かれ~なる選択
美月にとって八月三十日は久々にゆったりと過ごすことができた。
懸案だった課題も全部つつがなく終えることができ、端的に言えば暇の一文字だった。
これまでの勉強疲れか、それ以外にも疲れるようなことが山のようにあったのだが、はたまた昨晩の三者会議+1で遅くまで話し合っていたからなのだろうか、いつもはしない昼寝をしてしまう。
目が覚めるともう夕方近くだった。
といっても夏の夕方、まだ日差しは強い。
もう少し日が落ちてから夕飯の食材の買い出しに出かけようと思いながら、同時に何を作ろうかと算段する。
突如として美月の頭の中に、あるメニューが浮かび上がってくる。
それは簡単に作ることも可能なのだが、どうせなら少々時間もあるし手間をかけて美味しく作りたいと美月は思い立つ。
冷蔵庫を開き足りない食材をチェック。
まだ暑いが買い出しに。
美月の小さな身体は、暑い気温や強い紫外線など物ともしない。
が、その前に。
八神麻実の部屋を訪れる。一緒に買い物に行くか尋ねる。
というのも、以前一人で買い物に行き、拗ねられたしまった苦い記憶が。
この春までずっと病院で入院生活を送っていた八神麻実にとって、日常のあらゆることを経験するのは楽しくて仕方がない様子だった。
そんな八神麻実を美月は邪険には扱わなかった。
以前、桂の言っていた「あの子まだ子供でしょ」という言葉を実感し、微笑ましく思ってしまうことも。
それにメリットもある。買い物の人数が増えれば、お一人様数量限定の品を人数分購入することも可能。
声をかけると、
「無理。昨日のアイデアをまとめるのに忙しいから」
という返事が。
どうやら、昨日の美月の新しい変身姿をデザインするのに大変なようだった。
ということで、美月は一人で買い物に。
買い足したものは、ニンジンとジャガイモ、そして市販のカレールーを二種類と後は諸々。
まずは桂の実家から送られてきて、冷凍しておいた牛肉を。買い物に行く前に解凍しておいたものを炒める。
その次は野菜。
冷蔵庫の中にあった玉葱をカット。それを半分に分ける。
半分の玉葱を飴色になるまで炒める。
それをバットの上に。
お次はちょっと大きめにカットしたジャガイモ、そしてニンジン、それからもう半分の玉葱を。
圧力鍋を使用すれば時間を短縮し、かつ食材を柔らかくすることできるけど、ここはあえて手間をかけてジックリと炒めていく。
そこに取り出しておいた牛肉と飴色に炒めた玉葱をお鍋の中に入れ、炒める。
程よいところでお鍋の中に水、ローリエ、そして別に準備をしておいたトマトのピューレを投入。
ジックリ、コトコトと弱火で煮込み、丹念にアクを取る。
と、同時に。トッピングの茄子を焼く。
いつもは手抜きでそのまま焼くだけのことが多いが、今回は切った茄子の切断面に小麦粉をまぶして。
さらにサラダの準備も。
いよいよカレールーを投入。
二種類のルーをブレンドし、頻繁に味見をしながら整える。
美月本人の嗜好としては辛口のカレーがいいのだが、食べるのは一人ではない。桂はあまり辛いのは嫌がるし、八神麻実の好みは分からない。
そこで選んだのは中辛。
買う前に確認を取っておけば良かったかもと少し後悔をしたが、まあ中辛ならばおそらく大丈夫だろうと美月は判断した。
サラサラのカレーよりも、トロトロのカレーを。
ジックリと煮込み、調味料で微調整を繰り返し、出身地の津にある老舗洋食屋さんの名物カレーのような黒色のルーを美月は作る。
「これって牛肉?」
桂の帰宅を待って、それからまだ自分の部屋に籠っていた八神麻実を呼び、三人の夕食が始まる。
一口食べてから八神麻実の口から出たのがさっきの言葉。
「うん、牛肉だけど。……もしかして嫌いだった?」
八神麻実が引越してきてからずっと一緒に食卓を囲んでいた。まだほんの数日だから、好みを完全に把握していない。もしかして肉類は駄目なのだろうか? しかし、一昨日は生姜焼きを作ったが喜んで完食してくれた。ならば、牛肉が嫌なのだろうか? そう思いながら美月が尋ねる。
「ううん、お肉は大好き。牛も豚も、それに鶏も。……あ、でもお魚は苦手かな」
「好き嫌いしてると大きくなれないぞ」
「ブー、あたしは志郎よりも大きいんだから別にいいの」
「それより、どうして牛肉で驚いたの?」
脱線しそうになったところで桂のフォロー。
「カレーってさ、普通は豚肉じゃないの?」
この質問に美月は驚いた。美月の中の常識ではカレーには普通牛肉だった。
「えっ、カレーには牛肉でしょ」
「豚だよ」
世の中にはポークカレーという代物が存在していることを美月は重々承知している。しかしそれは店で出されるもので、家庭で作るカレーには牛肉を使用すると概念が。
一方、八神麻実にとってのカレーは豚肉だった。
これは一説としてあることなのだが、東日本は豚肉の文化、西日本は牛肉文化で、カレーもこれに当てはまっている。
大雑把ではあるが、八神麻実は名古屋市出身、つまり東日本。美月は、津市出身、西日本。同じ東海地方でも東と西に分かれてしまう。
不毛な、ある意味平行線な会話がしばし続く。
「じゃあさ、両方入れたらどうかな」
それまで黙々と食べていた桂の一言。
「「それだ」」
二人が同時に声を。
別に一種類の肉しか入れてはいけないという決まりが存在するわけではない。
自由に作ってかまわない。
そして、それが美味しくて、食卓に笑顔の花が咲くのならなお良しだ。
料理をほとんど作らない桂の口からこのような言葉が出てきたのは、それは素人ゆえの柔軟な発想、というわけではなく成瀬家のカレーが両方入っていることもあるカレーだったから。
これは後年バラエティ番組で判明することなのだが、ポークカレーとビーフカレーの境界線は揖斐川長良川。
つまり桂の実家のある桑名市に。
「じゃあ、今度は両方入れて作るから」
と、美月。
「あ、ついでにもう一つリクエストいいかな」
今度は八神麻実。
「うん、何?」
「もうちょっとサラサラのルーのがいいかな。それともう少し辛くないの」
「あ、私もサラサラのカレーのがいい」
八神麻実の意見に桂が便乗する。
見た目は女三人なのだが、中身は男一人に女二人。
「えー、俺はこれくらいトロトロの方が好きだけどな」
男と女で見事に意見が分かれてしまう。
「ルーも二種類作るのは」
「ああ、それいい。甘いのか辛いので分けるの」
「あのさ、作るのは俺なんだけど」
女性陣二人が好き勝手なことを言う。
それに美月は小言で文句を言うが、聞いてはもらえない。
かくして、カレー談義はまだまだ続きそうだった。




