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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅱ Even if——もし失っても
8/32

別れと邂逅

 咲希は、自分のお葬式に来ていた。

 今日は、咲希が死んでから2日が経つ日。咲希は顕子に連れられてここに——葬式会場に来たのだった。

 咲希自身も、自分の葬式に出るのは気は進まなかったが、ある目的のために葬式に行きたいとは思っていた。それに、

「何か、思い出せるかもよ。咲希ちゃんのご家族だっているし、多分クラスの人や部活の人もいるから」

 という顕子のその言葉もあった。

 ——と言う訳で、今、咲希は参列者の中に混じり込んでいた。あの透明なブレスレットを数珠のようにして持ち、うつむいて顔を隠しながら。

 ブレスレットを身につけるのは——姿を見せるのは、正直気が進まなかった。

 しかし、葬式会場には咲希のような制服姿の高校生なんて、大勢いることは想像がつく。それに、俯いて顔が見えないようにしていればそれが咲希だとは分からないはずだ。俯いている理由は簡単。お葬式だから。ブレスレットを持たないことで参列者席に不自然な空間ができてしまう方がむしろおかしい。

 そのことは顕子にも言われたし、咲希自身も分かっていた。なので、ブレスレットを身につけているというわけだ。

 咲希はブレスレットに需要はないと思っていたけれど、まさかそう思った翌日には使うことになるなんて、と驚いたものだった。顕子は逆に、ブレスレットを作って正解だったと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。


 眠たくなるような念仏を聞きながら座っていると、お焼香の時間が来た。親族の人がお焼香をあげる姿を咲希はちらりと顔を上げ、覗き見る。

 父親らしき人、母親らしき人。背の低い男の子は弟だろうか? 祖父母らしき人に、他にも……流石にどの人がどんな関係なのかは咲希にも分からなかった。分からなくて当然だ。記憶がないのだから。

 その人たちのお焼香が終わると、次は参列者たちの番になる。

 咲希はこの時だけはブレスレットを仕舞おうとした。自分にお焼香をあげるなんて、そんな笑い話がどこにあるだろうか。それに、親族にバレたら元も子もない。

 しかし、その考えを見抜いたのか、顕子は心の中で咲希に言った。

(今消えられたら困るよ。目の前にいた女の子はどこに行った、って少なくとも後ろの人は思うでしょ? 怪しまれたくなかったら消えないでね)

 そう言われてしまっては仕方がない。咲希はブレスレットを数珠のように持ち直す。

 咲希はそう、相手の考えを押し曲げてでも自分の思いを貫くような、そんな性格ではなかったのだ。

 咲希にとっては自分にお焼香をあげなければならない、変な冗談のようなお焼香を済ませた。しばらくすると、眠たくなるような念仏も終わった。

 やれやれと咲希がため息をついた、その時。

 不意に、咲希の父親らしき人が前に出て、ゆっくりと掠れた声で、語り出した。

わたくし達の娘のお通夜に来てくださった皆様、ありがとうございます。多くのお友達や部活動の仲間の皆様、学校関係者の方々、本当にありがとうございます。

 ……私の娘は——咲希は、優しい子でした。思いやりのある子でした。優しすぎて……それで、もしかしたら……」

 死んでしまったのかもしれません、とその人は続けようとしたが、不意に何かが喉に詰まったかのようになり、話せなくなった。

 大げさなほど大きな深呼吸をひとつして、その人は続けた。

「……咲希は電車の人身事故で、亡くなりました。線路に落ちた幼い子を助けて、それで、亡くなりました。咲希は助けられた喜びなのか、それとも死の直前に皆さまと共に過ごした幸せな時を思い出したのか、その真偽は分かりませんが、笑顔でした……。

 しかし咲希は、本当に痛々しい姿をしていました。それでも、それでも……咲希のことを見ていると、今までのことが、蘇ってきました」

 その声に、嗚咽が混じり始める。

 もう、我慢の限界らしかった。

「いつも、息子の面倒も、見てくれて……喧嘩することが、あっても、本当に、2人は、仲が良くて……咲希の、笑い声が……いつも、家に、響いていて……そんな日々が、もう、終わるなんて……信じ、られません……」

(——そうだったの?)

 咲希はそんなことがあったかなと考える。顔を見られぬよう、俯いたまま。時折、涙を拭う仕草をしながら。

 咲希の記憶は、戻らない。

 溢れ続ける、その人の涙。

「——咲希、 ありがとな、生まれて、きてくれて……咲希のことが、みんな、大好きだった……」

 咲希の父親らしき人の話は、まとまりのないままに終わり、そしてそのまま、お通夜は終わった。


 お通夜が終わったとなると、参列者は少しずつ帰り始める。だんだんと人が減り、ついには遺族だけになる。しかし、咲希と顕子は帰ろうとはしなかった。咲希はもうブレスレットを仕舞っていて、顕子は咲希以外の人に存在がバレないように不思議な力を使っていた。そのせいか、咲希や顕子の存在に、遺族は気付かない。

「——最期のお別れ、してくれば?」

 顕子の言葉に、顕子がまっすぐ指差しているそれ、ついと指が指したその先にあるものに、ああ、と咲希は思わずため息を漏らす。

(そうか……。明日には、私の身体(遺体)は焼かれて……骨になるのか)

 それはそう、自分の棺桶だったのだ。


 実は、咲希は一度遺体を見ておきたいと思っていた。そのためだけに、咲希はここに来たのだった。それが何かを思い出すきっかけになるかもしれないし、なんのきっかけにもならないとしても、ちゃんと自分の姿を見ておきたかった。遺体を見れるのは、今日が最後だから。だから咲希は帰ろうとしなかったのだ。

 そして顕子は、その咲希の思いに気付いていた。だから顕子も帰ろうとはしなかった。そして、咲希に向かって一言。

「——最後のお別れ、してくれば?」


 一歩、咲希が踏み出した。

 一歩。また一歩。

 歩いている時間が、やけにゆっくりと流れる。

 咲希は少しずつ、自分の元へと近付いていった。

 咲希の家族——遺族が、棺桶の周りで嗚咽を漏らしていた。両親らしき人は、もう最早号泣している。それに紛れ込んで、咲希は自分の姿を見ようとした。

 しかし、見ることは叶わなかった。

 顔の部分にある扉は、本当なら開いているはずなのに、開いていないのだ。

 思わず、顕子の方を振り返る。それに気付いた顕子がこちらにやってきて、事情を察すると、咲希にだけ棺桶の中が見えるようにしてくれた。

 ——息を呑む音が、聞こえた。

(——これが、私?)

 今の咲希の魂の姿からは想像できないほど、咲希の実際の身体の傷は痛々しくて、そして、酷いものだった。驚きすぎて、もはや声が出ない。

 一方、顕子には棺桶の中が見えていないのか、平然としている。そしてそっとその場を離れて、会場の後ろの方に戻っていった。

 不意に、咲希は心がずきりと傷んだ気がした。痛みが全身を一瞬で駆け抜けたようにも、思った。

(私は——魂は、無傷なのに。身体は、こんなに傷付いていたんだね……痛かっただろうに)

 咲希はその手を伸ばし、棺桶をすり抜け、自分に触れようとして、でも触れるか触れないかというところで思わず手を引っ込める。首を振る。再び手を伸ばそうとしたが、拒絶反応を起こしているかのように引っ込めてしまう。しまいには、咲希は遺体から目を背けようとさえしだした。しかし、なぜか目が遺体から離れない。

 ——どのくらい経っただろうか。

(そろそろ、いいかな?)

 顕子の声が聞こえ、咲希はゆるゆると視線を顕子の方に向けた。首を傾げている顕子に向かってコクリとうなづいて見せて、自分に今一度、向き直る。

「——さよなら、内川咲希さん」

 自分に別れを告げることはかなり変な感じだったが、これでよかった。

 咲希は自分に、別れを告げた。

 変な気持ちになろうがなんだろうが、自分の体とは、もうお別れ。それが事実だ。

 魂だからこの声はここにいる遺族には聞こえないはずと分かっているのに、無意識のうちに小声になっていた。誰にも聞こえないように。

  誰にも聞こえないように、小さな声で告げた『さよなら』だった。

「——さきねえ?」

(——へっ?)

 小さくてかすかな声だが、その声はまちがいなく、咲希をとらえた。

 可愛らしい声に、思わず咲希は振り返る。

「さきねえ、そうでしょ?」

 その声は、どこか咲希に似た少年のものだった。

(さきねえ……?)

 しかし、その少年が口にした呼び名に聞き覚えはない。あるわけがない。記憶がないのだから。咲希は困り、なんとかして『さきねえ』という言葉の意味を理解しなければと、必死に頭を働かせる。

(さきねえ……咲希、ねえ()……)

 『さきねえ』という呼び名の訳に気付いた瞬間、咲希を襲ったのは、焦り。

 その少年は間違いなく、咲希を見ている。咲希の存在に気付いている。

(多分この子は……霊感がある)


「——さよなら、内川咲希さん」

 少年はふと、姉の声を聞いたと思った。その次の瞬間には、声のした方を振り返って、「——咲希ねえ?」と訊いていた。

 姉が、いた。

(目の前に、咲希ねえがいる)

 目の前にいる姉は、戸惑ったように自分を見つめている。その様子を不思議に思いながらも、少年は目の前にいる姉に声をかける。

「咲希ねえ、そうでしょ?」

 目の前の姉は、不思議そうな顔をした。まるで「誰それ?」というかのように。そして、何やら考え始める。

「ちょっとさっくん!」と従姉妹が小声で自分を呼ぶのが聞こえる。服をちょんちょんと引っ張られる。

 でもそんなことは、どうでもいい。

「ねえ、一緒に話そう?」

 姉は電車に轢かれて事故死したから、最後のお別れの言葉さえ交わせなかった。だからせめて今、少しだけでも言葉を交わしたい。

「ねえ、さっくんってば」

「咲希ねえ、なんか言ってよ。咲希ねえ!」

 自然と声は大きくなる。どんどん我慢ができなくなる。さっきよりもちょっと大きめの従姉妹の声を無視して姉を呼ぶ。

 なのに、姉は何も言ってくれない。

 姉は戸惑ったように、困ったように、何かに迷っているかのように、ふと後ろを振り返り、何もないところを見つめ、そして再びこちらに向き直って自分を見つめてくる。さっきと同じ表情で。何も言わずに。

 ……じれったい。

 何かが、じれったさに拍車をかけるのが分かる。そして、それは我慢などできない。

 思わず、叫んでいた。

「咲希ねえ! なんで話してくれないの!」

 じれったすぎる。せめて何か、言って欲しい。

「何言ってるの、さっくん! 咲希ちゃん、死んじゃったんだよ!」

 とうとう、少年の従姉妹も叫ぶ。

 無理もないことだと少年は知っていた。従姉妹の彼女も、自分の両親も、何も見れない。今は魂となって目の前にいる姉でさえ、霊感がない。なぜか自分にだけ、霊感がある。その事は何年も前に気付いていた。そして今、それを証明するかのように、他の人たちは少年を宥めようとしはじめた。

 何を言っているの、もうお姉ちゃんは死んだんだよ、もう話せないんだよ、咲希ちゃんはもういないよ、咲希ちゃんには会えないよ……。

 だけど、少年は知っている。姉は、目の前にいるのだと。目の前にいる魂は、間違いなく自分の姉なのだと。

 だから何度も呼びかける。何も知らない身内の宥める声を掻き消すように。応えてくれないじれったさを姉にぶつけるように。

「咲希ねえと話したいだけなのに! なんで……」

 何も言ってくれないの、と言おうとしたが、声がかすれた。

 叫びすぎて、喉が痛い。喉もカラカラだ。息も少しだけ上がっている気がする。酸素が、足りない。

 叫ぶのをやめると、他の人も宥めるのをやめる。

 相変わらず姉はなにも言ってくれない。だけど、少年にはこれで諦める気はない。

 しばらく荒い呼吸を繰り返す。喉を潤すためにあるものではないけれど、無意識のうちに軽く唾を飲み込んでいた。そしてまた荒い呼吸を繰り返す。そうしているうちに、だんだんと呼吸は落ち着いてきた。

「……大丈夫?」

 その様子を見かねたらしい従姉妹が声をかけてきたが、そんなのは気にしない。

 そして息を吸い、叫ぶ。ずっと叫ぶ。

 姉が応えてくれるまで。

「お願いだから! なんか言ってよ! ねえ、咲希ねえ……!」

(咲希ねえ……なんで、何にも言ってくれないのさ……!)

 話したいのに。

 話して、ちゃんとお別れがしたいのに。


(……もう、しょうがないか)

 咲希は心の中で、覚悟を決めた。

 あまりにもその子が必死に呼びかけてくるから。周りの人に宥められても、自分がなにも反応しなくても、諦めずに呼びかけてくるから。

「……さっくん、私は咲希だよ」

 目の前にいる、"さっくん"と呼ばれた、自分に似ている弟らしき少年に呼びかける。呼び慣れない呼び名だと思ったのはきっと、記憶を失くしているせいだ。

「咲希ちゃん!」

 遠くから顕子が叫ぶ声が聞こえた。

 それは、咲希だけに聞こえる声。

 その声は心の片隅にある思いに共鳴する。

 それは、全部説明する気なの? と問う戸惑い。

 それは、記憶を失くしたことも言うの? と問う気の迷い。

 それは、そこまでしなくても、と咎める焦り。

 それは、本当にいいの? と問う最後の枷。

 それは、咲希の心の奥底にある迷いと恐れを凝縮した叫びと同じ。

 でも、もう咲希は、その叫びに耳を傾けない。

 膨らむそれを、元あった場所に押し込んだ。

 目の前にいる弟らしき子は、戸惑いの表情を見せていた。

「さきねえ? なんか、いつもと、違う……」

「……ちょっとだけ、待っててね」

 咲希は、ぎこちなく笑いかけた。

「——全部、説明しないとね……ちゃんと、全員に……」

(そのためには、あのブレスレットがいる)

 ポケットの中を、咲希は探った。

 かつり、と爪がそれに当たる。

(あった)

 それに触れると、ほんのり冷たかった。

 そしてその瞬間、辺りがザワッ、とざわめく。

「えっ……」

「咲希ちゃん……⁈」

 咲希は左腕にあの透明のブレスレットをはめて、そして。

「はい。内川咲希です」

 目の前にいる家族に微笑みかけた。

 もう最早覚えていない、他人(遺族)に向けて。

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