待ち続けて
十月十四日、金曜日。
学校に行く前、咲渡は子供部屋で自分の椅子に座っていた。目線の先にあるのは、咲希の机。
「咲渡、もう七時四十五分! そろそろ出ないと学校遅刻するよー!」
「分かってるって!」
母親の声に自分も叫び返し、ため息をつく。
「行ってくるね、咲希ねえ。早く帰ってきてね」
背負われた黒いランドセルが揺れて、咲渡がその場からいなくなる。
電車に揺られる、咲希の父親。
会社の同僚にメールを送り、アプリを閉じると、そこには家族四人の笑顔があった。
咲希の高校受験が終わった後、家族四人で出かけた先で撮影した家族写真が、iPhoneのホーム画面になっていたのだ。
(……お通夜をした夜、咲希がいなくなった後にああは言ったものの、寂しいもんだな)
咲希の明るい笑い声が聞こえなくなった我が家には、やはりすぐには慣れない。心の中に咲希がずっといると、分かっていても。
(また会えるなら……もちろん、会いたい)
「さて、始めるか」
咲希の母親はコーヒーを飲み干すと、よっこらしょと重い腰を上げて、家事を始めた。
今日は朝から頭が痛いせいで、家事をやる気になれない。たまにそんな日があるのだが、そんな時は大体、咲希が面倒くさがりながらも少し手伝ってくれた。咲希も七時三十五分には家を出ていたため、そこまで時間もなく大したことはできないのだが、それがとても嬉しかった。咲渡は手伝いを頼んでも「えー、やだよ」としか言ってくれない。咲渡の方が家を出る時間が十分ほど遅いので、多少は咲希よりも時間があるはずなのに。
咲希のその優しさを今までも感じていたはずなのに、咲希がいなくなった今、今までよりももっと強く、それを感じていた。
「……咲希に会いたい」
咲希の母親は呟く。
「咲希に言えなかったことがたくさんあるのに。伝えたいことが、いっぱい、いっぱいあるのに。どうして今になって気付くのよ?」
あまりにも遅すぎた——。
後悔しても、時が戻ることはない。
「咲希ねえ、早く帰ってこないかな。他の記憶は、見つかったのかな。会いたい人には、会えたのかな。……ねえ、咲希ねえ。寂しいよ」
一人で登校する咲渡の呟きは、まだ少し冷たい朝の風に紛れ、消えていった。




