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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅳ Unbreakable——確かなもの
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消え難いもの

 咲希はその朝、再び教室を訪れていた。姿を消したまま。

 というのも、咲希は少しだけ後悔していたのだ。昨日の午後、自分が全く何か思い出せるようにと努力をしていなかったことに。

 そこで咲希は再び教室を訪れ、もう一度クラスメイトを、クラスの様子を見てみようと思ったのだ。昨日とは、また違った視点で。

 咲希は授業中よりも、十分の休み時間の時にクラスメイトたちのことを見てみた。

 次の授業の支度をする子。近くの席の子と談笑している子。一人でスマホをいじっている子。寝ている子。早弁をする子。様々な行動が、そこにはあった。

 咲希はそっと談笑の輪に混ざってみたり、一人でスマホをいじっている子が何をしているのかを覗き見してみたり、自分も机に伏せて寝るふりをしてみたりした。

 しかし、あと一歩で何かが思い出せそうなのに、思い出せない。何となく懐かしい気がしても、その先に行かない。正体の分からないもやもやが留まり続けているような、そんな感じだ。

 そのまま、昼休みがやってきた。

 春菜が教室を出るのを見た咲希は、自分も屋上へと向かうことにした。


「咲希、いる?」

 無音の屋上に放り投げられた、春菜の声。

「——うん。今来たところ」

 咲希が腕にブレスレットを付け、春菜の声に応える。

「学校には慣れてきた?」

「うん、昨日よりかは。でも、全然思い出せなくってさ」

「そっかぁ……でも大丈夫だよ、咲希ならきっと」

 そんな話をしながら、二人は屋上に座り込む。

「春菜ってさ、昨日も今日も、昼休みにお昼ご飯食べてないよね? お腹空かないの?」

「ん? 大丈夫だよ。四時間目の前の休み時間に食べたから」

「そうなの? ……あ、そういえば食べてたね。見てたのに忘れてた」

「なにそれーっ」

 二人で少しだけたわいもない話をして。

「ねえ、相談っていうか提案っていうか……あるんだけど、聞いてくれる?」

 春菜がそっと、切り出した。その顔は真剣そのもの。

 春菜が何を話してくるかは分からない。自分に何が求められるのか、何ができるのかも分からない。

 ただひとつ、咲希ができることは、

「……うん」

 そう言ってうなづくことだけだ。


「今日の七時間目は古文なんだけど、受け持ってる先生がうちらの副担任の先生でね、他のクラスよりも一時間進みが早いから、ホームルームとして使っていいですよって言ってたの」

「……つまり、本来は授業のところを、自由に使っていいですよってこと?」

「まあ、そんなとこかな。でね、思ったんだけど……その時間で、咲希、他の人と話さない?」

「今日の七時間目に、他の人とはな……え?」

 突然の話に、咲希はすぐに理解ができなかった。

「昨日の七時間目、咲希が図書館に行ってた時……ホームルームの時間だったんだけど、その時に……うち、咲希がここにいるって、話したの。記憶がないことも、話した」

「……え?」

「それでね、お願いしたの。昼休みに教室にいて欲しいって。そうしたら、他の人と話せるし……話せたら、何か思い出すきっかけに、なるかもしれないって思って……。そしたら、佐藤先生——副担任の先生が、それなら七時間目を使っていいって」

 それを聞いた咲希は黙り込む。

 勝手にいろいろなことが見えないところで進んでいる。そのことが少し、怖かった。そして、ちょっと怒っている。

 でも、嬉しかった。自分のことを考えてやったことだと分かっていたから。

「……ありがとう、春菜」

 ややあって、咲希は呟く。立ち上がる。

「少しだけ、考えさせて」


 ゆっくり、ゆっくり。咲希は屋上を歩く。時に立ち止まり、再び歩き出す。

 歩きながら整理して。立ち止まって考えて。

 勝手にバラされてしまったとはいえ、クラスメイトはもう自分の存在を知っている。そして今日の七時間目を自由に使っていいと言われた。たしかにクラスメイトと会話が出来れば、何かを思い出すきっかけにはなりそうだ。

 突然言われたから戸惑ったものの、理解が追いつけばそんなに難しい話でもない。

「……決めた」

 咲希は呟き、再び春菜の隣に座る。

「春菜、私、話したい」

 春菜は突然の言葉に驚いたようにしたが、すぐに微笑む。

「……きっと咲希ならそういうだろうなって思ってたよ」

 ——私は、この笑顔を知っている。

 一瞬、咲希はそう思った。

 でも、気のせいだったのかもしれない。

 春菜のことを思い出せていないのだから。


 ふと思った疑問を、ぶつけてみる。

「あのさ、クラスメイトは、信じてくれたの?」

「うーん、半々かなあ。信じてる子と、信じきれない子、どっちもいるみたい」

「……先生は?」

「たかっち——あ、担任の穴澤先生は、最初は半信半疑だったっぽいけど、今は信じてくれてるみたいだよ。七時間目に会えるのが楽しみだって言ってたし。佐藤先生——副担任の先生は信じてくれてた。昨日の授業中、咲希を見たんだって」

 佐藤先生、霊感あるらしいんだよね。

 そういう春菜の声を聞きながら、咲希は自分の記憶と春菜の話を照らし合わせてみた。

 昨日の朝のホームルーム、そして、一時間目の時の男の先生が、担任の穴澤先生。たかっちとも呼ばれているらしい。

 昨日の四時間目、自分と目があった女の先生が、副担任の佐藤先生。霊感があるらしい。

 咲希は先生の顔と名前、特徴や担当などがようやく一致してくるのを感じた。思い出すことは出来なかったが。

 とそこで、咲希は残っていた疑問を、口にした。

「……ねえ、私のこと言うの、怖くなかった? 信じてもらえない可能性の方が、高かっただろうし……」

 ふと、咲希は日曜日のことを思い出す。楓に存在を信じてもらえなかった、あの時のことを。

「私ね、日曜日に部活に行ったら、姿を見せても存在を信じてもらえなかったことがあってね。多分そばに中村さんがいたからだと思うけど、あの時、すごく悲しくて……。春菜は、怖くなかったの? 信じてもらえなかったらって……思った?」

「……ううん、大丈夫だったよ。きっと信じてもらえるって思ってたし」

 春菜は笑う。

(——嘘だ)

 咲希は見ていた。春菜が笑う前の、少し悲しげな表情を。そして、聞いて感じていた。春菜が「うん」と言おうとして、それを飲み込むために必要とした気まずい間を。そして想像がついていた。信じてもらえるかどうかも分からないのに話す、その怖さ。

 でも、「嘘でしょ?」とは訊かない。

 ただただ咲希も、

「そっかあ、ならよかった」

 それだけ言って、笑うのみだ。


 咲希が春菜の嘘に気付いたように、春菜も咲希の嘘に気付いている。

(もうっ、咲希ったら……)

 春菜は思わず泣きそうになる。

(お互いに優しい嘘を()き合うなんて、今までと全く同じだよ。咲希が生きてる頃と、全く……)

 ふっと立ち上がり、咲希に背を向ける春菜。昨日のようにフェンスに向かって歩き、寄りかかる。

 泣いているところなんて、見せられない。

 咲希は追いかけてはこない。背を向けた理由が分かっているから。泣いている理由までは分からないようだったが。

 春菜はただ静かに泣いた。咲希はそれを見ていないふりをした。

 なんの音もしない時間が、ひたすら過ぎていく。

 涙を拭った春菜は、何事もなかったかのように戻ってくる。

「死んじゃってても、記憶を失くしてても、咲希は咲希なんだね」

「当たり前でしょ? 死んでも私には変わりはないよ」

 春菜の言葉に、咲希は何をいうのかという調子で返してくる。そしてそのまま、春菜の方に頭を預けた。それをやった理由はない。ただ、やってみたかっただけだ。なのに、異様にそれがしっくりきてしまう。

「……不思議だね。春菜のことは何にも思い出せてないはずなのに、なんか昔からずっとこうしてきたような気がしてるよ」

「当たり前でしょ? うちらは九年と七ヶ月一緒だったんだから。小学校からずっと一緒で、家も近所だったから一緒によく遊んで。お互いの家によく遊びに行って、ある日は公園の草はらの上で寝っ転がって、また別の日は近所にあるベンチで今みたいな感じで座って。家族ぐるみの付き合いだったし、幼馴染って言えるだけの関係があると思うよ?」

 もう体に馴染んでるのかもね、この体勢。

 春菜はそう言って笑う。咲希もそれを聞いて、なるほど、と言って笑った。

 咲希の記憶が戻っていなくとも、二人は間違いなく「親友」だった。

 結局、あまりにもその体勢がしっくりきたのか、昼休み中はその体勢のまま、二人は話し続けたのだった。


 そして、七時間目はやってきた。

 五時間目と六時間目も、咲希は午前中と同じように過ごしていたが、六時間目が終わった後、席を立って前の隅の方に立った。

 いつにも増して騒がしい教室。その話題はやはり、七時間目のことだ。

 いまだに信じきれていないような、戸惑いの声。

 信じたいと思う、願いや祈りのような声。

 咲希が本当に来るのかと、不安そうにする声。

 咲希はきっと来る、と信じる声。

(私、もうここにいるんだけどね)

 見ている咲希は、思わず笑ってしまいそうになる。

 そんなに心配しなくても、もうここにいるのに。そう思った時にはもう、笑い出してしまっていた。

 ひとしきり笑ったところで、七時間目開始のチャイムが鳴る。咲希は気付かなかったが、教室にはすでに、担任と副担任も来ていた。

 教室がまだ騒がしいうちに、咲希はブレスレットをつける。それでも、クラスメイトが咲希に気付くのにそう時間はかからなかった。

「……あそこにいるの、内川じゃね?」

 まだ雰囲気が切り替わりきっていないなか、誰かがひそひそと言ったのが、何人かに聞こえた。

「ほんとだ、咲希だ!」

「本当にいたんだ……」

「いつ来たんだ?」

 そんなひそひそ声が広がる中、春菜がそっと席を立ち、咲希の手を引いて教壇に立たせる。咲希のその左腕にきらめくブレスレットを、前の列の人は見ていた。

「そのブレスレットが、あの中村さんに作ってもらったってやつ?」

 その人の声は他の人よりも大きく、教室中に響いた。

「……こ、これ?」

 咲希が見せた透明のブレスレットに、全員の目線がいく。

「そう、それ!」

 うん、とはうまく言えなくて、こくり、と咲希がうなづけば、クラスのざわめきは大きくなる。

「えーっと、みんな聞いて!」

 大きな声で春菜が叫び、その声でクラスメイトの意識は再び前に向く。

 再び春菜が口を開こうとした、その時。


 何かが弾ける音がする。

 透明な玉が、異様な飛び散り方で教室に舞う。

 クラスメイトが驚き、目を閉じる。

 切れた糸が、咲希の腕を滑り落ちる。

 目を開けると、さっきまでいた咲希がいない。


 そう。

 咲希のブレスレットが、突然壊れたのだった。

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