8 踏み出す第一歩
ようやくハヤトは立ち上がる。
「ここが特訓場か。確かに良い場所だな」
そう言うとリュシーは、
「でしょー?私が見つけた最高の特訓場よ!感謝してよね!」
と、堂々と胸を張り、褒められるのを期待している。ので、
「ああ、そういうのいいから」
清々しくリュシーの発言を受け流す。リュシーはプクッと頬を膨らませ拗ねるが、そんなことは知らずにハヤトは顔を俯かせ真剣な表情になる。
ハヤトは何より、自分が死んでいなかったことが奇跡だと思えている。
崖から落ち、首の骨を折る。普通、それは確実に死ぬ流れだ。だが、ハヤトは生きていた。
打ち所が幸いにもよかったのか。
瀕死だったところを、二人のどちらかが治癒魔法で治してくれたのか。
はたまた、死んでいたのを死者蘇生魔法か何かで生き返らせてくれたのか。
「ところでリュシー。お前、俺が倒れてるときに治癒魔法かなんかかけたか?」
まだぷんすかしているリュシーに尋ねる。
「そんなことしてないわね。私とサラが来た頃にはもうハヤトは起きかけていたわよ」
怒りながらではあるが、一応答えてくれる。
今度はサラの方を向き、
「サラはどうだ?」
「サラも特に。というより、サラは基本魔法は使えないです」
「そうなのか……」
二人の治癒魔法説は呆気なく否定される。ということで次は、死者蘇生魔法説。
「ちなみに、この世界って死者蘇生とかできんの?」
言うと二人は、
「できる訳ないわよ」
「無理ですね」
声を合わせて否定する。
「そうだよな」
「何をそんなに気にしてるのよ」
「いや……まあ、生きてるのが奇跡すぎて」
常識的に考えれば死者蘇生なんて無理なのも当然だ。たとえそれが、この異世界という地であっても。
「死んだら生き返らないよな……」
ハヤトはそうポツリと呟く。
異世界で、魔法があって、戦いもあって。そしてハヤトの場合、勇者という立場で、与えられた使命がある。日本じゃ考えられないことも、この世界では常識なことだってある。
それでも、人は生き返らない。死んだらそこで終わりだ。
死にたくないし、誰も死なせたくない。
「よし!じゃあとりあえず特訓するか!」
そのための、努力。
「そうですね!よーし、サラも張り切っちゃうぞー!」
「ハヤト、サボったら怒るからねー」
「分かってる分かってるよ!」
そのまま三人は、特訓場の中心へと移動する。
――――――――――――――――――――――――
「サラ、剣の特訓って具体的に何したらいいと思う?」
「そうですね……ハヤトさん、剣の経験はありますか?」
「いや、ないな」
当然ハヤトは、剣を握ったことも振ったこともない。そもそも日本出身で剣をまともに扱うのは、剣道部くらいだ。そしてそれも剣ではなく竹刀だ。
「そうですか……ではやっぱりひたすらに剣を振る、くらいですかね!」
「結局そうなんのか……」
同じことを続けるのはつまらなくて辛い。ハヤトは何かを集中し続けるのは苦手だった。
「でもでも、それも無意味なんかじゃないですよ?剣を振った経験のないハヤトさんは、まずフォームから学ばないといけません。手っ取り早く身体に覚えさせるためには、ひたすら剣を振ることが一番です!」
「まあ、そうか……」
必死に語るサラの言うことをとりあえず納得し、ハヤトは自分が装備している剣を見つめる。
「文句ばっかり言ってないで少しは現実を見つめなさい。努力に楽な道なんてないのよ」
「分かってるよ……お前はオカンか」
分かってはいたが、しっかりとリュシーに現実を突きつけられる。
ハヤトは小さくため息をついた後、仕方なさそうに顔を上げる。
「でも、いきなり剣を振り出すのも難しいので、まずはサラがお手本を見せましょう!」
「お手本ってどんな感じに?」
「今から魔獣を何匹か討伐します!」
そう言ってサラは装備していた剣を鞘から抜き出し、その先端を森の奥へと向ける。
「ええ……魔獣とか普通に怖いんだけど……」
ハヤトはその勢いとは正反対なレベルで後ろ向きな態度だ。
「もう!厄人を倒さないといけない勇者が魔獣に怖がっていてどうするんですか!」
腕をぶんぶん振り回し怒り呆れるサラ。
「いや、悪い悪い。じゃあとりあえずサラ師匠の剣技をとくと拝見させていただきますよ」
「ええ?師匠だなんてそんなそんなぁ」
ハヤトのその場しのぎのような発言をサラは真摯に受け止め、一人で照れる。
「なにそれちょろいな」
「ちょろいわね」
ボソッとハヤトとリュシーが呟くが、サラはそれには気づかない。
気分が良くなったサラは、
「それじゃ奥へ進みましょー!」
元気よく歩き出し、ハヤトとリュシーもそれについていく。
またも森の中へ入ると、やはりそこは陽の光を浴びない暗い空間だ。でも、後ろを振り返れば明るく広い空間。ハヤトはその差が不思議に思えた。
今歩いている場所はもうすでに魔獣が現れる可能性が高い場所だ。いくら出てくる魔獣が弱いからといって、人を殺そうと襲う生物なんて怖いものは怖い。武術になんの経験もないハヤトは、尚更恐怖心が増す。
「魔獣かぁ……」
「なに怖がってるのよ。今から魔獣と戦うのはサラでしょ」
「そうだけどさ……」
「ちゃんと見ててくださいよ?お手本なんですからね!」
三人は何ら変わらずと歩く。が、その空気に僅かな異変が生じる。
風が少し強くなり木々が揺れ、静かな空間に葉と葉がこすれる音がする。と同時に、周囲からカサカサと何かが動いているのが感じとれる。
――確実に何かが近づいてきている。
「――魔獣が来ますね」
異変に気づいたサラが剣を構え忠告する。いつ来るか分からなくてビクビクしていたハヤトだが、たとえ来るタイミングがわかった所で、むしろ怖さが増すだけだった。
――カサカサと足音がする。前方から、多数の。
――黒い影が現れた。近づいてくる。徐々に鮮明になってくる。
黒い体毛が全身を覆うその姿は、犬や狼そのもので、どれも同じように赤く目を光らせている。牙を見せつけ、明らかな威嚇を三人へと向ける。その数は、十匹。
「――っ!」
「――行きますよ!」
ビビるハヤトなんて知らずに、サラが魔獣へと斬りかかる。
「――はぁっ!!」
気合いの入った声と同時に剣を振る。身軽な体は身軽な動きを生み出し、両手で握られる剣は、魔獣の体を二つに裂く。
一匹を斬れば、斬った反動を活かしもう一匹を斬る動力へと変える。そのまま、剣は左下から右上へと直線を描くように振られ、斬られた魔獣は血しぶきを吹き出し、絞り出されたような唸り声を小さく上げ、息を引き取る。
「――やぁっ!――はぁっ!」
――斬れば、また斬る。ただそれだけ。
休む暇もないが、サラの軽々しいステップは休む必要を感じさせないほどに美しいのだ。
軽やかなステップが、魔獣を一匹、また一匹と翻弄し、鋭い刃が獣の体を容易く切り裂く。それはまるでダンスを見ているかのようだった。
――残り三匹。
――残り二匹。
そして――最後の一匹。
「――せやぁぁぁぁ!!」
左上から右下に向かって弧を描くように、斬る。人を襲うはずだった魔獣は、その見事な剣技に圧倒され、痛々しく血を流す。体は胴体で二つに分裂し、そのまま血溜まりができた草地に倒れる。
サラは獣の血がついた刃をハンカチで拭き、その剣を華麗に鞘へとしまう。
あっという間の出来事だった。ビクビクと恐れていた魔獣がこんなにも簡単に殺されていく。魔獣が弱いのか、サラが強いのか。判断はできないが、ハヤトには少しだけ心の余裕が生まれた。
「ふぅ……どうでしたか、サラの剣技は?」
「いや、普通にすげえな。お手本はお手本でも、参考にはならなかったな」
「そうですか……手本になるのも難しいものです……」
「いや別に落ち込まなくても」
しょぼくれたサラは幼いように見えるが、その優れた剣技を見れば全くか弱くは見えない。
「サラって見た目よりよっぽど強いのねぇ。正直驚いたわ」
「ええ?そうですかぁ?照れるなぁぁあはは」
「なんか今の剣技見てたら魔獣がすげえ弱く感じたな。人を襲うって言ったってそんな暇もなく瞬殺だったしな。さっきまであんな奴にビビってた俺が馬鹿みた――」
いだ。と言い切る前に言葉がせき止められる。その原因は、後ろを振り返り一番初めに視界に入ったものだ。
黒い塊から細長いものが二本飛び出ている。よく見ればそれは、ハヤトを喰い殺そうと前足を伸ばし空中を舞い上がる魔獣だった。
鮮紅とした目で睨み、ハヤトを喰おうと全力で飛んでいる。もはや、何かを考えた上での行動なんてものではなく、本能に全てを任せて動いているのだろう。
「――ひ」
薄く掠れた声が出る。
――やばい、見事なフラグ回収……!
剣を抜くのも間に合わない。かといって動いて逃げようとしたところで、獣の運動能力には適わない。
――このままでは、美味しく召し上がられる……!
と思ったその時。
「――チェイスファイア!!」
唐突に耳に入ってきたのは二つの英単語。と同時に、今度は魔獣に向かう赤い靄が視界に入る。顔の横の近くを通り、頬に熱気を感じる。物体はゆらゆらと揺れているがそれが描く軌道は直線だ。急にスピードを上げた靄はそのまま魔獣の全身に覆い被さり、風に靡かれて美しく揺れる。
消えることなく活動を続けるそれは、魔法として放たれた炎だ。遠慮もなくその獣を毛から、肉体から、骨まで、全てを奪っていく。
徐々に炎が大きくなっていき、それに合わせて魔獣も苦痛に鳴く。激しさを増した炎は、獣の体が見えなくなるほどに、その勢いを止めない。
周りまでもが暑苦しく、その場を離れたくなる。それでも何故か、腰を抜かしていたハヤトの視線は釘を打たれたように固定され、ただただその光景を見つめていた。
ごごごと音がする。そして、見た目の割に弱々しく鳴いていた声はもう聞こえない。
目標を排除したと見るや、赤い炎はふぁっと消え去る。消えた炎がさっきまで燃やし包んでいた獣の姿など、跡形もない。最初からそんなものはなかったかのように。
「燃え……た……」
またしても一瞬の出来事。炎が現れた。正確には、リュシーによって生み出された。
「これが……魔法か……」
「大丈夫、ハヤト?もう少しで魔獣に食べられてたわよ?」
ハヤトを心配するリュシーはなんてことない顔をしている。それに比べて、ハヤトは冷や汗をかきながら呆然としていた。
襲ってくる獣を、英単語を唱えるだけで燃やし尽くす。
これが魔法。これが異世界。獣を燃やすなんて大した事じゃない。驚くことじゃない。
こんなのは普通なんだ、と自分に言い聞かせたハヤトは自然と笑みがこぼれる。
「そうだ。そうだよ。これが、『異世界』なんだよ……俺は、こんな世界の勇者なんだよ」
小さく呟きながら立ち上がる。
「勇者より連れが強くてどうする?魔獣ごときに腰を抜かしてどうする?そんな奴がこの国を、この世界を救えんのか?」
疑問の全てはハヤト自身に向けたものだ。
情けない自分を変えるのは自分だけ。変えようと動くのも自分だけ。動かなければ変わらない。変わらなければ救えない。救えなければ、意味がない。
この国や世界の運命は今、勇者の使命と共に、ハヤトの行動と意思が全てを握っている。
与えられた使命を放り投げるほど無責任じゃない。託された命を見捨てるほど無情でも非情でもない。
「だから、俺は……」
始まりは本当に突然だった。
異世界に蹴飛ばされ、八つ当たりで投げた岩で魔王を倒し、勝手に勇者と認められ、超重大任務を負わせられる。勇者らしいチート能力を授かったかと思えば、全部平均値。魔力なんてほぼない。
でも、勇者となってしまった今、どうすることもできない。自分にできることはたった一つ。簡単で短い一単語、『努力』だ。
弱くては意味がない。勇者である意味がない。それならほかの誰かがやればいい。でも今勇者なのは、他の誰でもない、タカマ・ハヤトなのだ。
「努力して強くなる。ただ、それだけなんだよ」
――前方の草むらがカサカサとなる。
明らかに何者かの存在があることを示していて、その何者かの目的はほぼ確実にハヤト達だ。何か確実な証拠がある訳ではない。でも、ハヤトの本能的な何かがそれを感じ取っている。この森の中、そんな気配を漂わせるのはただ一つだ。
「――――」
一匹の魔獣が現れる。見た目が完全に犬や狼と同類なそれは、グルグルと唸り、牙を剥き出し敵意と殺意をわかりやすいまでに見せつける。
ついさっきまでは、腰を抜かす程に恐れていた相手だが、今決意したハヤトは違う。
「ああ怖えよ……魔獣怖えよ……」
「怖いんだ」
「怖いんですね」
本当は怖い。かっこつけてても、実は怖い。胸がピクピクと震えている。声も震えている。口角は上がっていて引きつった笑顔になっている。
魔獣は先頭に立つハヤトを見つめる。ハヤトの目がその青く光る目と合う。魔獣が放つ黒々としたオーラに気圧されたハヤトは右足を一歩後ろに置くが、決して逃げることはしない。
「逃げたってどうにもなんねえんだよ。だから、泥臭くてもダサくてもどうでもいい。弱いなりに足掻かせてもらう……!」
草が潰れるほどに強く地を踏む。鞘と刃が擦り合う音を立て、ハヤトの持つ剣は森の空気へと晒される。それを両手で強く握るハヤトは、その先端を目前にいる獣へと向け、
「――さあ、俺の初討伐!勇者という肩書きを先に手に入れただけだ!今度は肩書きに見合う実力を手に入れるだけ!お前は、その踏み台になってもらうぞ!」
特に知識もなく、結局まだ特訓もしていない。だから、剣を構えるハヤトは不格好で、不細工だ。
リュシーとサラがそれについて特に指摘することもない。二人は暖かい目で静かにハヤトを見守っている。
ハヤト自身、恐怖とワクワクは五分五分だ。もちろん人を喰う魔獣は怖い。それは今の弱さがあってこそだ。剣を振った経験も、何かと命を賭けて戦ったことも、ない。それでも――いや、だからこそワクワクするのだ。
魔王や魔獣、魔法だったり勇者だったり。異世界なんていう常識外れな場で、そして、異世界からすれば常識の場で、そんな場所で尻尾を巻いて逃げることなんて、意味もメリットもない。
「だから、『異世界』を存分に楽しませてもらう……!」
強くなって、異世界にいる意味を痛感したい。そんな好奇心が、ハヤトの体を動かす。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
剣を構え魔獣に向かうハヤトの姿勢は素人そのもので、やはり誰が見ても不格好だ。
ハヤトはそんなことを気にしない。
今は不格好でもいい。後で本当の勇者になる。
ハヤトの持つ剣が、今、目の前にいる獣へと向かっている。
ハヤトの持つ剣がいずれ世界を救う。救わなければならない。
ハヤトはただひたすらに走る。特に考えはない。無茶で無謀で。
たった一つの想いを持って。
――『ハヤト』の持つ剣が、いつか『厄人』に向けて振られる時が、誰かを救う時が、来てくれることを祈って。
その剣が今、『敵』へと振り下ろされる――。