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宣戦布告


「ねえ、あたしに志郎を頂戴」

 八神麻実を美月と同じ中学に通わせる、という無理難題に取り組み、あれから市役所内を上へ下へと奔走したが、人知を超えるようなモゲタンの能力を持ってしても簡単にどうこうできるような案件ではなく、事態は持ち越しに。

 その件ばかりに美月みつきはかかわるわけにもいかない。

 他にもすべきことが山のように、とまで言わないが、ある。

 一番大事なことが、夕飯の支度。

 かつらがお腹を空かせて帰ってくるのから、それまでに準備をしないと。

 出かけたついでに八神麻実を伴って近所のスーパーに。

 その時、どうせだったら家で食べていくかと美月は八神麻実を誘った。

 その誘いを八神麻実は快諾。

 引っ越してきたばかりに隣人を招いての軽い歓迎パーティーと相成ったと。

 本当ならば、もう少し時間と予算、それから腕を振るいたかったのだが、如何せん時間が。

 それでもリクエストにあったハンバーグを三人分こしらえる。付け合わせは出来合いのものになってしまったが。

 桂の帰宅に合わせハンバーグを焼き始め、三人で食卓を囲む。

 美月が間に入ってまずは知り合った経緯を簡単に説明し、その後自己紹介が始まり、多少ギコチナイものの会話が。

 それでも変な空気にはならないでいた。

 そして食事も進む。

 ハンバーグが好物な桂はもちろんのこと、八神麻実も気に入ってくれたみたいで美月は安心した。

 もしかしたら舌に合わない可能性も、そんなことも危惧していたけど杞憂に。

 安堵している矢先に飛び出したのが冒頭の八神麻実の言葉。

 和気あいあいとまでいかないが、それでも和やかだった空気が一瞬で固まってしまったように美月は感じた。

 そこに八神麻実の言葉が続く。

「桂は志郎との付き合いは長いかもしれけど、普通の人間でしょ。あたしのような同じ力を持った人間のほうが一緒にいるのは相応しいと思うんだけどな」

 美月の記憶と、というか記録を有しているためか、それとも単なる癖なのか判別はできないが、八神麻実は年上の相手にも平気で呼び捨てにしていた。

 固まっていた空気がより一層重たくなったような気が。

「この先男に戻った時にアラサーの女よりも若いあたしの方が絶対嬉しいはずだし。それにパパに頼んで仕事も紹介してあげられるし、志郎にとってはあたしを選ぶのが得策だと思うんだよね」

 将来、稲葉志郎に戻った時に仕事を紹介してもらえる、安定した生活を送れる可能性があるというのは魅惑的な提案であった。役者には未練はないのかと問われれば、あると答えるが、しかし八神麻実の地元の名古屋で生活をするのなら、四日市まで脚を伸ばしてあの紙芝居の人と一緒に活動をしてみるのも面白いのではと考えてしまう。

 だが、売れなくても支えてくれた。こんな境遇になっても一緒にいることを選んでくれた。

 こんな大切な彼女と別れつもりなんかない。

 これは美月の考えであって、いつの日か桂が愛想をつかして別れたいと望むのであれば大人しく出ていく所存ではあるのだが、本心としては絶対に離れたくない。

 桂は何と答えるのか、美月は固唾をのんで待った。

 崩していた脚をキチンとして座り直し、八神麻実を見据える。

 ニコリと小さく微笑む。

 そして閉じていた口が静かに開く。

 その光景はスローに。まるで映画のワンシーンのような感じが。

 この先の言葉を聞きたいような、聞きたくないような複雑な心境に。

「仰る通り、私には稲葉くんや八神さんのような力はありません。もしかしたらこの先力がないことで理解できないようなことに遭遇するかも知れません」

「じゃあ、あたしにくれるの」

「それはできないの」

「どうして? なんで?」

「稲葉くんの気持ちはどうか分からないけど、私はこの先もずっとこの人の傍で一緒に生活をして支えていきたいと思っているの。……だから、御免なさい。八神さんが勇気を出して、稲葉くんに告白したけど彼を譲るつもりは私にはありません」

 静かな淡々とした口調だった。

 だが、桂の声は緊張で固まっていた美月の身と心を溶かしていく。

 この人が彼女で本当に良かったと心の底から思える。

 と、同時に。元の稲葉志郎に戻ってからも絶対に離れたくない。愛想をつかされた場合はしょうがないが、そうならないように努力しよう。

 そして、できれば一生添い遂げたい。

「べっ……別に本気で言ったわけじゃないんだから。勝手に人の気持ちを決めないでよ。……あたしはただ、志郎のご飯が美味しいから毎日食べたいなと思っていっただけなんだから。……そう、そうよ。だってあたし家事なんか全然できないし、……してくれる人がいれば楽かなと考えたくらいだから」

 早口でまくし立てるように。

 年上の二人には少し微笑ましく思えた。

「なっ……何笑っているのよ。本当にそんなこと思っていなんだから。志郎のことなんか、これっぽっちも、は言い過ぎだけど全然好きでもなんでもないんだから」

「はいはい、じゃあそういうことにしておきましょう」

 桂が軽くあしらうように。

 好意を持たれるのは喜ばしいことだし、存外年齢を重ねても照れてしまうが、この時の美月はそれ以上に嬉しい気持ちがあり、余裕があった。

「じゃあさ、これからは毎日家に食べにくる? 桂も別にいいよな?」

 美月は提案をしてみる。

「いいの、ほんとに」

 ほんの少しだけ暗い顔になっていたのが一瞬で破顔する。

「うんまあ、……料理をできない子を放置したままにするのは教育者としては見逃せないけど……けどいいの、稲葉くん? 負担になるんじゃ」

「別に二人分作るのも三人分作るのも、材料費がちょっと増えるくらいで手間はそんなに変わらないから」

「食費はちゃんと払うから心配しないで。明日からよろしくね、志郎。ついでに桂も。ああそうだ、明日も志郎を借りるからね、今日一日では全部できなかったから」

 中学に入り直す件、それに新生活の準備もまだまだ山積みだった。

「そっちはモゲタンの力技でどうにかできるかもしれないけど、インテリア関係は桂のほうがセンスいいぞ」

 無理難題を解決するためにモゲタンの能力を使用しているが、美月自身は付いて行っているだけで具体的に何をしているのか全く知らなかった。

 というよりも、知りたくない、というのが本心だった。

 書類はもとより、公務員の方々の記憶の改竄。グレーゾーンなのか、はたまた法なんか軽く飛び越えているのか、知ってしまえば精神衛生上良くないことは必至。

「そうなの。じゃあ、今度買い物に付き合ってよ。桂は何時休みなの?」

「えっと、土曜日かな」

「じゃあ、決まり。でも予習として、土曜日までの間に色んなものを見て回ろうかな。あ、志郎はどうする? 志郎も見た目は可愛い美少女だけど一緒に来る? そういえばあたし女同士で買い物に行くのは初めてだ。どうしよう、すごく楽しみ。ああ、でも志郎が来ると女だけの買い物にならないわね」

 すごくはしゃいだ声。

 付いて行っても荷物持ちくらいしか能がない。

 けど、二人だけにするのは少し心配。

「行きます」

「じゃあ、一緒に来ていいわ。それじゃ、桂よろしくね」

「ええ、お姉さんに任せなさい」

「お姉さん?」

「お姉さんなの。そりゃ、ちょっと年は離れているかもしれないけど」

 語尾に少しだけ怒りのような感情を美月は感じた。

 それは八神麻実も同様だったらしく、

「うん……そうよね。桂がお姉さんじゃないのなら、志郎もお兄さんじゃなくなるもんね。……そうだ、お姉さまと呼んであげるわ」

「それはちょっと勘弁してほしいな。そういう倒錯趣味は嫌いじゃないけど。それにどうせなら稲葉くん、というか美月ちゃんにそう呼ばれたいような気が」

「ま……まあ、いいわ。それじゃ土曜日お願いね」

 その後はインテリア談義に花が咲いた。

 美月一人がちょっとだけ蚊帳の外だった。


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