授業のあとで
授業が終わると、トートン先生は、また窓のところまで行って、外を眺めていました。
私たちは、まだ先生の授業のまとめをノートに書き込んでいました。
私は、書く手を休めて、先生の後ろ姿を見ました。
隣を見ると、ハルはまだ書き込んでいます。
……あとでハルに見せてもらお!
そう思って、私は席を立って、先生のところへ行きました。
「ねえ、先生、いま考えていることを銅貨一枚で買ってあげますよ?」
「いいえ、そんな値打ちのあるものではありませんから」
そういって先生は笑いました。
先生は自分のことをあまり話さない人でした。
王都でも有名な学校で教えていたのに、どうして私たちの家庭教師になってくれたのか、それから、クルとどこで知り合ったのか、とか。
クルとは、歳も近いのに、あまり親しくしているようには見えなかったので、なおさら不思議でした。
それに、私としては、先生がいつまでも独り身なのも心配でした。
まだ三十代の半ばなのに、これからもずっと図書室にこもっているような毎日を送るなんて、って思っていました。
だから、私は、
「あの、先生は、結婚されないんですか?」
そう聞いてみました。
「あはは……いやいや。私もずいぶん歳をとってしまいましたし」
「そんなことありません。あっ、もしよろしければヒンメル家が総力を挙げてお手伝いいたしますよ」
「いいえ、それには及びません」
「姉さん、先生を困らせたらだめだよ」
ハルもノートを取り終えたみたいで、私たちの会話に加わりました。
「別に困らせたりなんてしてないわよ。ねえ、先生?」
「ええ、もちろん」
「それなら、いいんですけど……」
そのとき、トートン先生が、私たちの後ろに向かって声をかけました。
「クルコレノフ君、どうかしたのかい?」
振り返ると、クルが立っていました。
「授業はもう、終わったようですな」
図書室を見回して、彼は言いました。
「それでは、ハル様。少し早いですが、出かけましょうか」
「うん、わかった」
「クル、ちょっと待って! ハルのお昼はどうするの?」
「包ませますので、大丈夫かと」
「……そっか」
お昼は一緒に食べられるって思っていたので、少しさみしかったです。
「じゃあ、姉さん、いってくるよ」
「うん。いってらっしゃい、ハル」
「では、先生。いってきます」
「ああ、頑張っておいで」
私は、ハルに手を振りました。
クルは私に一礼して、ハルのあとに続きました。
「トートン先生は、これからどうなさるんですか? もしよければ、昼食を一緒に食べませんか?」
「いえ、お誘いは大変光栄ですが、すこし書きものをさせてください」
「そうですか……」
トートン先生は、それまでもいろんな雑誌に論文を載せていて、いよいよ自分の本を出すんだって、張り切っていました。
そしていつも、図書室にこもって、なにか書きものをしてました。
ヒンメル家の図書室がお役に立っているみたいで、ちょっぴり誇らしいです。
「では、先生」
「ええ、また明日」
「はいっ」
図書室を後にして、階段のところまで行って。
ハルのいない午後をどう過ごそうかなって、考えていました。
ハルが遊んでくれないと、なんだか寂しくなるのです。
「リーゼロッテ様。どうかなさいましたかな?」
顔をあげると、ティトレフがいました。
「失礼ながら、浮かない顔をされていらっしゃる」
ティトレフは最古参の召使いでした。
しわくちゃの四角い顔に、斜視気味の目のやさしいおじいさんです。
彼は、夫婦そろって、このヒンメル家に仕えてくれていました。
彼の妻のアンナは私のばあやで、今はもう亡くなっていました。
彼女が臨終の床にあったとき、彼女の枕元で泣きじゃくる私をふたりで慰めてくれたものでした。
本当は、二人きりになりたかったはずなのに。
二人のほうが、ずっとつらい思いをしていたはずなのに。
子どもだったからとはいえ、気の利かない真似をした自分がいやです。
でも……私の憧れの二人です。
ティトはそんな人でした。
だから、私は安心して彼をからかったりしていました。
「……私の心配なんていいの。それより、自分の髪の毛を心配するべきね。また、ひたいが広くなった気がするわ」
「あっ、これは……」
「ねえ、かつらを買ってあげましょうか? 今ね、王都には専門のお店があるんですって」
「いえ、そんな、おそれおおいことを……」
「遠慮しなくていいのよ?」
「遠慮なんてしておりませんですよ。それにしても、変わったリボンのつけ方をしておられますな」
「そうね、髪の毛が多いと、こういうこともできるのよ」
「リーゼロッテ様、あんまり年寄りをおからかいなさいますな」
「ふふっ、ごめんね」
「ところで、昼食のしたくができておりますよ」
「あ、私のも包んでくれない? 森で食べるわ」
「かしこまりました。少々お待ちを……」
結局、私は一人で森へ行くことに決めました。