ふるい起こして
「ねえ、部活のみんなには言わないの? かえって来てるってこと」
放課後、部活に向かう吹奏楽部員の中に、咲希は紛れ込んでいた。
「今のところは言ってないけど……何人かは知ってるよ」
「誰?」
「中村さんと、髙橋さん、野上さん、浅沼さん、あとはなか……楓ちゃん。あとは、一組のみんな」
「なんで楓だけ名前なの?」
「なんでって……そう呼んでって頼まれたから」
今間違えて苗字で呼びかけたけど、と咲希がいうと、その場にいる全員が笑った。
「もう、笑わないでよ……まあ、そろそろ部活でも言わないとなって思ってたんだ」
「そうなの?」
「うん。今日って水曜日でしょ? ……実はね、土曜日には、ここからいなくなることになってるんだ」
その咲希の言葉に、その場にいる全員が、息を飲んだ。
「……土曜日に?」
「……うん。これは変えられない決まりみたい」
「……そっか」
「うん……だから今日、部活でも姿を見せようかなって。なんか、教室で話したら、部活でも話せそうな気がしてきた」
まだちょっと、怖いけどね。そう言う咲希の顔には、決意の表情が見える。
「大丈夫だよ!」
「怖くなっても、うちらがついてるって!」
「それに、もう知ってる人も何人かいるんでしょ? きっとみんな応援してくれるよ!」
口々に言う仲間に、どれだけ勇気付けられただろう。
「——ありがとう、みんな」
音楽室は、もうすぐそこだ。
音楽室の中に入った咲希は、辺りを見回して顕子を探した。理由は単純。ブレスレットが七時間目の時に壊れてしまったからだ。
そのブレスレットは今、咲希のポッケの中にある。
「中村さん」
顕子は軽く首をかしげる。
「あの……ちょっとだけ、いいですか?」
なんとなくここでは話せない内容だと察した顕子は軽くうなづくとすぐに部屋を出て、誰もいない女子トイレに行った。
「……どうしたの?」
「あの、ブレスレットが、壊れてしまって……」
咲希にブレスレットを見せられた顕子は、「あーあ、やっぱりか」と呟く。
「やっぱりって……」
「これ、何回もつけ外しをしてると壊れちゃうんだ。先に言っとけばよかったね、ごめん。……にしても、よく全部の玉を集められたねえ。大変だったでしょ? 異常な飛び散り方したと思うけど」
「クラスの人が、手伝ってくれたんです」
笑顔で言う咲希に、顕子はハッとして目を見開いた。そういえば、と顕子はとあるクラスメイトによるささやかな計画を思い出す。
「クラスの人とは……話せた?」
「はい。クラスについての記憶も、戻りました」
「よかった!」
自分のことのように喜んでくれる顕子を見て、咲希は嬉しいような照れくさいような気がしていた。
顕子がブレスレットを持ちなおし、目を閉じた。
何をしているのかと咲希が聞こうとしたところで顕子は目を開け、「はい、返すね」とブレスレットを渡してくる。よく見てみると、ヒビの入っていた玉は元どおりになっていた。
「今日は多分それで持つと思う。応急処置だけどね。夜になったら、新しいのを作ってあげるよ」
「ありがとうございます!」
咲希がそれをポッケの中にしまったのを確認して、「さ、戻るよ」と顕子は言った。
「ミーティング、始まるよ」
ミーティングが始まったときから、咲希はどきどきしていた。
一番後ろの方でかたまっているクラスメイトたちに紛れ、姿を消して、タイミングを見計らう。
ミーティングは出欠確認から始まり、その日の予定が凛から告げられ、その後部員それぞれから連絡があれば連絡がなされ、終わる。
「えーと、今日の予定ですが……」
凛が話し始める。今まではまだミーティング前の緩い雰囲気が残っていたのに、部員の目線が凛に向いたと同時に雰囲気が変わる。その隙に、咲希はブレスレットをつける。
突如現れた咲希に気付く人は、一人もいない。
「連絡ある人いますかー?」
初日に会った凛や顕子、同じパートの三人。
二日目に会った、家族。
三日目に会った、春菜。
そして今日会った、クラスメイト。
その反応に慣れてはきたけれど、いまだに怖い。
でも、今日の七時間目に比べれば、怖くない。
今を逃せば、話すタイミングは無くなる。
「いないー?」
「——待ってください」
ばっ、と手を挙げる。
凛の表情がこわばる。
全員が振り向き、固まる。
「——咲希ちゃん……」
凛が、名を呼んだ。
深呼吸をする咲希。
ここまで来たなら、もう全てを話すだけだ。
「……驚かせてすみません。内川咲希です」
「みなさんに、お伝えしなければならないことがあります」
静まり返った音楽室に、咲希の声だけが響いていた。
「実は、日曜日からずっと、ここにいました」
ようやく、あちこちから戸惑いの声が聞こえてきた。
「死の国の手前にある花畑から……自分の記憶でできた道を渡って、ここまで来ました」
でも、と咲希は一度区切って、
「その時に、記憶を失ってしまいました」
それを聞いた部員のざわめきは、さらに大きくなる。
「本来ならば失われることはないらしいのですが……何かトラブルがあったらしくて、私の身近に、記憶が散りばめられている状態らしいです」
そうですよね? と問うように顕子の方を向けば、顕子は軽くうなづいて咲希に続きを促した。
「それで、今私は自分の記憶探しをして……家族のことと、クラスのことは思い出しました。でも、部活のことについては……今までここで過ごしていても、なかなか思い出せません」
なので、と咲希は言ってから、深呼吸。
「出来ることなら、皆さんと色々お話ししたいんです。なにか、きっかけになるかもしれないので」
部活以外のことでも、お話しすることがきっかけになって思い出せたので。
咲希はそう言って頭を下げた。
しんと静まりかえる音楽室。
「……いろんなこと話そう。一緒に、楽器も吹こうよ」
咲希がその声に、顔を上げる。
そう言ったのは、少し幼げに見える背の低い女の人。上履きの色を見た感じ、咲希と同学年だ。
「もう一回会えるとは思わなかったけど、会えて嬉しいよ」
そう言ったのは、上履きを見た感じ一個上の、黒髪ストレートの女の人だ。
少しずつ、音楽室に言葉がこぼれだす。
その言葉のどれもが、咲希を温かく歓迎し、再び共に時を過ごせることを喜んでくれた。
最初は皆、戸惑ったはずだ。死者が目の前に現れて、しかも、記憶をなくしているのだから。
けれど、こんなに歓迎してくれる。
咲希の胸の中に、ゆっくりと、喜びが溢れていく。
「——ありがとうございます」
すぐには思い出せないかもしれない、と咲希は思う。今までこっそりここにいても、思い出せなかったから。
でも、必ず記憶を見つけられる気がした。
何故か、そのことを咲希は確信していた。
ミーティングの後、部員は入れ替わり立ち替わり、咲希の元を訪れた。
最初に話したのは、あの幼げな背の低い女の人。彼女はやはり同級生ということで、タメ語で話すように咲希に頼んでいた。担当楽器はテナーサックスと同じぐらいの低さの音が出る、トロンボーンという楽器らしい。
「その楽器、面白いね」
「そうでしょ? トロンボーンは唯一のスライド楽器だもん。て言うか、咲希、前もそんなこと言ってたよ」
「えっ……そうなの?」
「うん」
「……なんか、すごく嬉しそうだね」
「そりゃあ嬉しいよー! もう一回話せたんだもん。それに、咲希は死んでも記憶を失くしても咲希なんだなって思って」
「……そっかあ」
「あ、なんだそりゃって顔してる」
「え、なんで分かったの⁉︎」
すると突然、
「見てりゃ分かるよ。だって咲希素直だもん」
楓が割り込んできた。
「あ、楓ちゃん」
「あれ、楓のことは、覚えてるの?」
「いや、日曜日に会った。うちが咲希に楓ちゃんって呼んでって頼んだから」
「楓じゃなくて咲希に訊いたのにー……」
楽しそうに話す三人の輪に、ほかの部員もぽつりぽつりと混ざっていく。ふらりと誰かが抜ければ誰かがやって来て、咲希を中心とした大体六、七人の集団ができあがっていた。その集団は、年など関係なく、同級生だけの時もあれば、咲希以外は全員一個上の時もあったし、同級生と一個上が混ざっている時もあった。
咲希以外の人が全員一個上だった時には……。
「咲希ちゃんがいなくなっただけで、なんか思いっきり雰囲気変わっちゃった気がするなぁ」
「ま、割と咲希ちゃん存在感大きかったしね」
「え、そ、そんなに存在感ありました、私?」
「あったあった」
「ちょっと変わり者のところもあったしね」
「でも、そんなところも含めて咲希ちゃんのことが好きだったんだよ?」
「え、変わり者だったって……」
「いつだったかなぁ。あの『キムチの絵文字事件』の話を聞いたの」
「……なんですか、その『キムチの絵文字事件』って……」
「え? 昔咲希ちゃんがケータイを持ってなかった時の話で……」
「あっ! 知ってる! なんでも絵文字に変換できると思い込んでた咲希ちゃんが、ケータイを持ってる友達が別の子に『キムチっていっぱい打ち込んでみてよ、気持ち悪くなるから』って話しているのを聞いて、咲希ちゃんがそれを頭の中で想像してたら……」
「その想像してた『キムチ』の文字が全部キムチの絵文字に脳内で変換されて咲希ちゃんが勝手に大爆笑したって話」
「あ、ちなみにキムチの絵文字はないからね?」
「……それ、実話ですか?」
「実話だよー」
「いつだったかに咲希ちゃんがサックスの人にその話をして、それを聞いたサックスの人たちが『待って理解が追いつかない』って言って、他の人たちに話したせいで吹部中に広まっちゃったんだよね」
「……本当の話なんですね……」
「とまあこんな感じの話がいくつかあって……」
「これだけじゃないんですか!」
「ん? そうだよー」
その後、咲希は自分の話した(らしい)かなり変わった話をいくつか先輩から聞かされることになり、過去の自分にうんざりすることとなった。
しかし、素直に会話を楽しんでいる自分がいることは事実だった。そして、そう。懐かしかった。
なにかが思い出せそうな気がしてならなかった。だからその分、その日中にはなにも思い出せなかったことが、少し悔しかった。
(あとほとんど三日しかない……)
部活が終わり、ちらほらと部員が帰っていく中、咲希が少し焦りを覚えたその時。
『あと三日もあるんでしょ、大丈夫』
咲希は春菜の声を聞いたと思った。もちろん、咲希と春菜は違う部活なので、この場に春菜はいない。完全なる気のせい、幻聴だった。
でもその考えが、咲希に落ち着きを取り戻させてくれる。
(そうだ、三日もある。大丈夫、きっと思い出せる)
焦らなくてもいい——。
そう考えれば、自ずと思考は前に向く。
(明日は他の人と楽器を吹いてみたいな。それも何かきっかけになりそう。そうだ、サックスパートじゃない人とも、吹いてみたいな……)
終わってしまった今日ではなく、これから始まる明日のことを。
明日のことは、まだ誰にも分からないのだから。
Unbreakable——壊すことができない。




