純粋な死者に捧げる花
透明なガラスの花瓶。程よく満たされた水の中にあるのは、斜めに切られた一本の植物の茎。そして、まっすぐ伸びるそれの先には、白い花。
それは、「純粋」を意味するが、死を象徴するとも言われる花。特に一本だけだと「死者に捧げる花」という意味を持つとも言われているらしい。
彼は、花を見ていた。
机の上に飾られた——供えられた、白い花を。
自分が今日の朝、一番に来て供えた、白い花を。
……どれだけの間そうしていただろうか。
やがて、彼は花から目を離す。
「——あんなに、いい子だったのに」
視線を無理矢理、花から引き剥がすかのようにして。そう、ぽつりと呟きながら。
彼は大きな黒板に向き直っていた。手に白いチョークを持ち、少し何かを考えるとそれを突然動かしだす。
かつ、かつ……とチョークの音が、誰もいない部屋に響く。
『おはようございます
今日は大事な連絡があるので必ずHRの始まりには全員席についていてください 穴澤
追伸
これを見た人は、写真撮ってクラスのみんなに拡散してね』
どうやら彼は、この教室の担任らしかった。おじさんと呼ぶには失礼だが、お兄さんとも呼べないくらいの年代で、白衣を着ている。首から下げられた名札は裏返っていて名前が見えない。だが、黒板の署名からして、穴澤という名字であることは明らかだ。黒板に書かれた彼の字は、お世辞にも綺麗な字とは言えなかったが、本人的には満足だったらしく、
「……これでいいかな」
と呟いた。
再び白い花の方を振り返る。
振り返らずには、いられなかったのだ。
「……あんなに、いい子だったのに」
白い花を見つめて彼は言葉を零す。
「いや……いい子だったから、神様に呼ばれちゃったのかな」
もしあの子がそれで天使か何かになっていたら……と考えて、すぐに否定した。そんなことあるわけない、と苦笑いしてしまう。
しかし、その苦笑いはすぐに消えた。
「……いつも率先して授業後に黒板を拭いてくれた。掃除だって嫌がらずにやってくれた。委員会も楽しそうにやってたし、授業にも真剣で成績も良かった。みんなとも仲が良かったし、部活も一生懸命やってて……」
彼は白い花に向かって話し続ける。彼にとってその花は、かつてそこで笑っていた生徒のように思えた。
「……本当に今まで、ありがとね」
その表情は、物に例えるならば曇りガラス。
ありがとね、と言って笑うその表情に、翳りが差しているのだ。
苦笑いとは違うそれは、泣き笑いに近いのかもしれなかった。表情では少なくとも泣いてはいなかったが、心の中ではどうだっただろうか。
彼はガラガラと音を立てて立て付けの悪い戸を開け、そのまま廊下へと消えていく。
何も起こらない、長い朝の始まりのことだった。




