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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅰ Return——かえってきた者
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出会いなおし

不意に、顕子が口を挟む。

「——自己紹介は済んだかな。それでね、咲希ちゃんもいるんだし、咲希ちゃんと一緒に楽器を吹くのはどうかなって思って。だけど咲希ちゃん、運指も忘れちゃったみたいだから教えてあげてよ」

りょーっ(了解)!」

 顕子の頼みを湧真があっさりと承諾したのは、きっと、湧真も咲希と楽器を吹きたいからなのだろう。そして楽器を手にした今、咲希もこの楽器に興味が湧き始め、吹いてみたいと思い始めていた。なので湧真はにこにこと笑いながら咲希に吹き方を説明し、咲希も楽しそうに練習をした。

 ある程度咲希が楽器を吹けるようになったところで、顕子が「よーし!」と言った。

「じゃあ、吹いてみよっか!」

「そうしよー」

「はい!」

 吹くのは、さっき湧真が一人で吹いていたのと同じフレーズ。

 全員が楽器を構え、お互いの顔を見る。そして、湧真が合図を出し、吹き始めた。

 おどおどした感じは否めないが優しく鳴る、咲希の低音(ベース)

 どこまでも豊かに歌い上げる、湧真の対旋律(オブリガート)

 そしてその上で滑らかに踊る、顕子の旋律(メロディー)

 咲希はなんとも言えない気分だった。

 不思議と懐かしい感じがする。でも何も思い出せない。心地いい。ずっとこの中にいたい。でも、いずれ曲は終わる。時間は止まることはない。

 気付いた時には、そのフレーズは終わっていた。

 自然と、お互いに顔を見合わせていた。

 微笑みが、ついついこぼれた。


 B棟二階、二年二組の教室。

「楓ちゃん……」

「……咲希がいないと、寂しいですね」

 そこには、二人の少女がいた。

 一人は、茶髪でセミロングの髪をひとまとめにして結んでいる女の人。今日の朝、場違いな明るい声を出して空気をぶち壊した、あの人だ。

 一人は、焦げ茶色のショートの髪を内側に巻いている、楓ちゃんと呼ばれた女の人。今日の朝、セミロングの女の人に声をかけられ、泣き出してしまった子だ。

 二人とも、椅子に座って微動だにしない。

 二人とも首にストラップをかけていた。

 しかし、ストラップにあるフックの先には、何もなかった。

 楽器は少し離れた机の上に置かれたままで、冷え切ってしまっている。

 他の部屋からは音が聞こえるのに、この部屋だけが無音だった。

 そう。この二人が、残りのサックス奏者だ。

 外からは湧真がテナーサックスを吹く音が聞こえてくる。

「湧真……よく吹けるよね」

「湧真先輩のことですから……逆に吹いてないと、落ち着かないんじゃないですかね」

「……そうかもね」

 セミロングの女の人の方が、高校二年生。

 ショートの女の人の方が、高校一年生。

 二人とも、練習しなければならないと分かっていながら、練習する気になれずにいた。

「……」

「……」

 二人とも、ほとんど話さない。

 心の中で、どうしようもない事実を思い返すばかりで。かえらない思い出を考えるだけで。


 それに先に気付いたのは、ショートの女の人——楓だった。

(——バリサクの音?)

 楓は耳を澄ませた。

 かすかに聞こえた気がした。聞こえるはずのない音が、聞こえた気がした。

 でもすぐに聞こえなくなって、

(……気のせいか)

 と考え直した。

 しかしその直後、また聞こえた。

 かすかで、でもさっきよりも長い音。

(やっぱバリサクの音だよ!)

 しかし、音はもう聞こえなくなっていた。

(……でも、空耳かなあ)

 思わずため息をつく。

(だってバリサク奏者は咲希だけだし……他の人がバリサクを吹いてるわけでもないだろうし、空耳だよ、きっと。そうだよ。咲希の事ばかり考えてるから空耳が聞こえたんだよ)

 一人でそう納得した直後、再び思考の渦に飲み込まれた。


 音が、旋律が、聞こえた。

 湧真のテナーサックス、顕子のフルート。

 そして……咲希のバリトンサックス。

 三つの楽器がそれぞれのフレーズを吹く。

 その音を、たしかに二人は聞いた。

 セミロングの女の人が不意に、はじかれたように立ち上がり、教室を飛び出した。

「琴音先輩!」

 楓が慌ててそのあとを追う。

 二人の向かう先は、同じ場所だ。


「もう一回吹きましょう!」

 咲希が、叫んでいた。

 湧真と顕子は面食らったような表情を見せたが、すぐに微笑んで「いいよー」「もう一回吹こう!」と同意した。

 三人は再び楽器を構える。

 息を吸って……「湧真っ!」

 かん高い声に遮られた。

 思いっきり息を吸い込んでいた湧真は、思わず咳き込んだ。振り返ると、そこにいたのは、あのセミロングの女の人。

「ゲホ、ゴホッ……琴音かあ。どうしたのさ?」

「どうしたのさ? じゃないよっ! なんでよ! なんでこんな事になってるわけ⁈」

「ちょ、待って……は、話が読めないんだけど」

 鬼気迫る表情で詰め寄るセミロングの女の人——琴音に、うろたえる湧真。湧真には、何が何だか分からない。

「だからっ! なんでバリの音が聞こえるの! さっき、聞こえたんだよ! フルートとテナーとバリで曲を吹いてんのが! ねえ、なんでよっ……!」

 いつの間にか、琴音の後ろには楓がいる。楓も琴音と同じ疑問を抱えていた。

「な、なんでって……咲希ちゃん、いるから」

「は?」

「え?」

 見事に琴音と楓の声がハモった。

「あっこが三人で吹こうっていって……俺もみんなで吹きたかったし……咲希ちゃんも、吹きたそうだったから……」

 湧真の声は、どんどんしぼんでいく。

「あー……湧真は一旦黙っててね。

 ——琴音と楓ちゃん。実はね、咲希ちゃんが……っていうか、咲希ちゃんの魂が、今ここにいるの。急に言われてもって思うかもしれないけど、本当のことなんだ。ただ、記憶は失ってしまってるみたいなんだけど……」

 三人の様子を見かねたのか、顕子が口を挟む。

「というわけで、目閉じて」

 ポンポンと調子よく説明をする顕子。琴音と楓は驚きすぎて、半ば放心状態だった。そのせいなのか、顕子の言うことを素直に聞いて目を閉じる。

 顕子はさっき湧真にしたように二人の頭に触れ、「もう開けていいよー」と言った。

 二人は恐る恐る目を開けて……咲希を、見た。

「咲希ちゃん……!」

「咲希……?」

 琴音は突然咲希に駆け寄るなり、抱きついた。もちろん、咲希が驚きと戸惑いの声をあげたのは、言うまでもない。

「……会いたかった。すごく、すごく」

「え、あ、あの……苦しいです」

 咲希の声で、自分がきつく咲希を抱きしめていた事に気付いた琴音は、「わっ! ご、ごめんっ!」とあたふたとしながら咲希を離す。

「ごめんね。つい、嬉しくて」

「いえ、大丈夫です……。あの、お名前は……?」

 その咲希の一言で、琴音の頭の中に顕子の言葉が蘇る。

『——ただ、記憶は失ってしまってるみたいなんだけど……』

 咲希は、その人の寂しそうな微笑みを見た。

「うちはね、野上琴音。咲希ちゃんの、一個上だよ」

「あと、琴音はアルトサックスを吹いてて、サックスパートのパートリーダーだよ」

 琴音の自己紹介に、顕子の補足が入る。

「よろしくお願いします」

 咲希は精一杯笑った。その目が笑っていないのを、顕子は見ていた。

「うん、よろしくね」

 琴音も笑った。さっきの微笑みよりもさらに寂しそうに見えたのを、咲希は見逃さなかった。


「……本当に、咲希?」

 その声に、全員がその声の方を向いた。

 ——楓だった。

「な、なんで?」

 そう問いかけた湧真の声は、震えている。

「幻かも、って思った?」

 顕子の問いかけには答えにくそうにしていたが、しばらく迷って、「はい」と答えた。

「先輩なら……出来ますよね?」

「出来るけどやってないよ。それやっても意味ないでしょ? それに、咲希ちゃんはうちが来る前に凛に会ってるし」

 咲希はうなづいた。

「ミーティング……が始まる前に、もういました。浅沼さんも、あなたも、野上さんも、それから……髙橋さんも、見ました」

 知らない人ばっかりだなぁって思ってたら、私が記憶を失くしてて、と言って、咲希は苦笑いする。

「野上さんが私のことを呼んだのも、ミーティングで泣いていたのも、見てました。あなたが野上さんに声をかけられて泣いていたのも。髙橋さんが私を見た瞬間、信じられない、って感じで私を見たり、手をつねっていたり、そのあと、浅沼さんが高橋さんに向かってどうしたの、って言ったり……」

 その言葉は、最後まで発せられることがなかった。

 喉が不自然に締まって、話せなくなったのだ。

 頰が冷たかったのは、気のせいだろうか。

「……ごめん。疑ってごめん、咲希。だから、もう泣かないで」

 楓の言葉で、ようやく咲希は泣いていたのだと気付いた。頰が冷たかったのは、涙のせいだったのだ。慌てて目をゴシゴシとこする咲希を見た楓は、おもわず笑ってしまう。

「もう、すぐ泣くのは変わんないんだから。目をこすったらかゆくなるよ。はい、ハンカチ。使って」

「あ、ありがとうございます……」

「それと、うちは西野楓。楓ちゃん、って咲希はうちのことを呼んでたから、できればそう呼んでほしいな。咲希と同い年。だからタメ語で話してね? 敬語使われるの、違和感ハンパないからさ。うちも琴音先輩と同じく、アルトサックス吹いてるんだ。よろしく」

 楓の表情は、さきほどまでの表情からは想像が出来ないほど明るい笑顔だった。

「……よろしくね、楓ちゃん」

 つられて、咲希も自然と笑った。


「——そうだ! 楽器取ってくる」

 楓は不意に、ポンっと手を叩いて言った。

「え、なんで?」

「咲希と楽器吹きたいからに決まってるでしょ!」

 すぐ戻るから、と言って、楓はタタタッ、と駆けていく。

「——ダメだなぁ、うち……」

 思わず、琴音が呟く。その声に、全員がそちらを振り向いたが、琴音は気付かない。

「うちが一番しっかりしてなきゃいけないのに、こんな頼りないってなぁ……」

 ぽた、としずくが落ちた。

「……あの」

 思わず咲希は、楓から借りたハンカチを渡す。

「……ありがとね、咲希ちゃん」

 咲希は無言で微笑み、首を振った。

 琴音が涙を拭っていると、楓が戻ってきた。なぜか、アルトサックスを二台持っている。一台はストラップにかかっていて、もう一台は手持ちだ。

「これ、先輩の楽器です」

「あ……ありがと、楓ちゃん」

 楓は琴音に楽器を手渡してから自分の楽器を手に取り、唐突に音を出し始めた。それを聞いた琴音や湧真も音を出し始める。

「音出しだよ」

 唐突に楽器を吹き出した三人に驚き、なぜ楽器を吹き出したのかと疑問に思った咲希の心に答えたのは、顕子だ。

「しばらく楽器を吹いてなかったからね。突然吹くのと慣れてから吹くのとじゃ、全然違うでしょ?」

 確かに、と納得した咲希も、音出しを始める。

「……中村さんは、音、出さないんですか?」

「ん? 四人で吹いたほうがいいかなーって思って。うちだけ楽器違うし、仲間はずれだよ?」

 ある程度音を出して慣れてきたところで、全員が吹くのをやめた。

 湧真が吹くところを琴音と楓に説明した。そして、

「じゃあ、いくよ」

 そう言ったあと、湧真が合図を出して演奏は始まった。

 旋律(メロディー)が、フルートからアルトサックスに変わったことにより、滑らかさよりも柔らかさが勝るようになる。その裏ではテナーサックスが豊かに対旋律(オブリガート)を歌い上げ、それを優しいバリトンサックスの低音(ベース)が支えた。

 全ての音域を、同じ音色のサックスが溶かして繋げる。

 顕子と湧真、咲希の三人で吹いた時よりも、サックスの四人で吹いた時の方が、音楽が自分の中に染み渡っていく気さえした。

 間違い無く、四人は今、一つになっていた。


 フレーズが、終わった。

 全員が、心地よさげな笑みを浮かべていた。さっきまで本当に笑うことをしなかった琴音でさえ、微笑んでいる。

 咲希は、琴音の笑顔を初めて見た気がした。

「……野上さん。笑顔の方が、素敵です」

 咲希は思わず、口にした。

 琴音は驚いたように咲希を見ると、

「……うん、そうだね!」

 と言って、満面の笑みを浮かべた。

「——さて、咲希ちゃん。これで、サックスパートのみんなと出会いなおせたね」

 顕子の言葉に、咲希は「……はい!」と目一杯の笑みを見せた。

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