赤みさす大地
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
おかえり、こーちゃん。お散歩はもういいのかい?
パソコンの前でウンウンうなるばかりじゃ、頭にも身体にも毒だよ。もっと自然に触れなくっちゃと、私は思うよ。
機械だ、人工的だ、などといっても、それらも突き詰めれば、自然から原料を取っているものじゃないか。
すべての材料は自然の中にあり。創作だって、他の人の作品に触れるのもいいが、あるがままの風、あるがままの緑、あるがままの姿を感じるのも、また良い刺激になると思うよ。
――なに? 田んぼのはずれに、浅葱色の反物がレジャーシートのように広げてあった?
おお、見かけたかい。そうなると、いよいよ時期が迫って来たってわけか。
こーちゃんは、明日に帰るんだったっけか。ううむ、残念だ。もうちょっと滞在できれば面白いものが見られたかも知れないんだが。
せめて、お話だけでもプレゼントしようか。この地域に伝わる、地面の伝説というものを。
ことのおこりは、戦国時代。
そのはじめの時期、城は相手の攻めづらさを考えて、「山城」と呼ばれる山の中に作られるものが多かった。
しかし、領地ごとの決まりごとを記した「分国法」が定められ始めると、統治とは戦の強さばかりでなく、政治的、経済的な面での手腕を問われる機会が増した。そうなると統治に適した城は、人の往来が多い平地に築いたものであろう、と判断されて「平城」という交通の便に長けた城が増えていくことになる。
そうなると、領主たちにとって課題かつ急務となるのは、道の整備だ。
戦時においては敵味方を問わず、行軍に良い影響を与える。今までは利敵行為につながるとして嫌われる面があったが、平時に商人を受け入れやすくすることによる利益は、南蛮貿易の本格化も手伝い、戦国時代初期に比べて、はるかに大きなものになっていたんだ。
自然そのままに、凹凸に富んだ地面は平らにならされ、幅を広げるために生い茂った木々たちは、力づくでその命を絶たれた。その上を、人が、馬が、荷車が何度も何度も往復し、歴史を塗り替えていく。これからは、ここが人様の往来と化すことを、知らしめるために。
だが、それはこれまで住み分けできていたものとの、衝突も意味していた。
この地域は昔から、もやや霧が出ていた。
冬に、気温の低い日が続くと、それらが出てくる兆候で、外出に十分気をつけるように住民たちは呼びかけをしていたんだ。当時、視界が悪くなる霧というものは異常な事態であり、踏み込むべきではない世界が、こちらに染み出してきてしまっている、と解釈されていたからねえ。
しかし、森を切り開いて作った街道の整備が終わり、人の通りが激しくなると、あることに気がついた人が出てきた。
道の端っこがやけに赤い、というんだ。実際に見てみると、赤というよりも桃色に近い染まり具合だったが、周囲の黄色な地面と比べたら一目瞭然。仮に踏んだとしても、特に何かが起こるわけでもなく、その時は放置されたんだ。
ところが、日に日に桃色の版図は拡大していき、街道の半分ほどを覆ったばかりか、周辺のあぜ道にも広がり始めていた。更に、土を掘り起こして対処をしようとすると、あっという間にクワの先端部分が腐食して、使い物にならなくなる。中には手や足で挑んだ者もいたそうだけど……その惨事については、想像に難くない。
一応、殿様への嘆願はされたものの、今は収穫が終わった農閑期。すぐに年貢に関わるわけではなく、目下の経済政策に奔走している殿様は「土いじりに関しては、おぬしらに一任する。良きにはからえ」と伝え、腰を上げてはくれなかった。
下手な真似をして、これ以上の被害を受けたくないと、様子見に回る人々。やがてこの一帯にお馴染みの、もやや霧が発生する時。新しい事件が起こったんだ。
一番初めの被害に遭ったのは子供たち。
家に帰って来たかと思うと、彼らはなんと、一糸まとわぬ素っ裸の状態で帰って来た。恥ずかしそうに両手で隠すところを隠しながら、子供たちは親に事情を告げる。
いつものように村はずれで遊んでいた彼ら。桃色の地面はすでにその辺りにも広がりつつあったが、今まで痛い目にあったことがない子供たちは、平然とその上を鬼ごっこしながら、走り回っていたのだとか。
そこへ、もやが忍び寄って来た。少しでもその気配を察したら、帰りなさいという言いつけはされていたけれど、正直、そんな注意などどこ吹く風、と子供たちは満場一致で、その場を立ち去ろうとしなかったらしい。
けれども、自分たちを包んだもやはみるみる濃くなり、霧へと化していく。その異常さに、さしもの子供たちの足も止まり出した。もはや数十歩先さえ、あやふやとなった視界の中。
突然、みんな後ろから「むず」っと服の肩口を掴まれた。気づいた時には、男女問わずもろ肌脱ぎになっており、おなごたちは悲鳴を上げる始末。抵抗を試みたものの、力は更に強まって、着流しの小袖を強引にはぎ取られてしまう。
盗人の姿を見ようとしたものの、子供たちが目にしたのは自分たちの着ていたものが、ふわふわとひとりでに浮かびながら、霧の奥へと消えていく姿だったという。
最初は農村ばかりで見られた被害も、霧が城下へと手を伸ばしていくにしたがって、そこに住まう人々の間でも広がっていった。ついには緊急の用のため霧の中、馬を走らせた死者まで裸一貫とされる。大いに恥をかかされた使者は、自分に仕える下男たちに、霧の中に隠れる盗人を捕えよと命を下すほどだったとか。
霧の中を探りまわる下男たちは、領内を練り歩いたものの、やはり不意を打たれて服を盗まれてしまい、霧の湿り気に大いに肌を濡らしながら、逃げ帰ることしばしばだったとか。
そのうち、冬が過ぎて霧が出なくなると、盗人も現れなくなった。盗まれた服に関しては、そのいくつかが木々の枝や、川の中の石に引っかかっているのを発見されたが、どれもボロボロになっていて、二度と袖を通そうとは思えないほどの傷み具合だったとか。
赤みさす大地。服を盗む霧。
毎年、多くの者がこの二つの怪異の謎を突き止めんとしたけれど、根本的な解決には至らず、従来通り、霧が出る時は、外を歩かないという対策しか取れなかった。この影響力は戦にも表れ、敵味方を問わず服がはぎ取られる。
視界不良に加えてこの不可解な出来事により、領主たちの間でも、「霧の間は一切の戦闘行為を中止し、己が身につけているものを守るように」という奇怪な不文律さえ生まれたらしいんだ。
解決の策を求め、領主は各地の神職に助けを求めたところ、ひとりの住職が領内に訪れて提案をしたんだ。
「その大地の赤みを覆うように、上質な生地を用意なさい。広がるならば広がるままに、どこまでもどこまでも。さすれば霧の中の盗人は、文字通り霧散いたしましょう」
奇妙な案だったが、試しにこの案を容れることにした領内。仕立て屋に資金を用意して、当時最高級の生地だった浅葱色のものを、赤くなった箇所に敷き詰めていったんだ。その見事さは通る人が踏むことをはばかるほどで、冬が深まる時には、すでにじゅうたんのごとく、街道を埋め尽くしていた。
やがて霧が立ち込め始める。調査のため、生地を敷いていた現場に赴いていた者たちは、濃い霧の中で、ひとりでに浮かび上がる数々の生地たちを目にした。それらが次々にはぎ取られ、霧の中へと消えていく。
思わず後を追った調査隊の面々は、そこで見た。
先ほど飛んで行った生地たちを身にまとい、霧の中で談笑をする男女の影。それがいくつもいくつも浮かび上がり、されど近づいたところで、何一つ触れ得ぬままに消え失せてしまうことを。
やがて霧が晴れると、男女の姿はどこにも見当たらない。ただ盗られていったあとの地面からは、すっかり赤みが抜けていたのだとか。
報告を受けて、住職は口を開く。
「この大地、この濃霧の中に溶け、別れ別れになった魂たち。彼らが出会えるのが、霧の中だけなのじゃろう。大地に女、濃霧に男。今までは木々という衣をまとっていたおなごが、突如、裸にひん剥かれた。それは身体を赤く染めるじゃろう。これから男と会うならなおさらよ。じゃから、なりふり構わず服を奪っていった。だからこちらで、用意してやればよい。おなごらの召し物を」
それからというもの、大地が赤みを帯びるたび、反物をじゅうたんのように敷く風習がずっと続いている。あと数日後には、深い霧がこの地を包むだろう。
はるか過去より、分かたれた男と女の魂。彼らに、限られた逢瀬の時を与えるために。