EP:18 ナイトレイド
ゆっくりと燃えるタバコの灯を、俺はただ眺めていた。
ゆらゆらと漂う煙をフィルター越しに吸い込み、肺に満たす。
今ではすっかり貴重品になってしまった紙巻タバコは、実際のところ電脳には効果がない。ニコチンが脳に行く前にマイクロマシーンで浄化されてしまうため、所謂中毒症状は起こらない。
ただただ肺にダメージを与えるだけの害悪品を吸う理由は、単なる追憶でしかない。
記憶はデータ化され、感情も数値化された時代に生きる俺達は、モノに対して異常な執着を持つ傾向がある。モノに宿る残留思念、と言うとスピリチュアルに感じるが、記憶を呼び覚ますトリガーになっていることは確かだ。
まだ電脳化する前、ジェミニを失う前の記憶。
懐かしくもあり、忌々しくもある様々な記憶。
そういえば、ヤン達との付き合いも、そのころからだった。
全員、今は言えないような悪行を重ねてきた時代の知り合いだ。
そういえば、一仕事終えたあと、翌朝まで飲み明かしていたもんだ。
――わかってる。
――ああ、わかってるとも。
そんなノスタルジーに浸っても、何の意味もないことを。
ヤンも、ウェイも死んだ。
どんなに過去の記憶にしがみ付いても、アイツらが帰ってくることはない。
頭では理解している。
だが、残念なことに、俺はそこまで頭は良くない。
だから、古馴染みを殺されて、何時までも黙ってられない。
俺はもう一度、大きく紫煙をくゆらせる。
この埠頭について、もうそろそろ一時間経つ。
こんな辺鄙な場所を待ち合わせ場所に選んだのも、ノスタルジーが故だろうか。
そんな思いを巡らせているうちに、待ち合わせ相手が到着する。
クアッドコプタータクシーで来れば早いものを、わざわざ覆面パトカーを使うとは、本当に古いタイプのデカだ。
車のドアが開き、よく知っている顔が現れる。
「珍しいな、お前から呼び出してくるなんて」
車から出てきた男、新見はニヤニヤしながら話しかけてくる。
「なんにせよ、無事で何よりだ。一応心配してたんだぜ」
薄ら笑いを浮かべながら近づいてくる新見。
その新見に、俺は拳銃を向ける。
不意に向けられた銃口を見ても、新見の薄ら笑いは消えなかった。
「おいおい、親友にいきなり銃を向けるやつがあるか?」
「親友を売って殺したヤツよりはマシさ」
おどけた様子を崩さない新見に対し、俺も平静を装い続ける。
両手を挙げながらゆっくりと近づく新見。
俺は新見の足元に威嚇射撃を一発叩き込む。
足を止める新見。いつのまにかヤツの薄ら笑いは消えていた。
「もっとお前は馬鹿だと思ってたよ。いつ気づいた?」
「ここ数ヶ月、電脳麻薬の闇取引の捜査で所轄が楓に協力要請を頻繁に出していた。それだけじゃ証拠として弱かったが、捜査データのバックアップサーバーが一台、外部に持ち出されていた。それも楓のジェミニが消息を絶った日にな。そのサーバーの管理者にお前の名前があって驚いたよ。機械嫌いだったお前がサーバー管理者なんて、一体何の冗談だってな」
真綿で首を絞めるように、ゆっくりと新見に詰問する。
俺だって最初は信じたくはなかった。だが、ジグソーパズルのピースのように揃っていく証拠が、最終的に俺を結論付けさせた。
親友、と思っていた新見が仲間を売ったという事実を。
それが原因で、ヤン達が死んだという事実を。
「慣れないことはするもんじゃないな。まぁ、見合った対価は得られたけどな」
新見の顔に映るものは、薄ら笑いではない。狡猾な狩人の、獲物を追い詰めるときの笑みだ。
「何故だ、新見。何故、仲間を売った」
再び仲間という単語を出した瞬間、新見の表情が激変する。
それは明確な、怒りだ。
「仲間? お前たちを仲間だと? 笑わせるな! お前たちみたいな亡霊使いを、俺は一度たりとも仲間なんて思ったことはねぇよ」
新見は恨み言を吐き捨てる。
叩きつけられた悪感情を、俺は真正面から受け止める。
「お前たち亡霊使いがこの国を牛耳ってるおかげで、この国はおかしくなる一方じゃねえか。今この国で、ジェミニ犯罪は交通事故より多いんだぞ? 何が人類の可能性だ、何が新しい自由だ!! お前らは結局、パンドラの箱を開けた愚か者でしかないんだよ!!」
新見の言葉から溢れ出る、怒り、憎しみ。
新見はこの時代には珍しく、ジェミニはおろか電脳化もしていない。
今の時代、適正の関係から電脳化ができない人間は一定数いる。
新見もその一人だ。ヤツも先天的に電脳化ができない人間だった。
ヤツの苦悩、ヤツの怒り、それは俺には理解できない。
だが、だからと言って俺は新見を許せない。
俺の苦悩、俺の怒りをヤツも理解できないのだから。
「だから、この国は一度リセットする必要があるのさ。アイツが作った神の力によってな!」
怒りに満ちた表情から一変、新見は狂気じみた笑みを浮かべる。
リセット、神の力。
普段ヤツが口にしないような言葉に、俺は少なからず同様する。
「お前も、その力の前に屈するしかないんだよ」
新見が指を鳴らす。
それが合図だということは明白だった。
夜の闇に突然現れる6つの影。それが軍用のタクティカルドローンであることは、一瞬でわかった。
だが、これは警察関係の物ではない。それどころか自衛隊、というかこの国のものですらない。
「お前のバックにいるのは、やはりロシア軍か」
俺は周囲から小銃を向けられても、新見の眉間から銃口を外さない。
心に湧く怒りを抑え、抑揚のない声で新見に問い詰める。
「今のお前が知る必要はないさ。昔からのよしみだ、仲間の情報を聞き出したら楽に逝かせてやるよ」
自らも拳銃を取り出し、俺に銃口を向ける新見。
こいつ一人なら俺だけでもなんとかなるが、このドローン兵士たちはそうはいかない。
電脳を使ってシズカたちに情報を伝え、そのあとに新見を道連れにする。
今の俺に出来ることは、それぐらいしかない。
となるとスピード勝負、電脳を活性化しようとした、その時だった。
『凱! 電脳活性をオフ! 対EMP体制を!』
突然脳に響く、シズカの声。
その声に俺は驚いたが、電脳を活性化していたせいか、一瞬でシズカの意図を汲み取ることができた。
拳銃をその場に落とし、持っていたヘルメットを素早く被る。
電磁パルス対策を施された、タクティカルスーツのヘルメットを。
直後、地面に何かが刺さり、すぐに閃光で辺りが真っ白になる。
対タクティカルドローン用のEMPグレネード。
強力な電磁パルスを発生させたことで、その周囲にいたタクティカルドローンの電子回路を一気に焼き尽くされる。
糸が切れた人形のように、ドローンたちはその場に崩れ落ちる。
一瞬の出来事に動揺した新見。
その一瞬の隙を突き、俺は一気に距離を詰める。
ヤツの放った銃弾が、ヘルメットの強化ガラスに食らいつく。
ヘルメットのガラスは大きくひび割れ、俺の視界をふさぐ。
――だが、そんなものでは今の俺は止まらない。
即座にヘルメットを脱ぎ捨て、新見に投げつける。
――俺は、絶対に、止まれない!
怒りが、俺の足を進ませる。
悲しみが、俺の拳に力を籠めさせる。
勢いに任せた、まるで子供の喧嘩のような拳。
だが、それで、それだけで十分だ。
「これは、ヤンの分だ!」
俺の拳が、新見の頬に食らいつく。
新見の頬が大きくゆがみ、ヤツは体勢を崩す。
「これはウェイの分!」
止まらない感情の本流に任せ、拳を新見の腹に叩きこむ。
大きく折れ曲がる新見の体。すかさず俺は、血反吐を垂らす新見の頭を掴む。
「そしてこれは、犠牲になった仲間全員の、分だ!!」
大きく振りかぶった頭を、新見の額に叩き込む。
強力な一撃を食らい、新見は卒倒する。
俺の個人的な復讐劇は、一瞬にしてカタがついてしまった。
「凱さん、ケガはありませんか!」
どこからか現れた凛が、俺の下に駆け寄る。
凜だけではない。グレネードランチャーを携えたシズカも一緒だ。
「一人で行かせろ、なんて大見得切っといてなんだが、助かったよ、シズカ」
恥も外聞もなく、俺は二人に頭を下げる。
シズカは構えていたランチャーを肩に下げると、凜の肩に手を置く。
「感謝なら凛になさい。カリンを使って、ここまで連れてきてくれたんだから」
なるほど、まだスレイブニールの中にカリンがいたわけだ。
場所を伝えていなかったのにここまでたどり着いたのは、それが理由か。
「ありがとう、凛。そして悪かったな、黙っていて」
「ホントですよ。もう水臭いことは勘弁ですよ」
彼女なりに心配してくれてたのか、凛の目にはうっすらと涙が浮かぶ。
俺もまだまだだな。
自分の未熟さを噛みしめながら、俺は新見の方に向き直る。
「さあ、洗いざらい喋ってもらうぞ、新見」