in Other Words
ことの発端は、
「月見をしたい」
という麻実の一言だった。
この言葉を聞いた瞬間美月は接続詞の「を」と「に」を聞き間違え、
「うどんと蕎麦のどっちがいいの?」
という言葉を返しながら、まだまだ暑いのに熱いのよりも冷たい食事のほうがいいのに。だけど、月見は熱いかけ汁だよな。それならせっかくリクエストしてくれたのだから一丁お昼ご飯に作ってみようか、そんなに手間もかからないし、それにあの桂の母から受け継いだレシピの麺つゆを温かい麺類で試してみるのもいいよなと、考える。
「そうじゃない、お月見よ」
桂に勘違いであることを指摘され、思わず美月は赤面してしまう。
「ああー、シロの顔真っ赤」
麻実に囃し立てられて、
「それは別にいいから。それよりどうして月見がしたいの?」
見た目は少女だが中身は立派な成人男性なのに、勘違いによって赤面したことを恥じ、それを払しょくするかのように少々大きな声で、語気を強く、そして早口に言う。
「だって九月といったらお月見でしょ。毎年病院でしてたんだけど、いつも体調が悪くて参加できなかったんだ。でもさ、今はすごく元気になったし。それでやってみたいと思ってさ」
麻実が月見をしたという理由を語る。
病弱で、ずっと病院で暮らしていた麻実はイベント事に飢えていた。
「いいわね、風流で」
桂が賛同の言葉を。
言葉には出さないが桂にも思惑が。それは何時になるか分からないが、伊庭美月という仮初の少女は自分の前からいなくなり、そして愛した人稲葉志郎が戻ってくる。それは大変喜ばしいことなのだが、その前にこの美少女を愛でて色んなイベントを一緒に楽しみたいという願望が。
「二人がしたいなら俺は別にいいけど、でも月見ってどうするの?」
具体的に何をするのか分からない。
「お団子を並べて、それから薄を飾って、後は満月を見るの」
「それだけ?」
「それだけって。……でも、よくよく考えてみれば月を見ているだけで楽しいのかな。満月なんて九月じゃなくても見れるし」
意気消沈気味に麻実が言う。
「雅に俳句や和歌を詠んだりしたらどうかな?」
現役の国語教師の発言。
「ええー、あんまり楽しそうじゃないよー」
「それじゃ酒盛りは……できないから、……どうしようか」
三人のうち、見た目では二人が未成年。
「どうする、止めておく?」
「したい」
従来のやり方では楽しめそうにないが、それでもイベントをしたい、そして出来得るならば楽しいことにしたいという麻実の想い。
「それじゃオリジナルのお月見にしようか。どんなことしたいか、各自で考えて、それを実現するの」
桂の提案に、二人は乗った。
というわけで、お月見が催されることに。
「月見ゆうたら、やっぱりアレやろ。酒飲んで、太鼓叩いて、満月やー、とか歌いながら踊りを踊って、そんでもって野蛮人めと、蔑まれる」
翌日、学校の教室でふとしたことからオリジナルの月見の話をするという話題になり、その際知恵が言ったのが、今の言葉。
おそらく何かしらの元ネタがあるはずなのだが、美月には皆目見当もつかない。
「ああー、髭のレット隊か」
どうやら麻実は理解したらしい。
「そや。やっぱ流石やな、麻実さんなら絶対に分かってくれると信じてたでー」
「いやいや、知恵もその年で髭を語れるなんてやるわね。普通に中学生なら、知識として知っていても黒歴史にしてしまいそうなものなのに」
「あれは黒歴史になんかしたら、アカン。ウチは一番好きやけどな。それに世間ではかっこ悪いゆう評判やけど、あれは動いたときメチャクチャかっこええやんで」
「同意ね。牧歌的でありながら、まあまあテンポも良いし。伊達に名作劇場とは呼ばれていないわ。あ、でも劇場版はちょっと」
「うん、そやな。アレはウチも擁護できんは」
「ええー、二人ともセンス悪いな。やっぱり一番はOOでしょ」
文が参戦する。
「それはアンタが美形好きというだけやろ。まあ、アレよりかははるかにええやけどな」
「あたしはOO好きよ。だって、脚本の黒田さんは東海地方の人だし」
「アレも面白いじゃん」
三人の会話が少しだけ白熱を。
この段階でようやく美月は彼女たちが何について話しているのか分かった。
「……ああ、ガンダムか」
「何? 今気付いたのー」
呆れたような口調で麻実が言う。
「うん、まあ」
「まあ、それはええとして。美月ちゃんはどのシリーズが一番好きなんや?」
世代的にはBB戦士だが、好きなシリーズはと問われれば。
リアルタイムで観ていたⅤは子供心によく殺伐とし過ぎて理解できなかったし、次にGは別に意味で面白かったし。そしてそれ以降は視聴していないし。
「……ファーストかな」
しばし考えて無難な選択を。
こう答えておけば、おそらく批判されないだろうとズルい計算が働いて。
「うん、ファーストはええな」
「原点だけどさ、なんか古臭くない」
批判はないだろうという美月の判断だったが、文に文句を言われてしまう。
「あの古い感じが良いのよ」
「そや。そりゃ文の言うようにたしかに今の目線で見れば、古いし、作画もおかしいところが仰山ある。そやけど安彦さんのキャラには色気みたいなもんがあるし、それに後半部分では板野サーカスの前段階がちょっとやけど堪能できるで」
「ちょっとちょっと。みんなは盛り上がっているけど私はその話に入っていけない。いったい何の話をしてるの?」
これまで話題に参入できずに、ずっと我慢していた靖子が声を上げる。
「ガンダムよ」
「ガンダム?」
靖子はガンダムのことを全然知らなかった。
「そや、ガンダム。あんたも観た方がええで。そうすれば美月ちゃんともっと話が合うようになるかもな」
「そうなの。私も観たほうがいいのかな?」
訴えかけるような表情をしながら靖子が美月に問う。
共通の話題ができることはいいことだが、それを強制するつもりは全くない。
「靖子ちゃんの好きにしたらいいから。観なくても僕との話はできるし」
「美月ちゃん」
感極まったような顔をして靖子が言う。
そしてそのまま美月の小さな身体を抱きしめようとした。
「全くアンタは」
それを寸でのところで知恵に妨害される。
「邪魔しないでよ。せっかく良い雰囲気で美月ちゃんとスキンシップがとれるところだったのに」
「そやから、止めたんや」
知恵と靖子が対峙するような格好に。
「そうだ、ねえシロ。みんなも誘ったらどうかな?」
退治する二人をよそに麻実が提案を。
「別にいいけど」
「行きます。絶対に参加します」
真っ先に声を上げたのは靖子だった。
「なあ、その月見で美月ちゃんは何か作るの?」
「うんまあ。定番はお団子だけど、何か別の物を作ってそれを食べながら見ようかな、一応考えているけど」
「ほなら、ウチも参加する。美月ちゃんの料理久し振りに食べたいし」
「ああ、あたしもー」
というわけで、知恵、文、靖子の参加が決定した。
オリジナルと簡単に言うが、早々良いアイデアがポンポンと浮かんでくるわけでもなく、結局月見という名目で集まったワイワイ楽しく過ごすということに相成った。
美月はそれでも団子だけというのはもの寂しいと思い、色々と調べる。
そこでネットで検索をして江戸前期には月見団子ではなく、芋煮を食べて夜遊びをすると記述を発見。
これをそのまま用いても面白くないのでアレンジを。
芋煮は止めて、まだ時期にはかなり早いけどみそ仕立ての鍋を。その中に団子ではなく、すいとんを。
すいとんといっても、戦中や戦後に食べられていたようなマズイ食物ではなく、現代風にアレンジされた美味しいものを。
だが、これだけでは絶対に物足りない。
参加者の大半は女子中学生。
彼女達の好みに合うようなものも準備しないと、あれこれ考える。
準備といえば薄も買うか、取ってくるかしないと。
名目上は、月見なのだ。
ないと格好がつかないような。
この件に関しては麻実が「任せておいて」と言うので一任を。
それでも美月の日常はけっこう慌ただしかった。
こんな時にデータが出現したら大変だが、幸いにも現れることはなかった。
いざ、月見当日。
残念なことに、涙雨とまではいかないが、夜空には厚い雲がかかっており、月の「つ」の字も見えないよう有様だった。
それでもまあ、主役なしの月見会は催された。
少々残念な結果になったが、まあ参加者全員楽しめたから結果オーライなのかもしれない。
ちなみに、美月の作ったみそ仕立ての鍋と、その中に投入されたすいとんは好評だった。
翌日、昨日とは一転して、ほんの少しだけ欠けた満月が顔を出す。
昨日のリベンジというわけではないが、美月はふと思い立ち、自らの空間移動の能力を使用して住んでいるマンションの屋上へとコッソリ一人で忍び込んだ。
そこで月を眺める。
綺麗な月だった。
そういえばこの美月という名前は、あの日月明かりを見て、咄嗟に付けたことを思い出した。
〈そうだったな〉
左手のクロノグラフモゲタンが言う。
「それと、すっかりと忘れていたけど、お前はアソコから来たんだったよな」
そう言って美月は月を指さす。
〈それは少々情報に過ちがあるぞ。ワタシは銀河の向こうからやって来た。月には不慮の事故で不時着したワタシの宇宙船がある〉
「そういえば、そうだったな」
以前、この少女の姿になった頃に説明を受けていたが、忘れていた。
稲葉志郎の頃よりも遥かに性能が上がり、遠くのものも見えるようになった目で月面を凝視する。
「それで、お前の宇宙船はここから見えるのか?」
〈不時着した地点は月の裏側。ここの地球から観測することは不可能だ〉
「そっか。……でさ、モゲタンは地球上に飛散したデータを全て回収したらその宇宙船に戻るんだろ」
事故によって誤って放出してしまった宇宙中から採取した珍しい数々の生物のデータを回収するためにナノマシンとなって地球上に降りてきた。
その際自らを、分散し、人間と融合して、欲するような能力を与えてデータの回収をさせる。ナノマシンの自我は消えるが、目的だけは融合した人間にしっかりと根付かせる。
しかしながら美月とモゲタンは少し事情が違った。
融合したのが美月の、この時はまだ稲葉志郎だったが、左手のクロノグラフであり、本来消えるべきはずの自我が残っている。
おまけに本来の稲葉志郎の身体は消滅して、代わりに少女の姿に再構成という始末。
まことに稀有な存在だった。
〈ああ、そのつもりだが〉
美月の脳内にFly Me to the Moon、が流れる。
音源はモゲタン。
「……私を月まで連れてって、か。そんな催促をされなくても連れていくよ。けどさ、お前がどうやって月まで行くんだ?」
素朴な疑問だった。
美月の知識としては、宇宙に行くにはロケットを使用しなくていけなくて、そんな設備は国家でしか持ち合わせていない。
さらにいえば莫大な費用がかかるという知識もあった。
〈それはその時までの秘密だ〉
「ちぇ、教えてくれてもいいじゃないかよ」
〈その時を楽しみに待っていたまえ〉
「……その時って何時だろうな」
〈それはワタシに分からない。早いかもしれなし、遅いのかもしれない。やはり一刻も早く元の姿に戻りたいのか。……スマナイ〉
「いや別に謝らなくても。前にも言ったけどさ、お前がいなくちゃあの場で死んでいて桂とこうして楽しく暮らせていないんだから。……それにさ最近思うんだ、この姿もまんざら悪くないって」
〈それは稲葉志郎に戻るのを諦めたということか〉
「いや、そうじゃなくて戻りたいのは戻りたいけど、もう少し位はこの姿で今の生活を楽しんでみたいなって」
最初は困惑したが、今はもうこの少女の姿にすっかりと慣れてしまった。それに当初は作るつもりなんか全然なかった年下の友人達もでき、まあそれなりに充実した生活に満足している。
〈そうか。そう言ってもらえると助かる〉
「まあ、そういうことだ」
そう、悪くない。
〈だが、その姿でいることを望むあまりデータの回収をすることを疎かに、または辞めてもらっては困るのだが〉
苦言を呈されてしまう。
「いや、そんなつもりは全然ないって」
〈そうか、ではこれからも手伝ってくれるか?〉
「ああ、もちろん。……パートナーだからな」
一人ではデータの回収はできない。二人で一人のような存在。
〈パートナーか。なるほど。では、改めて。これからもよろしく頼むな……〉
モゲタンとのやりとりは美月の脳内で行われるので、この表記が正しいかどうか分からないが、最後の音を聞き取ることができなかった。
「今何て言ったんだ?」
〈君には聞き取れないが、ワタシの生まれた場所の言葉だ。……意味はパートナー、相棒だ〉
「そっか」
そう言うと脳内のBGMに合わせて鼻歌を口ずさんだ。




