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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅶ Memory——最期の記憶
30/32

終わりの始まり

「咲希ねえ、朝だよ」

 咲希は咲渡に揺さぶられて目を覚ました。

「……おはよう、咲渡」

「おはよう、咲希ねえ」

 もうご飯出来てるみたいだよ、と咲渡に言われ、二段ベッドの上段から降り、階下に降りた。

 ダイニングキッチンから漂う、食欲をそそる香り。きっとこの匂いからして、朝ごはんはパン。香ばしく焼き上げられた食パンにはマーガリンが塗られ、咲希の好みである、塩胡椒がたっぷりかかったベーコンエッグがお皿には用意されているだろう。そして、野菜とウインナーの入った鶏がらスープもきっと用意されている。お気に入りのマグカップに注がれた濃いめのコーヒー付きで。だって、朝ごはんがパンの時は大概、これらが用意されているのだから。

 案の定、そこには予想していたものたちが四人分並んでいる。

「おはよう、咲希。ご飯できてるわよ」

 咲希の母親が、自分と咲希の分の食後のためのインスタントコーヒーを淹れながら、言った。

「はーい」

「咲希、そこのティーバッグ二つ」

 父親に頼まれて、咲希は自分の席の近くに置かれている紅茶のパックから、ティーバッグを二つ取り出して父親に渡す。

「はい、ティーバッグ」

「ありがとな」

 咲希の父親は自分と咲渡の分の紅茶を淹れている。咲希の父親はコーヒーよりも紅茶を好み、咲渡はまだ六年生だからコーヒーはまだ早いと両親が判断したからだ。父親のものは濃いめに、咲渡の分は薄めに淹れる。

 飲み物を淹れ終わり、全員が食卓につく。

「いただきます」

 そして全員で食事を摂る。

 一週間前にも繰り広げられた、日常。

 本来ならば一週間前に無くなるはずだった日常。

 そして今日、終わる日常。

 咲希は、この光景を目に焼き付けておこうと思った。

 今日が、最後の日になるから。


 咲希は制服に着替えた。体に馴染み始めているけれど完全には馴染んでいない感じがする制服だ。

「今日で、お別れだよね」

「うん。でも、いつか戻ってくるよ」

「本当に?」

「本当に」

「……待ってるよ、咲希ねえ」

「うん。待っててね、咲渡」

 身だしなみを整えて、咲希はローファーを履く。玄関には家族全員が揃っていた。

「……本当のお別れの時が、来ちゃったね」

「うん……寂しいけど、変えようがないからさ。それに、言いたいことは言えたから」

 寂しげな咲希の母親に、寂しいと言いながらもそこまで寂しげには見えない咲希が返す。

「咲希ねえ、案外さばさばしてるところあるよね」

 咲渡に言われ、咲希は首をかしげる。

「え、そう?」

「そうだよ」

「そこはお父さんに似たのね」

 突然とばっちりを受けた咲希の父親は思わず目を見開いた。

「おい、俺そんなにさばさばしてるか?」

「うん、してる」

「咲希が言うなよ……」

 大げさにがっくりとしてみせる咲希の父親に、全員、笑わずにはいられなかった。

「お父さん、お母さん、咲渡、今までごめんね。そして、ありがとう。……またね」

「行ってらっしゃい。気をつけて。大好きよ」

「行ってらっしゃい。こちらこそ、今までごめんな。そして、ありがとう」

「行ってらっしゃい。またね、咲希ねえ」

 最後に咲希は三人のことを順番に抱きしめた。

「……行ってきます」

 笑顔でその言葉を告げ、咲希は家を出た。

 ドアを閉め、バス停へと歩き出す。とても近いのでバス停へは徒歩一分もいらない。

 バス停に着くと同時にバスが来る。

 バス停には二、三人しかいない。バス内を見てみても、乗っているのは数人。土日のこの時間は、乗客が少ないことを、咲希は経験上知っている。

 咲希はバスに乗り込んでから奥まった席へ行き、ブレスレットを外した。

 そして遠ざかる家や家族のことを思い、

「——またね。また会おうね。ほんの少しだけのお別れだから……」

 少しだけ、ほんの少しだけ、泣いた。


 咲希が再びブレスレットをつけたのは、学校の最寄駅——つまり自分が死んだ駅——の改札を出てからだった。

「おはよう、咲希ちゃん!」

「おはようございます、あっこ先輩」

 まず最初に会ったのは、顕子だった。

「昨日は眠れた?」

「あんまり寝れなかったですね。ずっと夜中まで咲渡と話し込んでました」

「ふふふ、そっかあ。楽しかった?」

「はい!」

 満面の笑みでそう言う咲希を見て、顕子は微笑んだ。

「今日で最期だから、悔いを残さないでね」

「分かってますって」

「あっこ、咲希ちゃん、おはよっ!」

 そこに追いついてきたのは、琴音だ。

「あ、琴音先輩!」

「おはよう、琴音。今日は元気だねえ」

「今日はって何、今日はって!」

「でも先輩、もともと体弱いじゃないですか」

「うっ……咲希ちゃん、余計なことは思い出さなくてよかったのに」

「えーっ! 酷いですよ、もう……」

 琴音と咲希のやりとりに、思わず顕子が大爆笑。

 あっこも笑いすぎー! と琴音が突っ込んだところで、誰かが咲希の肩を叩く。

「ん? あ、誰かと思ったら凛先輩じゃないですか! おはようございます」

「おはよう、咲希ちゃん」

「あれ、うちらは?」

「あっ……琴音とあっこも、おはよう」

「おはよう」

「おはよう、凛」

 学校に着くまで、会話は途切れない。

 その場にいる全員が、この幸せな時間に終わりが来ることを求めていなかった。


 音楽室に着くと、部員がすでに何人かいた。

 沢山のおはようを交わし、咲希は楽器を出す。

(このバリサクに触れるのも、最後)

 そう思うと、言い方は悪いがただの金属の塊でしかないそれが、愛しく思えた。

「大好きなバリサクの音とも、今日でお別れかぁ……」

 しみじみとしながら、楽器を組み立てる。

「今日は目一杯、吹いてあげるからね」

 咲希がそう言うと、楽器も喜んでいるように見えるのは気のせいだろうか?


 九時になると、ミーティングが始まった。

 出欠確認を済ませ、凛が今日の予定を話す。今日は午前中は個人やパートでの練習、そして午後に全員での練習——合奏が入るらしい。

「何か連絡ある人いますか?」

 凛の言葉に、咲希が反応する。

「はい咲希ちゃん」と指された咲希は、「あの、」と言って語り出す。

「えっと、私は日曜日からここにいたんですけど……今日、ここを去ることになりました」

 しんとした音楽室が、ざわめき始める。

「今日までしかいられないんです。変えようがない決まりで……」

 目を見開く者。唇を噛む者。涙を堪える者。穏やかな表情の者。反応は様々だった。

「だから、今日は思い切りここで過ごしてから、戻ろうと思います」

 咲希の表情は、至って穏やかだった。


「日曜日みたいに、渡り廊下で吹きませんか?」

 咲希はサックスパートの三人に提案した。三人は速攻でうなづく。

「いいよ、やろう!」

「何の曲がいいかなぁ」

「咲希は何がいい?」

「日曜日と同じ曲を吹きたいな」

 楓の質問に対する咲希の答えを聞いた琴音は、

「あの曲かぁ、いいね」

「よし、いこう!」

 湧真が他の三人を促し、四人で渡り廊下へと向かう。

「曲のどこ吹く?」

 琴音が問えば湧真が、

「前とおんなじでいいっしょ」

 と答え、咲希が

「いいと思います!」

 と反応すれば楓が、

「あ、あそこですね!」

 と言って笑った。

 そう言っているうちに四人は渡り廊下に着き、

「いーい? 始めるよー?」

 湧真がそう問えば、全員が楽器を構え、うなづいた。

 湧真の合図で紡ぎ出されていく音楽。

 優しく支える咲希の低音(ベース)の上で、豊かに歌う湧真の対旋律(オブリガート)。そしてさらにその上で柔らかく踊る旋律(メロディー)。三つの音域、三つの楽器、四つの音が混ざり合って、一つになる。終わって欲しくない、心地よい時間。

 でも、終わらない曲はない。いつかは終わりを迎えてしまう。

 キリのいいところで曲がふっと切れる。

 誰からともなく「もう一回吹こうか」と言い出して、四人は再び楽器を構え、奏でる。

 それが何度も何度も繰り返される。

 ——終わらせたくない。

 その音を聞いていた人たちは、そんな四人の思いが伝わってくるような気がしていた。

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