復讐は人のすること
パーティーの喧騒から離れて、二階へと上がる階段の前に立ったとき、私の胸は痛いくらいに脈打っていました。
階段をのぼって、廊下の奥のハルの部屋の前に立ったとき、広間のほうから誰かの陽気な大声が聞こえてきました。
ノックをしても、ハルの部屋からは何の物音も聞こえてこなくて。
私はそれでも、ハルの部屋に入りました。
左の奥、ベッドの脇の窓際にいるハルを見つけました。
机の上の灯火に照らされたその横顔は、なんだか深い物思いに沈んでいるようにも見えました。
「ハル」
そう呼びかけると、ハルは私に気付いてくれて、
「姉さん」
私に笑いかけてくれました。
その笑顔を見て、私は少しだけ安心できました。
よかった、いつものハルだ、って思って。
「下、行かないの?」
「……うん」
ハルは私から目を逸らして、また窓の外を見ました。
どうしたんだろう? いつものハルじゃないみたい。
でも、胸の鼓動が収まらなくて、いま、いま聞かなきゃ、って言ってるみたいで。
だから、私は……。
「あ、あのね、ハル。お、怒らないで聞いてね」
ハルは返事をしないで、じっと窓の外を見ています。
でも、ハルはちゃんと聞いてる……それがわかって、私は言葉を続けました。
「クルがね、変なこというの。ハル、が……」
なんて聞こう? 言葉を用意してなかったことに気付いて、私は、
「ハルが、人を……殺した、って」
そう聞いていました。
ハルはなにも言わなくて……ただ雨の降る音が聞こえていました。
私の心臓はどくんどくん、って打って、息が苦しくて……。
「……っ! で、でも……ハルが、そんなこと……」
祈るような気持ちで、私は言葉を継ぎました。
「そんなこと……するわけないよね……?」
ハルが、嘘だって言ってくれたら、私はそれを信じようって思っていました。
そんな私に、ハルは……。
「フィクスの……変な宿みたいなところで、クルがやってみせてくれたよ……。姉さん、つらかった……? 本当に好きな人としか……しちゃいけないことなんでしょ……?」
一瞬、私には、ハルが何を言ってるのか分からなくて、ただ、ぽかんとしてしまったような気がします……。
「だから……姉さんのために出来ることを、ずっと探していたんだ。それで……『それ』がそうだと思ったんだ」
「そんな……ハル……」
ハルが私を見ました。
笑ってるのに……目が笑ってなくて……。
でも……姉さんはそんなこと願ってなかった。
姉さんはただ時間が欲しかっただけ。傷が……癒えるまでの時間……。
本当は、分かってた。姉さんが、そんなこと考えるわけないこと。
自分の感情を、ずっと持て余していたんだ。
どうすればいいのか、ずっと考えてた。
それで、いつのまにか姉さんがしてほしいことと、自分のしたいことを混同して……混同したふりをして……『それ』がそうなんだと思ってしまったんだ……と思う。
……ごめんね、姉さん。
僕、間違ったんだね。姉さんの望まないことをしてしまった……。
「でもね……」
そういって、ハルは私に歩み寄って……。
そのとき、私は、一歩だけ……足を後ろに引いてしまいました。
それでも構わず、ハルは私のところへ来て、私を抱きしめて……。
「彼らは、やりたいことをやった。僕たちもやりたいことをやった。誰もがやりたいことを、やりたいようにやったんだ。誰も不幸になってない」
私の耳元で、ハルはそう言いました。
「だから、大丈夫……」
私の知ってるハルはどこ……?
いま私を抱きしめているのは、ハルによく似た誰か……?
冷たい声の調子に胸の鼓動がどんどんはやくなって、息が苦しかったです。
でも……ハルと同じにおいがして、私の大好きなこの感触は、ハルのものでした。
「ハル……」
お姉ちゃんのせいだね……お姉ちゃんがいつまでもくよくよしてたから……。
そう言おうとして、気付きました。
私は、これ以上、ハルに何を背負わせようというのでしょうか。
そんなことは、いやでした。
私を―――した人にだって、なにか理由があったんだと思います。
でも、私、こんなときまで、公平でいたくない。
もしそんなことしたら、きっと……ハルをもっと苦しめてしまう……。
そう考えたら、とても残酷な気持ちになれました。
いま、私の目の前にいるのは、私の大切な弟。
ハルさえよければ、それでいい……。
私の言うべきことは、決まりました。
私も、ハルを抱きしめて、言いました。
ねえ、ハル、いつものハルにもどって……。
「ハル……お姉ちゃんはね、どんなハルだって、ちゃんと愛せるんだよ。だから……いつまでもそんなこと気に病まなくていいの。つらいなら、忘れてもいいんだよ、ハル」
私の腕の中にいるハル。
温かくて、とても心地がいいです。
「姉さん、ありがとう」
落ち着き払ったその声に、私の知ってるハルは、もうどこにもいないんだって分かりました。
でも……不思議ですね。
私の中のハルへの気持ちは変わりませんでした。
いいえ、いっそ強くなったくらいです。
かわいいハル……いとおしいハル……。
ハルがしあわせになれるなら、私は何を失ってもいい……。
素直にそう思えました。
ハルを想って、ハルのためにできることを探して、ハルのために私が出来ること、そのすべてをして……。
そうして、気付いたら私の一生が終わっているような、そんな生き方がしたいです。
そんな愛し方がしたいです。
ハル……かわいいハル……。
私の大切な弟。
私が、私のすべてをかけてしあわせにする人……。
「姉さん、どうして泣いてるの……? だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」
「ハ……ル……?」
「姉さんは……僕が守るから」
どうしてでしょうか。
お母様も、お父様に同じ言葉を言ってもらえたような気がしました。




