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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅲ Quandary——迷いの先に
13/32

友惑い

 創立百周年を超えるというこの高校は、校舎がそれなりにぼろかった。流石に建物自体は百年以上もの間建っていたわけではなく、大体六十年くらい前に立て直しているらしいと、登校時に顕子が咲希に教えてくれた。

 咲希は校舎内を歩き回りながら、どこに行こうかと考えていた。教室にはいられなかった。知らない人ばかりで、つまらなくて。そして、なんとなく居づらい雰囲気で。

(にしても……)

 先生の中に霊感がある人がいるとは思っていなかった。いや、下手したら生徒の中にも霊感のある人が混ざっているかもしれない。咲希に気付いていて見て見ぬ振りをしているかもしれないし、単純に気付いていないから騒いでいないだけかもしれないし。

 学校内で姿を見られたら、下手したら生き返ったかと思われて地元のニュースになるかもしれないな、とそんなくだらないことを考えた。


 ハッとした。

「ここ……確か、D棟の五階……?」

 いつのまにか咲希はD棟五階まで来ていたようだった。そして、辺りを見回すうちに、普通の階段とは別に、さらに上に続く階段があることに気づいた。

「確かD棟って五階建てで……じゃあ、この階段は……もしかして、屋上にいけるの?」

 咲希は迷うことなく階段を上った。近くに「立入禁止」と書かれたコーンが置かれていたのに気付くこともなく。

 階段の先には、扉があった。そこにも「危険 立入禁止」と書かれていた。

「うーん……危険って、転落事故が起こりうるとか、そういうことかなぁ」

 しかし、咲希にはこの言葉は通用しない。

「私、もう魂だし、死んじゃってるし」

 そう。死んでしまっている以上、咲希がこれ以上死ぬことはない。だから安心して屋上に入れる。

 咲希はくすり、と笑うと、迷いなく扉をすり抜けていった。


 扉をすり抜けると予想通り、その先は屋上だった。

 歩き出そうとしたその時、突然強風に煽られた。

「……っ! 風強いなぁ……」

 バランスを崩し、とてて、と数歩動いたが、すぐに立て直して歩き出した。

 誰もいなさそうな屋上。きっといるのは咲希だけ。そう思うと気楽だった。誰の目も気にせず歩けるのは、初めてのような気さえした。

 少し歩いたところでうんと伸びをする。

「……気持ちいいなぁ、ここ」

 時たまくる突風が残念ではあるが、それを除けば見晴らしもいいし、心地よい風も気持ちいいし、人は見当たらない……咲希にとっては最高の憩いの場になりそうだった。

「お昼寝とかできちゃいそうだな、ここ。……うん、お昼寝しちゃお。どうせ暇だし」

 そう言いながら咲希は笑い、その場に座った。そのまま寝転ぼうと思い、地面に手をつく。

「……ねえ、……」

「⁉︎」

 声が聞こえた。

「ねえ、咲希……」

 しかも、名前を呼ばれた。

 振り返る。するとそこに、女の子がいた。

 セミロングの茶髪。寂しそうな横顔。顔立ちは大人っぽいが、同じ大人っぽいでも顕子とは似ていない。例えるならば、本の挿絵に出てくる可愛らしくて大人っぽい妖精のような、そんな顔立ち。ちょうど今の咲希の体勢のような格好で空を見上げている。上履きは咲希のものと同じ色だから、おそらく同学年。咲希のことは、見ていなかった。

「私が……見えるの?」

 震える声で尋ねても、答えはないし、聞こえたようなそぶりもない。振り返りもしない。

(たまたま……なのか)

 それが嬉しいのか、それとも嫌なのか。自分でもよくわからなかった。


「……ねえ、聞いて」

 聞いているわけもないと思いながら、でもそうせずにはいられなくて。

「ねえ、咲希」

 彼女は咲希の名を呼ぶ。

『なあに、春菜?』

 彼女は耳の奥で、頭の中で、咲希の声を聞いた気がした。クスリと笑う声さえ聞こえる。

 しかし彼女は、ゆるりと首を振る。

 その声は、彼女が記憶の中から拾い出した声。

 実際には、咲希の声は聞こえていない。

「うち、夢を見たんだ。咲希がひょっこり学校に来て、『ごめんね、春菜。実は人身事故なんて嘘だったんだよね。びっくりした?』って、いつもの笑顔で笑ってる夢」

 いたずらを仕掛けたときみたいな笑顔だった、と彼女は付け加えた。

「目が覚めた後、『なんだ、夢か』って思って、『正夢だといいなー』って思って、でも学校に来ると白百合があって、咲希が亡くなったって聞かされて。それで『あー、やっぱあれは夢だったんだ』って思ったんだよね……」

 気付かないうちに、苦笑していた。

「正夢だといいなって思いながら、そんなことないって分かってたのにね。咲希のご両親から直接咲希が死んだって話を聞いてさ。お通夜の日時だって聞いて、行ったし。なのに、それが全て夢で、さっき見た夢がほんとだったらいいのにって、どうしても、そう思っちゃったんだよね」

 不意に彼女は、立ち上がる。

「ねえ。うちら、何年間一緒にいた?」

 フェンスに向かってゆっくり歩きながら、指折り数える。

「……九年間と七ヶ月。ほぼ十年間かあ……長いねえ。小学校から一緒だもんね」

 右隣を、ふと振り返る。

 そこは、いつも咲希がいた場所。

 彼女は語る。懐かしい思い出を。忘れられない出来事を。二度と帰ってこない過去を。そして、表情は崩れる。

「いつでも咲希はここにいて、楽しそうに話してくれたり、ただただうちの話を聞いてくれたり。……嬉しかった。ありがとね」

 目が熱い。ほおが冷たい。

「……咲希。うちの一番の親友。うちは咲希のことを忘れない。だから咲希……咲希もうちのこと、忘れないでいて。約束だよ」

 右手で指切りげんまんの手を出して、小指をさしだす。

 いつも、咲希がいた方へと。


「だから咲希……咲希もうちのこと、忘れないでいて。約束だよ」

 自分に向けられた小指を、咲希はどうすることもできなかった。

 不意に立ち上がり、転落防止用のフェンスの方へと歩く彼女を何故か追いかけて、その右隣に立ったが、咲希は彼女を知らない——覚えていないのだ。語られた多くの思い出——記憶も、覚えていない。「咲希もうちのこと、忘れないでいて」なんて言われても、すでに忘れているのだから無理がある。

 彼女の上履きには、小さな綺麗な字で「神条(しんじょう)」と書かれていた。どうやら、神条さんというらしい。

「——やっぱ、聞いてないよね。ここには……いないよね……ごめんね、咲希」

 小指が絡められることのない小指を見つめ、神条さんは呟く。

 咲希はその彼女の声を聞き、表情を見た瞬間、弾かれるように小指に右小指を絡めた。

 あまりにも、脆くて壊れそうな笑顔で、涙をボロボロと流しながら、笑っていたから。そしてそのまま、俯いてしまったから。

 空いている左手で、ブレスレットに触れる。

「——私、いるよ」

「……え」

「約束は守れなかったけど……私はここにいるよ、神条さん」


 不意に小指に氷が宿る。

「——私、いるよ」

 聞き慣れた声が耳に舞い込む。

「——え」

 夢だ、と思った。

 でも、左手でスカートの上から足をつねったら、普通に痛かった。

「約束は守れなかったけど……私はここにいるよ、神条さん」

(神条さん……)

 その呼び方が、彼女に嫌な事実を突きつけた。

「……そっか」

 それしか言えなかった彼女に、咲希は、

「……うん」

 とだけ言った。

 彼女は咲希の語りを聞いた。中村さんに聞いたんだけど、と最初に断られてから語られた、その語りを。

 咲希はどうやらあの世のような場所から、自分の記憶でできた道を渡ってここに戻ってきたらしい。そして今週の土曜日、15日にあの世のような場所に戻るという。本来ならば記憶は自分の元へと戻ってくるはずだったのに、手違いで戻ってこなかった、だから自力で捜さなければならない、とも。昨日、家族に関する記憶は思い出せたけれど、それ以外の記憶はまだ戻らない、とも言った。

「……でもね、他の記憶も見つけ出すから。神条さんのことも、絶対思い出すから。だからそのための、指切り」

「うん……教えてくれて、ありがとね」

 彼女がそういうと、咲希はホッとしたような笑顔になった。

「あの……名前は?」

「うち? うちは神条(しんじょう)春菜(はるな)。咲希とは小学校と中学校もおんなじだったんだ。性格も似てたし、気が合うところが多かったんだ。部活は違ったけどね。でも、わりと一緒にいたよ。高校ではクラスもおんなじだったし」

「そうだったんだ。……ここ、立入禁止だよね? なんでここにいるの? っていうか、あの扉って鍵かかってないの?」

 ずっと抱いていた疑問をぶつけると、「ああ、それはね」と春菜は笑う。

「なぜかここの扉だけ開いてるんだよね、鍵が。他の屋上に出る扉は閉まってるのに。まあ、D棟なんて人がなかなか来ないし、つまりは先生も来ないから気づかないのかもね。立ち入り禁止の場所となればなおさら。ま、なんでかは分かんないけど、今のところはずっと開きっぱなしだよ。そのことに気付いてからはよくここに来るようになったんだ」

「へえ……油断し過ぎじゃないのかな、先生」

 春菜の言葉に、思わず咲希は呆れて笑う。

「……楽しかったなあ。ここでさ、二人でいっぱいくだらない話ばっかりしてたんだよ。それがすっごく楽しくってさ、今思うと幸せだった。その時は幸せだなんて気付けなかったけど。

 うん……。こんな事面と向かって言うのは恥ずかしいけど……でもね、うちは咲希のことが大好き。親友だと思ってる」

 もう、やっぱり恥ずかしいよ、と呟きながら、春菜は顔を赤くする。

 咲希は、どきり、とした。

 そんな春菜のことを、知っている気がして。

 でもやはり、思い出せなくて。

 もどかしい。

 どうして思い出せないのだろう……。

「もう一度教えて、今までのこと」

 考えるよりも先に、口にしていた。


 春菜は語る。

 それは、二人で過ごした思い出たち。そして、あの日までの咲希のこと。相変わらず何も思い出せなかったが、さっき他人事のように聞いていた時と、今自分ごととして聞いているのとでは、全く違う。

「……ねえ、神条さん」

「春菜って呼んでよ、咲希」

「ああ、うん……春菜」

「なあに?」

「……なんかね、懐かしい気はする。だけど……うまく思い出せないんだよね」

「うんうん」

「……どうしたらいいのかなあ」

「そんなに焦らなくたっていいんじゃない?」

「でも、これじゃ、何のためにここにきたのかすら分からないよ」

「……」

「一週間しかない。もう二日過ぎた。私に残された時間は、あと五日。五日しか——」

「咲希、落ち着いて」

 焦りに焦る咲希をなだめる春菜。そして。

「これは……高校受験期だったかな」

 また一つ、思い出を語り始める。

「ここ……風波高校は、この市のトップ校なの。私立高校にもここを超える学校はない、ガチなトップ校。うちはここに来たかったけど、もともとは学力が全然足りてなかったんだ。受験は二月上旬。だけど、十二月になっても受験できるだけの学力がなくて。もう二ヶ月しかない。なのに学力が足りない。だからうちはすっごく焦ってたんだよね」

 春菜は一度、一息ついた。

「だけどそんなときに、咲希が言ってくれたんだよ。『もう二ヶ月しかない、じゃないよ。まだ二ヶ月もあるんだよ。春菜なら大丈夫。こつこつ頑張って目標を達成できる人だから』って」

 その当時のことを思い出して、春菜は少しだけ顔を赤くする。

「うちね、焦りすぎてたんだなーって気付いたの。まだ二ヶ月もある、大丈夫って気持ちを切り替えて、勉強したの。そしたら、焦ってた時よりも内容が頭に入ってきたんだよね」

 不思議でしょ? と春菜が問うと、咲希がうなづいた。春菜はすうっと、深呼吸をして。

「同じ言葉を今、咲希に返すよ。もう五日しかないんじゃない。まだ五日もある。過ぎたのは二日って考えると、まだ半分も過ぎてないでしょ? 大丈夫だよ。だって、家族のことは思い出せたんでしょ? だから咲希、落ち着いて。絶対思い出せるから」

 はっきりと言い切った。

 そのあと、真剣そうな顔から急ににやっと笑い、

「ほら、さっき指切りしたでしょ? うちのこと、絶対に思い出すからって」

「……ありがとう、春菜」

 咲希も笑っていた。

「そうだね。まだ五日もある。絶対に思い出してみせるよ」

 咲希は小指を差し出した。春菜は迷いなくそれに小指をからめる。

 秋の空に、指切りげんまんの歌が、そして笑い声が響いた。

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