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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅶ Memory——最期の記憶
31/32

未来への想い出

 午後は凛が朝予告した通り、合奏の時間となった。

 今日の合奏で指揮を振るのは、学生指揮者。学指揮とも言われ、指導をする講師や先生がいない時に指導をしたり、校内発表や定期演奏会などで指揮を振ったりする部員のことだ。

 前に立ったのは、顕子だった。

 皆で合奏開始の号令をかけ、全員が椅子に座った後、顕子は話し出す。

「えーっと、今日は、十一月のショッピングモールでの演奏で吹く曲のうち、ポップスの二曲とアンコール曲をやります」

 顕子は咲希が過ごす最後の日だからとはいえ、特別なことなどするつもりはなかった。そして、咲希もそれを望んでいた。そのため、顕子は普段どおりに合奏を始め、曲の練習をした。

 やがて音楽室からは、最近流行りの明るく弾けるような曲が流れ出した。そして顕子の指導の声と、それに対する返事の声が聞こえてくる。そして吹いて、止められて、指導が入って、また吹いて。時折休憩を挟み、曲を変えて、合奏は続いた。


 時間はあっという間に過ぎ、合奏が終わる時間になった。合奏の終わりの号令をかけてすぐ、ミーティングが始まった。

 出欠を再び確認し、連絡事項と明日の予定。

「何か連絡ある人ー」

 凛がそう言って、何人かが連絡事項を伝えた後、咲希が手を挙げた。

「はい、咲希ちゃん」

「……えっと」

 咲希は寂しそうに笑った。

「これから、私は花畑に戻って、死の国に行きます」

 その瞬間、時間が止まったかと思えるほどの静けさが訪れた。

「私が花畑に戻りたいって念じたら、道が現れるそうです」

「……本当に、逝っちゃうの?」

 誰かが、問いかけた。

「はい」

 咲希はうなづき、そして、念じた。

 花畑に戻ります、と。


 その時、顕子は声を聞いた気がした。

『ごめんね……やっぱり、渡せなかった』

(……さっちゃん?)


「道が……現れない」

「えっ……?」

 咲希の言葉に、部員がざわめく。

「花畑に戻るって念じたのに……どうして?」

「……戻れないなら、戻らなくても良くない?」

「良くないんです! 戻らないと……永遠に私はここにい続けることになります。皆さんが卒業しても、大人になっても、私は高一のままで、一人ぼっちで……その先の未来には、きっと永遠の孤独が待っています」

 咲希のその言葉に、その必死さに、部員は何も言えなくなる。

「……どうしよう……」

 咲希がぽつりと呟く声が、音楽室に虚しく広がる。


 顕子は今朝の夢を思い出す。

(あれは夢……さっちゃんの見せた、正夢)

 道が渡せないかもしれない、そう泣きそうな声で言った双子の妹の声が、やけに耳にこびりついていた。

(さっきの声は……空耳じゃなかったのかも)

 咲希が花畑に戻りたいと願った時、顕子の耳に届いた聡美の言葉は、きっと、本当に顕子の耳に聞こえた声だったのだろう。

(……なんとかしないと)

 すでに時間は夕方と言っていい時間。

 日はゆっくりと落ち始めている。

(黄昏時——逢う魔が時だ。不思議な力が、一番強く働く時間。……なんとかなるかもしれない)

 顕子は朝から考えていた。

 万が一花畑から道が渡せなかった時、咲希を花畑に返す方法を。

(——向こうが道を渡せないなら、こちらから渡してあげればいい)

 そのためには、部員の皆の協力が必要だった。


「——よし! みんな、最後の演奏をしよう!」

「えっ⁉︎」

 顕子の言葉に、部員が驚いて思わず叫ぶ。

「曲はね——」

 そんな部員の驚きをよそにして、顕子は演奏する曲のタイトルを口にした。

 それは十一月にショッピングモールで演奏する予定の曲のうちの一つで、学生指揮者ではなく顧問の先生が指揮を振る予定の吹奏楽曲だ。

 そしてそれは、咲希が好きな曲で、午前中にもサックス奏者の四人が渡り廊下で吹いていた曲。

「でもあっこ、この曲の指揮振れるの?」

 凛の問いに顕子はあっけらかんとして、

「えっ? 振れるわけないでしょ? だからうちは最初の合図しか出さないよ」

 顕子の手にはすでに、フルートをがあった。

 その顕子の言葉にざわつく音楽室。

「ほら、一昨日みたいな感じでやればいいんだよ。大丈夫! 一昨日は出来たんだから」

 顕子はそう言って笑い、ほらほら、と他の人にも楽器を構えるように促した。

 合奏は終わったはずなのに。指揮者がいないのに。今はミーティングの途中なのに。咲希の帰る道が現れないこの時に悠長なことを。そう文句を言いつつしぶしぶと楽器を構える部員に、顕子は一言。

「……最後だからね。悔いのないように、想いを込めて吹こうね」

 その言葉に、その表情に、心を動かされた。

 顕子の表情は、部員には後悔したくないという思いが伝わってくる表情に見えた。

 しかし、本当は顕子は懇願していたことに、祈っていたことには、誰も気付かなかった。


 顕子が合図を出し、優しいメロディーが奏でられる。

 徐々に増えていく音。豊かになっていく曲。

 さりげなく曲を盛り上げていく打楽器の音が聞こえる。

 歌う中低音。その上で踊る高音。それを支える低音。

 メロディーは様々な楽器に受け継がれて奏でられていく。

 音は表す。そして伝える。

 今までありがとう、とそれは歌った。

 今までごめんね、とそれは奏でた。

 大好きだよ、とそれは流れた。

 そして、それは思い出を語る。

 あんなことがあったよね。

 こんなことがあったよね。

 楽しかったよ。

 嬉しかったよ。

 悲しかったな。

 辛かったな。

 今となっては全てがいい思い出。

 本当に幸せだったよ。

 ありがとう。

 思い出を込めて。想いを込めて。

 そして曲は進んでいく。

 終わってほしくない。

 でも、もう終わってしまう……。


 優しく柔らかで、豊かな音が、最後の和音を奏でた。

 そして、それと同時に……道が現れた。

 咲希の、目の前に。


「咲希……逝っちゃうの?」

 楓が、ぽつりと呟く。

「うん……逝くよ」

 咲希はそう返すと、音楽室全体を見渡した。

「……今まで、本当にありがとうございました。皆さんに出会えて、本当に嬉しかったです。迷惑ばかりかけたかと思います。ごめんなさい。沢山の幸せを、ありがとうございました。

 そして……さようなら」

 楽器を、足元に置いた。

 そして、道を歩き始める。

 花畑へと続く道を。

「——咲希ちゃん、またね!」

 誰かが叫んだ。

 それを皮切りに、部員が叫び出す。

「咲希! 今までありがとう!」

「うちらも楽しかったよ! すっごく!」

 咲希は振り返らなかった。ただただ一人で、その道を歩いていく。その表情は、誰にも読めない。

 それが部員にとって忘れられない、未来へと続いていく思い出になったことは間違いないだろう。


 咲希は歩く。ひたすら歩く。花畑まで。

 後ろから声が聞こえたが、振り返らなかった。

 振り返ったらきっと、立ち止まってしまう。

 立ち止まってしまったら、もう二度と歩けない気がした。そんなのはダメだ。

 だから振り返る代わりに、言葉を紡いだ。


 一番身近だった家族へ。いくら言っても言い足りないからこそ、短くまとめた。

「みんな、ありがとう。大好き」


 大切な親友へ。もしかしたら、今頃泣いているかもしれない、と思った。

「泣かないで、春菜。また会えるよ。だからその時まで、ね?」


 クラスメイトへ。今はみんなてんでバラバラのところにいるのだろう。

「クラスのみんな。今まで、ありがとね。本当に楽しかった」


 部活のメンバーへ。始まりと終わりの時に、一緒にいてくれた人たち。

「みなさん、楽しくて幸せな毎日を、ありがとうございました」


 街がどんどん離れていく。

 現世を離れ、そして、花畑へ。

 沢山の思い出と想いを胸に抱えながら。


 咲希は寂しさと満ち足りた気持ちの両方を感じながら、旅立っていった。

Memory——思い出。記憶。

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