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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅰ Return——かえってきた者
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仮住まい

 咲希は、湯船に浸かりながらすうっとその湯の香りを嗅いだ。その香りは、甘いのに爽やかなおもしろい香り。全身がじわじわと優しく温まっていく、疲れがさあっと消えていく、不思議な入浴剤の香りだった。

 ——咲希は今、顕子の家にいた。


「うちならみんな霊感があるし、ちゃんと事情を説明したら理解してくれるよ。お母さんに話したら、泊まってもいいって言ってたし。帰る場所が分からないなら、うちにおいで!」

 部活が終わった後、家の場所さえも忘れた咲希に、顕子がそう言ったのだった。その顕子の提案に、咲希が乗らないわけがなかった。

 顕子の家に着くと、まずリビングに通された。

「おかえり! あれ、あっこ姉ちゃん、お客さん?」

「ただいま。そうだよー」

 そこにいたのは、元気のいい男の子。なんだかそこで学校の宿題をしている様子が似合わない気さえした。

「紹介するね、うちの弟の陸斗(りくと)。陸斗、こっちは部活の後輩の、内川咲希ちゃん」

「こんにちは、内川咲希です」

「初めまして! 中村陸斗です。内川さん、よろしくね!」

 屈託のない、顕子によく似た笑顔だった。

「咲希ちゃん、ちょっとここで待っててね」

 顕子がそう言って、いなくなる。シンと静かな空間で、咲希と陸斗は二人きりだった。

「……えっと、陸斗くん。いくつ?」

「僕? 僕は今年で十二歳。あっこ姉ちゃんとは五つ離れてるんだ」

「そうなんだ。割と離れてるんだね」

「まあね」

 会話はあまり長く続かず、陸斗はすぐに宿題に戻った。が。

「……内川さん、算数って、得意?」

 すぐに陸斗は咲希の方を振り返った。

「うーん、どうだろう……?」

 咲希が陸斗の算数の宿題を覗いた、その時。

「陸斗! お客様に宿題教えてもらうっていうのはちょっとどうなの?」

 そう言って軽く注意するように怒りながらも、笑って現れた女の人がいた。

「あっ……ごめんなさい」

「いいの、気にしないで」

 陸斗と咲希がそう言い合ったところで、「咲希ちゃん」と顕子が呼んだ。

「うちらのお母さんだよ。お母さん、こっちが咲希ちゃん」

「初めまして。咲希ちゃん、よろしくね」

 容姿はどちらかというと顕子に似ているが、雰囲気はどちらかというと元気の良い、陸斗に似た性格に思えた。

「よろしくお願いします」

 仲良くなれそうだなぁ——そんなことを、咲希は思っていた。

 そのあと、仕事から帰ってきた顕子の父親——顔は陸斗に似た優しそうな顔で、性格は顕子に似ている感じがした——にも自己紹介をした。もちろん、顕子の父親にも咲希は歓迎された。

 そのあとは五人で晩ご飯を食べた。顕子の母親の手料理はどれも美味しく、頰が落ちそうなほどだった。

 そしてその後、顕子がお風呂に入っている間に陸斗とたわいもない話をして、顕子の後に咲希がお風呂に入り、今に至るのであった。


「内川さん、そろそろ僕も、お風呂、入りたいんだけど……」

「——うわっ! ごめん!」

 湯船に浸かり始めてから、もうすぐ三十分が経とうとしていた。

 ちょうどいい温度のお湯。そして、心安らぐ不思議な入浴剤。心地が良すぎて、時間を忘れた。

 咲希は慌ててお風呂から上がり、着替えた。その後、今度は陸斗が服を脱いで洗濯機に放り込み、お風呂に入った。

 咲希は体をさっと拭き、「これ、使っていいよ」と言われた下着やパジャマを着た。そしてタオルで髪の毛をわしゃわしゃと拭いた、その時。

(……水が飛ばない)

 なぜか髪の毛が乾いていた。あんなにビショビショだったはずなのに。

(……死んでるからなのかな)

 なんとなくそう考えて、咲希はタオルを洗濯機に入れて、うんと伸びをした。

「お風呂、どうだった?」

 問いかけてきたのは、顕子の母親だ。

「とっても、気持ちが良かったです」

「そうでしょう? 喜んでもらえて良かったわ」

 顕子の母親は、嬉しそうに笑った。手にはなにやら白い粉の入った箱を持っている。

「それ、なんですか?」

「これ? これはナジアよ。今日のお風呂に入っていた、入浴剤。入浴剤以外にもたくさんのことに使えるから便利なの。例えば、調味料とかね」

 甘いわよ、と言いながら顕子の母親はにこりと笑う。一方咲希は、驚きで目を丸くする。

「入浴剤なのに、調味料なんですか?」

「そうよ。でもそんなにおかしなことではないわ。冬至の日には、ここでは柚子の入ったお風呂に入るでしょう? でもあの柚子だって食べ物よ。最近だと塩風呂とか、牛乳風呂とか、砂糖の入ったお風呂の話も聞くわね。どれもちゃんと効果があるんですって」

「えっ⁉︎ すごいですね!」

「そうね。私も初めて聞いた時は驚いたわ」

 顕子の母親は、にこにこと笑って話していたが、不意にふっと目を細めた。そして浮かべるのは、愛おしげな微笑。

「……きっと人間も、そうでないものも、そして今も昔も、様々な工夫をしながら日々を過ごしてきたのね」

 どこか、ここではない遠くを眺めているかのような目。その微笑みは、とても儚げな、顕子の母親らしくないものだった。

「……そうですね」

 呟くように言った顕子の母親に、咲希もつられるようにして、呟くように言った。


 顕子の母親はゆるりと首を振って、微笑んだ。それは今まで見てきた、いつも通りの笑みだった。

 風呂場に向かって「りくとー、入浴剤足りてるー?」と叫ぶ顕子の母親を残して、咲希はその場を去った。


 その頃、顕子は。

 ベランダから外に出て、月を見上げていた。

「お月様、力を分けてください」

 そう口にしてから、腕を手を伸ばし、顕子は月明かりを摘んだ。そのまま手を引くと、光が糸となって伸び始めた……。

 そこに、咲希がやって来た。その気配を顕子はいち早く察したのか、

「咲希ちゃん、喋らないでね」

 と言った、ように咲希には聞こえた。咲希は中村さん、と呼ぼうとした口を閉じ、顕子を、そして光の糸を見つめた。

 顕子は25センチほどの光の糸を作り出すと、手首をくいとひねって糸を切った。切れた糸は一瞬で透明な糸になった。

 顕子はさらに手を伸ばして、今度は星明かりを摘み始めた。星明かりを摘むと、それは顕子の手の中で透き通る水晶玉になった。

 いくつ星明かりを摘んだのだろうか。顕子は手の中に水晶玉がたくさん集まったところで摘むのをやめて、月明かりと星明かりの中、糸に水晶玉を通し始めた。水晶玉にはすでに穴があったのか、すぐに糸が通った。

 全ての水晶玉を通し終わって糸端を結び終わった後、顕子はそれを月明かりにあてた。

 ただただ静かで冷たく、冴え渡った時間が過ぎていった……。


「はい、これ。咲希ちゃんにあげる」

 いつの間にか顕子が咲希の前にいて、出来上がったものを差し出していた。

 それは、ブレスレットだった。

「これを持っていると咲希ちゃんの姿が霊感のない人にも見えるようになるよ。だって、これはうち特製の、星明かりと月明かりのブレスレットだからね?」

 顕子はいたずらっ子ぽく笑った。

「もし姿を見せたくないなら、ポッケの中にでも隠しといて。手に触れてなければ大丈夫だから」

 咲希には、需要があるのかどうなのかは分からなかったが、貰うことにした。

「ありがとうございます」

 もしかしたら、いつか役にたつかもしれないから。


 顕子が布団を敷いてくれた。顕子はベッドで眠り、咲希は同じ部屋で布団に入った。

「……ねえ、咲希ちゃん」

「……」

「……えっ、もう寝たの⁉︎」

「……」

 咲希は早々に眠りについていた。

「もうっ、話したいことがあったのに……。ま、いっか。明日話そっと」

 顕子はあっさりと諦め、目を閉じる。そのうちに、ゆっくりと包み込む眠気に誘われ、いつのまにか夢の中へと吸い込まれていった。

Return——帰ってくること。帰還。

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