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Requiem  作者: 秋本そら
終章——Requiem
32/32

大切なあなたへ贈るレクイエム

 ——咲希の家。

 咲希の母親はリビングで掃除機をかけ、咲希の父親はリビングにある作業机でパソコンをいじり、咲渡はリビングにあるテーブルで宿題をしていた。

「咲希、今日旅立つんだって言ってたよね?」

「そうだな」

 不意に掃除機を止め、パソコン作業を中断する。一方、咲渡は宿題を続けている。

「また……会えるかしら?」

「きっと会えるさ」

 母と父はそう言って、優しく微笑みあった。

 その時。

 不意に陸斗が宿題の手を止め、窓を振り返る。

 その瞬間だった。

 不思議な風が吹き、陸斗の髪を揺らしたのは。

 いや、陸斗だけではない。咲希の両親の髪も揺らし、三人を温かく包み、そして、過ぎ去っていった。

 窓は、開いていなかったのに。

 つまり、風が入ってくるわけがなかったのに。

『みんな、ありがとう。大好き』

 一瞬、咲希のそんな声が聞こえた、気がした。

「咲希ねえ……旅立ったんだね」

「……そうね」

「また、会えるといいな……」

 優しい時間が、そこには流れていた。


 ——同時刻。

 街中を、春菜は歩いていた。

 風のない、夕方の街を春菜は歩く。そして、バスに乗り、電車に乗って、流れる景色を眺めている。

 春菜には、行きたい場所があった。

「……着いた」

 そこは、咲希が人身事故にあった駅のホーム。

 実は、春菜と咲希は、登下校に使う電車の路線が異なっていた。なので、春菜はその駅を訪れたことがなく、たった今、春菜は初めてこの駅のホームにやって来たのだった。

「——ここ、だったんだね」

 ぽつり、と春菜は呟く。

「ここが、咲希が死んだ場所……」

 本当は、声に出すつもりなんてなかった。

 でも、何故か、呟かずにはいられなかった。

「もう会えないなんて……さみしいよ、咲希」

 ぷくり、と目に涙が溜まっていく。

 心は決めていたはずなのに。この場所で、笑ってさよならを言うつもりだったのに。咲希と約束した通りに。またね、また会おうね、って。

「……うちには無理かも。笑って、さよならなんて……」

 俯いた春菜の目から、ぽろり、と涙がこぼれた。

 と、その時。

『泣かないで、春菜』

 季節外れの、暖かく優しい風が吹くと同時に、明るい咲希の声を聞いた、そんな気がした。

『また会えるよ。だからその時まで、ね?』

 優しい風は、咲希の優しくおどけたような、そんな声を届けて消えていった。

 春菜は顔を上げて笑った。涙は風が乾かしてくれたのか、どこにも見当たらなかった。

 ——もう大丈夫。

 春菜はそう思った。

「咲希、今までありがとう。また会おうね!」

 人気のないホームで一人、春菜は叫んだ。

 わずかにいた人々が春菜の方を振り向いて不思議そうな目で見たが、春菜はそれには気付かずに、その場に立ち続けていた。


 優しい風は、あちこちに吹いた。

『クラスのみんな。今まで、ありがとね。本当に楽しかった』

 その風と咲希の声に気付いた人は、果たして何人いたのだろうか?


「……行っちゃったね、咲希ちゃん」

 県立風波高等学校、音楽室。

 湧真が、ぽつりと呟いた。

 咲希が歩いていった道は溶けて風になり、あたりに吹き始めている。その風は、咲希の家に、春菜のところに、クラスメイトのところに吹いていく。咲希の最期の言葉とともに。

 そしてその風は、音楽室にも。

『みなさん、楽しくて幸せな毎日を、ありがとうございました』

 暖かく優しい風に紛れて、咲希の声が聞こえた。

「あの道は、咲希ちゃんとうちらの想い、そして思い出で出来てるんだ」

 全員がその声の主の方を見る。

「そして……咲希ちゃんが歩いたあとは、風になって、咲希ちゃんの想いを伝えてくれた」

 ——その声の主は、顕子だった。

「さっき、最後に演奏した時……今まで楽しかったこととか、辛かったこととか、いろんな思い出を思い浮かべながら吹いたから?」

「咲希のことが大好きだって思いながら、吹いたから……ですか?」

 琴音と楓が代わる代わる口にする。それを聞いた部員は、「そう言えばうちも」「俺もそうだった」と、みんながざわめいている。

「——そうだよ」

 顕子が声を発すると、ざわめきは静まった。

「みんなが咲希ちゃんとの思い出や、咲希ちゃんへの想いを込めて吹いたから。そして、咲希ちゃん自身も、今までの思い出やみんなへの想いを込めて吹いていたから……だから、あの道はできた。そして、咲希ちゃんの想いを伝えてくれたんじゃないかなって、うちは思う」

 顕子は部員の顔を見回した。

 笑っている人もいれば、泣いている人もいる。

 でも、多分全員、心は同じだ。

 それは、「ありがとう」と「さよなら」。

 溢れる笑みは、暖かく明るい笑みだった。

 流れる涙は、決して悲しい涙ではなかった。


『……私は不思議な道を歩いて、ここまで戻ってきた。そして私は、ここで今までの7日間の記録をつけている。だけど それももうすぐ書き終わる……

 そう。私の旅は、これで終わり。だけど、これは始まりでもあると思う。今から再び生まれ変わる日までの、新しい旅の始まりなのだと。

 ……そろそろ舟が出る。

 この辺りでこれを書くのもおしまいにしよう。

 思い出は宝物。だから、たまにこの紙を取り出して、幸せに浸ることにしよう。

 聡美さんによると、死の国に入ると私は再び記憶を失うらしい。でも、私が再び記憶を失っても、これを見たら幸せな気持ちになれそうな気がする。

 さようなら、皆さん。

 さようなら、内川咲希。


 内川咲希』


 私はペンを置いた。そして、今書き終えたばかりの紙の束を持つ。

「書き終わりましたか?」

「はい」

 私が微笑むと、聡美さんもつられたように笑った。

「本当に幸せな一週間、そして、人生だったのですね」

「はい」

 聡美さんはその返事を聞いて幸せそうに笑った。しかし不意に、聡美さんはすっと真面目な顔に戻る。

「さあ、舟に乗ってください。乗り遅れると、二度と乗れなくなります……」

 私は慌てて銀色の舟に乗り込んだ。

「……出発致します……」

 どこからか、そんな声がした。低くて小さく、細い声だった。そんな声なのによく通るのは、ここがしんとした場所だからだろうか?

「安らかに眠りなさい、旅を終えた旅人(たましい)よ。そして再び旅立ちなさい、明るい光の下へと。やがて時は満ち、貴方は生きるための力を、ここから旅立つための翼を得るでしょう。その時まで、いつか光の下で再び動き出す時まで、今は影で安らげますように……」

 ささやかなおまじないのように、聡美さんが小さく呟く声が聞こえる。不思議なほど、声が通る。

 聡美さんが花畑の川岸で手を振っていた。

 花畑の方から春風のように温かい風が吹いたように感じた。だからだろうか、聡美さんが私達のことを、温かく送り出してくださっているかのように見えた。


 いよいよ、第二の旅が始まる。


 最初はぎこちなく揺れていた舟の揺れが、落ち着き始める。不思議な風が吹いて、頬をなでる。川が気持ちよさそうだからと、さらり、と川面を撫でると、それはほんのりと温かく、でも、キンと冷えていた。

「この川の水は、美しくもなり、醜くもなるのですよ。美しい時は触れても大丈夫ですけれど、醜い時は解けることのない呪いと、治ることのないやけどにつきまとわれますからね。お気をつけを」

 私の背後から降ってきたその声は、さっき、出航を知らせた声だった。

「分かりました、気をつけます」

 振り返りながらそう言うと、船頭さんは、それで良し、と言うかのようにうなづいた。


 舟は進む。ゆっくりと、でも確実に。

 死の国へと向かっている。

「ねえ、船頭さん。船頭さんは、私の話を覚えていてくれますか?」

「……ええ」

「なら、船頭さん……聞いてください。

 ……私の、最期の記憶を」

 ——こんなことをしても何も起こらないことぐらい、私は知っている。

 二度と私が私として——内川咲希として船頭さんと出会うこともないし、この話を船頭さんにしても、船頭さんの役に立つこともない。

 でも、誰かに話しておきたかった。

 この記憶(おもいで)を、消したくない。誰かの記憶に、残しておきたかった。覚えていてほしかった。私の代わりに。

 私はもうすぐ、再び全てを忘れてしまうから。

 ころころと表情を変える銀の川面を見つめ、ゆらりと揺れる舟の上で、私は一人、語る。

「あの一週間は、私にとって……鎮魂歌(Requiem)でした——」

Requiem——鎮魂歌。鎮魂曲。安息を。





































「Requiem」を読んでくださった皆様、ありがとうございました。これでこの物語は完結となります。

咲希が死後の世界で静かに休めるように。そして、遺された人々が心安らかでいられるように。お互いに、大切な人へ一週間の鎮魂歌(安息の歌)をおくる物語。そんな思いでこのタイトルをつけさせていただきました。

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