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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅵ Everything——全てを受け止めて
27/32

「ただいま」と「おかえり」

 咲希はクラスメイトと別れ、昨日までの五日間乗っていた上り電車とは反対方向の、下り電車に乗り込んだ。電車に揺られながら、咲希は自分の家に帰れる喜びを噛み締めていた。

 咲希の家は、一駅隣の駅で降りてから、バスに乗り換えて十二分ほどの場所にある。最寄りのバス停から家までは徒歩三十秒程で着くので、とても楽だった。

 咲希は門を開け、玄関に着くなりドアを開けようとする。しかし、鍵がかかっていた。

「確かポッケの中に鍵が……ってか、開ける必要ないか」

 咲希は自分がドアをすり抜けられることに気が付き、苦笑い。そして玄関のドアをすり抜けて……。

「ただいま!」

 大きな声でそう言えば、二階からは咲渡が転げ落ちるかのような勢いで階段を降りてきて、味噌汁を作っていた咲希の母親は驚いて、味見をするためにおたまで少し掬っていた汁を自分の手にひっかけてしまい、軽くやけどしながらも、火を止めてから玄関へと小走りで来る。

「咲希ねえ、おかえり!」

「おかえりなさい、咲希」

 そこには、会いたくてたまらなかった人がいた。

「ただいま。会いたかった……!」

 咲希は靴を脱ぐなり目の前の二人を抱きしめる。

「お母さんも、会いたかったよ」

「僕も……!」

 しばらく三人は、時間というものを忘れた。


 咲希は久々に自分の私服に着替えた。

 たてに紺の細いボーダーが入った白いトップス。ひざ下まである黒いスカート。最後にパーカーのない薄手の紺の上着を羽織った。

 私服を着るのは最後になるから、適当に着替えるのでなく、それなりにちゃんとした服に着替えることにしたのだ。

「咲希ねえ、お母さんがちょっと手伝ってって」

「分かった。すぐ行くよ」

 咲渡がとたとたと歩いていくのを追いかけて、ダイニングキッチンに入ると、咲希の母親は丁度味噌汁を作り終えたところだった。

「咲希、サラダ作って」

「はいはい」

「咲渡は皿を拭いてね」

「えーっ……はーい」

 咲希は冷蔵庫からキャベツを取り出して千切りにしていく。咲希の家ではサラダといえば、キャベツの千切りに人参の千切り、そしてトマトにブロッコリーだった。慣れた手つきで、咲希はキャベツと人参を千切りにし、トマトを八等分してブロッコリーを茹でる。それらを四つに分けて盛りつければ完成だ。

 咲希がサラダを作っている間に咲希の母親がぶりを塩焼きにし、味噌汁をよそった。炊きたてのご飯は咲渡がよそい、ご飯ができたところで咲希の父親が「ただいまー」と言って帰ってきた。

「おかえりー」と三人は同時に言ったが、咲希の父親は咲希の声に気付いたらしく、驚いたようにダイニングキッチンにやってきた。

「——咲希、おかえり」

「ただいま、お父さん」

 咲希と咲希の父親が抱きしめあった。

「ずるい、僕も!」とそこに咲渡が勢いよく抱きつき、「ならお母さんも」と咲希の母親がそっと抱きしめた。

「……流石に暑苦しいぞ?」

 咲希の父親のその声で「あ、ごめん」と全員が離れ、くすくすと笑った。

「さ、ご飯にしよう! あとは魚を盛りつければ完成だから、ちゃんと皿を並べてね?」

「はーい」

 咲希の母親の声に、咲希と咲渡が同時に同じ反応をする。咲希がご飯と味噌汁、サラダを綺麗に並べ直して、咲渡が箸を用意すれば、咲希の母親がぶりの塩焼きと梅干しを皿に盛り付けて運んでくる。

「さて、食べよっか!」

「いただきます」

 全員が席に着いたところで、夕食の時間が始まった。その時の話題は、主に咲希のことだ。

「昔っから咲希はお母さんっ子だったよなあ」

 咲希の父親の言葉に咲希は

「え、そう?」

 と言い、

「そうだよー。いくらお父さんがあやしてもずーっとむすっとしてたのに、お母さんがあやすとすぐにきゃっきゃと笑うんだもんなぁ」

 と咲希の父親はわざとふくれっ面をしてみせる。

 咲希の母親もふふ、と笑いながら、

「でも、お母さんは一回、咲希に閉め出されたことがあるんだからね?」

 と平然と言い放った。

「えっ⁉︎ いつ?」

「二歳ぐらいの時だったかな。今は一軒家に住んでるけど、昔まだアパートの二階に住んでた頃の話」

 咲希の母親がそういえば、咲希の父親も

「……あ、そういえばそんな話あったなあ。お母さんが咲希が好きなテレビをつけてからベランダに出て、窓掃除を始めたら咲希がベランダに出るための窓の鍵を閉めちゃって」

 と、言い出した。もちろん咲希は目を丸くする。

「えーっ!」

「そうそう。咲希のことを呼んで鍵を開けてもらおうとしても、当時の咲希には窓の鍵を開けるのが難しかったみたいで。だからベランダから飛び降りて玄関に回ってピンポンを押したのよ」

 衝撃の言葉をさらりと言ってのけた咲希の母親に、

「……お母さん、それ、実話?」

 と咲渡が疑ったような目で見ると、

「実話だよー、咲渡。それで咲希が玄関の鍵を開けてくれて、無事に中に入れましたとさ、って話」

 とこれまた何事もなかったかのように咲希の母親は口にする。

「えー……信じらんないよ」

 咲渡は釈然としない顔で言ったが、それ以上は何も言わなかった。


 ……というふうにして楽しい晩御飯はあっという間に終わり、お風呂の時間になる。咲希がお風呂に入ったのは、咲渡の後だった。

 タプンと貯められたお湯には、何も入っていない。ただの、熱めのお湯だ。でも何故だろう。咲希にはこの六日間の中で一番体が温まるお湯に思えた。

 外からは咲希の母親が皿を洗う音が聞こえる。咲渡が嫌々宿題をやっていて文句を言う声に、咲希の父親が笑う声も聞こえる。

(——いつも通りだ)

 咲希は微笑む。

(いつも通り。でも、今日で終わる——)

 何かが溢れてこぼれていく。

(明日には、ここからいなくなるんだ……)

『あんまりにも長くいすぎたら、ここに未練が残りますから』

 ここに来て二日目の日に、顕子に言った言葉を思い出す。

(一日だけでも……十分長いよ。私の馬鹿。未練を残しちゃいそうな気がする……)

 しかし、その時思い浮かんだのは、春菜の言葉。

 そして、顕子に見せられた自分の蝋燭。

(でも、一日もあればきっと……ちゃんとお別れをすれば、大丈夫な気がする)

(大丈夫だよ。またいつか戻ってこれるからさ)

(私は内川咲希じゃなくなるけど。別人になっちゃうけど、きっと戻ってくる。だから、大丈夫——)

(そもそも、ここに帰ってきたのはちゃんとお別れするためなのに。ちゃんとごめんねとありがとうと、さよならを言うためだったのに。その目的を果たしたら、戻らなきゃいけないんだよ?)

 咲希は気持ちを切り替える。

(ほらしっかりしろ、私。ほら、大丈夫だから……)

 笑う。笑って……涙を流す。

(……今だけ。今だけ。ちょっとだけ)

(本当は、寂しいもん)


「もう、作文なんてめんどくさい!」

「まあまあ咲渡」

「しかもテーマがさぁ……『家族』だってさ」

「……まあ、お父さんは先生じゃないからな、なんとも言えないが、咲渡が思う家族についてを書けばいいんじゃないか?」

「えー……」

 咲渡は白い原稿用紙を目の前にして、悶々としていた。

 と、その時。咲希がお風呂から上がってきた。

 咲希はさっさと体を拭いて、すぐにパジャマに着替えていた。髪の毛はもちろん、もう乾いている。

「喉乾いちゃったー。何飲もうかなぁ」

 そう言って冷蔵庫を開け、牛乳を取り出して、砂糖たっぷりの濃いインスタントコーヒーを入れる咲希に咲希の母親が、

「まーたそんなに濃いコーヒーを飲んで!」

 と呆れて怒るが、目は心なしか笑っているように見える。

「別にいいでしょ、もう」

 咲希は軽い調子で言うと、自分も椅子に座る。

 咲希の母親も皿洗いを終えると、紅茶を淹れて席に着く。

 一家団欒の時間の、始まりだ。


「——あのね」

 原稿用紙を前にして悶々とする咲渡。

 そんな咲渡にアドバイスをしていた咲希の父親。

 そして、そのやり取りを微笑ましく見守っていた咲希の母親。

 三人が一斉に咲希を見る。

 その咲希の声がどうしても、日常会話をするような声には聞こえなくて。

「……なあに?」

 咲希の母親が問うと、咲希は努めて明るく話し始めた。

「実はね、明日いなくなっちゃうの、私。だから今日帰ってきたんだけど」

 三人は、驚いたように咲希を見つめた。

「言いたかったことがあるんだ。……あのね。今まで、ごめんね。たくさん迷惑かけたよね。そして、ありがとう。私、今までずっと幸せだった。それが言いたくて……戻って来たんだ」

「……もう! それはこっちのセリフだよ。今までごめんね。いっぱい無理もさせたこともあったし、気を使ってもらったこともあった。そして、本当にありがとう。咲希には沢山の幸せをもらったもの」

「咲希はお父さんたちの一番最初の子供だったからな、育て方が分からなくて苦労もした。だから咲希には厳しく接しすぎたところもあったかもしれない。それでも、咲希はいつも笑顔を絶やさずにいてくれた。ありがとな」

「咲希ねえ、すっごく優しくって、いつも困ってたら助けてくれて、嬉しかったよ。迷惑ばっかりかけてごめんね。ありがと、咲希ねえ。大好きだよ」

「お母さんも大好きだよ」

「もちろん、お父さんもだからな」

 三人の言葉に、咲希は込み上げてくるものが抑えられなかった。その思いを、言葉に変える。

「私も、三人とも大好き!」


「咲渡、まだ宿題終わらないの? もう十時だよ?」

「あとちょっと!」

 夜の子供部屋。咲渡は自分の勉強机に向かって作文を書き、咲希は自分のベッドに腰掛けながら咲渡にアドバイスをしたりちょっかいを出したりしていた。

「……書けた!」

「おめでとう! ね、ちょっと読ませてよ」

「……しょうがないなぁ。はい、これ」

「やった! えーっと、『僕の家族』?」

 読み進めていくと、咲希の父親の紹介、咲希の母親の紹介、咲渡自身の紹介、と続き、最後に咲希の紹介があった。

 そこには、お姉ちゃんはとても優しいけれど、そのせいで怒っても怖くない。そしてすぐ泣く。でも世界一のお姉ちゃんだ、と書いてあった。

「ちょっと! 『すぐ泣きます』は余計でしょ!」

「でも本当だもん!」

「……でも『世界一のお姉ちゃん』って言ってもらえるのは嬉しいから許すよ、もう」

「恥ずかしいからそこは読み上げなくていい! っていうか怒っても怖くないのは認めるんだ」

「認めるよ? 自覚してるもん」

 その続きには、実はお姉ちゃんは亡くなりました、と書いてあった。死んだ理由を聞いて、お姉ちゃんらしい理由だなと思ったこと、そして最期まで優しいお姉ちゃんだった、なんてことも書いてあった。

「あはは。確かに私らしい死に方だったのかもねー」

「うう、作文見せてもいいなんて言わなきゃよかった」

「なんでよー?」

「恥ずかしいからだよ!」

 そして、作文はこう続いていた。

『ぼくの家は、この四人家族です。

 お姉ちゃんがいなくなっても、ぼくが大人になって家を出て行っても、お姉ちゃんとぼくはお父さんとお母さんの子供です。ずっと、家族です。』

「咲渡、いいこと言うねぇ」

「そ、そう? 嬉しいけど……恥ずかしいからやっぱり返して!」

「あっ」

 咲渡が素早く咲希の手から作文を取り上げ、それをランドセルの中に入れる。

「もっと読んでいたかったのにー」

「もうだめ!」

「はいはい。分かったよ……昔っから咲渡はすぐ恥ずかしがるんだから」

「えーっ、そんなことはないと思うんだけど」

「そんなことないない。だってさぁ——」


 自分のこと。相手のこと。昔の話も。最近の話も。

 咲希と咲渡は語り合う。

 長い夜は、まだまだ続く。

Everything——あらゆること。万事。

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