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Requiem  作者: 秋本そら
Ⅲ Quandary——迷いの先に
12/32

各藤

 この花の名前は、なんと言うのだろうか。

 咲希は自分の席らしき場所に佇んでいた。机の上に手向けられた花を見つめながら。


 咲希は、教室にいた。自分の所属していたという、一年一組に。もちろん、記憶を失っているため、知っている人はほぼほぼいない。

 ほぼほぼ、と言ったのは、同じ部活の人が教室内に数人いたからだ(もちろん、見覚えがあるだけで記憶が戻っているわけではない)。

 朝のホームルームが行われているその部屋(クラス)は、他の部屋とは明らかに違う空気が流れていた。

 前に立っている男の人は担任らしい。首にかけられたプレートには「穴澤あなざわ尚徳たかのり」と書かれていた。


「皆さん、おはようございます」

 ついさっき、不自然に硬い口調の担任の一言から始まったホームルームは、不自然なものに見えた。

 そもそも、生徒は黒板のメッセージを見た時から、朝のホームルームで咲希のことが語られるだろうと察していた。そして、ほとんどの生徒が無理やりいつも通り過ごしていた。それは咲希が戻ってきた初日、吹奏楽部員が音楽室でそうしていた時のよう。しかし、黙って静かに過ごす人もいた。その人達は、いつも通り過ごす元気すら無くしていたのだ。

 つまり、ホームルームが始まる前の空気が、もうすでに不自然なものだったのだ。

「ほら、席戻って。まずは出席を……」

 ぎこちない口調で自分の席についていない人を注意し、欠席者を数え始めた担任に、その子たちは「たかっち、なんか機嫌悪いなー」「お前が席に戻らないからだろ」「おいおい、それはいつもだろー?」などと大げさにおどけながら席に戻っていく。

 担任は、明らかにいつもと様子が違った。生徒は皆、そのことに気付いているのに、担任だけは、自覚がないようだった。

 出欠を取り終わった担任は、重い口を開く。

「まずひとつ、悲しいお知らせがあります」

 担任の声に、わざと、なんだろうねと言いながら首を傾げる生徒たち。


「——内川咲希さんが、亡くなりました」


 その瞬間、この部屋に静寂が訪れた。


 そのクラスの人たちは、全員咲希が亡くなったことを知っていた。咲希と同じ部活の人が何人かいるため、そこから噂が広まったのもあるが、最近始まったメール配信による連絡網で、クラスの人に咲希の死が知らされていたのが一番の理由だった。

 しかし、事前に知っていたとは言えども改めて知らされると衝撃だったようだ。

 部屋は、異様なほど静まり返っていた。

 担任は淡々と語る。そうでもしないと、色々込み上げてきそうだったから。

「十月八日に、電車に轢かれて、内川は亡くなりました。メール配信でお知らせはしましたが……」

 担任の目線は、生徒を見ていない。どこか遠くを見ているような視線だった。

「いま、()は、心の中に穴が空いたような気分です……穴澤だけに、ね」

 あはは、はは、という乾いた笑い声が響く。

 しかし、不意に生徒の何人かが顔を強張らせ、腕をさすったのを咲希は見た。そしてそれと同時に、死者である咲希にもゾワリと鳥肌が立った。

 今は十月。今日はそこまで寒くない日なのに(長袖のワイシャツを着ている人が五、六分袖ぐらいの長さにしているくらいだ)、寒い。異様に、寒い。

 担任の「自分の苗字をネタにしてクラスの雰囲気を和ませよう大作戦」は失敗に終わった。

 担任はわざとらしい笑いをしばらく続けていたが、ウケていないことに気付いたのか、顔を真っ青にしてエホン、と咳払いをし、「……これは失礼」と消え入りそうな声で言った。

「えっと……六十五期一組は仲間を一人失ったけど——今日からこのクラスは四十人クラスじゃなくて、三十九人クラスになるけれど……」

 ギャグの失敗のせいで、担任自身の緊張が少し緩んだようだった。先程とは明らかに、口調が違う。

「名簿上は三十九人クラスでも、()は、一年一組は四十人クラスだと思っている。内川はこれからも、一年一組の仲間で居続けると思う」

 最後には、担任は生徒全員を見て、しっかりとした口調で、断言した。


 キーンコーンカーンコーン……


 鳴り響くチャイムは、一時間目の始業のチャイム。クラス全員の目線が時計に向いた。

「——今日の一時間目が俺の授業で良かったな……。みんな、十分開始を遅らせるから、今から授業の支度をして!」

 どうやら1時間目は担任が持つ授業だったらしい。その指示を聞いた生徒たちはわらわらと席を立ち、カバンの中をあさったり後ろのロッカーに教科書の類を取りに行ったりした。

 その中で、咲希は自分の席と思われる場所で、ひとり立ち尽くしていた。そして、考えていた。

 授業を受けるか、否か。

 授業は死んでしまった咲希にはおそらく無意味。受けてもきっと、つまらないだけだろう。

 しかし高校生である以上、毎日の授業は日常生活では欠かせない。生前過ごしていたように、授業を受けたら何かを思い出すきっかけになる可能性も無くはない。

 どうしようか悩みに悩み……席に座った。

 あまり音を立てぬように椅子を引き、なるべく狭い隙間で座れるように頑張って、花瓶を動かさぬように気をつけながら。

 どうせ授業を受けても受けなくても暇なのだ。ならば「日常生活」をなぞったほうがいい。

 それが、咲希の出した結論だった。

 始業のチャイムから十分。

「じゃあ号令はいらないから、授業を始めます」

 その担任の声で、一時間目が始まった。


 やはり、授業は暇だった。

 全く内容が頭に入ってこない。

 黒板には何やら「間脳の視床下部(交感神経)副腎髄質(アドレナリン)物質の分解を促進(その結果)発熱量増加」と書かれており、咲希には何が何だか分からなかったが、どうやら話によると、体温を上げる働きの一例らしかった。

(……魂でも、こういう働き、あるのかなあ)

 ふと、そんなことを思う。

 そういえば、昨日、お風呂に入った時。普通に温かかったし、体も実際に温まった。布団に入った時も温かくてすぐに眠れた。今までも外に出た時はその気温が分かった。

(ていうか、魂も食べ物食べられるんだ)

 そう。咲希は一度も顕子の母親に出された食べ物が食べられなかったことがなかった。飲み物も普通に飲むし、魂なのに何度かトイレにも行った。

 へんなの、となんとなく思ってしまったことは、どうしようもなかった。

(なんでだろ。魂って言い方だけはいいけど、結局は幽霊、みたいなものなのに、なんでご飯が食べられたりとかするのかなぁ)

 そんなことをあれこれと考えていたら、もともと開始が十分遅れたのもあるのだろうが、一時間目はわりとすぐに終わった。いや、一時間目だけではない。二時間目も三時間目も、考え事をしているとあっという間だった。

 あと一時間で昼休み。考え事は尽きることがなかったので、もうこんな時間なのか、と咲希は感じた。


 授業の始まる三分前に、先生はやってきた。おばさんと呼ぶのがふさわしそうな年齢。凛とした眼差し。なのに優しそうな笑顔。生徒に「佐藤先生!」と呼ばれれば、笑顔で答え、時には生徒とともに笑い、時には真剣に諭し聞かせる。この学年の学年主任も務める、しっかり者で人懐っこい先生だった。

(……案外みんな、引きずってないみたいね)

 いつものように騒がしい教室。その様子を見ながら、先生はそう判断した。

 咲希の死をクラスのみんなが引きずっていたら……と先生は不安だった。自分が副担任を務めるクラスならば尚更。

 鐘がなる。

「はーい、授業を始めますよー。それじゃ、号令どうぞ」

 そう言えば、号令係の男子が間延びした声で号令をかける。号令が終わったらまずは、出欠確認だ。

「えーっと。神条さんの後ろって誰だったかしら?」

「喜多村さんですけど、さっきトイレ行くって言ってました」

「はいはい。えーっと次は……あれ、佐々木さんは? 休み?」

 そんな風に出欠確認を済ませ、「はいじゃあ授業に入りますよー」と言えば、少し私語のあって騒がしがった教室は静かになる。

「それでは前回の続きです——」

 そう言って教師用の教科書をめくり、顔を上げた時……先生は目を疑った。

 ——そこには、咲希がいた。

(ああ、そうだ……忘れていたけれど、わたしには霊感があるんだった)


 見られた、と咲希は思った。

 教壇に立つ初老の女の先生と、目があったのだ。

 今はブレスレットを持っていないから、きっと顕子や凛のように霊感があるのだろう。

(……って、そんなこと考えてる場合じゃない)

 どうしよう、と慌てたが、先生はすぐに表情を切り替えて、授業に戻った。咲希の存在をクラスの人におおっぴらにする様子もない。そのことに咲希はホッとした。

(もし今おおっぴらにされても、誰の事も分かんない……きっと、ここにいる人たちを傷つけちゃう)

 だからそうならなくてよかった、咲希は安心して、再び尽きることのない考え事を始めたのだった。


 先生は、授業の終わりまで咲希のことについて何も言及することはなかった。しかし、心の中ではどうすればよいかと考え続けていた。

 内川さん、と呼んでみようか。いっそのこと、そこに内川さんがいます、と言ってしまおうか。いや、でも黙っておいた方がいいかもしれない。口に出さないことでいい感じの雰囲気が保たれるのかもしれない……なと、考えは尽きない。

 そのせいか、板書に書き間違いが増えた。喋りも間違いが多く、生徒にいちいち指摘されてしまうほどだった。

 そんな調子で、先生にとっては散々だった四時間目が終わった。

「先生、ここ分かりません」

「ん、どれ? ああ、これね。これはね……」

 生徒に頼まれて先生は指導をする。教室は騒がしく、女子はグループでご飯を食べはじめ、男子はスマホゲームを大人数でやったりしている。そこにあるのは日常の生活のように思えた——。

「——これで分かった?」

「はい! あと、ここも分からなくて……」

「ん、どこどこ? ああ、ここね。これは……」

 あまりにも当たり前な日常。

 でも、授業が終わって、休み時間の様子を長く窺うことで、ようやく分かった。

 それは、咲希の死を見て見ぬ振りをする、緊張した空気の中にある平穏。完全なるいつも通りではない、そんな緊張感の中にある平穏なのだった。

「……これで大丈夫かしら?」

「はい! ありがとうこざいます!」

 生徒が自分の席に戻ったその時、先生は咲希が教室を出ていくのを見た。

(内川さん?)

 呼び止めようとしたが、「佐藤先生、」と生徒に呼ばれ、それも叶わない。

「なあに?」

「ここなんですけど、これが分からなくて……」

「ああ、これね。これはちょっと特殊でね……」


 生徒と受け答えをしながら、ふと、思った。

(……確かに、こんな雰囲気の教室には居づらいわね)

 平穏そうに見えるのに、実際はそうではない、この教室には。

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