【後編】見つけたもの
《名も無き神様》の後編です。
ここは江戸。時が過ぎ去り、清太は…?
江戸の華、大通り街道を一人の青年が歩いていた。そこは多くの人が行き交い、笑い、子供がはしゃぎ、時に怒鳴り声もあるが、概ね楽しげな声が聞こえてくる。人々の感情が色のように発せられ艶やかに彩られているようだった。
その若旦那風の青年はそんな華やかな色に染まることなく、ゆっくりと静かに歩んでいた。そこへ、
「もし、そこの御兄さん。」
と声をかけるものがいた。ふと青年が気付いて振り向くと、若い僧侶が店を開き呼び掛けていた。
「今ね、辻占いの修業をしていてねぇ師匠に千人見てこいと言われているんだよ。どうか人助けだと思って兄さんの相を見させててくれないかい?」
僧侶が辻占い?と不思議そうな顔をした青年に気付いた彼は、
「あっこの格好はね、奥様方には印象がいいんだよ。山伏じゃ怖いしお高い着物着たって近寄りがたいだろ?これならまず相談してみようかな?ってなるだろ。」
なんとも軽い男だ。ただその笑顔に親近感が湧き、やってみようかなと彼の前にある椅子に座る事にした。
「ちょいとまずは手相を見せておくれ、ふむ…ほう…それから顔の相といきましょうか~」
と次々と言われるまま手を取り顔を見られふむふむと分かってるような、分かってないようなあやふやな反応をされた。
「へぇ~兄さん。あんた涼しげで粋な顔をしてるのに随分苦労しなさってるんだねぇ!だからかい?さっき歩いてる時も心から楽しんでないように見えたのは。」
「そんなに風に見えましたか?」
「えぇそうですとも。だからお声をかけさせて頂いたんですよ!ぜひこの私めに身の上噺でも話してくれませんかね?ちゃんと相が合ってるかも気になりますし。」
「ははっ、そう言ってあなたはただ聞きたいだけではありませんか?それで何か私に買わせるか、それとも別のうまい話しでもする魂胆か。」
「いやいや、兄さんよしておくんなし。私そんな男に見えますか?」
そう言われた青年はその僧侶姿の占い師の顔をじっと見て考えていたが、「まぁいいでしょう。私もね、もう心に閉まっておくのに疲れてしまったから」といい身の上話をし始めた。
青年は元々ここ江戸の出身ではないこと。それは5、6年前に起きた村全体を飲み込む大規模な土砂崩れで全ての家や田畑、そして村の人々が流されてしまったということだったーーー
何が起きたのか始めは分からなかった。土砂に流されたと気づいたのは口に泥が入ったと分かった時。もがきながら手を伸ばし、たまたまそばにあった大樹に必死にしがみついたのは覚えている。それからは朧気だ。目が覚めて見てみれば山がえぐれ、村全体が全て無くなっているのに唖然とした。大規模な土砂崩れだった。僕がたまたま掴まっていたのはこの神社の御神木だった。
あれだけの連日の雨、このようなことがいつ起きてもおかしくはなかったのだ。
「母ちゃん…!母ちゃん!」
僕は必死に探した。でもどこに何があったのかも分からない。道は寸断され、先にも行けず、ただ呆然としてうずくまっていた。
(本当に一人になってしまった…)
どのくらいそうしていただろう。
「おい坊や大丈夫かい!」
と声をかけるものがいた。
そちらへふらっと顔を向けると藩の役人のようだった。
「まさかこのような事が起きようとは⁉村は全滅だ…。誰か生き残りがいないか探せるところは全て探したんだ。すまない。結局助かったのは坊やと女性一人だった。」
僕はその役人におんぶされ藩のお屋敷の近くにあるお寺に連れていかれた。もう疲れてしまって夢うつつの中聞いた声
「清太⁉…清太なのかい!」
母の声…まさか⁉「母ちゃんー!!!」
助かった女性は母ちゃんだった。何故?村にいたはずなのに?
聞くところによると母は熱が出てからはずっと家で寝ていたのたが、訪ねてくるものがいた。それは商人風の男で名を薬問屋の伊勢屋、福富仁兵衛さんと言う人だった。それは、前に父が助けた二人の姉弟の祖父だった。本当に父を友として訪ねてきてくれたらしい。彼は母が病気と知り父がいないのならと、一緒に近くの宿場まで行き持ってきていた漢方を飲ませようと向かうところだったらしい。
そして村の外れまで来た瞬間、あの土砂崩れが発生した。
そのあと僕と母は仁兵衛さんの温厚に甘え家に居させて頂くことになった。そのまま僕はそこで下働きをすることになり母と生き永らえたのだった。そして今がある。僕ーーー私は働きを認められ責任のある仕事も任せられるようになった。稼ぎも増え母には薬を定期的に渡すこともできるようになりそんな母も今ではよく笑うようになった。
だが私は…。あの時願った事は忘れてはいない。
〝全て無くなってしまえ〟
これは、私の罪だ。
「まぁ信じるか信じないかはあなた次第ですが。どうですか?あの時の声は空耳だったのでしょうかね。神様は本当にいると思いますか?占い師さん。」
「兄さんは…後悔してるのかい?」
「どうだろうねぇ。私が願っても願わなくても、いずれあの村は貧困の末に消滅していたと思うよ。それだけ未来がない村だったから。それがあの災害に変わっただけなのかもしれない。」
実際自分の村以外にも餓死者や土地の荒廃は進み消滅していった村は多くあった。ここ江戸に住む町民や幕府のお偉いさんは知っているのだろうか。貧困は人を殺すということを。
「あんな状況で兄さん達はよく助かったねぇ!もしかして福の神の御利益かもしれないよ。あの前の晩に来たっていう汚いじいさん、もしかしたら貧乏神か疫病神だったのかもしれないねぇ!」
貧乏神または疫病神が来た村は、破滅する。そういういい伝えは昔からあった。ただし例外がある。
来訪した場合、追い払わずに家に上げ〝おもてなし〟をすると逆に福の神になって富を与えるという。
「う~ん、そうかなぁ。」
「兄さんはそう思わないのかい?」
ずっと何年も考えていたが、結論は出ていなかった。ただ思ったのは、
「あの人は…ただの可哀想なお爺さんだったよ。」
「は?ただの可哀想な爺さん?」
私は頷いた。あの浮浪者は何故夜中にうちに来て滞在したのかは分からない。本当にただの老人だったのかもしれないし神様だったのかもしれない。だとしても今思うことは、
「とても寂しそうだった。もっと何か助けてあげられれば良かったな。」
「…じゃ恨みや妬ましさはないのかい?」
「そりゃあるさ!いっぱい!昔の村には苦労したしこの江戸も私には眩しすぎる。」
「それなら何故?」
「今の生活を守るので精一杯なのさ。恨み妬みばかり考えていたらあの頃と変わらない。人ってなんて贅沢なんだろうねぇ。ほら、あそこのお姉さんだってあんなに笑っていても裏では泣いているのかもしれないんだ。ただ、私はね、これだけは言えるよ。」
占い師の顔を真っ直ぐ見て私は言う
「あの頃どんなに貧しくても、どんなにお腹がすいていても、お人好しの父がいて、笑ってる母がいて……僕は、幸せだったよ。」
あの時、柿を独り占めしていた喜一は長男で下に弟妹が五人もいた。どうしても多くの食料が必要だったのだ。
そして稲刈りの手伝いに行っていた叔父さん達の家も藩からの米の請求で困窮していた。
村の代表の大地主さまや役人もみんな藩からの重い年貢をどうにか減らしてくれないか、もしくは待ってもらえないかずっと交渉して頭を下げ続けていたんだ。
息子の平次郎は最低な奴だけど、どうにか村の手助けにならないかと考えたあげく町に店を出し商いを始めた。だが所詮田舎者。借金は騙されたのだろう。まぁ私を売ろうとしたことは今でも腹立つけどね。
「みんな誰もが家族を守るので精一杯だったのさ」
「じゃぁ…あのとき助かったのは何故だったと思うんだい?」
「それは…あの時父が、子供を助けたから。福富屋さんが遊びに来て母を助ける切っ掛けになったし、あの御神木の下にはね、私の幼くして死んでしまった妹が眠っていたんだよ。墓なんて高価なものなんて建ててあげられなかったからねぇ。せめて寂しくないよう神様のそばに埋めてあげたんだよ。私はその御神木に助けられたから。私にとっての神様は父と妹、この二人かな。」
それから少し話したあと、「それじゃ」といって銭を払い青年は去っていった。
青年が去ってすぐに、
「ハハッ、アハハハハッー!!!」
かの占い師がもう我慢出来ないとばかりに大声で笑いだした。
「あの童子め!わしをただの可哀想な爺さんだと⁉」
その声は若者からしわがれた年寄りの声になっていた…あの時の来訪者の。徐々に顔が醜悪になり酷い臭いもし始め、周りを通りがかる者は顔を歪めて遠巻きに去っていく。泥臭さ以外にもあの時以上に酷くなっているのは、何か生き物が腐ったような臭いも混じっているせいだった。
「我は神ぞ。なのにあの村人ときたら…」
始めの頃は良かった。多くの人が集まり、手を合わせ感謝をする。あそこに存在していた〝我〟は村の守り神として生きていた。
だが、あの凶作により全てが変わった。天候は自分の力ではどうにもできない。せめてこの村だけでもと力をためようとしたが、すでに村人はほとんど来なくなり、来たと思えば恨みや妬み、悲しみばかりを寄越していく。もう我慢ならなかった。怒りがフツフツと蓄積されていく…
次第に山は蝕まれていった。その流れは止められず刻々とあの時が近づいていた。
(もう我は守り神としての力より祟り神としての存在に近づいているのだな…)
人々が神として認知してくれなければ存在理由はなくなってしまう。
焦っていた。だからあの夜彼らの家に行ったのだ。彼等だけは今でも我に会いに来てくれていたから。人に姿を変え話すことはとても力が必要で体が震えるのを止められなかった。何かしてあげたくてここへ来た、なのに…
彼ら家族はあんなに貧しく苦しい筈なのに何故笑っていられる?何故優しいままでいられる?我はもう必要ないのだろか…?
寂しい、独りになりたくない
早朝、家族の父親とあの道へ向かい神社で別れた。姿を保つのはもう限界だった。
そのあと父親があんな事になるなんて、自分はもう力もなくただ彼が殺されるのを見ているだけだった。
あ"ーー悔しい、苦しい、助けて…くれ
ついに、山が決壊したーーー
我は何もできなかった。
全て無くなってしまった。
自分が願ったのだ。
最後に清太に語りかけたのは、自分も助けて欲しかったから…
なんて…なんて醜い神ぞ。
なのに、あの大人になった子供は我を可哀想だと、もっと助けてあげれば良かったと…。
そして最後に彼は言った、
「あの時私は、全て無くなってしまえと願った。始めはそれを神のせいにしたんだよ。なんて酷い奴なんだろうねぇ。あんなに幸せを願っていたのに。だから今度謝りに行かないとね。」
「謝りに?何処へ?」
「あの故郷へだよ。まだ何もないけれど想いはちゃんと残ってる。確か御神木はまだあるはずだからそこへ行って、あなたのせいにしてすまなかった。一人にしてすまなかったって言いたい。そしてまた一緒に生きよう。」
我はもう何も言えなかった。
「いや~こんな話をしたのは初めてだよ。あなたは立派な辻占い師になれるよ。聞いてくれてありがとう。本当に助かったよ。」
一番欲しかった言葉。もう聞くことはないと思っていた。なのに…。
〝すまなかった〟
〝ありがとう〟
〝助かった〟
〝一緒に生きよう〟
欲しかったものがいっぱいだ。
全てがなくなったあの場所にもう神は必要ない。我はこのまま消える身。なら最後に一目村の生き残りに会い、一言「恨んでいる」と言われれば我は消滅できたのだ。
姿をあのこの父親に似た容貌にしたのは正解だったな。だが目の前に座った時、臆してしまった。彼は逞しく生きていたから。消えることばかり考えていた我とは違う。
これではまるで逆ではないか、笑うしかない。
神が人に救われるとは!まだまだ我は未熟者だったのだな。何もないなら何にでもなれる。消えるなんてとんでもない!さぁ帰ろうか、彼がやってくる。我はもう一人じゃない。
そのまだ名も無き神は江戸の町をゆっくりと歩む。通った道には枯れ葉や木の皮が落ちていた。ポロポロと剥がれ落ちる様は憑き物が落ちたようにもみえ幾分か臭いも薄まっているようで…
数年後、その村の付近を旅人が通った時、山には緑が増え獣道ができていた。
そして、興味本意で入山した猟師の話では山の上部付近に立派な桜の花が満開に咲いていたという。散った花びらが早く来いと誰かを誘うように風に流され舞っていた…
【後編】読んで下さりありがとうございました!
このあとの【エピローグ】で完結になります。清太の想いと寂しがりやの名も無き神を最後まで見守り下さいませ。