう人殺しをすることもなくなると思えば、こんな顔にもなるさ」

「小山部はんには汚い仕事を押しつけてしもうて、心苦しいばかりや」


 と、申しわけなさそうな顔になったのは生粋だった。そんなつもりではなかったので、わたしはかぶりを振る。


「いや、自分から飛び込んだ世界だ。後悔はしてないよ」

「小山部さん、これでお別れだなんていいませんよね? これからもぼくらの仲間ですよね?」


 そういう秀彦は、飼い主に捨てられるのではないかと恐れている子犬のようだった。

 まったく、女の子にこんな顔をされたら、罪悪感に襲われると同時に頼りにされているという自覚で鼻の穴も膨らもうというのに、これでは気持ち悪いだけだ。


 この場では唯一の「女の子」になる茗はといえば、不敵な表情でわたしを見据えている。


「抜けるといっても赦さないけどね。カズはあたしたちと一蓮托生なんだから」

「逃げやしないさ」


 ニヒルな笑みを返したつもりだが、たぶんできていないな、という自覚はあった。わたしは元来そんな柄でない。ハードボイルドなど夢のまた夢だ。


 本来なら、警察に出頭してなにもかも話すべきなのだろう。しかし手をくだしたのはわたしとはいえ、茗や秀彦にも累がおよぶ。

 だいたいわたしが関わったのは彼女を喪ってからのほんの数件で、それ以前の何百何千もの虐殺に対する十数回の反撃にはまったく関与していない。

 それに超能力は証拠になりえないだろう。どうやって壁を抜けたり、何重ものセキュリティを突破して、財界・政界の影の要人を暗殺したのか、わたし個人の力では説明できない。


 これまで、消された超能力者たちが殺人事件の被害者として取り扱われたことはなかった。わずかに二、三件が事故死とされただけで、それ以外は報道すらされていない。つまり「彼ら」には、警察の捜査権を行使させず、マスコミに情報が流れないよう手を打てる、なんらかの超法規的権力がある。また、「彼ら」のほとんどが、その常軌を逸した長命のゆえに表舞台から姿を隠していたおかげで、こちらの反撃行為も表向きは事件になっていない。強大な権力者が失われたことを実感させるような、社会的な動揺も生じていなかった。


 もしかすると、権力の「表側」にいる現役世代からすれば、不死者たちは頭を押さえつけてくる鬱陶しい存在なのかもしれない。だとすれば、われわれにもかすかながらチャンスの芽が出てくる。


「小山部はん、なにを考えてはりますの?」


 と問うてきた生粋に、わたしはここしばらく考えていたことを話してみることにした。茗と秀彦にも、聞いてもらうほうがいい。


「歴史をまとめようと思うんだ。能力者たちの」

「……歴史?」


 小首をかしげた茗だけでなく、生粋と秀彦も要領を得られていない顔をしていた。わたし自身も、まだ漠然としか思い浮かんでいないことだ。口に出して、確認してみる。


「超能力者は一代限りだ。だから先祖からの言い伝えは残ってない。だが、こうして団結するようになる前にも、弾圧を逃れて肩を寄せ合ったことはあったはずだ。本当にまったく先達の知恵がなかったら、超能力者は目醒めた片端からやつらに殺されて、ひとりも生き残っていないだろうからね。仲間たちに細かい聞き取り調査をして、わかる限りのことを書き留めたい」


 実際のところ、超能力者たちの組織は強固なものではなく、だれがリーダーということもない。ほとんどの仲間は、普段は能力を隠して平穏に暮らしている。自分の能力に気づいていながら、わたしたちが連合を組んでいるということを知らずにいる人もいるだろう。

 そうした人たちにこちらから不用意に接触しては、危険がおよぶ範囲を増やすだけになってしまう。だが、そんな人たちの中に、能力を隠しておくのが得策であることを、つまり超能力者は狙われているのだと知っている人がいる可能性もある。仲間たち個人個人の経験をまとめれば、まだ見ぬ潜在的同志と連絡を取るヒントが得られるかもしれない。そこからわたしたちの知らない、この闘争の原因と真相に近づく糸口が見つけられないだろうか。


 もちろんこの見込みは楽観的にすぎるとわかっている。だがこれまでは、超能力者たちは弾圧から逃れて生き残るだけで精一杯だった。なぜ自分たちの命が狙われなければならないのか、そもそもこの能力はいったいなんなのか、知ろうとする権利くらいはあってもよいはずだ。「彼ら」の不死性は解きがたい謎のままだが、もしかすると、超能力と不死の力は根源が同一であって、発露の方向がちがうだけのことなのかもしれない。ありそうなことだ。


 そして、自らは無能である人間こそ、そんな仕事をするのに向いているのではないか―僭越ながら、わたしはそう思うのである。


「歴史、か。そういえば、この互助会がいつからあるのかも知らへんなあ。うちが仲間に入ったときはもう初期メンバー残っておらへんかったようやし。みんな討ち死にやったか、ひとりふたりは引退できたいう話やったか……」


 のほほんとした口調だが、生粋はその実恐ろしいことをいった。こうして助け合ってもなお、超能力者たちは楽隠居できる歳まで生き延びることがほとんどできないのだ。「彼ら」がどうやって超能力者を見つけ出しているのかは不明だが、すくなくとも己の能力をひけらかすようなことはしていないのに、ある日突然身に憶えのない用件で自称「警察官」に連れ去られ、それきりになった仲間はこれまで複数人いる。

 人前で能力を使わなければバレないともかぎらないのだ。だが、単純に広範囲を調べられる「超能力者検知装置」が存在するなら、超能力者がいくら自分の秘密を隠そうとしても無駄なことで、ひとり残らず全滅してしまっているはずだった。正体がバレるかバレないか、その閾値がどこにあるのかは謎のままだ。


「これまでは最低限必要なこと以外でお互いに連絡を取ることはなかったが、できれば連中に対抗することをはじめた人、もしくはそれに近い古参のメンバーから、聞けるうちに詳しい話を聞いておきたい」


 そうわたしがいうと、茗がうなずいた。


「あたしも興味あるな、それ」

「でも、これまでお互い立ち入ったことを知り合わないようにしてたのって、なにか理由があってのことなんですよね?」


 といったのは秀彦で、生粋が応じる。


「あんまり仲間どうしのことを詳しく知ってると、ひとり陥落したら芋づる式に全滅しかねないよってな。敵のほうが規模が大きい組織の場合、レジスタンスでやってくには仕方ないことやったんや。各個撃破されても一網打尽よりはマシやと割り切るしかないんよ」

「それなら、小山部さんのやろうとしてることもまずいんじゃないですか……?」


 秀彦の疑問は当然だ。そして、わたしが話を聞いてまわろうとしたときに、仲間の超能力者たちが懸念、あるいは疑念をいだくことも充分に考えられる。


「嵩条を討ったことで、超能力者への弾圧が止まれば一番いいんだが、どうなるかはわからない。もしやつらが即座に再報復に出てくるなら、こちらとしてもいままで同様に対処していくしかないだろう。逆に静かになったとしても、本当に終わったのかは保証の限りじゃない。なにせ、連中は殺されない限りは不死である可能性が高いからな。だから、もし時間の猶予が得られるようなら、そのあいだにまとめられる限りのことは書き残しておきたいんだ。つぎの弾圧がはじまるのが十年、二十年後だったとしても、そのときの若い超能力者たちが指針を得られるように」


 そして、仮にこの戦いが超能力者たちの勝利で終わっていたとしても、過去の血なまぐさい歴史を振り返ることで、未来の超能力者たちが能力に驕り、道を踏み外さないように――これはいま口にすべきことではないが、わたしとしては意識の隅からはずすことのできない側面だった。


 やつらの脅威の排除を客観的に確信できたら、社会全体に対して超能力者の実在を公表し、その認知を求めるべきときがくるのかもしれない。不死たる影の権力者たちからの弾圧というカウンターウェイトが消失したら、それこそ超能力者連は世界を支配しうる存在になれるのだ。

 もちろん、わたしの知る限り、仲間たちにそんな邪悪な野心はない。しかし嵩条たちにしても、自らの不死性に気づいた当初は、おそらく高潔な理想を追求していたことだろう。わたしが物心ついてこのかた、つまりはこの一世代のあいだずっと迷走を重ねているとはいえ、この国が発展し、曲がりなりにも世界の一流国となったのも、そしてこれだけ凋落してきているにも関わらずいまだ世界でもっとも豊かな国のひとつであり続けている、それだけの自力を身につけることができていたのも、ひょっとしたら嵩条たちが水面下で舵を取ってきた成果なのかもしれず、それが事実であっても驚くには値しない。


「……まーためんどくさいこと考えてるわね、カズ」


 気づいたら、再び茗がわたしのことを見据えていた。たしかに余計なことばかり考えていたので、わたしは苦笑してごまかす。


「いや、秀彦のいうとおりかもしれないと思ってな。これまでわれわれのあいだで情報が共有されてこなかったのは、お互いに立ち入りすぎないほうがいいと判断されてきたからだろう。もしかしたらやつらの中でも、嵩条は過激派のはみ出し者だったのかもしれない。いずれにしろ、嵩条が不死者の最後のひとりだったとは考えにくい。もし残っているのが穏健派だったとしても、おれがいらないことをしたせいで、『超能力者たちは組織を強化して不死者の殲滅を目論んでいる!』なんて勘ちがいをされてしまえば、鎮火するはずだったところにナパーム弾を放り込むようなことになりかねないな、と」

「そんなややこしいこと気にする必要ないわよ。真紀奈まきなさんの死を無駄にしたくない、犠牲を繰り返したくない、それで全部とおるわ。みんな真紀奈さんには借りがあるんだから。そして、カズ、あんたには真紀奈さんの貸してた分を請求する権利がある」


 茗は力強く断言した。生粋と秀彦も、うなずく。真紀奈というのはわたしの恋人だった女性ひとの名だ。そして茗たちと命を預け合っていた仲間。

 わたしは彼女の一面しか知らなかった。茗のいうとおり、彼女の遺志を継ぐといえば、名分は立つのかもしれない。しかし、真紀奈はわたしと出会うずっと前から戦っていたにも関わらず、そんな気振りは一切見せなかった。そしてわたしはまったく気づくことができなかった。


 できれば、生きてともに戦いたかった。もちろん、無能力者であるわたしに首を突っ込む資格はなかったし、おそらくいまも、本当は無資格なのだろうが。


「……ごめん、真紀奈さんのこと、当然だったみたいないいかたして」


 三たび追想に浸っていたわたしの顔を誤解したようで、茗は目を伏せた。そういうわけではなかったので、わたしは口の端に笑みを乗せて、応える。


「いや、おれで真紀奈の代わりが務まるのか、ちょっと不安になっただけさ」

「真紀奈ちゃん、よく小山部はんのこと話してましたわ。楽しそうに惚気て、あれはなかなか妬けたわあ」


 と、思い出したように生粋がいうと、茗も懐かしそうに、だが明るい表情になってこういった。


「あー、あったあった。真紀奈さんをこんなメロメロにする男ってどんなやつなのか、けっこう気になってたんだよね。……実物見て、これのどこに真紀奈さんは惚れ込んだのかって、首かしげることになったけど」

「ぼくは小山部さんを見た瞬間、なるほどって思いましたけどねえ」


 ……どうやら、まずは自分の知らなかった真紀奈の素顔のもう一面を知ることからはじめればよさそうだ、と、わたしは三人の会話に耳を傾けた。

 思えば、茗や秀彦とも、ともに行動していた時間こそほかの仲間に比べれば長いが、プライベートな話というのはほとんどしてこなかった。真紀奈のことを共通のとっかかりとして、いろいろと話す機会を増やしてみよう。


 すこしばかり特殊な能力を持っているだけで、わたしとこの三人、そしてすべての超能力者たちとのあいだに、ちがいはない。同じ人間なのだから。


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