壊れ難いもの
「どうしよう、ブレスレットが……!」
咲希が落ちた糸を拾い、悲痛な声で叫んでいた。その声を聞いていたのは——聞けたのは、副担任だけ。
一方、クラスメイトもざわついていた。
「ブレスレットが……壊れた?」
「あれがないと話すこともできないし、咲希のことも見えない……」
「現に今、見えてないもんね」
「でも、本当に内川はいるんだ」
「さっき、確かにいたよな」
そんなざわつきの中、
「……あれ? これ、ブレスレットの一部じゃない?」
ひとりの女の子が拾い上げてみせたのは、たしかに咲希のブレスレットの一部。
「あ、でもうちは渡せないから……」
と言って、女の子は「すみません、これ、咲希に渡してもらえませんか?」とそれを副担任に渡す。副担任は笑顔でそれを受け取ると、咲希に渡した。
「ありがとうございます」
咲希がその玉を受け取った、その時。
「……ねえ、今……咲希の声、聞こえなかった?」
前の方の席の子がひそひそと話す。
「そう言われると聞こえた気がしたな……『ありがとうございます』って言ってたような」
「でも、すごく微かな声だったよ」
そのうち、後ろの席の方の子も騒ぎ出した。
「ねえ! うっすら咲希が見えない? ほら、あそこ」
「あっ、本当だ!」
「あのブレスレット……もしかしたらバラバラでも、一部だけでもあれば、咲希が見えるようになるんじゃないかな?」
「一個だけでもうっすら見えるんだから、玉が増えればもっとちゃんと見えるはずだし」
「声ももっと後ろまで聞こえてくるはず」
そのざわめきはもちろん、咲希や春菜の耳に届いていた。
「咲希、ブレスレットの玉を探そう! 玉はいくつぐらいあった?」
春菜の声に、戸惑いながらも咲希は考えた。
「えっと……ブレスレットの大きさと玉の大きさからすると、多分玉は二十四個ぐらいかな」
咲希は答えるが、なにせ春菜には霊感がない。
「……佐藤先生、咲希、なんて言ってますか? ちょっと、聞こえづらくて」
「玉は多分二十四個だって言ってるわよ」
そこで、霊感のある副担任が咲希の言葉を代弁する。そしてそれらの話を聞いていた担任が「みんな聞いてー」と手を叩く。その音で全員の意識が前へと向いた。
「内川によると、玉はおそらく全部で二十四個らしいので、残り二十三個ぐらいは教室の中に散らばってるはずです。そして話を聞いた感じだと、玉が多ければ多いほどブレスレットの威力……って言えばいいのかな? まあいいや、威力は強まるみたいなので、みんなで探しましょう!」
「言われなくてもそのつもりだぜ、たかっち!」
担任の言葉にクラスのムードメーカーらしい男の子が元気に応える。すると「おいおい、せめて敬語つかおーぜ」とリーダー格の男子に突っ込まれ、どっと笑いが起こった。
「よし、じゃあ探そう!」
誰かがそう言い出して、ブレスレットの玉探しが始まった。
咲希は最初の玉を見つけてくれた子の元へと行き、「あの」と声をかけた。
「……ああ、そこにいたんだね! どうしたの?」
「あの……さっきはありがとう。玉、見つけてくれて」
「え? ……あ、いいのいいの! むしろ役に立てて嬉しいよ」
「ごめんね、お名前は?」
「……え? うちの名前? うちは佳苗。佳苗ちゃんって咲希には呼ばれてたよ」
よろしくね、と咲希が言われたその時。
「一個あったぞ!」
そう言ったのは、あのクラスのリーダー格の男子。咲希は振り返ってその子の元へと向かう。
「……ああ、そこにいたのか。はい、これ」
「ありがとう」
玉を受け取っても玉や糸に変化はない。しかし、咲希の見た目には変化が生じていた。
「お、さっきよりも見えやすくなった気がするぞ?」
「そ、そう?」
「おう、さっきよりも声も聞こえやすいしなー。あ、ちなみにおれは浅野龍平。一応、クラス代表やってる。よろしくなー」
クラス代表。それを聞いて咲希は、なるほど、彼がリーダー格に見えるわけだと納得した。
「……あ、こっちにもあった」
次に玉を見つけたのは、パッツリと髪を切っていて眼鏡をかけている、大人しそうな女の子。
「うーん、やっぱ咲希のこと、見えにくいねぇ。はい、これ」
「ありがとう」
玉を受け取ると、やはり彼女も「さっきよりかはマシになったかも」と言った。
「うちは加藤風香。咲希と一緒に図書委員やってたよ」
「そうなの?」
「そうだよ。カウンター当番とかうちが忘れてると、『今日、私たちが当番だよ? 一緒に行こ!』って言ってくれたりして。あれ、マジで助かった。ありがと」
咲希はもちろん自分の所属していた委員会なんて覚えていないし、ましてや活動時のことなんて全く覚えていない。しかし、礼を言われるのは嬉しいもので、思わず「こちらこそ、玉を見つけてくれてありがとう」と笑う。
さらに次に見つけたのは、春菜だった。
「さっきよりも全然見えやすくなってるね」
「そう?」
「うん。はい、これ」
「ありがとう」
「これで何個目?」
「四つめだよ」
「じゃああと二十個だね」
春菜が言うと、近くの人から「あと二十個だって」「二十?」とさざ波のようにクラス中に広がっていく。そして、玉探しは続くのであった。
見当たらない玉が残り十個ほどになった時、床にはもう玉が見当たらなくなってしまった。
「見つからない……」
「ありえないと思うけどさぁ……机の中に入ってるとか?」
「いやないだろ!」
「でも……一応探してみっかぁ」
数人がそれぞれの机の中やロッカーの中を覗き始める。そして、残りの人は引き続き床を探していた。その時、咲希は風香と名乗った少女と一緒に床を探していた。
「……そういえば、咲希って本が好きって言ってたなぁ。なんでも読んでたけど、よく借りてたのは探偵ものだった気がする」
「そうなの?」
「うん。図書委員ってさ、ポップっていう……なんて言うのかな、本の紹介みたいなのも書くんだけど、積極的に書いてたし」
「そうなんだ。どんなのを書いてたんだろう」
「この間はねぇ、赤い画用紙に黒文字でポップを書いてたよ。それもねぇ、画用紙はわざと破いたりぐしゃぐしゃにしたりしてそれっぽさ出してたかな」
「……それ、昨日図書館で見たかも」
「あ、ほんと? うちもよく読む本で、ミステリー小説……って言っていいのかな、うん、その辺に分類される本なんだけど——」
「——あった!」
風香の声を、男子の声が遮る。反射的に振り返ると、クラスのリーダー格、浅野龍平だった。
「なんでか知らねーけど、俺の机の中に入ってたぞ。あと、なんか割れ目入ってるけど……」
「えっ⁉︎」
今、龍平の手のひらに乗っている玉は、確かにひび割れていた。少し不安になったが、咲希が受け取るとちゃんと効果を発揮した。それに、ひびは割と小さく、まだ完全に割れることはなさそうだ。
「どういうわけで机の中に入ったのかは分かんねーけど、一応全員机の中は探したほうがよさそうだぜ」
「あ、あとロッカーも! うちのロッカーの中にも一個入ってた! ……扉は閉じてたんだけどなあ」
龍平の言葉に、先程佳苗と名乗った少女も便乗する。確かに佳苗の手の中には、あの玉が。
「……ありがとう、佳苗ちゃん」
咲希が受け取ってみてみると、それにも龍平にもらった玉のようなひびがあった。
実際に玉が出てきたとなると、ちらほらと机やロッカーの中を覗き始めるクラスメイトたち。
そのあちこちで、咲希についての思い出話が語られていた。無言で黙々と探すのは、あまりにも気まずかったせいだろう。
「そういや、内川って文化祭の時に写真撮りまくってなかった?」
「ああ、そういやそうだな。文化祭の準備の時、内装のためにイラストを描いてたら、内川がその写真を撮ってたんだよな」
「そうそう! あ、内川の描いた絵、なかなか上手かったよな。で、当日は中学時代の友達やら家族やら、俺らとも写真撮ってたな」
「語弊があるぞその言葉! 女子とも写真撮ってたのみてたぞ、俺!」
「何気に咲希って男子とも女子とも仲良いもんね」
「なんていうか、浅く広く仲良い感じ?」
「あー分かる」
「文化祭といえば吹奏楽部の演奏もやってたけど、その時司会やってたなぁ、咲希」
「そうそう! 一瞬セリフ飛んだりしちゃってた」
「あと、アドリブで身振り手振りつけてたけど、ぎこちなさ半端なかったり」
「あー確かに。でもそれ以外は完璧な司会だったよね!」
「それな! 咲希ってアドリブ苦手そうなところあるしねー。素直っていうか、嘘苦手なたちだよね」
あちらこちらから聞こえる話を聞き、心の中で受け入れて、たまに突っ込んでみたりしながら咲希は玉探しを続けていた。時たま、玉が見つかったと言われればその人の元へ行き、礼を言って名を聞いた。人によって名前だけだったり、ちょっとしたエピソード付きだったりとバラバラだったが、全員が嫌がりもせずに答えてくれた。
「内川ー、あったぞー!」
担任が二十三個目の玉を見つけ、咲希を呼んだ。その玉はやはり、ひび割れていた(というのも、龍平の渡してくれたひび割れの玉から今まで、見つかった玉、九つの全てがひび割れているのだ。それでもどれもまだ割れそうにはないが、部活の時間になったら、顕子に見てもらおうと思っていた)。
「ありがとうございます。あと一個で、全部揃います」
それを聞いたクラスメイトは、「あと一個だ!」「よっし、ラストスパート頑張ろー!」と盛り上がる。
それぞれが再び、思い出を語りながら玉探しに夢中になる中、一人で玉を探していた。実は、咲希は未だに一つも玉を見つけていなかったのだ。
咲希は自分のロッカーの位置を教えてもらい、ロッカーを開けてみる。
(……ない)
花瓶の乗った机の中を覗いてみる。
(……ここにもない)
思わずため息をつき、視線を少し上げた、その時。
「あっ」
咲希は思わず、口にしていた。
透明なガラスの花瓶の中。
透明な水の中に、丸いものが、ひとつ。
透き通って見えにくいが、確かにあった。
咲希は一度、手にためていた玉をポケットに仕舞い、近くの窓を開けるなり右手に持った花瓶の水を迷わず捨てた。左手で水を受けながら。
手の上で水が流れ、そして。
ころんっ。
最後の一つの玉が、転がり出た。
割れも欠けもなく、水に濡れた、最後の一つ。
右手でポケットの中の玉たちを握りしめて。
「……あったよ!」
振り返り、叫ぶ。
次の瞬間、クラスが人の声と拍手で溢れた。
(——そうだ、前にもこんなことあった)
咲希は思った。
いつだったか——そう。あれは文化祭が終わった時。
パンケーキと飲み物を売ったが、売れ残りもなく大盛況に終わったため、終わった後に、人の声と拍手が溢れたのだった。
そう、ここで。同じ場所で。
なにかが咲希の中で溢れ出す。
この感覚を、咲希は知っている。
「……思い出した」
二十四個の玉にあの糸を通し、なんとか結んで、腕に通し、咲希はそこで語り始めた。
「私、思い出した。みんなのこと」
「……咲希、本当に?」
春菜の声が聞こえる。
親友の方を向いて、咲希はうなづく。
「うん。本当だよ」
それを聞いて一瞬固まり、顔を見合わせた後。
一気にクラスメイトは喜びの声を上げた。それこそ、我が事のように咲希の記憶が戻ったことを喜んだ。何人かは咲希の元へやってきて「よかったね、思い出せて!」「おめでとう、咲希!」と声をかけてくれた。
「——みんな、ありがとう。玉探しを手伝ってくれて。記憶が戻ったのをこんなに喜んでくれて。
——私も、すごく嬉しい」
騒がしい中、咲希も喜びを叫んだ。
生徒たちが騒がしくしている中、担任と副担任はそれを微笑ましく見守っていた。
「……佐藤先生、鐘鳴っちゃいましたよ?」
「確かに、この騒がしさじゃ気付かないかもしれませんねえ」
担任は苦笑いをし、くすくす、と副担任は笑う。
「でも、いいんじゃないですかねえ、たまには。そうでしょう、穴澤先生?」
「まあ、たまにはいいということにしておきましょう」
二人は、その教え子たちの姿を焼き付けておこうと思っていた。
「あの子達が入学してから約半年ですけれど……もうこんなに深い関係を築いていたんですねえ」
「そうですね……」
「あら。穴澤先生、泣いちゃってるじゃないですか」
「だって、嬉しいじゃないですか、もう」
「確かにそうですけれど、もう。泣き虫なんですから、穴澤先生は」
「……あはは、そうかもしれませんね」
結局、このクラスの帰りのホームルームが始まったのは、他のクラスが帰りのホームルームを終えたころだった。




