EP:19 G/M
「どうだった、クロム」
リビングに集まっていた面々の視線が、玄関から現れたクロムさんに向けられる。
新見という男との対決から一夜明け、クロムさんには新見の自宅を洗ってもらった。
「どうやら自分が捕まるなんて思ってもみなかったようだね。自宅はロクなトラップもなかったし、例のサーバーも簡単に見つかったよ」
そういって右手に持っていた機械を玄関に置く。
スーツケースほどの大きさの機会はそこかしこに計器と接続ジャックがならび、正面にある大きなタッチパネルは現在は暗転してる。
「で、当の本人は?」
クロムさんは凝り固まった肩をほぐすような動作をする。生体ボディなのにまた人間臭い動きをするものだ。
「奴は電脳化してないからな。取り調べにはまだ時間がかかりそうだ。さすがに自白剤なぞ使えんからな」
凱さんもしんどそうに呟く。
流石に元警察機構の一端である私達が、現職の警察官に後遺症が残りかねない自白剤を使うわけにはいかない。確かに私たちは過激な武装を数多く所有しているが、ならず者というわけではない。
「となると、やっぱりこれがカギになるわけね」
シズカさんがサーバーを触りながら、感慨深そうに呟く。
「トラップ対策のために、全員で潜った方がよさそうね。楓にも準備してもらいましょ」
シズカさんの提案に、私達は静かにうなずく。
マルウェアや電脳トラップの類が張り巡らされたサーバーに潜入する際は、複数人で防壁を展開する。そうすることでリスクを分散し、中和が容易になるからだ。
これは電脳戦の定石で、訓練学校の時の教官に嫌というほど叩き込まれた。
となると、複数のジェミニを所持している楓さんの力は必要不可欠だ。
楓さんはまだ自室で寝ているため、実際に動くのはまだ先だろう。
「じゃあ私、何か朝ごはん作りますね」
私がキッチンに向かおうとすると、シズカさんは勢いよく手を挙げる。
「あ、私スクランブルエッグ!」
「俺は目玉焼きで」
凱さんもシズカさんに便乗してくる。
でも、卵料理で別々に作るのは少々面倒くさい。
少し困惑しているとクロムさんが呆れたようにため息をつく。
「君たち、そこは統一しようよ」
私も苦笑しながら、キッチンへと向かう。
しばらくデリバリードローンに頼りがちではあったものの、一時期はちゃんと自炊していたのだから、簡単なものぐらいは私でも作れる。
冷蔵庫から取り出した卵をいくつか割って、ボウルの中に落とし込む。残りは目玉焼き用だから割らずにとっておく。
並行して、フライパンを熱しておく。
そういえばさっきベーコンがあったのを見かけたから、一緒に炒めてしまおう。
冷蔵庫に戻り、ベーコンを持ってそそくさとフライパンへ。
温まったフライパンにベーコンを敷くと、じわじわと出てきた脂がベーコンを炒めてくれる。
こんがりキツネ色になったベーコンを一旦皿に移し、そこに卵を流し込む。
凝固していく卵をかき回し、いい感じにほぐれたら塩コショウを振って、ベーコンを乗せた皿の上へ。
次は目玉焼きだ。
昔母から、白身と黄身を分けて焼くと、きれいに黄身が中心にある目玉焼きができると聞いた。
丁度いいから試してみようと思い、卵を割ろうとした瞬間、寝室から楓さんが起きてきた。
「ふああ、おはよ~」
「おはようございます。今朝食を用意してますからちょっと待ってください」
まだ眠そうな楓さんは卵を持った私を見て、笑顔を見せる。
「ホント? じゃあ私、出汁巻き卵がいいなぁ」
楓さんがそういった瞬間、他の三人が噴き出したのは、言うまでもない。
「なるほど、私が寝てる間に、そんなことになってたのね」
朝食を済ませ、ミルクティーを口に運びながら、楓さんが呟く。
自分だけが置き去りにされた、などという不満はなかったようで、ことさら冷静に状況を整理しているように見える。
湯気を上げるミルクティーの暖かさを堪能しながら、彼女はしばし瞑想するように目を閉じる。
そして再び目を開けると、彼女はにやりと笑った。
「内偵用に出しておいた子たちを全部呼び戻して、休眠状態にしておいた子たちも順次起動させたわ。あと3分としないうちに準備が整うはずよ」
さすがは人格保管室の技術担当、といったところだろうか。
戦闘技術が高くなかったとしても、彼女も電脳戦のプロだ。というか、電脳戦だけでいえば凱さんやシズカさんより強いのかもしれない。
「で、その新見ってやつの尋問はいいとして、相変わらず室長とは連絡取れないの?」
楓さんに問いかけられたクロムさんは、肩を竦める。
「こちらからの秘匿回線も全然つながらないね。もしかしたら、僕たちはパージされたのかもしれない」
クロムさんは淡々と答える。
実際のところ、私達人格保管室は室長にとって強力な戦闘力であるが、同時にアキレス腱でもある。
そもそも、私たちは存在しないはずの組織だ。情報庁襲撃のどさくさに紛れて、私達の非合法スレスレの行動が外部に漏れれば、それはスキャンダルに直結しかねない。
そのため、鹿島室長が私達を切り捨てた、という可能性は否定できない。
「まぁ、もしそうだとしたら、僕たちは名実ともに存在しない特殊部隊だ。好きに暴れるだけだよ」
まるでいたずらを考えてる子供のような笑顔で、クロムさんは語る。
その言い方だと、まるでこっちが犯罪者のようだけど、ここは気にしないようにしよう。
「じゃ、そろそろ始めますか」
シズカさんが食卓の上にサーバーを置き、端末を操作する。
機器の至る所に灯りがともり、低い起動音が部屋に響く。
食卓を囲んだ面々が、ゆっくりと目を瞑り始める。私を含めた全員が、サーバーへの脳潜入を始え、気付けば全員が、電脳空間に集結していた。
そして遅れるように、私達五人の周りに集まってくる人影。いやもはや群衆と呼べるほどの人数が電子の世界に集まっている。彼女らは言うまでもなく全員が、楓さんと同じ顔をしていた。
少々異様な光景だが、もうさほど驚かない。もっと突拍子のない非現実に、ここ数日遭遇しすぎたのだから。
サーバー内の秘匿区画を私達が取り囲むと、全員が防壁へのアクセスを開始する。
想定していた通り、対ハッキング用の防御システムが起動するが、矢継ぎ早に行われるクラッキングがそれを次々と突破していく。
中心部に進むにつれ、プログラムの攻撃性が強くなるが、楓さんのジェミニがそれを防御、汚染されかけた個体から離脱し、次の個体で防御を始める。
何体のジェミニが離脱したかわからないが、いつの間にか私達への攻撃は止んでいた。
目の前にはまるで石碑のように佇む一つのプロテクト。
どうやら私達はこのサーバーの深奥部にたどり着いたようだ。
『楓、どうだ』
一足遅れでたどり着いた凱さんが、疲弊した表情で楓さんに問いかける。
楓さんは楓さんで、かなり憔悴していた。
『攻撃系のプログラムの類は解決出来たけど、最後のこいつはちょっと厄介ね。こいつだけは完全にスタンドアローンのプロテクトだから、ウィルスの類も流せないわ』
『開ける方法はないのか?』
『残念だけど、古典的なパスワードでしか開かないみたい』
ここまでハッキング出来ただけでも私からしたら異次元の所業だが、最後のプロテクトだけは楓さんの腕をもってしても解除できないようだ。
突然の立ち往生に、全員が肩を落とす。
『やはり、あの新見という男の尋問か、パスワード解析が必要かな、一度戻って作戦を立て直そう』
クロムさんが電脳空間からログアウトしようとしていた時、私は不思議な引っかかりを覚えていた。
これだけ膨大なトラップの深奥が、古めかしいパスワードロックとは。
今の時代、パスワードロックは時間はかかるが、解析不可能なことはほぼない。
脆弱ともいえるパスワードロックを、わざわざ最後の関門に据える理由。
考えられるなら、それは署名だ。
もしかしたら犯人は、このパスワードを自分の名刺代わりにしているのかもしれない。
――だから、この国は一度リセットする必要があるのさ。アイツが作った神の力によってな!
新見という男が凱さんに放ったセリフ。
それが、何かのパズルのピースのように感じる。
――神の力を、作る?
神を作る男、それが彼らの黒幕だというのだろうか?
そういえば、あのパワードスーツに刻まれた文字、『G/M』。
――もしかして。
直感に従い、私はパスワード入力画面に触れていた。
――God Maker。
入力されたパスワードが、虚空へと吸い込まれていく。
そして沈黙を保っていたプロテクトが、ゆっくりと二つへと割れる。
どうやら正解を引いたと考えて間違いはなさそうだ。
『God Makerか。ふざけた事ぬかしやがる』
凱さんは忌々しそうに吐き捨てる。
神を作るなんて大言壮語もいい所だが、そんなことを本気でしようとしてる奴が黒幕だというのなら、凱さんの気持ちもよくわかる。
『見てみましょう、神を作る男が、何を考えてたのか』
意を決した私たちは、皆一様に開かれたプロテクトの中に足を踏み入れていった。